異邦人、ダンジョンに潜る。外伝、老人の剣。 【05】


【05】


 計画は大胆だ。

 まず、ラスタの人脈で街中に噂を流す。


『酒と食料に増税が課される』


 という噂だ。

 原因は、辺境伯の怠慢、強欲。もしくは、神を冒涜する実験のため。理由なんてどうでもいい。食い物と、冒険者の水と言える酒が奪われるのだ。

 皆、声を上げる。

 それはもう、大きく声を上げる。

 暴動が起きた。

 辺境伯の使者が『増税などしない』と言っても、誰も聞きはしない。そもそも信頼されていない統治者なのだ。嘘に決まっていると一蹴された。

 それに一度騒ぎになってしまえば、増税の撤回よりも、揃って声を上げて日頃の鬱憤を晴らすことが目的になる。

 こういう騒ぎの鎮火方法は、エリュシオンの中では一つ。武力による鎮圧だ。

 しかし、今回の相手は悪かった。

 冒険者を押さえるには、辺境伯の私兵や騎士だけでは足りず、本国や周辺の騎士に救援を呼ぶこととなる。

 街は内戦状態に陥り、だが民への略奪は驚くほど少なかった。

 彼とレムリアは、静かに動き出す。


「計画通り、辺境伯は僕がやる。メディム、騎士は任せる」

「了解だ。レムリア、死ぬなよ」

「僕は大丈夫だ。お前の方が敵は強い」

「本当にな」

「何度も言ったが、勝てないとわかったら逃げろよ」

「必ず倒す」

「頼もしいよ」

「………メルムは、大丈夫なのか?」

「エルフ氏族を上手く抑えてくれている。今、エルフに介入されたくない。暗殺が成功したとしても、エルフの仕業になる。そうなったら、エリュシオン本国から大軍隊が来るだろうな。すまん、メディム。こんな計画しか立てられなかった」

「問題ない」

「問題ない、か。お前だけだよ、そうも疑わないで戦ってくれるのは」

「仕事だからな」

「………………じゃあな、メディム」

「じゃあな、レムリア」


 彼はレムリアと別れ、一人で街を駆ける。

 熱と怒声から離れると、目的の騎士はすぐ見つかった。

 神が引き合わせたかのように、路地裏の闇に騎士はいた。

 騎士は盾を持っていなかった。右手に剣だけを携えていた。大柄で、頭部以外は頑丈な鎧に包まれている。

 彼の得物も剣一つ。冒険者が愛用する革製の鎧は、間違いなく騎士の剣を防げない。

 だが十分、対等と言える条件だ。


「飼い犬の方が来たか」


 彼は無言で斬りかかった。

 剣戟の火花が咲いては消える。

 夜闇である。常人なら白刃すら見えない闇の中、彼と騎士は斬り合う。一挙手一投足を、互いに捉えている。

 亡霊も獣も、闇に棲むのだ。

 戦いは密やかに、だが苛烈に濃密に、触れれば即、死に繋がる刃を嵐のように振るう。

 堅い。

 三十斬り結び、彼は思う。

 盾が要らないはずだ。これほど強固に、剣を捌く者は初めて見た。鉄塊を剣で叩いているような感触だ。

 しかも、騎士は息一つ乱していない。心音の乱れすらないだろう。このままでは、夜明けまで戦っても傷一つ付けられない。

 こいつは格上だ。グランデルと同格―――――いや、それはない。

 打ち合う度に、剣を持つ手に血が滲む。

 激しい心音が耳に響く。

 嫌な汗が頬を伝う。

 長期戦が不利なのは明白、短期で仕留める。短期で仕留めなければ負ける。そのためには、奇策が必要だ。

 冒険者をしていて良かった。

 人間以外と戦ったおかげで、傭兵では思い付かないような奇策が大量に思い浮かぶ。

 ―――――――浮かぶが、選んだ策は傭兵のそれだ。

 多くの選択を得たからこそ、この策が最善と確信できた。

 彼はバランスを崩す。

 半分演技、半分は体の限界だ。

 騎士は見逃さない。

 強烈に剣がぶつかり合う。彼は更に大きくバランスを崩し、片膝を着いた。避けることができない体勢。受けるしかない状態。

 騎士は半歩引き、全身を乗せて剣を突き出す。

 受ければ間違いなく、剣ごと貫かれる。

 彼は前進した。

 剣の切っ先を顔面で受けた。威力が完全に乗り切る一瞬、首を振って剣を逸らす。彼は進み、跳ぶ。

 闇の中で見えた光明に、剣を突き出す。

 彼の剣は、騎士の下あごから入り脳天から突き出ていた。

 普通なら即死。

 しかし、彼は止めに動く。突き出た刃を握り、騎士の首をへし折りながら投げ飛ばす。

 騎士の体が、石畳を転がる。

 騎士の剣が、彼の傍に転がる。

 彼の左目は、完全に潰れた。傷が脳に到達する前に、ギリギリ回避はできた。それでも深手には変わりない。出血は止まらず、しかし、戦闘の高揚感で痛みはない。

 さあ、初戦は終わりだ。

 闇が濃くなる。

 手を使わず、騎士の体がゆっくりと立ち上がった。

 折れた首が回り、ねじ切れるほど回り、回りながら伸びて裂け、長く大きな蛇が姿を現す。

 鎧が爆ぜ、両腕は熊のように毛むくじゃらに膨れ上がり、爪は竜のように大きく伸びた。腹には獅子に似た顔面が三つ並ぶ。

 人の原型が残っているのは下半身のみ、後はもうモンスターとも言えない獣の姿。


「ミスラニカ、力を貸せッ!」


 彼の叫びに、猫の鳴き声が重なる。

 彼の血が止まる。

 止まった血が逆さに流れ、潰れた眼窩に吸い込まれて行く。失くした左目が燃える。

 目を閉じ、開くと、彼の左目は猫のように、狼のように、金の瞳孔に変化して獣を睨む。

 獣が吠えた。

 街中に響く叫びだった。暴動で騒ぐ民衆がすくみあがり、沈黙する叫びだった。

 彼は騎士の剣を拾い、振るう。

 猛烈な剣風が、獣の叫びを打ち払った。

 どこからか声が聞こえた。


「一夜の眷属よ。汝の全てを赦す」


 彼の手に力が宿る。人の理から外れた力。あの夜に手にした欠片が、確かな形となって剣を軋ませる。

 今なら、グランデルにも届く。

 英雄に足る力。

 剣の極地。


「悪いな。一撃だ」


 本当なら、自分の力だけで殺してやりたかった。賭けるのが己の命一つなら、いくらでも挑戦してやった。負けるとしても戦っただろう。

 剣に命を賭けるとは、そういうものだ。こんな神のペテンで倒しても価値はない。

 以前の自分ならそう考える。

 今は違う。

 仲間がいるのだ。

 彼らと進むために、邪魔をするものは全て殺す。悪神に魂を食らわせても殺す。必ず、何もかも殺す。

 彼は剣を振り下ろした。

 刃は、夜天と共に獣を両断する。


 

 その夜、辺境伯が亡くなった。

 エリュシオンの記録では病死とあるが、実際は一人の冒険者に暗殺された。

 裏では、誰にも知られることのない戦いがあった。その神のように、人々の記憶に残らない戦いだ。

 冒険者と騎士、亡霊と獣の戦いだ。

 死した騎士は、エリュシオンの記録から抹消された。いかに王子の血縁であろうとも、護衛すらまともにできない騎士など、エリュシオンには存在しない。

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