異邦人、ダンジョンに潜る。外伝、星の剣。 【09】


【09】


「支えます」

「違う。これは、天地を返す不可能だ」

「なら天地を返しますよ」

「無駄だ」

「陛下ほどの男が無駄などと」

「母を殺したのは俺だ。と、言ったら?」

 驚きはしなかった。

 代わりに、冗談でも、怒りに火が点く。

「シュナ、落ち着け。直接手は下していない」

「どういうことですか?」

 シュナの口から怒気が漏れる。

「母は俺の前で自害した」

「………………え?」

 シュナの師、ロラの母【優美レグレ】は、デュランダルに殺された。殺されたからこそ、これまでの長い戦いがあった。命を賭けて散った者たちがいた。

 寒気に足が震える。

「何故、師匠が自殺など?」

「俺を王にしないためだ。母にはわかっていたのだろう。俺が王になれば何を起こすのか」

「陛下、ちょっと待ってください。いきなり急すぎて」

 足元が崩れる感覚。

 立っていた場所がなくなる。これまでの戦いや、苦悩、何もかもが無意味になる。

「大した話ではない。聞け。王座に就いたら、俺は世界を燃やすつもりだった。それだけの力がエリュシオンには眠っていると知った。………………俺は“異常”と言われた。だがこれは、強者として産まれた俺の“平常”なのだ。世界は脆く、歪で不確かだ。一度綺麗に燃やし、強く蘇るべきだ」

「ですがそれは!」

 わがままだ。

 世界が気に入らないから消したとしても、思い通りに作り直せるわけがない。白紙に思い描いたものを描いても、完成したものは違ってくる。その齟齬を愛せないで世界を語るのは―――――――

「ガキの戯言だ。わかっているさ。それでも尚、俺は変わらぬ」

「何故ですか」

 何故に、こんな歪な。王者とかけ離れた考えを。

「だから、俺の平常だ。母は、己の命で俺を止められると思っていた。しかし、俺は止まらなかった。冷たくなる母を一晩中見ていたが、何の感情も湧いてこなかった。変わらず出陣して王都を攻めた。後一歩まで近付いた。デュランダルにはやられたな。母の首を掲げられては、エリュシオンよりも先に奴を討たねばならん。人間の真似をするなら、そうしなければならない。奴と母は、何か密約でも交わしていたのだろう。不思議だ。敵になる奴ほど俺の性根を理解して、味方になる奴ほど愚鈍で俺を妄信する」

「………………」

 シュナは、自分の顔を強く掴む。

 盲目な自分の目を、抉り出してやりたかった。

「陛下、あなたを歪めたのはオレたちだ」

 熱に浮かされて気付いていなかった。恐らく母ですら、気付いた時には手遅れだった。

 王者のように見えても、強者のように見えても、獣人が早熟な生き物であっても、血がそうであっても、ロラは子供だ。

 押し付けられたものを、邪魔に感じるのは当たり前だ。誰よりも強い男なら、全てを消し去りたくなろう。

「違うな」

 ロラは何とも言えない顔で言う。

「俺は、貴様らがいなくてもこうだよ。変わることもない」

「では今も、世界を焼きたいと?」

 シュナの問いに、子供のような笑顔でロラは言った。

「少しだけな」

 王という色眼鏡を外し、シュナはロラを見る。

 目の前には、駆け出しの冒険者だった自分とそう変わらない若者がいた。

「なあ、シュナ。こんな男が王に成れるか?」

「あなたは何に成りたいので?」

 世界が始まってから、誰もロラに問いかけなかった言葉。

 誰かが、言わなければいけなかった言葉だ。

「風だ」

「そいつは大風になりそうだ」

 シュナは目を閉じて笑う。

 ロラも笑う。

 二人の短い笑い声の後、森のさざめきだけが響く。

「あばよ、シュナ。母の剣を大事にしろ。いつか必要になる時がくる」

(最後だな)

 勘付いた。

 ロラはもう帰らない。【獣の王】は、ここで死ぬのだ。

 なのに、かける言葉が浮かばない。

 ロラは立ち上がる。愛馬のヴァルシーナは、すかさず主の元に寄る。

 シュナに背を向け、ロラは愛馬と並んで歩き出した。

 必死に何か言葉を考え、浮かばず、小さくなる背に焦り、シュナは叫んだ。

「陛下!」

 声をあげてもロラの足は止まらない。

「ここに! 良い国を作ります! 必ず! だからいつか、いつの日か、飯くらい! たかりに来てください!」

 風が吹いて、ロラの姿は消えた。

 これが、【獣の王】の最後だった。




 この戦争がいつ終わったのか?


 諸説ある中の一つに、古代都市アガスティアの復活がある。

 一夜にして滅びた都市が、一夜にして蘇ったのだ。特大の奇跡は、大陸中に知れ渡る。

 瞬く間に、砂漠にある都市には人が集まった。

 炎教を始め、他の神々の信仰者、商人や労働者、好事家に学者、そして冒険者も。

 太古の遺物は、太古のモンスターと共に蘇ったのだ。

 一夜で都市が半壊する時もあったが、発掘された遺物の力や、集った人々の力は、半日で都市を回復させた。

 遺物の全ては炎教が買い取る契約であったが、買い取る必要のない遺物が、予想以上に多く発掘され世に出回ることとなる。無論、大金と共にである。

 アガスティアは潤った。

 また、この都市は商売の神である【ミネバ姉妹神】の生まれた土地である。当然、商人たちのやる気が違う。この都市で成り上がれば、それは世界に轟く豪商の名となるのだ。

 資源と人、金に名声、繁栄する要素は揃っていた。

 ただ問題もあった。

 獣人軍の残党だ。

 幾度も【国父シュナ】の暗殺を画策し、都市でテロを起こす。

 しかしそれも、時間が解決した。

 この都市でも、獣人への差別は消えなかった。だが、差別を理由に飢えることはない。差別を理由で殴られることも、犯されることも、住処を追い出されることもない。冒険者や、戦いとは別の分野で名を遺す獣人も現れた。せいぜい、小言や悪態程度の差別だ。

 繁栄と安定。

 これが残党の気概を奪った。

 この都市は、決して両手放しで平和を謳うような場所ではない。

 戦争から生まれた子供たちが住み、荒くれ者の冒険者が集まり、危険なモンスターがそこらに潜み、人を食い物にしか考えていない商人も多い。

 それでも、夢があった。

 幸運だけで金銀財宝を掘り当てた者や、若くして大陸中に名を轟かせた冒険者、旅の田舎娘が異国の王族に見初められお姫様に、リンゴ一つから古の秘宝を手に入れた魔法使いもいた。

 誰かの夢が潰えた場所は、誰かの夢の豊穣の地になったのだ。

 国がある程度安定した後、シュナは、統治や内政を二人の妻や、信用できる者に任せ、若い冒険者に混ざり冒険に明け暮れることとなる。

 酒で夜明かしした後、隣で眠っている男が国父だと知り、度肝を抜かれた冒険者は多かった。

 奔放な王の振る舞いに苦言を呈す大臣も多かった。

 だが、

『まあ、若い頃に苦労したからね』

 と、国母の二人に言われては、皆黙るしかなかった。


 エリュシオンは、このアガスティアを『攻める』か『組む』かで意見が割れる。

 元が獣人軍であり、国父は【赤髪の将軍】だ。しかし、それ以外の国政に関わる人間は、獣人軍と無関係な人間だった。国母の一人に至っては、エリュシオンにも信者が多い炎教が認めた聖女である。

 アガスティア自体も、エリュシオンに対して戦争を仕掛けることもなく、国賓として【最後の王子】を招いたこともあった。

 エリュシオンの意見がまとまらぬまま、時が過ぎ【最後の王子】が死ぬ。

 記録では、病死とだけ書かれた。

 この戦争が始まってから、十八年が過ぎていた。

 王子の葬儀すら行われぬまま、エリュシオンの内戦が始まる。

 国力の分散や、強力な指導者を失った混乱、失楽した騎士や貴族の復権、戦いの理由は山ほどある。ただの一兵すら、失われた王座を求めて剣を手に取った。

 群雄割拠、エリュシオンは荒れに荒れる。

 混乱の最中、エリュシオンとアガスティアは講和を結んだ。

【獣の王】、【最後の王子】、二人の代表者が不在のまま、ひと時の平和が結ばれたのだ。


 その後、エリュシオンには一時的な支配者は現れるものの、誰の統治も長続きはせず、小国が乱立して緩やかに【エリュシオン】という名は忘れられていった。

 文字通り、あの王子は【最後の王子】となったのだ。


 反面、アガスティアは繁栄する。

 完全な平和だったかというと、やはり、まったくそうではない。内戦の火が何度も飛び火して、その度に【赤髪の将軍】が蘇り、都市を守る冒険者たちの先頭に立った。

 無手で戦場を駆け、騎士や傭兵を薙ぎ倒す彼を【剛腕のグラッドヴェイン】の現身と呼ぶ者も多かった。

 大規模な戦闘や、災害も発生した。

 それでも、『ここはマシさ』と方々から言われる程度には平和だった。

 評判を聞いて、戦火を逃れ人がまた集う。

 新たな民が集まる。

 それでまた、アガスティアは潤った。


 さて、ロラだ。


 彼を倒したと、うそぶく者は数千人。彼の遺品だと、槍を掲げる者は数万人。全てを聞いて集めれば、ロラは数千人いて、彼の槍は数万本ある。

 どれもこれも、騙りであろう。

 歴史から姿を消しても、彼の姿を見た者は多い。

 左大陸の雪原を、黒い馬で駆ける大男がいた。

 右大陸のダンジョンで、大槍を担いだ冒険者がいた。

 中央大陸の戦場で、馳せる王の雄姿を見た。

 大海原を越え、未開の地を行く船団に彼を見た。

 噂の絶えることはなく、語り草は詩になり、本となり、伝説となる。

 かつて【獣の王】と呼ばれた男。

 今では、ただの【ロラ】として。

 彼の望み通り、気ままに世界を駆け抜ける風のように。


 最後に、アガスティアの逸話を話して物語を締めよう。


 アガスティアには、空の玉座が一つある。

 国賓が、様々な思いで足を止める大きな玉座だ。

 玉座とは豪華絢爛な物だ。権威とは輝くものなのだから、金銀財宝を散りばめ、色鮮やかな布地を使うのが当たり前だ。

 しかしどうだ。

 この玉座は、黒一色で無骨そのもの。全てが鍛えられた鋼で作られ、巨人ですら持ち上げられない重さだという。

 歴史的な背景、鋼の由来、国父や国母が玉座に座らない理由。そうそれに、立てかけられた長剣の意味。

 国賓たちは好き勝手に語り、国に玉座の話を持ち帰る。

 直接シュナに聞く者も現れたが、微笑みと沈黙で流された。

 多くの噂が流れ、どれが真実かわからなくなった後、密やかにある詩が流れる。


 星の剣は王を待つ。

 空の玉座で王を待つ。

 託された願いを継ぐ者を待つ。

 いつまでも、いつまでも、星流れが変わるまで。



<終わり>

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る