<終章>
《終章》
最後の夜を草原で過ごす。
早く床に就いたが、深夜に目を覚ましてしまった。
テントの中には、よく眠っているラナとロージー。枕元には待機状態のイゾラがいた。
静かな熱を胸に、剣を手に、外に出る。
夜空には満天の星空と、不敵に笑う三つの月。地には、星々の輝きでも照らせない無明の闇。草原を撫でる風が巨大な蛇のうねりに思えた。
遠くには白く巨大な塔がある。
この世界の始まりからある星々を巡る船だ。
夜風を楽しみ歩き出す。
暗闇を恐れないのは、ここを故郷のように感じているからだろうか? 内に劫火を持つからだろうか? 正解は両方な気もする。
靴に何かが触れた。
拾い上げたそれは、白い何かの欠片だった。月明かりに照らすと骨片だとわかる。
「こいつは」
欠けた狼の牙だ。
雪の気配を感じた。突風が視界を遮る。一瞬目を閉じ、開けると、近くに焚き火が出現していた。
儚く小さな火だ。半ば闇に溶け込んだ男が近くに座っている。
いや、男は闇に溶けているのではない。雪と化し消えかけていた。人として残っているのは右半身だけ、他は雪となり今にも霧散しそうである。
男は老いた声で言う。
「異邦人、話がある」
「誰だ?」
その顔が誰なのか思い出せない。欠けた顔が原因なのか、僕の記憶が原因なのか、それもまた両方か。
「貴様の敵。第一の王子だ」
「王子?」
言われてもピンとこない。騙りにしか思えない。あいつは不敵で底の知れない敵だった。こんな弱々しい老人ではない。
「俺には、あの追放者のような妄執はない。悪夢に囚われ、夜明けには完全に雪と消えるだろう。ようやく長き戦いが終わる」
「亡霊が何の話だ?」
王子を名乗る亡霊の話を聞いてやる。
たとえ偽物でも、眠れない夜の暇つぶしには丁度良い。
「船員達を、この世界に戻すつもりか?」
ああ、なるほど。
ワーグレアスがこぼした言葉と合致した。
「お前ら王子達、ウルと呼ばれた王、王妃。一族全員、あの船の船員か」
「そうだ。俺達は帰還しなかった。帰郷よりも、新天地に根付く事を選んだ。開拓者としてそれが正しいと父が言ったからだ。それが地獄の始まりだ。父は正義の為に戦った。俺も、兄弟も、母も、それが正しいと感じ従った。亜人種共が作り出した歪な神を滅ぼし、獣の王を殺し、古く愚かな力の世界を作った。父の変わり果てた姿も、俺達の呪いも、弟の裏切りや死も、自業自得だ。血に塗れた者は、どんな正義を振りかざそうとも最後は獣になるのだ。しかし俺は、世界を焼いてまでやり直したいとは思わない。あの気狂いの艦長のように潔癖ではない。世界はもうあるのだ。生きているのだ。この血には滅ぼされた神の呪いが流れ、獣の血が流れ、それでも消えぬ火のように人の血が残っている。だからこそ、俺はこの世界を守っていた。貴様ら、異邦人の手からな」
「お前らも異邦人だろうが」
「そうだ。そうであるからこそ、貴様らの脅威を知っている。マザーに辿り着き、去った船員達を連れ戻す可能性だ」
それの何が駄目なのだ? そんな幼稚な言葉は飲み込んだ。
後回しにしている問題だからだ。
「僕が船員達を戻せば、彼らがこの世界を支配すると?」
「支配は人のサガだ。そして、愚かな猿の集団の前では、賢人とて愚かな猿の王になる」
「ふざけるな。この世界の人間はそこまで愚かではない」
「愚かでないのなら、尚の事ぶつかる。この世界の人間が船員達を殺す。どちらにせよ戦争だ。止めておけ。貴様は船員達など連れ戻さず、静かに老いさらばえて死ね」
「断る」
「この世界に新しい地獄を呼ぶのか?」
ため息を一つ吐く。
この亡霊を消し飛ばすのは容易い。だが、それではこいつに負けた事になる。こいつとの戦いは、色んなものの力を借りた。最後くらい僕一人の力で止めを刺したい。
「僕の国に、こんな話がある。地獄じゃ長い箸でしか食い物を掴めなくて、飯が食えないで人間はひもじい思いをしていた。しかし、天国でも長い箸を使わなきゃ飯が食えない。だが、天国の住人は腹が満たされていた。何故か? 天国じゃ人々は長い箸で飯を食べさせあっていたからだ」
「箸を短く持てば良かろうに」
「短く持てねぇ設定だ」
「なんの話だ、これは?」
「地獄も天国も実は同じような場所で、違うのは人だ」
王子がため息を吐く。
「人を呼ぶからこそ、俺は警鐘を鳴らしている」
こいつの事を少し理解した。
少しだけ理解できれば良い。それ以上は知りたくもない。
「お前、人を信じていないな。敵、味方、もしかしたら自分や身内すらも。そりゃ地獄だな」
「………………」
沈黙が正解の証だ。
僕は自分の額を指で叩く。
「お前の地獄はここにある。それを世界と言うな。他の人間を巻き込むな」
「貴様の言う通りだ。俺は誰も信じていない。しかし、そうであるから世界を守れた」
「違う。繁栄を止めていた」
腹が立つ。僕よりも遥かに強く才能もあるのに、賢さを掛け違えて世界を閉じた愚か者に、本当に心から腹が立つ。
「繁栄の終局から、俺達は星々の彼方に旅立った。そして、このザマだ」
「なら新しい船を造ればよかった。もう一度、いいや何度でも旅立てよ」
「くだらん。人はイナゴではない」
「イナゴにできて人間様ができない事なんてない」
「くだらん。強者とは孤独なのだ。弱者のみが傷を舐めあう」
「強い癖に人を信じられない雑魚がほざくな」
「くだらん。くだらんが、人を信じろというのなら誓え」
「あ?」
何で僕がこいつに誓わなきゃならん。
「船員達が、この世界に帰還して、悪逆の道に進むのなら………………貴様が殺せ」
「………わかった。必ず殺す」
わずかな沈黙を経て、不本意だが誓った。
そうならないように全力を尽くすが、そうなってしまったのなら僕が殺す。僕にはその責任がある。
「信じてやろう。最初で最後の俺の信頼だ」
「じゃ眠れ」
一人の夢が終わる。
王子は雪となり幻のように消えた。焚き火も消え、後には闇だけが残る。
僕の夢も覚めた。
テントの外に夜明けを感じる。
僕は、ラナの胸に顔を埋めていた。彼女は僕の髪を撫でていた。
「おはよう、ラナ。よく眠れたか?」
「ええ。あなたは、うなされていたけど」
「変な夢を見ていた」
夢だったのだろうか? 定かではないが、誓った決意は残っている。
しかし、今は寝起きの惰性をふくよかな胸と共に味わいたい。そのまま二度寝したい。
「おはようございます!」
『おはようございます』
ロージーとイゾラが起きてしまった。
「ロージー達は、朝ご飯の準備しますね! ソーヤさんは、奥様とイチャイチャしててください」
イゾラを持って、触手ピンクは外に出て行く。
僕とラナは、足を絡ませたり腰に手をやったり、特に話す事もなくスキンシップをしていた。安堵感から良い感じで眠気が襲ってくる。
今日はこのままダラダラしていたい―――――――あ、駄目だ。
「ラナ、起きようか」
「んー、もう少し」
ラナは強めに抱き付いてきた。いつまでもこうしていたい。が、駄目だ。新しい旅立ちの日は準備をしっかりしないと。
「起きるぞ」
「いーや」
珍しくラナが子供っぽい反応をする。甘えているのだろう。
「奥さん、着替えて顔を洗って支度しよう」
「あなた、着替えさせて」
ラナは寝間着のシャツを捲ってお腹を出す。
「………………仕方ないなぁ」
と言いつつも、割とノリノリで着替えを手伝った。どうやら、ラナは新しい服の着方に不安を覚えていたみたいだ。
僕も着替えてテントから出る。
二人共、雪風から借りた現代用の服装だ。
ラナは、黒いニット帽で耳を隠し、上は白のVネックブラウス、下はデニムパンツ。ブランド物そうなハンドバッグを手に、ロングカーディガンを羽織っている。足はスニーカーだ。
僕は、黒いシャツにモスグリーンのアーミーパンツ。チョコレート色のジャケット。左手だけ義手を隠すために黒い手袋をはめている。足は鉄板の入ったブーツ、腰にはイゾラのミニ・ポットを下げていた。
「どうだ。ロージー?」
「うーん、奥様は問題ないですが、ソーヤさんに違和感がが」
「マジかぁ」
「マジですねぇ、あっち戻ったら髪は黒に染めましょ」
「染めるか」
「私は本当に問題なしで?」
ラナは二回転する。
可愛い。あっちの世界でモデルやれそう。変に注目されても困るけど。
「問題ありません」
ロージーが親指を立てる。
「さて、奥様、旦那様、朝食です! 本日のメニューは、おにぎりと卵焼きに唐揚げ………………以上です!」
「学生の好きそうな夜食だな」
「朝食です!」
テーブルについて朝食を食べる。おにぎりと甘い卵焼き、おにぎりとカレー風味の唐揚げを交互に食した。
美味いが――――――
「これ以上、不味くも美味くもなりようのない組み合わせだ、と言いたいのですね」
「空気読んで黙っただろうが」
僕の頭に触れた触手を引っぺがす。心を読むな。
六個目のおにぎりを食べながらラナが言う。
「ロージー、私は好きですよ」
「奥様の何と心優しい」
よよよ、っとロージーは僕を見ながら泣き真似をする。
「もう少し、お米は立たせて炊くべきだと思いますが、塩も少し足りませんが」
「意外と細か厳しい!」
サッシの埃を指先でフゥーほど厳しい事ではないぞ。
「お前、ポットの時は料理だけは完璧だったのに退化したな」
「ソーヤさん、進化とは何かを捨てて進む事なのです」
「お前から料理の腕を取ったら、何が残る?」
「愛らしさと献身とナイスバディと触手です」
「勘違いと自尊心と厚顔と触手の間違いだな」
「ひっど! 今までで一番の腹パン暴言!」
「なんだ腹パン暴言て」
「腹パンするくらい酷いって事ですぅぅぅ!」
「まあ、プニプニしたお前の腹が、叩きやすそうなのは確かだ」
「しれっとDV発言しないでください。マジで引きました」
「こんな事をするのはお前だけだ。安心しろ」
「え、ロージーだけですか」
恋に落ちた乙女みたいな顔は止めろ。
『ソーヤ隊員』
「ん? どうした」
『企業側と通信回線が開きました。何かメッセージはございますか?』
「我ら“星々の彼方より帰還せり”、だ。挑発にもなるだろう」
『了解です』
「どういう事ですか? ソーヤさん」
「お前らを、A.Iとして利用した連中に向けた言葉だ。敵の情報が曖昧だからな。挑発して襲わせ、返り討ちにして情報収集する」
「ほほー、今のソーヤさんとイゾラなら余裕ですかね?」
「さあ、どうですかね」
楽な相手と思いたい。しかし、敵は常に最悪を想定して戦うのが吉だ。
『メッセージ送信終了です。同時に、ポータルの転移座標を改ざんしました。企業の地下から、雪風様の指定した工場に転移します。ポータルの展開まで………………後、300秒です、急ぎましょう』
僕は席を立つ。
何も言わずとも、ラナも席を立った。
「ロージー、後は頼む」
「はい、いってらっしゃいませ。………ロージーから一言。いえ、マキナから一言ございます。マキナがお二人の結婚の時、言った言葉を覚えておられるでしょうか?」
不思議と僕は覚えていた。僕程度が覚えているのだから、ラナも覚えているだろう。
二人で視線を合わせ、同時に声にする。
『結婚は一種の冒険事業なり』
パチパチ、とロージーの拍手が響く。
「はい、その通りです。それを忘れない限り、お二人の絆が損なわれる事はないと、ロージーであり、マキナは、思、ま………………」
顔は笑顔のまま、ロージーは大粒の涙を流していた。
これだから、僕は別れが嫌いだ。
「帰ってきた時は、盛大に迎えてくれ」
「びゃい」
顔面ぐしゃぐしゃのロージーはうなずく。
『ロージー、行ってきますね』
お辞儀するようにロージーは頭を下げて、イゾラに応えていた。
歩き出し、僕は一度だけ振り返る。
キャンプ地で一人、ロージーは手を振っていた。そういえば、キャンプ地から冒険に行っていた時は、こいつはいつもこうやって送り出してくれた。
「行ってきます」
小さく言って前を向く。
前もそうだったように、ロージーは僕らが消えても手を振り続けるだろう。疲れて止めるか、別の仕事に取り掛かるまで手を振り続けるだろう。
この世界を記憶に刻みながら歩く。
透き抜ける青い大気に細い雲、見慣れた三つの月に、平原と草原、そして巨大な白い塔。
あの塔には、まだまだ謎は残る。僕が到達できた五十六階層も、もしかしたら折り返し地点なのかも。いや、まだほんの浅い層に過ぎないのかも。だが、その謎に挑戦するのは僕の仕事ではない。僕の冒険事業は別の場所にある。
足を止めた。
早くも目的の場所に到着してしまった。
僕が初めて異世界に落ちた場所。廃棄されたダンジョンの入り口近くだ。期待と不安を半々で持っていたが、そこには誰もいなかった。僕の希望通り誰もいない。希望通りなのに、胸にチクリと痛みが走る。
『ポータルが開かれました。展開時間の予想は120秒です。お急ぎを』
「ラナ」
最終確認を。
「はい」
「ここから先は、君にとって未知の世界だ。まだ引き返せる。ほんの少しでも迷いがあるなら、この世界で僕を待っていてくれ」
彼女の両手が僕の右手を掴む。
「お断りします。私の決意を甘く見ないように」
「ありがとう」
迷いは欠片もなくなった。
「行こう」
走り、青いポータルに二人して入り込む。
光の奔流に飲み込まれる瞬間、この世界から僕らが旅立つ瞬間、幻のような刹那に、遠く草原を駆ける人影を見た。
猫の耳と尻尾を持った黒髪の子供が叫ぶ。届かないはずの声が、僕には確かに聞こえた。
「とーちゃん!」
届かない返事をする。きっと、届くと信じて叫ぶ。
「必ず帰って来るぞ!」
<終>
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