異邦人、ダンジョンに潜る。外伝、老人の剣。 【06】


【06】


 街の混乱は三日で治まった。

 新たな統治者の、力を示す三日であった。

 レムリアは、暴動を扇動した罪で投獄されるが、【放浪王ケルステイン】の命により次の統治者に選ばれる。

 これも投獄から三日後の話である。

 いつから根回しを進めていたのか? レムリアを丁重に扱った辺境伯の部下を見れば、かなり前からと言える。

 この根の広がりも、放浪王が評価した部分だろう。

 同時期に、レムリアは婚約を発表した。相手の女はネモシュという娼婦。没落したエリュシオンの元貴族である。

 血統までも取り込み、レムリアは統治者として盤石の基盤を作り上げる。

 ただ、後一つだけ足りないものがあった。


「名声が必要だ。ダンジョンを潜り、冒険者として名を上げる。今の僕は、所詮は辺境伯の代理に過ぎない。エリュシオンの属国を太らせる世話人に過ぎない。しかし名声を得て、他の冒険者や民の人気を得れば、エリュシオンも王と認めざる得ない。ここを、僕ら冒険者の国にする」


 立派な言葉なのだろう。

 ラスタや、ヴァルシーナ、アルマは感動していた。メルムは、いつも通り冷たい顔。

 彼は、目に見えて不機嫌だった。ヴァルシーナの扱いに腹が立っていた。

 ネモシュと大々的に婚約したこともそうだが、レムリアにエリュシオンの法を改訂する気がなかったのだ。

 エリュシオンは、獣人を虐げて歴史を作ってきた。

 当然、獣人に真っ当な権利は認めていない。

 つまり、ヴァルシーナは正式な婚姻を結べない。

 レムリアの財産や権利は、ヴァルシーナには行かない。

 更に腹が立ったのは、当のヴァルシーナがレムリアに不満を持っていなかったことだ。


「だって、そういうものでしょ?」


 大人の女の顔で言われれば、彼は黙るしかない。

 十九階層の攻略中でも、彼は不機嫌なままだった。


「大丈夫?」

「問題ない」

「本当に?」

「問題ない」


 アルマにずっと心配される始末。


「本当に痛くない?」

「問題………もしかして目のことを言っているのか?」

「他にどこか痛いの?」

「………問題、腕を組むな」

「えー婚約したんだから腕くらい組むでしょ」

「仕事中だぞ。それにメルムが」

「いいのいいの、兄さんは口を出さないって誓ったから」

「何故だ?」

「二人目の奥さんを迎えた日に」

「わかった。もういい」


 メルムが殺気を放っていた。妹にではなく彼にである。

 レムリアとヴァルシーナは苦笑していた。

 アルマの浮付いた態度を誰も叱らない。

 国崩しという大仕事をこなした後だ。代り映えのしないダンジョンでは、歴戦のパーティでも気が抜ける。気を抜いたとしても、問題なく処理できると皆が自負していた。

 例え、気を張っていたとしても結果は変わらない。


「そういえばね。メーくん、その瞳―――――」

「アルマ?」


 死は理不尽なものだ。彼は、それをよく知っていたはずだ。

 母に教えられ、森で学んだはずだ。

 どのような知恵も力も、神の祈りすらも、悪意の隙間を通り抜けているだけに過ぎないと。


「アルマ、冗談はよせ」


 腕には彼女の温もりが残っていた。

 だが、彼女の姿は忽然と消えていた。最初から誰もいなかったかのように。


 五日で、レムリアとヴァルシーナはアルマの捜索を止め先に進む。

 ラスラは十日後、メルムは二十日。


 三十日後に、十九階層には変わったモンスターが湧く。

 エルフに似た。アルマに似た歪なモンスターだった。彼は一人でそれを狩り尽くした。

 これは呪いだ。

 ペテンで騎士を倒した呪いだろう。

 眼帯で片目を封じ、使うまいと固く誓う。本当は、呪いと思いたいだけの八つ当たりだ。アルマを見失った愚かな瞳など潰れてしまえばいい。だが、一つだけでも残さないと帰ってきた彼女を見ることができない。

 呪いだと思わなければ、何も見えなくなっていた。


 一年が過ぎた後、彼は一人で十九階層を探索し続けていた。


 レムリアのパーティは、ラスタとメルムが抜け。新たなメンバーを加えて順調にダンジョンを攻略していった。

 最初のパーティは既になくなっていた。

 彼は、十九階層に囚われ続けている。ダンジョンで、ゴミを漁るように這いつくばる彼を見て、レムリアの元仲間と思う人間はいない。

 皆が口を揃えて『無駄だ』と言った。アルマが生きているとは、彼も思ってはいない。弔いのため、死体の一部だけでも探してやりたかった。

 嘘だ。

 本当は子供のような奇跡を願っていた。

 ダンジョンを探し続けるうちに、通路の角からアルマが出てくるのを願っていた。無駄だとわかっていても願い続けていた。

 彼は子供だった。

 子供のように夢を見て、暗闇でアルマを探し続けていた。

 しかし、夢では腹は膨れない。

 二年後、蓄えを全て使い切り、彼はその日のパンにすら困るようになった。装備もボロボロになり、剣がなければ物乞いと変わらない姿だ。

 行き倒れたところで、再びヴァルシーナに助けられた。そして、レムリアが仕事をくれた。

 新しい冒険者の育成。ほぼ形だけだった冒険者組合の立て直しだ。

 何かを忘れるように彼は冒険者を助けた。

 自分のような冒険者を作らないように――――――だが、時間ができれば十九階層でアルマを探した。


 アルマが消えてから、三年が過ぎた。


 冒険者組合の仕事と、アルマの捜索、その二つが彼の日常になっていた。

 元パーティメンバーとの関係は続いている。

 ヴァルシーナは、冒険の暇に世話を焼きに来た。

 ラスタは、下手な手料理をふるまってくれる。

 メルムとは、出会う回数こそ少なかったが、会えば必ず真剣で手合わせをした。

 レムリアには、酒を付き合わされ、新しいメンバーの愚痴を長々と聞かされた。時折、仕事も頼まれた。エリュシオン絡みの密偵や騎士、政敵の暗殺だ。

 あの騎士のような獣とも戦った。

 あれほどの猛者に出会わなかったのは、幸運なのか、不運なのか、彼にはわからない。

 熱を上げていた剣が、今ではただ冷たい。

 皮肉なことに、冷たくなればなるほど鋭さは増した。森で獲物を待ち構えていた時から、彼の性根は変わっていなかった。

 亡霊だから、死者を求めるのだろうか?

 答えが出ぬまま、彼は彼女を探し続けた。


 アルマが消えてから、四年が過ぎた。


 様々なことが起こった年だ。

 メルムは子持ちになり、ヴァルシーナはレムリアの子を出産、ラスタは大きな店を構えた。変化がないのは彼だけだった。


「メディム。お前も所帯を持て」


 ぽつりとメルムに言われ、だがメルムは謝罪して言葉を消した。メルムが謝ったのを聞いたのは初めてだった。

 もう誰も、アルマのことを話さなくなった。

 もう誰も、彼を止めることはなくなった。

 彼は変わりなく、彼女を探し続けた。十九階層を隅から隅まで調べ尽くし、全て調べ終えたなら、また最初から調べた。積んだ石を、自分で崩してまた積むように、終わりの見えない作業をこなしていた。

 人は慣れてしまうのだ。

 終わりがなくても、例え狂気でも妄執でも、心が耐えてしまえば壊れる前に慣れてしまう。いっそ狂ってしまえば楽なのだろうと彼は思う。何度も思うが、狂えなかった。


 ある日、ヴァルシーナが死んだことをレムリアから聞かされる。


 ダンジョンで強敵と戦い死んだ。レムリアを庇い死んだ。母として子を育てることよりも冒険者の道を選び、死んだ。

 死体の回収はできなかったそうだ。ダンジョンでは、よくあることである。

 彼は泣けなかった。

 ヴァルシーナの死が理解できなかった。子供が死を理解できないのと同じ理屈だろう。


 レムリアは、苦難を乗り越えダンジョンを進んだ。

 毎日のようにレムリアの名声が耳に届いた。

 栄光の裏では、彼の薄暗い仕事は増えた。


 瞬く間に年月は過ぎる。


 レムリアは王となった。

 ダンジョンで手に入れた“何か”を理由に、エリュシオンに自治独立を認めさせた。

 新しい国の旗には、ヴァルシーナがいた。

 まさしく国一つに相応しい女の姿が描かれた。

 友の栄光と母の姿に、彼は誇らしさを抱いて変わらない日々を過ごした。


 そしてまた、月日は流れる。

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