<第三章:異邦人、最後の冒険の暇> 【09】


【09】


「えーお母様に会いたい~」

「さっき面会したばかりだろー、明日また会えばええさぁ」

「えーえー」

 ギャスラークさんに手を握られたフレイがごねて拗ねる。

「でも、あいつらは~?」

「こらー、人に指を向けるんじゃないんだなぁ」

 フレイは小舟に乗る僕らを指差し、ギャスラークさんに軽く怒られた。

「ソーヤ、わかっているよなぁ? 冷静になるんだぞ」

「わかってます。気を付けますよ」

 ギャスラークさんに釘を刺され船を出す。

 僕がぎこちなくオールを漕ぐと小舟は湖を進む。水はどこまでも澄んでいて、ゾッとする水底が見えた。

 湖の底には輝く黒い穴がある。日食の太陽のようだ。

 アレが何なのか知る者はいない。落ちれば誰も帰れない事だけが事実だ。

「姉上、ここから先は竜の力を絶対に使わないでください」

「何故でございますか?」

「奴に奪われます」

「奪う?」

 ニセナの警告にステラは疑問符を浮かべる。

「奴は力を喰らうのです。聞けば、炎教の秘儀すら飲み込んで力にしたとか」

 レムリアを焼き尽くそうとした老人を思い出す。

 殺された信者の報復で無関係の者まで街ごと焼き払おうとは、あれは炎教の闇だ。

 思えば、それすらもラザリッサの計画の一部だったのか、もしくはレムリア王のか。

「ふむ、おかしいでございますね」

 僕としてはステラの口調の方がおかしいが、今更だけど。

「封が完全に解けたのなら、余所から力を奪う必要などございません。好きなように暴れて目に入るもの全てを焼き払い、その灰を舐め尽くした後、破滅の翼を広げる事でしょう」

「おい、ステラ。アレは一体何だ?」

 無貌の王が関係している事は知っている。

 しかし、他の情報は霧を掴むような曖昧なものしかない。

「当方達の姉のまた姉、いえそれよりもきっと前の姉から、竜はずっと同じ失敗をしているのでございます」

「失敗だと?」

「人との関り。ラザリッサは、その最たる悪例でございます。勇者の始祖、豊穣の神ギャストルフォの伝説とは、打倒した魔王と魔獣の血肉を使い。不毛の地であった中央大陸の南部に、豊穣という奇跡をもたらした事に始まります」

「中央の南って、確か炎教の生誕の地じゃ」

「ええ、豊穣の土地には人々が集まり、エリュシオンに並ぶ大国になったのでございます。残念ながら、内乱と戦乱により大災害が発生、災火は国と民を一瞬で溶かし、跡には硝子と砂しか残りませんでした。その破壊を見たロブは、炎教を作り上げ人々を焼いた火の一部を祀り、浄化せんと祈りながら灰にまみれて死んだとか」

「その話のどこに裏がある?」

「ギャストルフォは、魔王など倒していないのでございます」

「そこからか」

 割と最近もそうだったけど。

「ギャストルフォの血筋は、多くの神媒を産んできました。多くの者が神に愛されていたのございます。ですが、良き神だけに愛されたわけではなかった。悪しき神に魅入られた者が魔に堕ち、かの者を身内が処分した。その逸話が時を経て、今の勇者と魔王の物語になったのでございます」

「そうでございますか」

 歴史は繰り返す、だな。

「つまり、“打倒した魔王と魔獣の血肉”それからもたらされた【豊穣】の正体とは?」

「魔王は堕ちたギャストルフォの血肉でございます」

「で、ラザリッサとの関係は?」

 まだ関連は見えない。

「出会いまではわかりません。人の浅ましい願いを叶え続けるギャストルフォに、ラザリッサは惹かれたのでしょう。その身を捧げるほどに」

「魔獣ってのは、竜の事か」

「ええ、そうでございます。魔に堕ちたギャストルフォ、そしてラザリッサ、この二つが豊穣の奇跡の正体。堕ちた者の悪行を隠す為なのか、もっと複雑怪奇な感情なのか、熱病のようなひと時の感情なのか、ラザリッサは人に身を捧げたのございます」

 人を癒そうとした竜の話を、竜狩りの神に聞いた事がある。

 卑しい感情で人に寄り添った青い竜の話も知っている。

 だがしかし、これはそこで終わらない話だ。

「繁栄した豊穣の地には、魔法使いが集まりました。若き日のロブ、ワーグレアス、ガルヴィング、彼らの師である【無貌の王】」

 悪巧みしそうな連中が集まってる。

「彼らは【豊穣】の仕組みを解明し、ギャストルフォ達にラザリッサを蘇生させたのです。建前では勇者の罪滅ぼしの為、そんなところでしょうか」

 無貌の王は勇者をそそのかして、ラザリッサを作らせた。

 ラザリッサ本人の言葉だ。

「蘇生された竜は、竜ではなく小さい獣人の少女でした。竜としての力は完全に封じられた、少しばかり強いだけの人間でございます。人となったラザリッサは、長くギャストルフォに仕え影から支えていた。血筋が終わるまで支え、彼女も終わるはずでございましたが………………」

「無貌の王は、ラザリッサを世界を喰らう魔獣と言っていた」

「それは、おかしいでございますね。当方も竜であるが故に言えますが、竜にそこまでの力はございません」

「なら後は――――――」

 小舟の先が盆に当たる。

「本人に聞くしかないか」

 浮いた盆に降り立つ。不安定な場所で、軽い衝撃でも揺ら揺らと動く。

「あら、知った足音が二つと、もう一人は誰かしら?」

 盆の真ん中には、手足を鎖で繋がれた女がいた。胸の開いた黒いドレスの女だ。

 褐色の肌に、黒い長髪、ツインテールのような黒い二本の角、蛇のような尻尾が見える。

 女の鎖は盆に溶接されていた。この鎖はドワーフ製の合金で、竜でも破壊するのが難しい代物だ。

 引き千切ろうと暴れれば、盆はバランスを崩して湖の底に落ちる。

 保険として、湖畔に設置された巨大なバリスタが女を狙っていた。

 もう一つ最終手段として、この渓谷に洪水を起こす仕掛けがある。

「お久しぶりでございます、ラザリッサ」

「あら、この声はもしかして、ステラ様?」

 旧友との再会のような雰囲気。

 僕らはラザリッサに近付く。念の為に僕は前を歩いた。竜二人が喰われたら事だ。

 五メートルの距離を開け、二人を止める。

「ラザリッサ、その目は?」

 女は包帯を巻いて両目を隠していた。

「酷い男に切り裂かれました」

「次は舌を切り取るぞ」

「あなた思ったよりも下衆な男でございますね」

 ステラが心底失望した顔で僕を見る。

 こいつの性悪に触れれば冷静でいられるものか。

「それで、ソーヤ様。わざわざステラ様まで連れて何用ですか? いい加減、劫火を渡す気になりましたか?」

「そんなわけあるか、てめぇに渡すくらいならドブに捨ててやる」

「あらあら、人類最初の魔法使いが、生涯求めていたモノをドブのゴミ扱いですか」

「お前のようなクソッタレが求めるものは、ドブのゴミが相応しい」

「止めよ」

 ニセナに肩を掴まれた。

 気付かぬうちに前に出ていた。

「ほほう、これがエリュシオンの王子に現れるという銀の剣でございますか、なるほど呪いの一種と考えれば屠った者に移るのは必然ですね」

 ステラには剣を奪われていた。指を鳴らして銀剣を消す。

 だから手癖よ。

「賑やかですね。白鱗公もソーヤ様によく飼い慣らされたみたいで」

「………………あ゛?」

 僕が呆れるほど、ニセナが一瞬でブチ切れる。

 後頭部を叩かなかったら、竜になっていただろう。

「ステラ様もソーヤ様に飼われるおつもりで? それとも、昔の男を忘れて情婦になるおつもりですか?」

 女の挑発に、ステラはキョトンとした顔で答える。

「え? この男のどこに魅力が?」

 流石に傷付くんだが。

「流石、ステラ様。よくわかってらっしゃる。こんな男を愛する女は、犬とでも寝るような淫乱か、豚に犯されて喜ぶような変態でしょう」

「僕の女を侮辱したな」

 女の首をへし折ろうと手を伸ばす。

「止めぬか!」

「見苦しいでございます」

 ステラとニセナに両肩を掴まれた。

 人の姿とはいえ竜は竜だ。二人がかりだと抵抗が難しい。

「そういえば、白鱗公。あなたが気に入っている女狐の娘はいつ喰らうのですか?」

「何を言うのだ。こなたは子供など食わぬ」

「食いますよ。愛しければ愛しいほど、竜は人を喰らうのです。ソーヤ様、竜に子守りをさせるのなら覚悟――――――」

「黙れ、人の家の事情に他人が口を出すな」

 うちの馬鹿竜が子供を食うようなタマかよ。

「珍しく信用しているのですね。人に馴染めず、亜人種ばかりと気が合うあなたが………ああ、そうだからこそ竜というケダモノと気が合うのですか」

「お前とは心底気が合わないけどなッ!」

 一発殴ろうとするが、竜二人は更に力を入れて僕を阻む。

「やれやれ、これでは話にならないのでございます」

 ステラは呆れているが、知った事ではない。

「姉上どうしますか?」

「一旦引き返しましょう。馬鹿な男を地上に置いて、当方二人でラザリッサと話します。フレイの事も気になりますし」

「ステラ様、お嬢様に会ったのですね。お可愛いでしょ? 本当なら元の形で産んで差し上げたかったのですが、あまりにも前と同じ姿だと関りのある者が目にした時、錯乱して襲う事があるのです。丁度、そこの男がそうだったように」

 盆が震える。

 空気と湖畔が揺れていた。

「ソーヤ、火をしまうのだ」

「………………ッ」

 焦げ臭い。左頬に火の熱さ。意識していないのに劫火が溢れていた。

 路地裏、猫、鐘の音、夕暮れ、夜の草原、月、ミスラニカ様を思い出す。

 思い出すと、心の奥に火が戻る。

「ふっ、ふっ」

 だが、心臓が破裂しそうなほど動いていた。今すぐにでも、目の前にいる女を八つ裂きにした獣性が僕を駆り立てる。

 邪魔をする二人の女諸共。

「妹よ、急ぐでございます。この男、狂相を浮かべていますよ」

「はい、急ぎましょう」

「あら、お早いお帰りですね」

 食い殺したい女が、鎖を鳴らしながら手を振る。

「ソーヤ様、最後に一つだけ。“奥様”の柔らかい下腹と豊満な胸は、格別な味でございましたよ」

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