<第三章:異邦人、最後の冒険の暇>


《第三章:異邦人、最後の冒険の暇》


 気付くと青い階層にいた。

 青い結晶の階層だ。

 とてつもなく広く、遠くが水平線に見える海のような青さ。

 僕の前にある二つのポータル以外、他に何もない。

 ポータルの一つに手をかざす。

 光の変化で、これがいつもの帰還、再開用のポータルとわかる。

 もう一つは手をかざしても反応がない。つまり、次の階層に続く物だ。

 次は、間違いがなければ、五十六階層だ。

 目的の階層、最後の階層、最後の謎が待っている。

 一歩進めばそこに行ける。

「ッ」

 たった一歩だというのに、足が重たくて動かない。

 汗が噴き出て体が震える。ワイルドハントの後遺症かと思ったが、さっきの代償はアールディの生命だ。僕に影響が出ないからこそ、彼は僕に結晶を渡した。

 振り絞れば余力はあるはずだ。最後に、もう一階層降りる程度には。

 視界が歪む、呼吸が荒く苦しい。吐き気がして、冷たい汗が流れる。

 何だこれは。

「ガンメリー、メディカルチェックを」

『――――ズ―――ジ』

「おい?! ガンメリー!」

『そ―――――や、再起―――――ア』

 ノイズが流れた後、兜のディスプレイが暗転した。アーマーのパワーアシストも切れる。

 機能していないアーマーは、ただの重い鎧に過ぎない。合わせて体の異常。これでは戦闘は到底無理だ。

「帰るしかないか」

 兜のバイザーを上げて視界を確保。鈍重な体を引きずり、帰還のポータルに潜る。

 慣れた光の渦と無重力感、目を閉じ、開けると、冒険者達の行き交うフロアが見える。

 問題なく一階層に戻って来た。

「………………あれ?」

 気分が良くなった。

 呼吸も元通り、目眩もない。

 ぼっーっと突っ立っていると、ポータルから出て来た他の冒険者に凄い悪態を吐かれる。

 慌てて退いて軽く頭を下げた。

 朝の匂いがする。ついさっきまで真夜中だったのに、酷い時差だ。

「あれ、お帰りなさい。今日は早いですね」

「ただいま、エヴェッタさん。………ん?」

 赤子を抱いた僕の担当が歩いて来た。

 エヴェッタさん、頭部に二本角がある銀髪の女性だ。ランシール姫の妹でもある。

 彼女が抱いているのは、黒髪の赤子。獣人の子であるのに、尻尾も耳もない変な赤子である。しかも成長が遅い―――――というか“普通の人間”より少し早い程度だ。

「ほら~クナもパパに“おかえりなさい”言おうか~」

 エヴェッタさんは、国後に赤ちゃん言葉で話しかける。

 この光景に、毎回軽い苛立ちを感じてしまう。

「ぶぇ」

 国後は僕を見ると、梅干しを食べたかのようで顔で鳴く。

「ほら、ソーヤ。聞きましたか? “ぶぇ”ですって!」

「いや、意味わかりません」

 歓喜するエヴェッタさん。

 国後を世話してくれているのは本当にありがたい。だが、可愛がり過ぎてちょっと不安だ。僕が嫉妬しているだけなのかもしれない。

 ………………いや、違うよな。違うと思いたい。そんな息子に嫉妬とか。

「ところで、ソーヤ。帰還にしては早いようですけど、何か忘れ物でも?」

「あ、それだ。早いとは? 今回の冒険は、今までで一番長かったのですが」

「長い………………ですって? 組合長!!」

 何故かエヴェッタさんは組合長を呼ぶ。呼ばれた組合長は、うんざり顔で歩いて来た。

「何だ、エヴェッタ。まーたこの男が」

「組合長。【聖別】です。街中の治療術師を呼べるだけ呼んでください。それに、彼の身内。『冒険の暇亭』のシグレ、ハルナ、このクナシリにも治療術師を。ランシール姫にも使いを」

「すぐ呼ぶ。ソーヤ! お前はそこで待機しろ!」

「え、何?」

 ただならぬ様子で組合長が動く。エヴェッタさんが一旦引くと、冒険者組合の組合員が殺到して、僕は彼女らに担がれて二階層に移された。

 風呂場の隅にある重症治療用の部屋に移され、装備を全部剥がされた後、全身をくまなく調べられる。

「あー、そろそろ誰か説明を」

 全員殺気立って聞いても返事がない。

 運良く女性組合員ばかりで、それに体の隅から隅まで見られるとは、いやはや何とも言えない気分である。

 心を無にして状況に身を任せていると、組合長がやってくる。

「うわ、誰か何か着せろ。気持ち悪い」

「何だとこの野郎」

 喧嘩を売られた。

 隣にいた女性にストールをもらい股間を隠す。

「で、組合長。説明しろ。されるがままにしてやったんだぞ」

「わかってる。お前、五十階層に挑戦したのだな? 結果は?」

「成功だ。五十五階層に到着して戻った」

「どれだけ時間がかかった?」

「30日近くだ」

 組合長は顔をしかめる。

「記録を調べたが、お前がダンジョンに潜ってから“半日も経過していない。”」

「はぁ? 冗談を言うな」

 ガンメリーを調べたらわかるが、間違いなく一ヶ月近くダンジョンにいた。

「冗談ではない。たまにあるのだ。ダンジョンにいた時間と、戻って来た時間がズレるの事が。それを冒険者組合は【聖別】と呼んでいる。大昔、老婆に化けた悪魔が、聖者の祈りにより塩にされた伝説から名付けた」

「そういうのは後で良い。僕の身体に何が起こる? 僕の子供にまで影響あるのか?」

 僕は死んでも死なない自信がある。だが、時雨や榛名は不安だ。

 あ、国後も。

「だから、塩になるのだ。身体が全て」

「………………」

 いや、流石にそれは死ぬわ。

「個人だけではなく。子供、孫も同じく塩になる。前に見た時は悲惨だった。女が多い男だったから、十六人近くが父親と時同じくして塩になった」

「止める手立ては?」

「わからん。だから、お前とその家族の様子を記録させてもらう。次の犠牲者の為に」

 そりゃご立派な事だが、たまったものではない。

「治療する手段がないなら、僕は僕で動く」

「待て焦るな。もう少しだ」

 組合長は手元の砂時計を見ている。丁度、砂が落ち切ったところだ。

「ソーヤ、身体のどこかに不調は?」

「ない。疲労はあるが、そこそこ健康だ」

 組合長に目を覗かれる。口を開かれ見られ、耳や頭を触られる。彼は他の組合員から報告を受け、取り出したスクロールを見て、メモ帳に何か書き込み、軽く思案した後、

「問題ないようだな。エヴェッタの早とちりのようだ」

 組合員を解散させた。

 僕の股間のストールは、持ち主に無理やり奪われる。

「………………で?」

 全裸の僕と組合長の二人っきり。全く嬉しくないシチュエーション。

「あくまでも、塩化した冒険者の中にダンジョンにいた時間と、こちらの時間がズレている者が多かった、というだけだ。症状が症状だけに、エヴェッタの焦りは理解できる。急いてはいたが、間違った判断ではない」

 それは良いが。

「帰って良いか?」

「帰って良いぞ。しかし、身体に違和感や、お前の子供達に異常が出たら治療寺院に行け。こちらから話は通しておく」

「そりゃどーも」

 引っ剥がされた服とアーマーを再装備。被った兜を小突くが、ガンメリーの反応はない。これは雪風に診てもらわないと駄目だな。

「?」

 組合長がまだいる。

「ソーヤ、五十階層で何があった?」

「冒険者組合に記録はないのか?」

 質問を質問で返す。上級冒険者が秘密主義とはいえ、誰かしら記録は残しているはず。

「記録はない。昔から、五十階層から五十五階層の記録は“曖昧”になるのだ」

「は?」

「ある程度はわかるが、肝心な事は薄れてわからなくなる。珍しい事ではない。何かしらの神に嫌われる内容なのだろう」

 あの階層にあった認識阻害の影響か? 

 ダンジョンを離れても効果があるのか。

「無駄かも知れぬが、知る事に無駄はない。塩化の原因に、心当たりはないのか?」

「………………」

 あるにはある。

 その塩と化した冒険者達は、あの階層で関わりのある誰かと出会い。何かを変えた。変えた結果、自分が存在できなくなった。

 人と人の繋がりとは、何か一つ抜けても繋がらない危ういものなのか。

 しかし、僕の背には赤い魔剣がある。

 これがあって、僕が塩にならない理由を言葉にするのなら。

「警句を一つだけ。『未来に何かを残せ』だ」

 過去を変えるな、と前に付け加えるべきだろう。だが、僕にはそれを残す資格はない。それに、五十階層まで到達できた冒険者なら、この言葉で気付くはず。

「警句か。では、お前の名前で四十九階層に彫っておく」

「僕の名前は残さなくていい」

「そうだな。悪評を知る者が見たら疑うだろう」

 せやな。

「僕は帰るぞ」

「ああ、帰れ帰れ。それと、五十五階層到達おめでとう」

 用が済んだら、しっしと僕を追い払う組合長。いつも通りの態度に安心して、ダンジョンを後にした。



 久々の街を歩く。

 本物の郷愁と、セラ様と別れた喪失感が今になって襲って来た。どこかに、モフモフの猫がいるのではないかと路地裏を探してしまう。いるはずのない者を探してしまう。

 良くも悪くも、沢山の思い出がある街だ。

 路地裏から地下まで、知る場所は増えたが全てを知ったわけではない。まだまだ、知らない場所は多い。

 さまよい歩き。知らない場所に入り、知った場所に戻る。

 繰り返すうちに、ふと立ち止まった所は、最初の日に冒険者に銃をぶっ放した場所だった。

 壁や、石畳に弾痕を見つけた。

 あの日が、昨日の事のようにも、百年は昔の事のようにも思える。

「!?」

 かつて影を見た場所に何かを見た。走って角を覗くが、あったのは割れた壺。猫には似ても似つかない。

 目が二つあるのに幻を見てしまうとは、疲れている。女々しい。

 それに腹が減った。

 家に帰ろうか。

 冒険の暇亭には、目を瞑ってでも帰れる。実際、冒険の疲れで熟睡しながら自然と帰っていた事がある。

 空腹と疲労、合わせて重たい鎧でフラフラになりながらも、気付いたら帰宅していた。

 珍しく客の姿はない。

 時刻は、午前10時辺り。この店で最も忙しいお昼まで後少しだ。

 裏口から店に入ると、

「パパ! おきゃーり!」

 音速で榛名がタックルして来た。まるで、一か月ぶりかのような反応。

「ただいま」

「にひひひひ」

 抱っこすると、榛名は尻尾を振って満面の笑みを浮かべる。

 ああ、帰って来たのだなぁ、という実感が沁みる。

「あれ、忘れ物?」

 麺棒を持った時雨も出て来る。

「いや、帰りだ」

「早ッ、冒険者クビになったか?」

「なってないなってない。変わりはないか?」

「別に、いつも来る治療術師のねーちゃんが同僚連れてパン食べに来てたくらい」

「なら良い」

 プロだな。子供を不安にするような事はしないか。

 野菜の入った籠を抱えて、地下からテュテュが出て来る。

「あら、ソーヤさん。お早いお帰りニャ」

「割とね」

 食材をキッチンに置いたテュテュは、耳にキスをしてくれる。いつも通り、彼女の獣耳にキスを返す。

「パパ、ハルナも!」

「はいはい」

 榛名の獣耳にもキスを。

 イチャイチャしていると、これもいつも通り時雨は白い目で見て来る。

 何も変わらない普段通りの日常だ。

 しかし今日は、

「れ?」

 時雨が声を上げて屈んだ。弾みで麺棒が床に転がる。

「時雨どうした?」

「シグレどうしたニャ?」

「別に」

 問題ない、と時雨は調理台に手をかけて立ち―――――上がれなかった。

「あれ………………足が動かない」

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