異邦人、ダンジョンに潜る。外伝、老人の剣。 【02】
【02】
彼は、ヴァルシーナの案内でアシュタリア領から逃げ出した。
問題はここからだ。
グランデルは間違いなく追ってくる。ヴァルシーナの意見では、逃げるにしても他の諸王の領域では無駄。遠くに逃げないと駄目だと言う。
彼は少しだけグランデルと真剣で戦いたかった。しかし、今は勝てる要素が何もない。命を賭けることに躊躇いはないが、無駄なことと無駄死にはしない。ガーシュパルから教わった傭兵の教えだ。
ヴァルシーナは、海を越えたいと言う。
その案に彼は乗る気ではなかった。
航海の過酷さは、奴隷商からよく聞いていた。商品も船員も、一度の航海で半分は海に捨てるのだ。グランデルと海、どちらも強敵である。
しかし何か良い考えがあるわけでもなく、かといってガーシュパルに頼る気もない。
彼は失敗した。傭兵としては死んだ。
自分を助けたのは、あくまでもヴァルシーナだ。この借りは返す。ならば、海しか選択肢はない。
北に足跡を残し、南の港に移動。後は適当な商人の船に相乗りする、という予定は、港で待っていたガーシュパルにぶち壊される。
ガーシュパルは、船の手配から二人分の偽装した身分まで用意していた。
彼は軽く混乱した。
「坊主、右大陸行きの船だ。中央がよけりゃ途中で降りろ」
「意味がわからない」
「意味も何もあるか。その奴隷女が左大陸いちゃ困る。偽者を三十人も用意したからな、中に本物がいちゃダメだろ」
「それはそうだが」
ガーシュパルは、ヴァルシーナを殺すと思っていた。殺して埋めて、偽物を泳がせた方が確実だ。
「坊主、お前はお目付け役だ。奴隷女が、こっちに帰ってこないように見張れ」
「その後、俺はどうするんだ?」
「ああん? いつまでも坊主でいるな。てめぇのことは、てめぇで面倒みろや」
ガーシュパルは、彼に金貨の入った小袋を投げ付け去っていった。
「坊や、あの男って坊やの父親?」
「冗談言うな」
ヴァルシーナの言葉は、冗談で終わらなかった。
ガーシュパルが実父だと知ったのは、この別れから三十年以上後のこと。この時の不可解な行動は、傭兵ではなく父親の行動だった。
過酷な航海が始まる。
船は、ガーシュパルの息がかかった商会の物だ。積み荷は貴金属が少し、後は食料と酒や水。船員に何を取引するのだと聞くと『情報だ』と返事。
比較対象がないので、彼はこれが普通だと思った。
食事は酷かった。酷い酷いと噂には聞いていたが、本当に酷かった。新鮮な食事は最初の二日だけで、後は、塩漬けの肉や乾パンやらの粗末な保存食ばかり。
特に、毎日出てくる“酸っぱい野菜の細切れ”が、彼は心底嫌いだった。しかし、船長に『食わないと死ぬぞ』と言われて嫌々と食った。
ヴァルシーナは、平気な顔で酷い飯を食べていた。
「奴隷は、もっと酷い物食べているわよ」
「………………」
彼は絶句した。奴隷になるなら、その前に自死すると決めた。
船旅は過酷だ。大雨に大波、雪や雹まで降る嵐。魚人や海賊の襲撃、巨大な水生生物からの逃避。後、やはり酷い飯。
過酷なのだが、客である彼とヴァルシーナには時間の余裕があった。
彼は剣を振る。
グランデルを脳裏に浮かべて何度も何度も剣を振る。僅かでも、確かに届くと祈り、剣を振るう。
ヴァルシーナが、剣を教えろと甘えてきた。
奴隷女に剣技などと断るが、あまりにもしつこいので剣を持たせてみる。
すると、ことのほか様になった。
素人らしい体の癖や無駄を少し修正すると、一端の剣士よりも剣が風を斬る。
天稟を持っている。
持って生まれた才能が段違いだ。英雄の血でも流れているのか?
「あら、楽しいわ。これで人が殺せるの?」
「殺せる」
その日から、彼はヴァルシーナに戦い方を教えた。
他人に教えることで、自分に足りないものが見えると思った。いや、ヴァルシーナの才能に魅せられたのかもしれない。
水を得た魚のように、ヴァルシーナは強くなる。
彼女が奴隷でなければ、獣人でなければ、美しい女でなければ、諸王の歴史は変わっていただろう。そんな者の師が、自分で良いのかと彼は悩んだ。
打ち明けると、
「馬鹿じゃないの? 坊や以外、誰が奴隷女に剣を教えるの?」
「それはそうだ」
納得してヴァルシーナの修行を続ける。
不思議な師弟関係で日々は過ぎ、ある日の夜、ヴァルシーナが寝床に入ってきた。
「おい」
「“おい”じゃないわよ! あなた頭おかしいじゃないの?」
「は?」
「“は?”じゃないの! いつになったら、あたしを抱くのよ!」
「いや」
「あたしの体目当てで、国が何個滅んだと思っているの?!」
「確か二つ」
「覚えているなら応えなさいよ! もしかして女に興味がないの?」
「そんなことはない」
「あ、経験がなかったのね。ごめんね」
「ある。酒で半分くらい記憶にないが」
「あたしは体で男を繋ぎ止めて生きてきたの! 不安なのよ! どうするのよ、この関係! もう我慢の限界よ!」
「………………すいません」
「謝るなッッ。なんで? ねぇなんで? 意味わかんないんだけど、なんで手ださないの? まだまだのまだ、老けるには猶予あるけど、胸? ない方が好きなの? 獣人だと無理? 性に対して嫌な記憶でもあるの? やっぱ男の方が好きなんじゃない?」
「頼むから落ち着いてくれ。あんたは出会った時から変わらず美人だ。魅力的だ」
「だ・か・ら!」
「あーその、だな、あんま言いたくないけど、母さんに似ているから女として見れない」
「んんっっ、男って母親の面影を女に求めるものでしょ?」
「そうなのか? 知らんけど」
「母親が嫌いなの?」
「そんなわけあるか。厳しかったが美しくて尊敬できる人だ」
「ああ、神聖視しているのね。それで勃たないと。納得」
「それは良かった。俺は寝るぞ」
「坊や、あたしをママと思いなさい」
「………………何故そうなる。断る。最低でも姉にしろ」
「姉には勃つでしょ? ならママよ」
「………………寝る」
よくわからない関係が成立した。
そして、船は中央大陸に近付く。見飽きた海を眺めながら、彼はヴァルシーナと今後どうするか話し合った。
「中央大陸に降りるとして、何をするか?」
「坊やは何ができるのよ?」
「戦い。音に聞こえたエリュシオンの騎士と戦ってみたい」
「戦ってどうすんのよ。騎士狩りって金になるの?」
「身代金は中々」
「左大陸での話でしょ」
「確かに」
「あたしが体で稼いでいいけど」
「嫌だ」
「二人で盗賊でもやる? あたし、結構戦えるようになったでしょ」
「悪くない」
「うーん、でも正直パッとしないわね」
「そうだな」
「………あー、船員から聞いたんだけど、右大陸のダンジョンが、今活発に開拓されているとか」
「冒険者か」
「嫌?」
「冒険者って便利屋だろ。もしくは、墓荒らしや害獣退治。食えなくなった傭兵や、組織を追い出された“はみ出し者”が最後に就く仕事だ」
「坊やは、冒険者の冒険譚は聞いたことないの?」
「あんなもん、吟遊詩人が盛った馬鹿話だ」
「よく考えてみたら、傭兵団追い出された坊やと、諸王から逃げ出した奴隷女、冒険者がお似合いじゃない?」
「俺は別に追い出され―――――――追い出されたことになるのか。確かに」
「はい、決まり。冒険者やるわよ」
「しかし、右大陸か、辺境だな。更に長く船の上だな」
「鍛えるのに時間があって困ることはないわね。坊やの本気、そろそろママ見てみたいなぁ」
「そろそろ殺す気でやるぞ」
「やだぁ濡れちゃう」
船は、中央大陸に到着した。
船員たちが陸を楽しむ間、彼は馬を走らせ近くの街まで行く。中央大陸らしく、王都でもない小さな街でも人は多く、栄え、当然エリュシオンの騎士もいた。
酒場で素行の悪い騎士を見つけ、これに決めた。
夜も更け、酒場から騎士たちが出て、その男が一人になるまで後をつけた。
歩き方を見れば、大体の強さは読める。グランデルを10とすれば、この騎士は2くらい。
今の自分は、3か同程度。
長い船旅でも欠かさず鍛えてきた。ヴァルシーナの教育が、剣の腕を下げたとは思えない。ともあれ、剣とは実戦でしか評価はわからないものだ。
路地裏で殺気を放つ。
騎士は振り向く、酒気は一瞬で消えていた。
「誰だ? 物取りか?」
名乗りはしない。返事もしない。剣を抜けば、それが挨拶だ。
騎士も黙り、剣を抜き、背負った盾を構える。
相手は鎧を着た騎士。それも盾持ち。自分は、粗末な服と剣に体一つ。
戦場なら重装備相手には持久戦や、地形を駆使して戦う。装備的に有利な相手と真正面から戦うのは、馬鹿か死にたがりだけだ。
そう自分のような。
騎士は兜をしていなかった。酒場で見かけた他の騎士たちも同じだった。何か宗教的な理由があるのか、こいつらも馬鹿か、理由はどうでもいい。そこに弱点がある。
「目を狙う」
宣言して、彼は鞘を投げた。
夜闇の中では鞘と剣の区別は付かない。騎士は反射的に視界を盾で塞ぎ、鞘を弾いた。
盾をずらし視界を確保する瞬間、全身のバネを使って体と剣を撃ち出す。
剣が盾を引っ掻く火花、騎士の後頭部が破裂する。
剣の切っ先に感触はなく、剣身の根本辺りで肉と骨の抵抗を感じた。
良い刺突だ。
目と目の間を貫き、即死させた。
騎士の体を足蹴にして剣を抜く。後は、鎧と盾に剣を頂いてヴァルシーナの装備としよう。
物取りついでの腕試しは成功だ。
一瞬だけ成功と思ってしまった。
殺したはずの、騎士の体が起き上がる。
頭部を損壊しても生き残る者はいる。稀にある戦場の奇跡だ。だがこれは、違う。
騎士は手足を振り回す。
人間の動きではなかった。グランデルを想定して訓練していなかったら、避けられなかった。
これは獣だ。
いや、獣よりも恐ろしい何かが、騎士の体の内側から這い出てくる。
彼の体が震えた。
血が凍る。
これはマズいと感じた。
体が血が、“これ”には勝てないと叫んでいる。過去の記憶から生存手段を引き出そうとしている。
言葉や映像が、かき混ぜられて浮かぶ。
メディムというガーシュパルの付けた名が浮かぶ。
自分を化け物のように恐れ、悲鳴をあげた諸王の兵たち。
慣れ親しんだ森の夜。
グランデルの言葉。
月夜の中、潜む狼たちの金の瞳。
諸王の大地。
雪の森。
雪原。
母のこと、ヴァルシーナの顔。
初めて剣を持った重さ。
奇跡とは、途方もない偶然の積み重ねである。
例えば【メディム】という古いエルフの名前。獣に滅ぼされ、呪いを吐きながら死んだ王の名前。それを知った傭兵が、気まぐれで子に付けた偶然。
諸王の兵らが死んだ森は、太古の昔に竜の死んだ土地だ。忘れられても尚、そこには力が眠る。そこで恐れられ、【亡霊】と謳われた彼にもまた、その呪いは密かに流れた。
彼の母は狩人だった。
脈々と継がれる狩人の血筋だ。狩人とは獣を狩る者。どのような獣であっても、狩人に関係はない。
ヴァルシーナは、あの白銀の獣人には、冒険者の神の血が流れる。かつて獣の王国と戦った彼女たちの末裔だ。
些末な、どれもこれも一つでは何の力も浮かばない奇跡の残滓が、彼の元に集い力となる。
彼の知らぬうちに、その剣に力が宿る。
獣を前に、剣は怪しく光る。
何が起きたのか、彼が理解できるまで数年の月日が必要だった。
彼は獣と化した騎士を斬った。
脳天から股間まで両断した。
石畳と地面を大きく割いた。
剣一つで行える破壊ではない。
しかしそれは、結果に過ぎない。何をどう持って剣を振るったのか、彼には記憶がなかった。
まだ震える手を抑え、当初の目的通り騎士の武具を奪って彼は逃げた。
剣と盾はともかく、鎧は手甲と脚甲しかまともな部位はなくヴァルシーナに文句を言われた。
彼の最初の騎士殺しは、そんな感じだ。
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