<第三章:異邦人、最後の冒険の暇> 【08】
【08】
階層を降りる。空気に混じる湿気が強くなった。
水気が嫌なのか、ステラが顔をしかめている。
長い階段を降り切ると、広がるのは太陽のない渓谷。
黒い岩石地帯と光る苔やキノコ。遠くには滝が流れ、その水は岩を侵食して幾つもの小川を作り出していた。
羽虫や、カエル、川を泳ぐ魚すらも発光して周囲を照らしている。
ここは、ゴブリン大渓谷。彼らの水源地でもある。
「ほほう、これは珍しい」
ステラはメモ用紙と羽根ペンを取り出し、周囲の情景を書き記す。
「よそ様の土地だ。粗相するなよ」
僕が注意すると同時、静かな気配が降り立った。
出迎えてくれた三人のゴブリンは、全員大きな兜を被って穂先の光る槍を携えていた。
そのうちの一人、兜の上にトサカの大きなニワトリを置いた人物が前に出る。
「なんだー急に、客連れて来るなら先に言えやー」
「すいません、ギャスラークさん」
「まあ、ええけど。ソーヤ、白鱗公、何用かー?」
「こいつに、ラザリッサ見せたいです」
僕はステラを指差し。
兜越しでも、ギャスラークさんが嫌そうな顔をしたのを感じた。
「申し訳ない。急な話で」
「いや~ラザリッサを知らん奴に合わせるのもそだけど、ソーヤとラザリッサを合わせるのがイヤなんだがー」
「………………」
前回、少々取り乱したのが印象を悪くしたようだ。
「小勇者よ、安心せよ。この女性はこなたの姉だ。ソーヤが馬鹿をやったら二人がかりで取り押さえる」
と、ニセナが言った。
「うーむ、竜二人ならソーヤ止められるかなぁー?」
「はっはっはっ」
「何がおかしいッ」
笑ったらニセナに怒られた。ステラは疑問符を浮かべている。
「んまぁ~案内はするけど、次面倒起こしたらソーヤは出入り禁止だぞー」
「気を付けます」
気を付けたい。
風のように二人のゴブリンが消えて、ギャスラークさんが一人で僕らを案内する。
何度見ても幻想的な場所だ。
原始的な岩と苔、水の風景。生物や、植物は淡く優しく光っている。月のような穏やかな光で心が落ち着くのだ。
僕のような日陰者は、こういう場所の方が住みやすいのかもしれない。
「そこな、白鱗公の姉君」
「何でございましょう?」
ギャスラークさんが、前を見たままステラに話しかける。
「ポケットに入れた虫は帰りに離してやるんだなぁ」
「こら、ステラ」
「珍しい品種だったのでつい。標本にしたりはしませんよ? 虫かごに入れて飼おうかと」
「ここらの生物は、ここでしか生きれない。外に出したら死ぬんだなぁ」
「むぅ、それは仕方ありません」
ステラは渋々ポケットから光虫を放す。
十匹近くいた。姉妹揃って手癖が悪い。
「それはそうと妹よ。この御仁を小勇者と呼びましたが」
「はい、姉上。この地下世界の住人は古い時代の勇者の血を引いています」
「古い勇者。【小勇者シュペルティンク】の血でございますね。たった三人で海洋の幻獣を退けたという。では、この方々は滅びた小人族の末裔で?」
「そうなるなぁー」
そういう伝説があるのか。全く知らなかった。
「ほーほほー」
ステラは興味津々でメモに書き記す。
「小勇者の御仁、小勇者といえばお供の【勇者の守りグランドリヒ】、【勇名の始祖グランブルマイヤー】も有名でございます。その二人は美男美女のヒームだと記されています。ですが、前後の文章に改ざんされたような跡がございまして、本当でしょうか?」
「二人共エルフだぁ、事情があって身分を偽ったけどなー」
「ほうほう、その事情とは?」
ステラがギャスラークさんに詰め寄って根掘り葉掘り聞く。
ギャスラークさんが嫌そうではないので止めない。隠れた英雄譚は誰かに知られるべきだと思う。英雄は人に知られてこそ英雄なのだ。隠れた者は悲しい英雄だ。
ギャスラークさんとステラの話を耳に入れながら、淡い渓谷を進む。
三十分ほど時間が過ぎ、目的地が見えてきた。
湖だ。
湖底から強い光を放っている湖。
目が良いものなら、その中心に巨大な盆が浮かんでいる事に気付く。鷹の目を持つ者なら、そこに拘束されている女の姿も見えただろう。
「あそこは何でございますか?」
「この大渓谷の水溜まりだぁ。んで、底なしの湖でもあ~る。落ちたら奈落や、深淵に行くらしいぞ~」
「まあ、恐ろしい」
ステラは嬉しそうだ。
竜にとっては恐ろしいものすら興味の対象のようだ。
「ソーヤ」
「ん?」
ニセナに肘で突かれた。
「何度も何度も言うが、やつの挑発に乗るでないぞ」
「了解だ。安心しろ」
「そう返事をして前回はどうなった?」
「軽く取り乱してしまった」
「軽く?」
脇腹を殴られた。本調子のニセナのパンチは鎧なしではキツイ。
「前のようにはならない。明日の夕飯の………付け合わせを賭けよう」
「不安ッ!」
一番不安なのは僕なのだが。
「姉上、こなたが合図をしたら馬鹿男を全力で押さえます。協力を」
「理解でございます。殺すつもりで押さえます」
それで死ねたら僕は僕で幸せな生き物だ。
「オイラからも頼むぞー」
ギャスラークさんまで。いやはや、失った信用を取り戻すのは大変だ。
弁解という名の中身のない言葉を吐きながら歩く。
湖の前まで来た。
来たと同時に、
「グェ!」
ニセナが鳴いた。
「おば様!」
「こ、これ苦しいぞ」
ニセナの首根っこには、榛名と同じ年くらいの幼女がしがみついていた。
子供用の赤いドレスを着た。癖のある長い金髪の子供。彼女には、両の側頭部から黒い角が生え、スカートからは大きなトカゲの尻尾が見える。
特徴だけは獣人のもの。
問題は中身。
「これこれ昨日も来たであろう? そんなに騒がなくとも」
「嬉しいものは嬉しいですもの!」
犬のようにトカゲの尻尾が動き、ステラにバシバシ当たる。
意外にもステラは平静である。もしかして、子供好きなのか?
「妹よ、いつの間に繁殖を」
「血縁ではありませぬ、姉上」
血縁ならまだ良かった。
「この子は――――――」
「あ! お前、帰れ!」
ニセナの説明を遮り、子供は僕に木の実を投げつけた。
僕は目を逸らして木の実をキャッチした。黄色く程よい硬さの実。食べられるやつなので齧る。
「ッッッ」
昔もらった滅茶苦茶酸っぱい実である。
「へーんだ! お母様をいじめる奴は酸っぱい目にあえ!」
「へぇへぇ」
子供のしてやったりな声。
苦手な相手だ。たぶん一番苦手だ。そもそも、僕は子供が苦手だ。
「で、妹よ。誰で? 何となく知り合いに似た顔なのでございますが」
「この子は“フレイ”です。姉上。勇者、フレイ・ディス・ギャストルフォ」
そう、竜に食い殺されたはずの勇者様だ。
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