異邦人、ダンジョンに潜る。外伝、星の剣。 【05】


【05】


「シュナ、剣を構えよ」

「は?」

 急に現れた神と言葉に、シュナは驚く。驚きはしたが、その体は自然と動いていた。

「ッ」

 尾を引く金属の音色。

 あまりの衝撃に剣を持った手が痺れる。

 神の一撃をシュナは長剣で受けた。肉体的に最盛期であるにも関わらず、シュナは受けきれず砂の上を滑る。

(なんだこれは)

 重い一撃だ。剣を持った人生で、これ以上ないほど重い。

 タールのような感情が渦巻く。

 殺さなければ殺される。何があろうと何であろうと、剣を持って前に立つなら、それは全て殺す。シュナは切り替え、ウカゾールを見る。

 彼が大上段で構える得物は、鏡面のような刃を持つ細見の曲刀だ。

 かつて【冒険者の父】が持っていた物と似ている。いいや、【冒険者の父】の得物がこれに似ているのだろう。剣の完成度が全く違う。

 月を背負った優美な刃は、闇と月光に溶け込み刀身を消す。

 意図してそう作られたから美しいのか、美しさを引き出した極地がそうあるのか、わからないが見えない刃は脅威に違いない。

 しかし、対応できる脅威だ。一合でシュナは間合いと、繰り出される斬撃の線を予想して脳裏に浮かべた。

 予想は預言に近い。この読みを外すような間抜けなら、とうの昔に死んでいる。

「シュナよ、真の武芸者とは剣を交わす一瞬に生きて、死ぬ。ひとひらの中に永遠と、無限の地獄を見る。剣の道とは、畜生の道。果てには赤子を喰らう修羅の道。修羅に生き様はない。あるのは醜い死に様だけだ。獣にも劣る鬼のような最後だ」

 神の言葉は大半が理解できない。確かなのは、間合いがまだ遠いこと。

 十人分は距離が空いている。

 遠いはずだ。

 なのに気圧される。

「ウカゾール、様。剣を収めてください。オレとあんたが斬り合う理由は」

「理由がなければ斬り合わぬのか? この程度で臆するのなら、人斬り包丁を振り回す子供の遊びは止めい」

「子供の、遊び?」

 言ってはいけない言葉がある。

 この剣は重いのだ。流れた血の重さが、こびりついて離れない血が“子供の遊び”で済まされるわけがない。

 シュナの内側で、黒いものが唸り歯を剥き出す。

 剣を持つ手に力が湧く。自然と構え、切っ先を敵に向ける。

「シュナよ。堕ちた魂を救う術はない。ならばせめて、そうなる前に楽にするのが神の――――――いや、一人の武芸者としての務め」

 彼我の距離はじりじりと狭まっていた。

 シュナの間合いだ。敵の間合いは二歩遠い。

 ウカゾールは静かに名乗った。

「浪人、鵜乃守伊蔵」

「剣士、シュナ」

 将軍ではなく、冒険者でもなく、剣を持っただけの男として名乗り返す。

 一瞬の静寂。風が流れ、砂が舞う。

 そして、刃が閃く。

 シュナは身を低く、伏せた身を打ち出す。

 突き出された必殺の一撃は、長槍に匹敵する間合いで迫り、威力は銃弾を超え、速度は音を軽く超える。しかし、一番恐ろしいのは正確さだ。

 正確無比に必ず急所を貫く。

 間合いに入ったら最後、矢を潜り、剣をすり抜け、盾や鎧もろとも貫く。敵が、どんなに素早く逃げても急所を外さない。

【赤髪の将軍】には別名がある。【一刺し】という別名だ。まことしやかに語られた逸話では、空に浮いた硬貨、飛ぶ羽虫や、小鳥すら一刺しにしたとか。

 この暗殺者のような二つ名をシュナは嫌った。シュナの敵も嫌った。彼の技を見ず、彼の作りだした死体を見たものだけが恐れて謳った。

 文字通り、一刺し、一撃で相手を必殺する技だ。

 逃れられた者は五人といない。

 いつも通りなら―――――――容易く心臓を貫く一撃が、容易く、受け止められていた。

「ッ」

 シュナは顔を歪める。剣の切っ先が、刀の刃で受け止められていた。

 初見でできる見切りではない。できたとしても万に一つの偶然、もしくは圧倒的な技量。

 シュナは押すもウカゾールの体は微動だにせず。逆に、押し返されて体が飛ぶ。

 着地したシュナの脳内は、混乱と焦燥が入り乱れた。

(駄目だ。違う)

 混乱で動きを止めるな。思考するなら剣を振るいながら、刹那に妙案を思い付け。

 手足を狙い斬撃を放つ。これも簡単に受け流される。フェイントを入れ、小手先の技も加えるが簡単に対応された。

 無数の火花が散る。

 並みの戦士なら38回は殺す斬撃の雨。この手数でかすり傷すら付かない。

 認める。

 間違いなく膂力も見切りも格上だ。

 シュナは自然と微笑んだ。久しい感覚に胸が高鳴る。懐かしい高揚感だ。強者と戦う挑戦者の感覚だ。

 剣を振るう手を止めず、熱くなる体とは別に冷静に状況を分析する。

 明確に有利な点は、体格差と得物の長さ。それ以外は全て負けている。

 では、スタミナはどうだ?

(削ってやる)

 どれほどの強者であろうと、綻びは生まれる。永遠などありはしない。神であれ、剣が届くなら滅せる。

 まずは百。それで足りぬなら千。届くまで剣を振るい続ける。

 シュナは、自分が才能のある人間と思ったことはない。どれだけ周囲に持ちあげられようとも、自分は凡才と思い剣を振るってきた。

 この積み重ねが彼の強さ。この積み重ねが彼の強さを作った。

 空気が爆ぜ、金属の不協和音が奏でられる。十、二十、三十、四十と刃がぶつかり合う。速度は上がる。上がり続ける。入り乱れる刃は嵐のよう。

 そして、神の如き技術が綻ぶ。

 ウカゾールは上段、シュナは下段、超高速で刃が引き合う。一際大きく剣と刀が鳴き、二人の体が下がる。初めて、ウカゾールが退いた。

 引き戻し、二人は倍の速度、倍の力で斬り合う。

 鉄火散り、一際大きな火花が咲く。

 一歩、また一歩とシュナは近付く。間合いというアドバンテージを捨てて迫る。理由は意地に他ならない。

 怒涛の剣戟で、二人の刃は赤熱に染まった。

(届くッ!)

 隙が見えた。あと、ほんの半歩進めば斬り込める。

 だが、人間の心臓が悲鳴をあげた。呼吸が乱れ頬を伝う汗が喉をぬるりと滑る。

 シュナは吼えた。

 己を鼓舞するため、敵を飲み込むため、全身全霊で剣を振り下ろす。奇しくもウカゾールも同じ構え同じ一撃。

 大上段の一撃が噛み合う。

 澄んだ音色を上げて、長剣が空を飛ぶ。シュナは退く。大きく退く。

 右手側には砂に刺さった長剣、左手側には刀を持った敵。

「動くな」

 ウカゾールの声と殺気で、シュナは動きを止めた。

「シュナよ。この問答の終わりにお前を斬る」

「………………」

 シュナは必死に呼吸を整える。

 技の何もかもが通用しなかったショックより、疲労の方が重い。肺と心臓が破裂しそうだ。今、膝を突けばしばらくは立ち上がれない。

「お前にとって剣とは何だ?」

「………………」

 答えはでない。

 酸欠で頭が回らないのが理由ではない。答えはもう死んだのだ。

「シュナ、剣を捨てよ。今のお前の剣は、凶剣だ。その力は破滅しか生まぬ」

「捨てられない」

 それだけは許されない。師のために、いや違う。夢に賭けた自分だけは裏切られない。逃げることは許されない。戦うことだけは止めてはいけない。剣がなければ、戦えないのだ。

(決して剣だけは)

 シュナは届かない長剣に右手を伸ばす。無意味な行動に、ふとした疑問が生じた。

(オレは、剣がなければ戦えないのか?)

 逃避ではないのか?

 ただの甘えではないのか?

 縋っていただけではないのか?

「ならば、斬るしかあるまい」

 ウカゾールが地面を蹴る。

 軽やかな跳躍。振り上げられた刀は、逃れようもなくシュナを両断するだろう。

 最後の瞬間に、シュナは祈る。

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