<第三章:異邦人、最後の冒険の暇> 【10】
【10】
跳ねる。
水の上を跳ねる。
「ぎゃー!」
巻き込まれたニセナが悲鳴を上げていた。
激情した僕はステラにぶん投げられ、水切りの石のように跳ねて湖畔に着地した。一拍遅れてニセナは顔面から着地。
「このッ!」
盆に戻ろうとすると、ゴブリンの集団に囲まれる。
「やっぱこうなったか。ソーヤ、出禁な」
「その前にあいつを殺させてくれ!」
僕は、犬のようにギャスラークさんに吠えた。
「そりゃ駄目だって、散々話したやん。殺したところで、どこか別の場所で甦るって。ここで封印するのが、今の所の最善やん」
「まだ、試していない殺し方がある!」
「あーあ、悲しいなぁ………地上の友が悪魔に魅入られてしもうた」
「あんたに僕の何がわかる!? 愛した女を食い殺されてみろッ!」
誰だってこうなる。
そうならない奴は、脳の代わりにスポンジが入っているアホだ。
「それは真実なのか、冷静に確かめたかぁ?」
「奴を痛めつければわかる!」
「それこそ、ラザリッサの望むところだぞ。それに、人の痛みは人それぞれだぁ。確かにわかるか? と言われたら正直わからん。だからほれ」
ギャスラークさんが兜を脱いで、ニワトリと一緒に隣のゴブリンに渡す。
「この首やる」
ギャスラークさんが頭を下げた。
「………………は?」
『なっ!』
僕を始め、他のゴブリンやニワトリが驚く。
何を言い出すんだ、この人は。
「たぶんまあ、オイラを殺したら正気に戻るんじゃないかー?」
「戻るわけないだろ! こんなくだらない事で命を捨てるな!」
「そだねー」
「………………ぐ」
調子が崩された。
怒りで震えていた手が止まる。
脱力したせいか、急激な倦怠感に襲われた。呼吸するのも面倒になった。
「帰るぞ! この馬鹿者が! とりあえずは姉上に任せるのだ!」
ニセナに後頭部を叩かれる。
「ちっ」
腹が立ったので、ニセナの尻を思いっ切り叩く。
「ぎゃん!」
「………ニセナ、家に帰ろう」
興が削がれた。
「ギャスラークさん、その」
「謝んな。あと、家にその感情持ち込んじゃいかんぞぉ」
「はい」
踵を返して帰路につく。
背中にゴブリン達の視線を感じた。離れても尚、ずっと警戒心を感じた。
やらかした。もう関係は直らないかもしれない。
「おい」
「あん?」
半ギレしてるニセナに言う。
「悪かったよ。取り乱して」
「うわ、そなた謝罪してるのか? 気持ち悪っ」
酷い言われようだ。事実だけれども。
「謝罪ついでに言うが」
「はん?」
「疲れた。家までおぶってくれ」
「何を言うのだ、馬鹿者。自分で歩――――――」
僕は前のめりに倒れた。
「ソーヤ、冗談か?」
「いや、割とマジで一歩も動けない」
指一本動かん。
ニセナに引きずられ帰宅すると、テュテュと時雨も帰宅していた。
遅い昼飯を食べている治療術師のお姉さんもいた。彼女は、呆れられながら僕の診察をすると一言。
「過労ですね」
と、ベッドに寝た僕を診断。
「過労?」
「はい、過労ですね。心当たりは?」
「いえ、特に」
思い当たるような事は。
「倒れるまで何を?」
「冒険から帰って、店の手伝いをして、別件で地下に潜って、帰ろうとしたら倒れました」
「あ、はい」
めんどくさそうな顔で、お姉さんは水薬をベッドの上に並べる。
「この薬を食後に飲んでください。飲み切るまで冒険業はお休みを。冒険者組合の担当にも話を通しておきます。あと、絶対安静ですッ!」
薬の数が多い。三十個近くある。
「そんなに悪いですか?」
「悪いですね。今までも悪かったのですが、今が一番悪いです。体が急激に衰弱しています。体温は低く、脈も弱い。最悪死にますよ。いい加減に」
過労で死ぬとか、僕らしくて笑える。
「笑い事ではありません。本当なら治療寺院に監禁するところですが、あなたの場合は下手に閉じ込めたら抜け出して悪化しそうなので自宅療養で我慢しているのです。薬を、しっかり、飲んでください。普段からも! とりあえず今一本ッッ」
「………………はい」
凄い剣幕で叱られ、水薬の瓶を差し出される。
連続で叱られてヘコむ。情けない気持ちのまま、コルクを抜いて水薬を一気飲みした。
「ッッッッ」
不味いッ、今までの薬で一番不味いッッ。
猛烈な苦味に喉と胃を焼く辛さ。だというのに、後味は甘ったるく苦くなった唾液と混ざって吐き気を催す。不味すぎて目の奥が痛い。耳鳴りもした。呼吸が止まりそうになる。
この薬で死にそうなんだが。
「良き薬は不味いのです。不味いのが嫌なら、美味しい物を食べられるように早く健康になってください」
「はい」
僕は、この人に常に叱られている気がする。
「ところで、その左目はどうなされました? 虹彩の濁りが消えていますね。まるで急激に治ったような。いえいえ、そんな馬鹿な」
「ああ、なんかダンジョンで治してもらいました。いや、貰ったのかな?」
「………………あ、はい」
お姉さんは部屋から出て行く。入れ替わりで榛名とテュテュが入ってきた。
「パッパー!」
「ああ、よしよし。お前毎回これやるのね」
ちょっと別れてただけなのに、榛名は熱烈に首に抱き付いて来る。
「ソーヤさん」
「すまん、テュテュ。何か体調崩した」
一緒に部屋に入ってきたテュテュは、ニッコリ笑いながら怒り、
「今回は完治するまで家から出さないニャ! ハルナ、パパが逃げようとしたらこの鈴を鳴らすニャ!」
「ハルナ、りょーかいッ!」
榛名に呼び出し用の鈴を渡した。こいつが監視とは、割と手強い気がする。
ぷんすかテュテュと入れ替わり、エアが部屋に来る。
「倒れるとか、鍛え方が足りないんじゃない? ほら、これ食ったら」
彼女は手にした皿を差し出す。
中華麺に、そぼろのような肉の盛られた料理。シンプルなジャージャー麺に似ている。
「どうしたんだ、急に」
エアが優しいとか珍しいな。
「肉味噌よ。お姉ちゃ――――――アタシの姉の味よ。何回も挑戦しているけど、今回は近付けた自信があるの」
「そうか」
フォークを手に取り、肉味噌を絡めて麺を食べる。
ピリ辛な味で、噛めばゴロゴロしたそぼろの肉汁が広がり旨味がプラスされた。ニンニクの風味が強く、食欲を促進させた。
美味い。美味いと思うが違う。
「どう? 美味しいでしょ」
「ショウガが足りない。ニンニクが多すぎる。辛い調味料入れすぎ。蜂蜜酒で甘味を付け足してくれ。味噌が足りていない。味噌の分量だが、肉の半分は入れた方が良い。仕上げにゴマ油を少し垂らすと尚良い」
「え?」
エアは、早口で言った僕をキョトンした顔で見る。
「あんたが何で………でも、それでちょっと作ってくるわ」
文句は言ったが、この肉味噌も美味い。
ガツガツと麺を食べて空の皿をエアに渡した。彼女は、どこか腑に落ちない様子で部屋を出て行った。
義妹と交代で妹が部屋に来る。
「あら、エア」
「あら、ユキカゼ」
と、すれ違いざまに二人は挨拶。
「腕の交換よ」
いつもの要件だ。
というか、榛名は僕に首に絡み付いたまま眠っていた。よく寝る子である。
「はい、調べなくてもわかるわ。また全損ね。今回は何と戦ったの?」
「伝説の剣士と、伝説の魔法使い。過去の強敵と、巨大ロボットみたいな木人に殴られたり、竜にぶん投げられたりもした」
「あんたの話は、どこまでが本当なのか測りかねるわね。アーマーも酷い状態だったし、直すのに時間かかるわよ。あんたの体調もそんなだし、まあ丁度良いのかもね」
工具を使って、雪風は僕の義手を外す。
「いつも悪いな」
アーマーも義手も、非常に高価な代物だ。僕もある程度は金を出しているが、全額の一割にも満たない。
それに専門的な技術。
思えば、僕が異世界に行っている間に、こういう技術を身に付けているとは流石な妹だ。雪風は秀才なのだろうか、努力家なのだろうか、両方なのだろうな。
「別に良いわよ。これが最後だし」
「最後?」
どういう事だ。
「何であんたがキョトンとしているのよ。目的の五十六階層まで後一つでしょ?」
「あ、忘れてた」
色々あって完全に。
「“忘れてた”じゃないわよ。あんた考えているの?」
「考えるって、何をだ?」
「冒険を終えた後よ」
「………………」
言われて頭が真っ白になる。
終わる? そうか、僕の冒険は次の階層で終わるのか。終わると言っていたな。
なら、終わるのだろう。
「ノープランな顔ね。一応、上級冒険者なんだから色々と勤め先はあるでしょ? 冒険者組合の組合員になるのも良いし、付き合いのある商会の用心棒とか、なんなら姫の護衛でも良いわ」
「なあ、このまま」
「冒険者を続ける、それだけは駄目よ。あんたは目的を定めて潜っていた。それを“なかった”事にしたら、延々と終わりなくダンジョンに潜り続けて人知れず死ぬ。絶対に駄目よ」
何も言えねぇ。
イエスもノーも口にできない。完全にフリーズした。
「最後の冒険の暇。せいぜい、死ぬほど考えなさいな」
「努力する」
体を治す時間に、嫌でも考えなくてはならないようだ。
僕がずっと逃げてきた思考の一つを。
「そうそう時雨、あんたが店手伝った事を喜んでいたわよ。引退したら、この店を手伝うのも良いんじゃないの?」
「そうか」
そういう未来もあるのか。
死ぬほど、考えてみるか。
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