異邦人、ダンジョンに潜る。外伝、星の剣。 【04】
【04】
「しょ、将軍様。ど、どうかお許しを」
彼女は逃げようとはしなかった。シュナの視界に入った時点で、覚悟して真っすぐ歩いてきた。
「どこに行く?」
「ひっ」
威嚇したつもりはないのに怯えられる。
「質問に答えろ」
怯えられた程度では口を閉じるつもりはない。
「北に進もうかと」
「エリュシオンの領域だ。騎士に殺されるぞ」
「それは」
ガキの商隊のところに行くなら止めなかった。だが、エリュシオンとなれば気絶させても行かせるわけにはいかない。
「わ、わたしのご主人様は、騎士のご子息です。騎士の誰かに名を言えば、たぶん通してくれると思います」
「そいつは生きているのか?」
この戦争では、エリュシオンの騎士も相当数が死んだ。確率でいえば、死んでいる可能性の方が高い。
「生きておられます。先の戦線で遠目ですが、将軍が手心を加えて殺さなかったのを見ました」
「若い奴か?」
「十五です」
「ああ、そうか」
ガキの騎士は、手足を折って止めを刺さないようにしている。安っぽい感情ではない。数で不利な戦闘では、敵に足手まといを作ると有利な状況を作れるのだ。
「間違いないのか?」
「間違いありません」
よく見れば、少女の顔には知性がある。言葉使いも他の者とは違った印象があった。騎士の家の奴隷というのも嘘ではないだろう。しかも、奴隷に知性を与える物好きの家だ。
「その赤子の父親は、騎士のガキなのか?」
気になるのは、少女の抱えた赤子だ。
「違います」
「父親は誰だ?」
シュナは、言うべきではない言葉を吐いてしまった。
「わかりません。戦士の誰かです」
「………………」
少女は、堰を切ったように話し出す。
「エリュシオンにいた時は、意味もなく殴られたことはありません。知らない男に無理やり襲われたこともありません。飢えたこともありません。私は奴隷でしたが、ご主人様は優しかったです。将軍様、教えてください。戦士の方々が言う自由とは何ですか? 女を攫い、好きに犯し、弱者から奪い、気まぐれで痛めつけるのが自由なのですか? なら、力のない私に自由は必要ないです。奴隷で構いません。繋がれていても、暖かく餓えない場所にいたいです。教えてください、将軍様。彼らは人なのですか? この子は、私のお腹から産まれたこの子は―――――」
少女は、くるみ布をほどいて赤子の顔をシュナに見せる。
(そういうことか)
シュナは顔をしかめ、納得した。
「獣にはらまされた私ですが、産まれた子は人です。人でした」
赤子には、獣耳がなかった。恐らく尻尾もないだろう。
獣人の言う『呪いの子』だ。忌み子として、産まれた瞬間に殺される哀れな子供だ。
「よく、他の者の目をかいくぐれたな」
「一人で産みました。運良く人手が足りなかったので。この子を見て殺そうと思ったのも、一度や二度ではありません。………………できなかった。この子は他の子と違い泣かないのです。産まれた時以来、泣いたことがないのです。手を煩わせるような子なら、私はきっと殺していたのかもしれません。でもこの子は、私の心がわかるように、静かに私を見て笑うのです。それを、殺せますか? 私は獣人です。獣人ですが、人で、母であるつもりです。ありたいと思います。でも、あのケダモノたちと同じ場所にいたら、私は人でなくなる。同じ獣になっています。この子を殺す獣になります。将軍様、お願いです。お願いします」
女がシュナの足にすがる。
「私たちを見逃してください」
「オレは」
獣人軍の将軍で、逃亡者は、逃亡者は全て死罪だ。襲ってきた連中と同じように殺して砂に埋めて終わりだ。
『いつまで続けるのかしら?』
アリアンヌの言葉が浮かぶ。
そりゃ全てが終わるまで、全て砂に埋まるまで、いやそれは馬鹿か。
少女が泣いている。
泣きながら懇願している。
(ああ、さもしい女が嫌いだ)
救えない自分がもっと嫌いだ。
シュナは赤子と目が合った。母が泣きわめいているのに、泣きもせず静かにシュナを見つめている。
(お前にはお見通しか)
シュナは、マントを脱いで少女に被せた。
「え?」
少女はよくわかっていないようだ。
別に気にすることはない。もう、重たくて着られないから渡しただけのこと。
「行け。騎士の連中にオレのマントだと言えば、それなりの金で売れるはずだ」
「将軍様。あ、ありがとうございます。ありがとうございます」
「行け。他の奴らに見つかってもオレは助けんぞ」
「ですが、すいません。すいません、将軍様」
少女は、申し訳なさそうにマントをシュナに返す。
「これよりも、食べ物を頂けないでしょうか?」
「ぷっ」
予想外の言葉でシュナはふき出す。
冒険者時代から愛用している腰の小物入れから、一欠けらのパンとチーズを取り出し、少女に渡した。下げた酒瓶も渡す。
少女は何度も振り返り、頭を下げながら砂漠に消えた。
ふいにマントが砂に落ちる。
拾おうと屈めない自分がいた。
赤いマントを凝視する。
「食い物て………そりゃないよな」
このマントは、自分が渡せる一番価値のある物だ。それよりも、硬いパンと古いチーズの方が良いらしい。
その程度だと言われた気がした。
この戦争で命を賭けた自分の価値が、自分を生かしてくれた仲間の価値が、あんなパンとチーズ程度だと言われた気がした。
ただの被害妄想なのだが、シュナには笑えるほど突き刺さった。
(浅ましい)
不幸な少女を憐れむよりも、傷付けられたプライドを一番に考えてしまった。
違う。これは駄目だ。
真っ当な人間なら恥や外聞など気にせず、不幸な者を助ける。師ならそうした。グラッドヴェインの眷属ならそうした。これに命を賭けるべきなのだ。なのに、たかがマント一つで。今更、こんな当たり前な感情が戻るとは。
夜の砂漠で、シュナは狂ったように笑う。
耐えて持たせてきた心のどこかが壊れた。
他人に見られなくて運が良かった。誰かが見たら、間違いなく気狂いと思われる。いや、戦争など正気でやれるわけがない。正気など随分昔に無くしていた。不幸にも、今少しだけ正気に戻ってしまったから笑うのだ。
「あーあ」
たっぷりと笑い。シュナはマントを蹴る。将軍の証を足蹴にした。
「面倒くせぇ」
何もかも、全て、面倒になった。
死ぬのも面倒だ。
面倒だというのに腹が減る。喉が渇く。それに寒い。
(斬っちまうか。獣人軍も、獣人も、あの商人たちも全部、斬り殺して奪うか)
獣だ。
人として苦しいなら、何も考えず獣になろう。
(獣には、剣など必要ない)
師から継いだ長剣をマントのように投げ―――――――体が固まった。
何度も体に命じても動かない。捨てることができない。また、笑える。女々しくて笑える。情けなくて笑える。愚かで笑える。
(オレは、何のために剣を手にした)
夢があったはずだ。
血肉を潰し塗り固め、骨が折れても食いしばり立ち続けた。途方もない痛みと犠牲に耐えることができたのは、夢があったからだ。
いつ覚めたのか、いつ忘れたのか。
「月夜に砂、泣く鬼か。これはこれで、風情であるな」
ふいに声がした。
どうせならエリュシオンの刺客であってほしい。今なら殺されてやる。そんな考えを浮かべて、シュナは声の主を見た。
小柄な男。頭には傘。所々ほつれた袴に腰には大小の刀。
シュナは知らないだろうが、それは異世界の剣士の姿だ。
傘をずらし、声の主がシュナに顔を見せる。
懐かしい男の顔。優しさを感じる目。忘れていた遠い記憶を思い出す。迷子になり、この男におぶられて家に帰った記憶だ。
本当に遠い日の思い出、遥か遠い故郷での記憶。
「ウカゾール様?」
その、神の名を呼ぶ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます