<第四章:異邦人、ダンジョンに潜る。> 【02】


【02】


 黒い大波が迫る。

 膨れ上がり、広がったガルヴィングの体が、津波のように迫ってきた。

 何もかも飲み込む夕闇よりも暗い姿、中で蠢くのは数え切れない爪と牙。飲まれれば、一瞬で細胞も残らない。

 一生物の姿ではない。これでは悪意を持った災害だ。

「ふぅ」

 こういう時こそ、深く息を吸い心を静める。

 銀の剣は消した。

 義父の剣に手をかける。

 目を閉じなくとも目の前に闇がある。目を開けたまま闇を見つめ、光を見た。

 刃が鞘走り、剣が舞う。

 一振りで闇を払った。

 一振りに見える斬撃で、間合いに入ったガルヴィングの体を全て斬り刻んだ。

 竜鱗のアーヴィン。

 竜甲斬りシュナ。

 獣狩りのヴァルナー。

 緋の騎士ザモングラス。

 バーフル。

 冒険者の父。

 冒険者の王。

 諸王の中の諸王ラ・ダインスレイフ・リオグ・アシュタリア陛下。

 第一の王子、第五の王子。

 そして、三剣のアールディ。

 友と肩を並べ戦い、

 敵と刃を交え、

 獣を屠り、王子を屠り、

 師の生き様を見、

 王の死に様を見、

 父と呼べる者の魂を継ぎ、

 それでようやく、僕という凡骨は剣の極致に近付く。

 今度は見えた。

 一振りの剣の後に続く、那由他の銀の残光を。全てを斬り払う極致の白刃が。

 怒声が聞こえた。

 よく通る怒声だ。

 悲鳴にも聞こえる怒声だ。

 ガルヴィングは暴れながら角という角を投げつけて来る。緩い飽和攻撃である。歩きながら剣を収め、引き抜くと同時に全てを祓う。

 角の雨が降り、周囲に刺さる。そんなもので怪我をするほど馬鹿ではない。

 悠々と歩いた。歩いてガルヴィングに近付いた。

 悲鳴が聞こえた。

 透き通る悲鳴だ。

 哀れにも聞こえる悲鳴だ。

 冒険者の癖に、未知を恐れているのだろう。謳い、神に乞う事と、剣で神に乞う事も同じだというのに。

「そんな事も忘れたのか、大魔法使い」

 納刀する。抜き手を見せず抜刀―――――――鞘に納める微かな刃だけを世界に見せる。

 星空に似た閃き。ガルヴィングの急所を斬った感覚が手に残る。

「たかが剣がッ、たかが剣一つがッ、何故だ!? 馬鹿な!?」

 ガルヴィングは声を上げて鳴いた。

「僕は凡骨だ。ただの異邦人だ。しかし、僕と戦った者達は皆英雄を凌ぐ」

 剣による祈り。

 世界が認識するより速い斬撃の極致。その技を祈りとし、僕と戦った者達の剣撃を奇跡として世界に再現する。

 これが、僕の成した剣の終点。託され継いだ、ただ一振りの剣。

「終わりだ」

 剣を鞘に収めた。

 ガルヴィングの首が落ちる。続く神刃は残った体を切り刻み霧散させた。

 大魔法使いの頭部が転がる。

 ぎょろりとした目の動き、頭部だけになっても大魔法使いは生きていた。次の一撃で、こいつの痕跡すら斬り払い消す。

「勝負あり」

 どこかで聞いた声が響く。

 一振りの剣が、何もない空間を裂く。

「!?」

 景色が反転していた。僕の体が逆さになって中空に浮いている。

 納刀はしっかりと、荒っぽく着地。不意打ちをくらった。しかし、ダメージはない。

「誰だ?」

 見知らぬ少年が、ガルヴィングの首を抱えている。

 白骨のような白い肌の、美少年だ。

 背に羽根はないが、横顔は冒険者組合の組合長にとても似ている。魔法使いらしい古びたローブに、先の折れたトンガリ帽子。杖はなく、よくあるカンテラを腰に下げている。

 懐かしそうな声音で、少年はガルヴィングに話しかけた。

「馬鹿だねぇ、君は。我々魔法使いの本質は、物語を正しく紡ぐ事さ。そこを違えて、自分に都合の良い部分だけを掻い摘んで集めても、謳われる者には敵わないのさ」

「ワーグレアス、ワーグレアス! ロブといい、貴様といい。何故なのだ。何故に、師の求めた火に焦がれない! 叡智がそこにあるのだぞ!」

 ワーグレアス? 三大魔法使いの一人? あの大白骨の階層で見た………………え、あの地方都市の萌えキャラの本当の姿がこれか?

「君が真面目過ぎるのさ。師が必ずしも正解とは限らない。私もロブも、君より才能はなかったが、そこだけは早く気付けた」

「そんな馬鹿な事があるか!」

「そんな馬鹿な事があるのが、世の常なのさ。友よ」

 僕は、踏み込みの態勢をとる。

 よく喋る頭部と、それを抱える少年に狙いを定めた。

「ワーグレアス。名高い大魔法使いのあんたに敬意を払い、警告はする。その首を捨てろ。でなければ一緒にみじん切りだ」

 首だけになっても、ガルヴィングには油断はできない。しっかりと念入りに止めを刺さなければ、また僕の前に現れるであろう。

 僕の力は、この時、この刹那の力だ。揺らぎ揺らいで幸運にも今掴めたものだ。明日また使えるかどうかも分からない。故に、ここで後顧の憂いを断つ。

「安心するのだ、異邦人。ガルヴィングにもう力はない。こやつの妄執は既に断たれた。残ったのは消し炭の粘液さ」

 ガルヴィングの首が溶けた。

 ドロドロの黒い液体がワーグレアスの手からこぼれ落ちる。

「哀れだな、友よ。真理を求め、探究に馳せた君は何者よりも美しかったというのに。このような最期とは、笑えない皮肉だ」

「ああ、ワーグレアス。何故だ、わからぬ。わからぬ」

 スライムのような黒い姿になりながらも、ガルヴィングは嘆く。

「我がエルフだからなのか? 貴様らがヒームだからなのか? 何故だ。何故に理解できぬのだ。世界の果て、深淵を覗き、古き塔から叡智を得たというのに、星の獣を取り込み、呪いを喰らい、蛇すら宿した脳髄が、何故に理解できぬのだ。ただ簡単な、自分自身の願いが、何故に。我は何を求め、どこに行き、どこに帰ろうとしていたのか………………もう何も分からぬ」

「それは、君が頑なだからさ」

 あっさりとワーグレアスは答える。

 ガルヴィングは、ゴボゴボと溺れるような声を上げて、

「師よ、輩よ、アールディよ………セラ、我が愛弟子よ。何故だ、最後に、思い出だけがこんなにも星のように――――――」

 消えた。

 大魔法使いの一人、法魔ガルヴィングは夕闇に沈んで消えた。

「終わりか?」

「終わりさ」

 ワーグレアスは頷き、僕にカンテラを差し出した。

「導きに応えた四人目の異邦人よ。受け取るがよい」

 カンテラを受け取る。

 なんてことはない普通のカンテラだ。

「四人目?」

「彼らの声を聞き、この世界に訪れた異邦人で、この階層まで到達できたのは君で四人目になる」

「僕以外にも異邦人が到達していたのか。その前任者は、どうなった?」

 聞いた事がない。もしかしたら彼らも、僕と同じように身分を偽ってダンジョンに潜ったのだろうか。

「彼らは彼らの選択をした。君には関係のない事だ。ほら嫌だろ? 顔を見えない人間に裏でペラペラ言われるのは」

「魔法使いがそれを言うのか」

「魔法使いだから言うのさ」

 何か食えない感じの少年――――――じゃなかった魔法使いだ。

「さあ、行くのだ。廃都の中心、塔の聖域へ。我ら異邦人の旅の終着駅だ」

「いや、行けって言われても」

 夕暮れの都市を眺める。

 どこが中心なのかさっぱりだ。案内が欲しい。

「ワーグレアス、おい」

 少し目を離したら、ワーグレアスの姿はなかった。

 現れた時と同じように、いきなり消えていた。

『宗谷、受信した情報の解析、復元が完了した。手元に転送する』

「手元?」

 ガンメリーがおかしな事を言う。

 手元といえば、なんてことはないカンテラ………………ん? 上手く偽装されて気付かなかった。これ、普通のカンテラじゃないぞ。

 円柱状のディスプレイが光る。

 点灯した光が、二つの目を作った。

 A.Iのミニ・ポットから小さいアームが伸びて敬礼する。


『ソーヤ隊員、お久しぶりです』

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