<第三章:異邦人、最後の冒険の暇> 【11】


【11】


 過去を見る事を、夢と言うのだろうか?

 ならばこれも夢。

 戦場の夢だ。


「ソーヤ、奥方から伝言を預かっている。『事が終わるまで、二度目に出会った場所で待つ。遅れても必ず来てくれ』だ、そうな。女は待たせるな。すぐ行け。愚生からの最後の――――――」


 夕日と、雄々しい男の死。

「陛下ッ」

「きゃ」

 布団を跳ね除けると、夢の景色とは打って変わって暗い室内と女が目の前にいた。

 闇の中でも映える銀髪、狐の耳と尻尾、なまめかしい素肌。ランシールが寝床に侵入していた。

「えーと、服を着てくれ」

 まあ、全裸だ。

「ワタシが寝床に入った時、服を着ていた事がありますか?」

「王女様、慎みを」

「裸で王は名乗れませんので、オホホ」

 ランシールは首に抱き付いて来る。ふくよかな双丘が頬に触れた。なんか前よりも乳が増量した気がする。

 心地良い。消えた眠気が戻って来た。

「テュテュから聞きましたよ。引退後の生活を悩んでいるとか?」

「まだ………………いや、そうだな」

 引退する気はない、と言ったら雪風に怒られるか。殺されるか。

「どんな冒険もいつかは終わるものです。謳われる英雄も、歌われる冒険者も、聖人も、勇者も、大魔法使いも、人知れぬ寂しい最後があるのですよ。むしろ結末があるから物語と呼べるのでしょう」

「至言だな」

 冒険者の王の娘らしい言葉。

「ソーヤの希望は?」

「希望か」

 望みという意味での希望か、賭ける方の希望か、どちらにしても難しい。

「王女様は、僕に何を望む?」

「ワタシですか? それはもう、面倒な公務からさらってくれる事ですね。公に結婚発表してソーヤがこの国の王になり代わりに仕事――――――は、無理としても国を捨てて大陸の片隅で小さい家で親子水入らず慎ましく暮らす事とか。でも、今のこの形も嫌ではないのですよ」

 沢山要望が出て来た。

「あ、いけない。ソーヤ、話を逸らしましたね。ワタシはあなたの希望を聞いているのです」

「正直、何も思い浮かばない」

「本当に? 何も?」

「何も」

「一つくらいありますよね」

「一つしかない、と言ったら聞くよな」

「それはもう、聞かれたくなくとも」

「………………すまん、凄く言いにくい」

 女と抱き合っている時に別の女の話をするとか、僕の落ちる地獄がなくなる。もう大分限られている気もするけど。

「言ってください。怒りませんから」

「怒る怒らないとか、そういう問題じゃなくてッ」

 耳を甘噛みされた。腰と背骨が震えて脳が痺れる。

 懐かしいランシールの得意技だ。ちなみに僕の苦手な技だ。

「言わないと今夜は寝かせませんよ」

「一応、僕は絶対安静なんだが」

「いっその事、身動きできないくらい弱ってくれれば城に監禁できるのですけど」

「怖い怖い」

 冗談に聞こえない。

 冗談だよな?

「して、どこの女ですか?」

「な、何故に女と」

 心を読まれた?!

「………勘で適当に言っただけです。また最近、妙な女が周りにいると小耳に挟んだので」

 勘だった。大当たりであった。

「あの三つ編み陰険眼鏡は、ホーエンスの使いだ。僕とそういう関係ではない」

 ニセナの姉というのは、ランシールが混乱するので黙っておこう。

「何故にホーエンスが?」

「マリアの関係でちょっと」

 いかん。

 金の為に、ホーエンスとジュミクラに接触したほうが問題だ。

「そういえば彼女の名前で入国した者がいましたね。そんな面倒な事をしなくても良いのに」

「入国?」

「止めましょう。寝床で国とか政治の話とか、熱が冷めます」

 話が逸れてくれた。

 安心していると、

「で、一つとは?」

 結局、話題は元に戻る。

「………………」

「で?」

「ぃッ」

 はむはむと耳を噛まれた。これでは本当に眠れない。

「王女として命令します。冒険者よ、言いなさい」

「職権乱用だなぁ」

 裸なのに。

「このくらいの特典はないと、王女なんかやっていられません。毎日毎日、外から内から面倒を起こす人間の多い事、多い事。あんな父でしたが、国の管理手腕だけは称賛に値します」

 大変なのは薄々じゃなくても気付いていた。

 ここで吐き出して楽になれるなら良い。

「で、そろそろ教えてくださいな。一つとは?」

「そこに戻るのね」

「そこまで拒否されると逆に聞きたくなりました」

 思わせぶりな僕が悪かったようだ。

「嫌なら嫌で、ワタシは好きにしますけど」

 ランシールは体勢を変えて正面から圧し掛かってきた。胸に顔が埋まる。心地良さは上がるが、呼吸しにくい。いや、結構苦しい。

「お、女であってるよ」

 渋々白状した。

 こんな状態で別の女の話題とは薄情な。

「どこの女ですか?」

「エルフ………………」

「エルフ? 間違いなく白鱗公ではないですよね。エルフの姿をしていますが、あなたの趣味では絶対ないので。他は、ユキカゼの冒険仲間に混血のエルフがいますけど、まさか」

「いやいや、違う違う」

 妹のパーティメンバーに手を出すとか、メルムじゃあるまいし。

「あ、エアですね」

「う、うーん」

 違うは違う。

「はっきりしてください。夜が明けますよ」

 ぎゅむ、とホールドされる。弱った体にはキツイ刺激だ。

 ランシールの太ももをタップして降参した。

「エアの、姉だ」

「姉? ですが彼女は」

「………………だからまあ、言いたくなかった」

「ラウアリュナ様とは、一時期生活を共にしていました。ワタシ達の記憶に霧がかかっているのは、丁度彼女と過ごした時です。あなたと関係………あるのでしょうね」

「それなりに」

「なるほど、この王女が一肌脱ぎましょう」

「もう脱いでるだろ」

 だから、全裸じゃないか。

 上半身を起こしたランシールは、僕の頬に触れる。

「明日、ある人物をこの店に送ります。相談相手に適任かと思います」

「相談か」

 他人に心の内を話すのは苦手だ。他人じゃなくても苦手だ。

 ランシールもわかっているはずだが、そんな僕の相談相手とは誰なのやら。

「ところで、思ったよりも元気ですね」

 王女様が腰をくねらせる。

 色々と限界だから止めて欲しい。と、心で思っても体は正直だ。

「生物は死に直面すると子孫を残そうとする、とか」

「なるほど、良い事を聞きました」

 どこが?

「すまん、ランシール。頑張りたいのはやまやまだが、本当に今日は体力的に――――――」

「大丈夫です、冒険者よ。この王女に全て任せなさい」

 ………………任せる事にした。



 目覚めた。

 部屋の小さい窓から朝日が射している。

 ベッドには僕一人、ランシールの残り香がなければ昨晩の色事を夢で片付けていただろう。

 義手がやけに痛む。

 体調も――――――

「あれ?」

 ベッドから抜け出て立つ。立てた。

 思っていたよりも悪くない。歩ける程度には回復している。

「パーパー………………」

 声静かにソローッと榛名が入ってきた。

「おはよう」

「はわ! おきてる!」

「そんな驚く事か?」

「ハルナがおこしたいので、パパねてください」

「………………」

 子供の遊びに付き合うのも良いか。

 ベッドに戻って布団を被り、目を閉じた。

「パパー、おきてくださーい」

「起きた」

「ちがーう!」

 布団を除けようとしたら榛名に怒られた。

「りありてぃーがないです! ハルナが三回よんだらおきてください!」

「はいはい」

 難しい言葉知ってるな。

「パパー」

 一回目、

「パーパー」

 二回目、

「パー………………」

 三回目で榛名は静かになった。

 目を開けると、

「スァ」

 榛名は、枕元で丸くなって寝ていた。

「よく寝る子だ」

 体を冷やさないよう榛名に布団を被せた。

 部屋から出ようとして、ガンメリーの兜がない事に気付く。雪風の工房だろうか? 義手に妙な違和感があるので調整してほしいのだが。

「………が、ニャ………ラーメン――――――の」

「働――――とーちゃんが」

「ほうほう」

 部屋の外、キッチンから時雨とテュテュの声がする。それともう一人、別の声が聞こえた。

 戸を開けると、フライパンを振っている時雨の後ろ姿が見えた。椅子に座っているテュテュと、対面して座っている男の姿も。

 一瞬、誰かわからなかった。

 伸びた髪と無精ヒゲが白くなっている。両手を杖に置いて体重を預けていた。眼帯はなく、片目を閉じていた。鎧もなく、着古した服にゆったりとした朱赤のマントを羽織っていた。

 矛盾した表現だが、身綺麗な物乞いに見える。

「遅い起床だな。寝起きの悪い冒険者は下の下だぞ」

「やかましい」

 僕の顔を見るなり、男はそんな言葉を投げかけてくる。

 ランシールの相談相手って、まさかこいつか。

「夜明け前に王女から命じられた。『迷った冒険者に助言をしろ』とさ。引退した身だが、相談に乗ってやる。ヒヨッコ」

 男の名はメディム。

 またの名を冒険者の父。



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