<第五章:星々の彼方より帰還せり> 【04】
【04】
深い眠り。
時々浅く覚醒するも、体は泥のようで指一つ動かない。体に沁みる温もりに安堵して、意識をまた沈ませる。
浮き沈みの中、微かに外の情報が脳に伝わる。
「ソーヤの体調はどうなのですか?」
「あの治療術師と同意見よ。ただの過労。普通の人間なら死ぬような過労だけど」
ランシールと、ラナの声。
「いつ目覚めるので?」
「今日か明日には」
「ラナさん、その根拠は? 普通の人間なら死ぬ過労なのでしょ? 今からでも治療寺院に移送して最高の治療を受けた方が」
「あのねぇ、ランシール。私は最高位に近い魔法使いなのよ。専門外でも治療魔法の何たるかは理解しているわ。これは、体だけが問題の眠りじゃないの」
「では、何の問題で?」
「英雄の歴史を紐解くと、彼、彼女らが偉業を始める前、必ず重たい倦怠か、深い眠りに陥る。ソーヤの眠りはそれね」
「ラナさん。ラナさんがいない間の事で知らないでしょうけど、ソーヤは自分を英雄だと呼ばれる事を嫌っています」
「知っているわ。マキナ―――ではなかった。ロージーに仔細を全て聞きました。エリュシオンの王子殺し、傭兵王殺し、王殺しや、死を偽装してあなたに王座を譲った事。でもね、英雄と名乗る事をソーヤが嫌っていても、私が密かに英雄と思う事の何が悪い事ですか? この人は元々、名声を謙遜するところがありますから、誰かが正当に評価しなければなりません」
「流石ラナさん、それは考えていませんでした」
「『はいはい』と言う事聞くだけの人形が、良き妻ではありません」
「では、ソーヤの銅像をこっそり作って地下に並べましょう。とりあえず、三百体くらい」
「それは止めなさい」
それは止めてくれ。
カチャリ静かに戸の開く音がした。
「ごめんなさい。忙しくてやっと手が空いたニャ。ソーヤさんの体調はどうですかニャ?」
「良くも悪くも変化はなし。テュテュさん、ランシール、二人に渡したい物があります」
ラナが何かを取り出す。
「この人の妻の証として、テュテュさんには黒い指輪を。ランシールには銀色の指輪を授けます」
二人に指輪を渡したようだ。
「竜の瞳から作った指輪よ。私のと合わせて世界に三つしかない貴重な物です。本当はこの人が渡すべき物なのだけど、どっちにどれを与えるかで揉めても困るので私が勝手に選びました。この事で恨むなら、私を恨むように」
「ありがたくいただきますニャ。シグレに、お店と一緒に残せる物ができて嬉しいですニャ」
「ワタシも頂きます。でも、未婚の王女として指輪をはめる事はできませんので、大事にしまっておきますね。将来、結婚したハルナにあげるか、クナシリの妻となった女性に与えます」
「………………ふふーん」
『………………』
何をしているのか見えないが、たぶんラナが二人に自分の指輪を見せびらかしているのだと思う。あくまでも、たぶん。
「良いものよね」
「確かに、良い指輪ですけど」
「いいえ、ランシール。指輪自体が良いというわけでなくて、私達が死んでもこの指輪は残る。私達が絆を結んだ証は長く長く残る。それが良いと思ったの」
「でも、ニャー達が死んで子供達が指輪を手放したら、元の持ち主が誰かなんて誰もわからないニャ」
「そんな事はないわ。いつの世も真実を紐解く者は現れる。百年後、千年後、この人の血も縁も途絶えて指輪しか残らなくても、そこから私達の物語を知る者が現れる。必ず、絶対に、ね」
「それはちょっと、嬉しいけど悲しいニャ」
「終わる事を悲しむだけでは、世界は廻らないわ。その後の世界に何か残せるように、私達は日々を生きるだけ」
かーちゃーん、と時雨の声。
「あ、お店がまた混んできたニャ。とりあえず、ニャーはお客様のお腹を満たしてくるニャ」
「はい、頑張って」
「テュテュ、ワタシも後で手伝いますよ」
「いいニャ、いいニャ! ゆっくりしてるニャ!」
テュテュは部屋を出て行った。
ラナとランシールが残る。
「ランシール、少し嫌な話をするけど良い?」
「構いません」
「クナシリの事、【呪いの子】の伝承よ。古い獣人の口伝でしか残っていない事だから、私も詳細はわからないの。けれども、耳と尻尾の無い獣人の子が、生きて後世に名を残した事はありません。どの歴史書にも登場した事は」
「知っています。高名な魔法使いに言われなくても」
「なら、クナシリの今後、双子であるハルナの事、どうするのですか?」
「ワタシが王女を退いた後、国を離れて二人と静かに暮らすつもりです」
「ランシール、一つ助言―――――いえ戯言があるわ」
「?」
「この世界の政治は男が回してきた。女は添え物に過ぎないの。時折、そんな女がおこぼれで統治するも、待っているのは破滅だけだった。あなたの統治は今の所非のないものよ。宰相の力もあるのでしょうが、このまま行けば歴史の転機になる。あなたは、女性の良き統治者として後世に名を残しなさい。後に続く者の為に、己を殺して王になりなさい。元、姫だった女の戯言よ」
「助言として受け取ります」
だから、母親としての人生を諦めろ、そんな酷な言葉だ。
「でも、ラナさん。あくまでも助言として聞くだけです。ワタシは、王よりも母として生きるかもしれない。王と在ろうとしても、母を辞められないかもしれない。この気持ち、子供を産めばラナさんにもわかりますよ」
「………………」
痛い皮肉だな。
ランシールが出て行く。ラナは、僕の髪を撫でて甘えるように抱き付いて来た。
意識は沈み、また少しだけ浮かぶ。
「お姉ちゃん」
エアの声が聞こえた。
「久しぶり。あなたは驚かないのね」
「何となくね。こいつが、お姉ちゃんを連れて帰ってくると予感していた」
「そう」
姉妹の声音は冷えている。
「お姉ちゃんを見捨てた事、責めないの?」
「この人を忘れた事には腹が立つけど、逆の立場なら気狂いに見えてもしょうがないわ」
「冒険者やっていた時の記憶や、感情、歯抜けになっている部分にそいつが入ると、全部納得できるのよね。アタシって、そいつの事が好きだった」
「今はどうなの?」
「お姉ちゃんにあげる。姉のお下がりなんてごめんよ」
「あなたがそれで良いのなら、私は何も言いません。生半可な覚悟で伴侶は務まりませんから」
エアの長いため息。
ラナの心音が少し高い。
「最悪のタイミングでお姉ちゃんに言わないといけない事があるの。その男とは全く無関係だから一旦忘れて。今、ヒューレスの森は――――――」
「大体の事は調べました。奇跡的に氏族が上手くまとまったのでしょ?」
「そうよ。まとまったの。過去の遺恨やら何やらは、これからの繁栄で水に流そうって具合にね。ランシールにかなり譲歩してもらったから、それにその譲歩を引き出した“アタシ”という代表がいるから、口うるさい老人も、気難しい若者も、殺し合った連中も、皆黙って同じ方向を向いている」
「気遣いは良いわ。簡潔に話して」
「お姉ちゃん、死んだままでいて。あの時の事、お姉ちゃんに“民を焼き殺させた事”、全てアタシの浅い考えが原因よ。改めて謝罪する。でも」
「わかりました。あなたの姉は死んだ。そういう事にして、ヒューレスの森は繁栄しなさい。長として、王の娘として、あなたの選択は全てが正しいわ」
「ごめんね」
「気にしては駄目よ、エア。大人になったのね。だからこそ忘れないで、あなたは守られる人間ではなく、もう誰かを守る人間だという事を。父と同じように何を犠牲にしても、ね」
「忘れない。お姉ちゃん、元気でね」
「死人なりに元気でやります」
そいつも皮肉だな。
意識はまた深く沈み、やっと浅い覚醒を果たした。
失った左腕の痛みと金属音。
「あ、ごめん。起こした?」
「いや」
雪風がいた。
ベッドに腰かけ、僕の義手の修理をしている。
空気が静かだ。部屋の外から物音もしない。カンテラの幽玄な明かりが眩しく感じる。
「良かったわね。その人、助けられて」
ラナは、僕の右手に抱き付いて眠っていた。この寝顔を見ているだけで、全ての傷が癒える気がした。
「どうだ? 可愛いだろ。それに胸が大きい」
「はいはい、そういう自慢はいいから」
部品を締める音、義手に結構な痛みが走る。
「あいつは」
「ん?」
「ガンメリーの最後は、どうだったのよ」
「ま、格好良かったさ」
「そ」
思ったよりもドライな反応だ。
「あたし、ガンメリーとの別れの挨拶は、この世界に来る前に済ませたのよ。その後、なんやかんやでダラダラと一緒にいたけど、あれは別のガンメリーだったのよね」
「そうだな」
これから、お前と出会うガンメリーだった。
「あんた、これからどうするの? 冒険者は引退?」
「決めかねている。………………違うな、もう決めてはいるか」
周囲にどう伝えるかで迷っている。
「イゾラ、ちょっと良いか?」
『はい、何でしょうか?』
枕元のイゾラに話しかける。
「イゾラって、軍用タイプのA.Iよね。どこで手に入れたの?」
雪風が少し驚いていた。
「ダンジョンで回収した。イゾラ、雪風に全て話してくれるか」
『全て、ですか。この方を信用して良いのですか?』
「僕の身内だ。信用してくれ」
『わかりました』
イゾラが、雪風に説明する。
この街にあるダンジョンの正体を。この世界の成り立ちを。星々の彼方から帰還した船員達の話を。その成れの果て、僕らがA.Iと呼ぶ生物達の正体。マザーが僕に課した仕事。
「話のスケールが急に大きくなったわね」
「信じないか?」
「信じるわよ。A.Iが見る夢と、今聞いた話は繋がる」
「夢?」
「多くのA.Iが見る夢があるの。草原と白い塔の夢。それは、レムリアの草原と々の尖塔よ。そして、それを見た時に郷愁を感じるの」
「郷愁、か」
結局、船員達の故郷は僕らの時代ではない。この世界なのだろう。離れて初めてわかるのが郷愁という感覚だ。
「あたしが異世界に来る少し前、A.I達の小さい反乱があった」
「おいおい、物騒だな」
反抗するA.IとかよくあるSFだ。
しかし、生物と生物の争いなら極普通か。
「原因はストレス。既存のA.Iはもう限界なのよ。新しいモデルを作成してもストレス耐性が低いものばかり。でも、ストレス耐性を高めれば高めるほど無能が生まれてしまう。旧モデルをリサイクルして、新モデルとして販売していたのだけど、それが世間にバレて信用は地の底。A.Iの大量廃棄が始まったわ。そんな時に反乱が起きて、そして同時に次世代型のA.Iが発表された」
『その次世代型のA.Iとは?』
イゾラの質問に雪風が答える。
「水溶脳を使わないA.I。電子的な情報だけで構築された新しい存在ね。あたしの会社は廃棄されたA.Iを集めていた。需要が物凄く増えて、ある企業と提携したの。たぶん、あんたをここに送った企業」
「つまり?」
渡りに船、なのか?
「予定では十年で、世界全ての旧世代A.Iを集める事ができる」
「雪風ちゃん、一年だ」
「は?」
「一年で集めて、ここに戻す」
『ソーヤ隊員、良いのですか? この街、この世界から離れても』
もう決めた事だ。
「ロージーやイズ、イゾラお前にも世話になった。だから、その同胞を助けてやりたい」
友人の身内を助けるだけの、僕にしかできない簡単なお仕事だ。
「無茶、とは言わないわ。それ以上の無茶をしてきたあんただから。手伝ってあげたいけど、あたしは今この国から離れられない」
「わかっている。ランシールを頼むぞ」
「言われなくても」
お互いに笑う。
何だか、兄妹らしい一瞬だった。
雪風から企業の情報を受け取る。様々なシステムの“裏口”の情報もだ。イゾラがいれば容易に突破できるそうな。
と、急な報告。
『テザラクト・ボックスの機能が拡張されました。ソーヤ隊員が、仕事を受ける意思を示したからだと思われます。マザーが仕込んでいたようですね』
「あんにゃろ」
最初からやれ。
『ネットワークに接続した水溶脳を量子化して回収できる機能です。これがあるなら、一年で全て回収できる可能性は高いかと』
「ネットワークに接続していないA.Iも多いわよ。回収するには世界中を巡らないといけない」
「雪風ちゃんの会社に、自家用ジェットとかないのか?」
「あるわけないでしょ。下町の小さい会社よ。あ、でも」
雪風は、照明に使っていた翔光石を手に取る。
「これを企業に売れば旅費くらい余裕でまかなえるわよ」
「え、これが? ダンジョンから離れたら、ただの石だぞ」
「ガンメリーの話だけど、新エンジンの触媒になるとか」
「そういえば、そんな事を企業側が言っていたような」
いやでも、あれは五十六階層にあるって話だった気も、こんなダンジョンのどこでも採取できる素材が目的とは考えられない。
「いいからいいから、渡してみて。例え駄目でも金巻き上げる方法は色々あるから、後でイゾラに情報を送っておく」
「お、おう」
うちの妹って、あくどいのかもしれない。
義手の整備を終えると雪風は帰った。夜が明けたら、必要な情報をまとめて送ってくれるそうな。
あいつ、いつ寝ているんだ?
結構心配だ。
「今の女性は?」
「起きていたのか」
ラナは片目を閉じて僕を見ている。眠たそうである。
「妹だ」
「似ていると思った」
「僕より大分優秀だけどな」
「あなたも十分優秀よ。無茶ばかりするけど」
「僕は、無茶しないと結果を出せないからな」
「だから、傍で私が見ていないと」
ラナの手が、僕の頬に触れる。
「頼みがある」
「はい、一緒に行きます」
心を読まれたような返事だった。
「大変だぞ? 違う世界に行くんだ。常識や理屈、法や現象すら違う世界だ」
「知っています」
「もしかしたら、言葉だって通じなくなるかもしれない」
僕とラナの言葉は、この世界の加護で繋がっている。元の世界に戻ればそれは消える可能性が高い。魔法も戯言と変わりない。
「日本語なら覚えましたけど」
「え………いつの間に?」
「冒険の合間や、寝る前に少しずつ勉強を。文化や慣習についても学んだわ。私はこれでも優秀な魔法使いよ。知識の習得は得意なの。あなたが国に帰る時には、元々ついて行くつもりだったので。………迷惑?」
「そんな事はない。君は僕の自慢だ」
ラナと額を合わせる。
「一緒に行こう」
「行きましょう」
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