<第三章:異邦人、最後の冒険の暇> 【12】


【12】


「で?」

「“で”とは何だ。貴様」

 僕の面倒そうな声に、親父さんが顔をしかめる。

 店の裏手に場所を移した。

 ここは混雑時の常連用の席であり。三席分の椅子とテーブルが置かれている。

「あー………………」

 僕は、狭い路地に切り取られた青空を見た。今日も快晴である。草原には気持ちの良い風が吹いているだろう。

 時雨と榛名を連れて、ピクニックでもしようか?

 全然関係ない事を思い浮かべ、今の話題と関係ない事を口にする。

「シュナはどんな感じで?」

「元気だ。この老体の百倍はな」

 の割には、うーむ親父さんの様子が計り知れん。

 サマか? それともマジか?

「戦場に出てる感じで?」

「そりゃ出るさ。将軍だからな」

「え、将軍」

「レグレ様の腹心、ロラ様の右腕であるからな。そりゃ、新生ヴィンドオブニクル軍の将軍くらいにはなるさ。否、反乱軍か。同じ勢力だというのにアレコレと名前が変わって面倒だ。まあ、奴の剣技は申し分ない。事実、文句を言う奴は全て叩きのめしている」

 大出世だな。

 いや、ん? ロラ様? あ、失念していた。

「親父さん、レグレは“双子”を産んだので………だよな」

 敬語を使うつもりはないのに、気を抜くと敬語になる。

「そうだ。ロラ様と、ラウア様だ」

「世間一般に流れている武功は、どっちの話で?」

「ロラ様だ。ラウア様は優しい人でな。戦場には顔を出さん。いや、ロラ様が規格外なだけかもしれん」

 マリアの奴、意図的に隠していたな。

 それはつまり、

「ロラ派とラウア派で別れていたり?」

「それはない。ラウア様に付き従う者はいない」

「おいおい、まさか」

「物騒な考えは止せ。ラ・ダインスレイフ・リオグ・アシュタリア様と、レグレ様には、ロラ様という一子しか産まれていない。公式にはそう発表している。貴様も口を滑らせるな」

「滑らせるなって、そういう問題なのか?」

「ラウア様も理解している。聡明な子供であるからな。戦いが苦手という事もあるのだろうが」

 時雨と同じくらいの子供が、そういう政治に踏まれ影に生きるのか。

 複雑な気持ちが湧く。

「部外者の貴様には関係ない。世にはもっと不幸な子供がいる。その全てを救えるのか?」

「はいはい」

 わかってるさ。

 そこに入り込んだら抜け出せない事も理解している。

「ある意味、今隠れられるのは一番利口な手段かもな」

「どういう事だ? 新生ヴィンドオブニクル軍と反乱軍はそんなに不味いのか? それともエリュシオンが大攻勢に出ると?」

 親父さんは『両方だ』と小さく言った。

「デュランダルの坊主、それにエリュシオンの法王、両者一致して恐れているものがロラ様だ。理由は簡単だ。ロラ様は若い。可能性は計り知れず、未来が彼の味方をしている」

「デュランダルとは、戦場で一度会った事がある。年齢的には僕と同じくらいだが、それが若者を恐れるとは?」

「そうだな。デュランダルもガキはガキだが、生き方を決めたガキだ。今更道は変えられない。先が途絶えていても変えられんさ。その点ロラ様は、奴隷の為、虐げられた小民の為、力を持った者を倒す。彼は、“他者の思い”で戦っている。差し出された手をとって剣を振るっているだけに過ぎない。“まだ”彼は、自分の大望で戦っていない。だから、デュランダルの坊主も、エリュシオンも、一番に彼を恐れている」

「ああ、なるほど」

 少しだけ理解できた。

 ロラの名を授かった子は、底が見えないのだ。

『奴隷の為に戦っている英雄』と、救われた民は見ているのだろう。しかし、同じ土俵で戦っている者からすれば、そこから“まだまだ”変化する化け物に見えるのだ。

 彼らは弱者を敷物にして生きてきた。

 彼らは善意など人にない事を知っている。

 利益で動く者もいれば、利益など捨てて動く者も知っている。

 小民の救済など、踏み台に過ぎない事を理解している。

 だからこそ、ロラを恐れる。

 今はまだ、民の操り人形に過ぎない彼が、“逆に民を操り出した時に”何をするのかわからないからだ。

 わからないからこそ、恐怖になる。

「最悪の場合、ロラと反乱軍は両軍に挟まれると」

 日本でもよくある言葉が浮かぶ。

 出る杭、打たれるだ。

「ならんさ。ならぬように――――――おい、いい加減にしろ」

「は?」

 老いさらばえた男が、鬼のような威圧で僕を見た。

「俺は、この国の王女に貴様の相談に乗れと命じられたのだ。解消できなければ国から出さん、とも言われた。さっさと吐き出せ、話を逸らすな」

 このまま別の方向に行けば良いのだが、そうはならんかった。

 面倒だ。ランシールは面倒な相手を差し向けてくれた。

「マニャーからです」

 助け船が来た。

 榛名が料理を運んでくる。トレイの小鉢を、危なっかしい手つきでテーブルに置いた。

「豚肉の炒め物と、青豆の卵載せか………………」

 親父さんはスプーンを手に、ベーコンのカレー粉炒めと、半熟卵を添えた剥いた枝豆を食べる。ガツガツと食べる。僕の分まであっという間に食い切った。

 老人の食い意地じゃねぇ。

「やっぱ、左大陸の飯は不味いので?」

「不味い。戦場の飯はどこも不味い。だが、それよりも不味いのが船上の飯だ。酸っぱい腐りかけの野菜に、石そのもののパン。塩の塊なのか肉なのか判別のつかん物体。臭い魚。俺は、どこで死んでも良いと思っていたが、船の上だけはごめんだ」

「おじちゃん、お舟はどんなかんじですか?」

 榛名が話しに食いつく。よじ登って、僕の膝の上にお行儀よく座った。

 艦船の名前だからか、船に興味があるようだ。

「………………揺れる」

「ゆれますか!」

「よく霧がかかる」

「キリとは?!」

「霧ってのは、まあモヤだ。モヤ」

「モヤですかぁ~」

 榛名は絶対わかっていない。

「あとはまあ、魚がいるな」

「ハルナ、お魚は大好きです。ゲトのおじちゃんがくれるお魚をたくさん食べます。貝も好きです! お舟には、どのくらいいますか?」

「船に魚はいない。魚人の目を盗んで釣る」

「どうしてですか? ゲトのおじちゃんはたーくさんくれますよ! ハルナがおねがいしましょうか!」

 おい何とかしろ、と親父さんの視線。

 僕は助ける気ゼロなのだが、時雨がやってきて話を遮る。

「お客さん、海超えてきたんだろ。航海用の料理を前から作っていたんだけど、味見してくださいよ」

 時雨がテーブルに置いた小鉢には、しんなりしたキャベツの千切りが盛られている。発酵した酸っぱい匂いに、榛名が嫌そうな顔をした。

 前に傭兵共から依頼されて作ったザワークラウトだ。

「これか………雇っている船でもよく出してな。船上での滋養に良いと言うが、俺はどーも」

 と言う割に、親父さんはザワークラウトをもしゃもしゃ食う。

「………ん? 船で出す物より美味いぞ。いや、別物と言っていいほど各段に美味い」

 だからさあ、僕の分まで食うなよ。

「基本的な作り方は同じだけど、食べる前に薄ーく切ったニンニクを混ぜて香味油を垂らしたんだ。香味油も保存が効く物だよ。ネギとか、エビの頭とか、エルフ特製の辛味油、鳥の皮なんかで作った物もある。ゴマ油でも美味しい。簡単に付けたしできるよ。お土産に幾つかあげる。かーちゃんが、昔世話になったらしいから」

「こいつは助かるな。テュテュはよくできた子供を持った」

「あ、そうだ。ボクも船の話聞きたい」

 膝の上に乗った榛名が、少し横にズレる。

「おニャーちゃん。ここあいてます」

「え、う、うん」

 意外な事に、時雨も僕の膝の上に乗ってきた。

 何か驚きだ。

 子供二人から質問攻めにされる親父さん。死ぬほど困った様子で大変気分が良い。

 しかし、しばらくすると、

「シグレ! ハルナ! 邪魔したら駄目ニャ!」

『えー』

 テュテュに怒られ、二人は僕の膝から降りて店に戻って行った。

 これ、何の話だっけ?

「いかん。忘れるところだった」

 親父さんは懐から袋を取り出す。

「俺の女から貴様にだ。預かってから、渡すのを忘れていた」

 中身は沢山の金貨だった。

 そういえば、あの女将さんにそんな啖呵を切ったな。どうでもいいけど。

「テュテュー」

「はーいニャ」

 テュテュを呼んで袋を渡した。

「借りていた僕の生活費と、時雨と榛名の養育費だ。余った分は店の運営資金にしてくれ」

「いただくニャ。でも、ユキカゼさんにお金返さなくて良いニャ?」

「大丈夫だ。問題ない」

 雪風に借りている金は、この袋が百あっても足りない。

 テュテュは上機嫌で店に戻って行った。

「で、俺は土産を持って帰るぞ」

「そうっスね」

 帰れ帰れ。

「どうやら王女様は勘違いしていたようだしな」

「勘違い?」

 確かにお節介ではあるが、ランシールは勘違いなど。

「貴様は悩んでなどいない。悩みもないのに相談もクソもあるか」

「失礼な、僕は―――――」

「ガキと女に本心を話せないだけだ。そんなもん、悩みと言えるか」

「………………」

 いや、違う。

 違う、いや。

「僕は五十六階層に到達したら、その後どうするかを」

「冒険者は、てめぇ勝手に生きて死ぬもんだぞ。何を今更、真っ当な人間になろうとしている。そうなりたいのなら剣を捨てろ。今すぐに冒険を止めろ」

 自然と腰に下げた剣に手が触れた。

 意識せず自然と下げていた剣だ。これを捨てる事など考えられない。ましてや、違う人生を歩む事も考え………………考えても何も浮かばない。

「止まらないなら進め、探し続けろ。“ある”、“ない”など関係ない。挑戦を続ける事に意味があるのだ。それが冒険者の本質だ。本物の冒険者のあるべき姿だ。奴を倒したくせに、凡人のような理由で足を止めるな」

 何も言い返せない。僕には、何一つ否定する事ができない言葉だから。

 親父さんが杖を握り直す。

 その些細な動作に、僕は全力で体を動かした。

 路地裏に火花が咲く。テーブルの上で、杖の仕込み刃と義父の剣が噛み合う。

「そうでなければ、剣を託した男が泣くぞ。いや、あの世で悪態を吐くか」

「やっぱりサマじゃねぇか」

 戻す動作を見せず、親父さんは刃を杖に収めた。

 ブワッと冷や汗が出る。

 首が落ちるところだった。衰えてない。老い先短くなったせいか、失うもののない化け物じみた気迫を感じた。

「で………………僕の剣はどうですか?」

 純粋な興味で聞く。

「軽い」

 軽いと来たか。色々と経験は積んだつもりなんだが。

「剣一つで世界を斬る覚悟を持て。持てぬうちは軽い。まあ、こいつは剣士としての言葉だ。冒険者なら、使えるもん全部使うのが正解だろう」

 お言葉に甘えて、アガチオンと銀剣と劫火も使って戦おうかな。

 いや、流石にないな。

 お互い戦う理由がない。戦場が違う。

「以上が、“元”冒険者の父のありがたい言葉だ。よく噛んで飲み込め」

「迷惑ついでにお願いしたいのですが」

「ああ?」

 親父さんは、死ぬほど嫌そうな顔をする。

「僕からじゃ言い難いので、ランシールとテュテュ、特に、この国の女性大臣に、代わりに言ってもらえませんかね。『やっぱ、五十六階層終わっても進む、探し続ける』って」

「自分でやれ! 馬鹿野郎!」

 怒られて蹴られた。

 何だか懐かしい雰囲気である。

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