<第二章:ヴィンドオブニクル> 【16】


【16】


 穏やかな夜に目を覚ました。

 少しだけ心の火が小さくなった気がする。

 それに怒り、怒り、火を灯し、深く呼吸を一つ。

 立て掛けた剣を手に、ベッドから抜け出た。

「?」

 寝間着の袖を引っ張られる。見ると、彼女の手がそこを掴んでいた。

「すいません、起こしましたか?」

「………………」

 小さな声で聞く。返事はない。彼女はまだ夢の中、幸せそうな顔だ。

 彼女の指をそっと外す。

 我が神となる少女の手を、両手で包み祈る。

 短い時間に、思いの全てを込める。祈りに重要なのは時間ではない。思いの強さだと、僕は実感している。

「行ってきます。ミスラニカ様」

 着替えを済ませて、装備を装着。寝巻きをベッドに畳んで置く。気付いてもよさそうなのに、アールディもスヤスヤと眠っていた。

「ガンメリー、行こうか」

『了解した』

 隅で待機していたガンメリーに入り込む。ディスプレイに一瞬だけ映ったアーマーの状態は、六割ほど赤かった。僕も十全とは言えない状態。

 バックパックを背負い。巨人頭部の窓から身を乗り出すと、足元に巨人の手がある。

 乗ると、丁重に草原に降ろしてくれた。

「世話になった」

「………………」

 名もなき木の巨人は何も言わないが、手についた若枝を差し出す。

「くれるのか?」

「………………」

 返事はないが、くれるなら頂く。若枝をもぎ取り布で包んでバックパックに入れた。

 軽く頭を下げて歩き出し、一度振り返ると、巨人は大きな手を小さく振っていた。僕も手を振り返す。

 慣れ親しんだ草原を歩く。

 郷愁と焦燥の風景。

 偽物の世界でも、湧き出る感情は本物だ。

「ガンメリー、大丈夫か?」

『アーマーなら問題ない。後、一度は戦闘に耐えられる』

「一度か」

 厳しいな。

 それでなくとも前に戦った時は、陛下がいた。

 ラーズに、リズに、魔王様の助力もあった。友の魂と、その師と、僕が最初に殺した英雄の力もあった。

 全ての絆を使い。それでも届かなかった。

 勝てたのは幸運と、彼女の歩んできた数奇な運命の導き。

 今の僕には何も―――――――いや、そんな事はない。今の僕には、今の僕にしかない力がある。“何もない”などと己を卑下するのは、彼女を侮辱するのと同じ。

『宗谷、勝機はあるのか?』

「何とも言えない。だが、負けるつもりはない」

『負けなければ永遠に勝機はあるな』

「そうだな」

 これまでそれで勝ち進んできた。

 義手を動かす。

 反応は悪くないが、キシキシと指の関節が鳴く。ここに来てからの無茶な戦闘と訓練で、義手にガタがきていた。

『帰ったら、雪風に左腕を見てもらうのだ。吾輩の応急修理では限界がある』

「腕は何回持つ?」

『本来の性能では一回だ。その後は、期待しない方がよい』

 そいつは厳しい。居合いの感覚は取り戻せたが、あれは繊細な技なのだ。体調や、バランスが少し変わっただけで難しくなる。

 達人と呼ばれる人間なら、どんな状態でも技は揺るがないのだろう。だが、僕のような猿真似凡人には厳しい。

『劫火はダメなのか? 理論上、世界すら焼き払える火であるぞ。如何に―――――』

「駄目ではない。一度なら焼き殺せる。“一度”ならな」

『復活する可能性があるか』

「劫火の理解が深まった今なら、もしかしたら奴の不死性を滅却できるかもしれない。しかしそれは、最後の賭けだ。セラ様に治療してもらったが、劫火を使えばその治療は全て消える。僕は立っているのがやっとの半死人に戻る。まな板の鯉だな」

『最後の切り札であるな』

 前の劫火では、放浪王は殺しきれなかった。だが放浪王のように、その力を簒奪できれば勝機はある。

「火は揺らぐ。僕の意思や、知識、理解によって。今の僕が使える劫火は、恐らくは本来の力の何百分の一、いいや何万、何億のほんの小さな一片に過ぎない。それを――――」

 いや、それこそ付け焼刃で自分を焼くな。

 生身の王子なら、あの兎を使えば何かしら揺さぶるチャンスが、いやいやそれもない。

 兎はいない。王子も生身ではない。

『らしくないのである。宗谷はもっと出たとこ勝負で腹を括る男なのだ』

「そう言われてもな」

 僕は小物で、今はあの時とは違う。何もかも違うのだ。

 が、同じものもある。

「何の用だ?」

 空に魔法使いがいた。

 杖に腰かけた魔法使いだ。前と同じように草原の空に浮いて僕を見下している。

「あの枷をどうやって外した?」

「秘密だ。言うわけないだろ、バーカ」

 左目で、老人に化けた黒いエルフを睨み付ける。

「ならば、もう一度枷を。否、傀儡にして劫火を灯すだけの燭台にしてくれる」

「笑えるなぁ、大魔法使い。お前は“前も”そうやって、空から僕を見下していた。今ならわかる。お前は、地を這う僕らが怖くて怖くて仕方ないのだ。どんなに相手を見下そうとも、同じ目線で人を見れない臆病者め」

 ガルヴィングから、静かで猛烈な怒りを感じた。

 魔法使いは何も言わない。何も言わず、夜空に太陽を作り出した。

『怒らせる事には成功したな。で、この後は?』

「試したい事がある」

 この二つの目なら本質が見えるはず。世界の全てに潜むものを、それを認識した今なら、この手で掴めるはず。

 太陽と見まがう巨大な火球が落ちて来る。

 アールディと戦った時の、居合いと同じ感覚を蘇らせる。

 僕は目を閉じた。視界は闇に、心は奥底に、魂で深淵を覗く。

『あれをくらっては、アーマーごと蒸発するぞ』

「問題ない」

 深く、深く、世界の裏側に潜る。

 実時間にしたら二秒もない。だが、体感では数時間。無数の暗い世界を見た。獣を殺す者が持つ金の瞳で【蛇】を探す。

『宗谷、回避行動を推奨する』

「落ち着け、ガンメリー。ただ“在る”だけの物質は無理だろうが、過ぎ去った世界の記憶を再現する“魔法”と呼ばれる不完全な現象なら―――――――」

 無明の中に蠢く何かを見た。

 目を開く。

 右手を伸ばし、見付けた“それ”を確かに掴む。

 手甲をすり抜け、指先に細い紐のような感触。驚いた“それ”は、僕の右腕に巻き付いて万力のように締め上げた。やはりアーマーをすり抜け、僕の身体に直に圧力をかけている。

 構わず、世界の裏側から蛇を引っ張り出す。

 蛇の身体は、黒い鎖のようだった。もしくは二重螺旋と言うべきか。

 引けば引くほど、蛇の細く長い身体が世界に出現する。

 僕の手元から空間を走り、巨大な火球へ。

 まるで、黒い鎖が火球に巻き付くように見えた。その実は逆、この鎖は火球そのものである。

 長く伸びた蛇を踏み付け、一際大きく引くと、ガルヴィングの祈りで作り出された火球は、それを構成していた蛇を“解かれた”影響で霧散する。

「何を、やった?!」

「お前には理解できない。生涯理解したくない事だ」

 手を離すと、蛇は世界の裏側に帰る。

 ガルヴィングに蛇は見えていなかった。そりゃそうだ。人間、見たくないものは見ない。

 こんなものが、魔法や奇跡の正体とは。それを信仰する魔法使いには、絶対に理解したくない事実だろう。

「ならば!」

 ガルヴィングが更に魔法を繰り出そうとし、

「やめとけ」

 飛んできた魔剣に杖を断たれ、地に落とされた。

「ッ、邪魔をするな! アールディ!」

「邪魔してんのはお前さんだろ」

 突如現れた騎士は、あくび混じりで魔法使いに言う。

 着地の仕方が不味かったのか、ガルヴィングの足は折れていた。杖も手の届かない所だ。こうなると、哀れな老人にしか見えない。その姿も偽物であるが。

「邪魔だと?! 我らの悲願がそこにあるのだ! 求めぬ理由はない!」

「大魔法使いの名が泣くぞ。俺達の旅の理由は忘れたのか?」

「呪いの浄化は、劫火があればできる! 奴の中にいる獣を御すれば全てが変わる!」

「本質を違えるな。俺も、妻も、呪いにより獣となる者達を“救済”する為に旅に出た。それはつまり、未来を救う為の旅だ。その未来の芽を摘むのが、救済の手段など俺は認めん」

「貴様が認めなくとも!」

「憑かれているな。世の英知を知る者が、玩具を欲しがる子供のように喚くな」

「憑かれているのは貴様だ! 子ができた程度で人になったつもりか?! 英雄の皮を被った化け物の癖に!!」

 魔法使いが地雷を踏んだ。

 アールディの化けの皮が剥がれるのを感じた。

 飄々とした人間臭い男だと思っていたが、その実は王子と同じ。世界が凍るような威圧感で魔法使いを黙らせる。

「おい」

「なんだ?」

 そんな威圧感で、アールディは僕に話しかけてきた。

「この大馬鹿は俺が押さえておく。お前は成すべきを成せ」

「礼を言う」

「やめろ、気持ち悪い」

 魔法使いは騎士に任せ、僕は草原を進む。

「ああ、忘れてた。やるよ」

「?」

 小銭でも渡すかのように、アールディは僕に魔剣を投げて寄越した。

「は?」

「お前の鎧だか、兜だかに欲しいと言われてな。必要なんだろ? やる」

「やるって、そんな簡単に。これから先、必要な物だろ?」

「いらん。まだ二つもある」

 だが、その一つは子に託す。残った剣では、あいつに勝てないのだ。

「受け取れない。あんたには結晶も貰った。これ以上は」

 魔剣をアールディに投げ返した。

 騎士は受け取るが、草原に突き刺す。

「お前が進めなきゃセラが困る。母親に良いとこ見せてやれ」

「………………」

 人の弱い所を的確に突くな。

『宗谷、あれは絶対に必要だ』

「あれ一つでどうにかなるのか?」

『なる。絶対になる』

 ガンメリーも後押ししてくる。

「使い終わったら返す」

「無意味だ。そのまま持て」

「あんたが困るんだよ!」

「そんな事はない。お前が何を気に病んでいるのか知らんが、そいつはもう起こった事だろ? 気にするな。俺としては、お前が子供とは思えない。だが、何か残すべきだと直感している」

 この選択で未来が、過去が変わるかもしれないのに。僕の口からは何も言葉が出ない。決意した人間を揺さぶるような言葉は何も出ない。

「さあ、呼んでみろ。それが届かないのなら俺も諦めよう」

「………………」

 少しの迷いの後、魔剣に右手を伸ばす。

「アガチオン」

 呼ばれ、魔剣は吸い付くように手に収まる。十年来の愛剣のように手に馴染む。

「行け。ここで見ていてやる」

「………………世話になった」

「やめろ、気持ち悪い」

 しっしっと手で追い払われる。

 アールディに背を向けて僕は再び歩き出した。まっすぐ敵の元に。

 草原の終わり。

 かつて戦った戦場に、一つの影が腰をかけていた。

 思った通り、予想通り、奴の影だ。何かしらの間違いで別の影なら良かったのだが、最悪な事に紛れもなく奴だ。

 影は、僕に気付くと亡霊を生み出す。

 獣と人の混ざった軍団。それも黒く、輪郭が曖昧な不安定な影。百、二百と、次々と影は生まれ、もうしばらく待てば草原を覆い尽くすだろう。

 まともに相手をしたら簡単に押し潰される。

「ガンメリー」

『任せろ宗谷、一撃で決めるぞ』

 手の魔剣が振動する。

『主機接続。分子再構成開始』

 ディスプレイに見た事の無い表示が次々と浮かぶ。

「まさか、ガンメリー。イゾラのやったあれを?」

『そのまさかである。だが、吾輩は銃などという女子供の武器は作らんぞ』

 ガンメリーは謳う。

『聖なるかな、聖なるかな、我がカデンツァにより、今一度奇跡の寄る辺となりたまえ。この栄光を閃光とし、万軍を掃う大剣を創りたまえ。ホーリーグレイル! マクスウェルの詠唱により、小鳥は謳い! 花は咲き乱れ! そしてこの一振りにて、世を平穏に導かん!』

 赤い刃が砕け散り、周囲に舞う。

 だが、刃は収束する。黒い、何もかも飲み込む刃となって。

 黒い光の剣。

『これぞ、我が最大最小の必殺兵装。対惑星捕食生物殲滅決戦兵器・重力子外殻構成物質・空間裁断用ディメンションワ――――――』

「長い。短くしてくれ」

『グラビティブレードだ』

「何か普通だな」

『本来の威力の六億分の一であるが、シールドを造る余力がない為、人間の身体を軽くバラバラにする余波が出る。宗谷、あれを使わないと即死するぞ』

「もう少し僕を労われ!」

『信用している』

 舌打ちして、アールディに持たされた結晶を左手で握る。

 二度と使うまいと思っていた力。

 二度と使えないと思っていた力。

 どの道、これが―――――――

「我が神、暗火のミスラニカよ。我は人の呪いを食み、糧とし力とする者。汝、唯一の信徒なり。ラ・ヴァルズ・ドゥイン・ガルガンチュア。我ら、旧き血の始原を永劫に憎まん。怨嗟の響きと呪いの声を持って、我はケダモノを呼ぶ。女神よ、狼よ、この身にその力を。我が神よ、魔を清め罪を許したまえ。我は人の身のまま獣を宿す。人のままヒトを狩る。明けぬ夜はなく、覚めぬ夢もなし。災いの忌血とて、いつかは涸れ絶える。そして最後の、狩人の夜よ来たれ!」

 結晶が砕け、緑光が満ちる。

「イゾラ・ロメア・ワイルドハント!」

 無限の力が、この身を満たす。

『ブレード縮退開始。八秒で臨界である』

「八秒で仕留めろと?」

『問題か?』

「問題ない」

 後、五秒。

 思い出したのはシュナ。彼に剣技を教えたレグレ。そして、大元のアールディ。

 僕は、両足を開き前傾姿勢を取る。身体を低く、低く、黒い剣を担ぐ。

 獣人の剣技を、英雄の剣技を。

「ぐっ」

 剣の負荷で体がバラバラになりそうだ。いや、バラバラになっては再生している。この剣は、アーマーの防御力を完全に無視して身体にダメージを与えていた。

『臨界まで、三秒』

 呼吸を止めた。

 時間も止めた。

 音よりも速く。影の王子が剣を構えるより速く。僕は、光よりも速く駆けた。

 夜空を裂いた。

 草原を裂いた。

 大軍を紙よりも容易く蹴散らして、王子の影に剣を突き出す。

『二秒』

 流石だ。偽物であるが、第一の王子は、この極限の一撃を躱した。

『一秒』

 しかし、甘い。

 黒い光の剣を手放す。刹那に、メルムの剣とウルの銀剣で、王子の片腕と片足を斬り落とす。

『ゼロ』

 三剣を王子の胸に突き刺す。

『ブレード解放。空間を裁断する。宗谷、全力で回避しろ!』

 メルムの剣を手に大きく後方に跳んだ。

 ワイルドハントで強化した身体と、アーマーの性能を使い、100メートル近くを一跳びする。そこから、もう一跳び。更に大きく距離を開ける。

 王子の影から、黒い光の柱が生まれた。

 空を貫き、大地を突き刺し、亡霊の軍団を巻き込み、黒い光は捻じれて全てを飲み込む。

 光が消えた後には、ゾッとする光景が広がっていた。

 転移したかのように、大地はくり抜かれ消失していた。

「こりゃ、外じゃ使えないな」

『宇宙空間用の兵装である。地上で使えば、地軸が歪んで大災害が起こるな』

「笑えねぇ」

 周囲には蛍に似た光。

 まだ少しだけ、ワイルドハントの力が残っている。見納めの緑光だ。もう、二度と見る光景ではないだろう。

 魔剣が帰って来る。アールディの所ではなく、僕の所に。

 草原は茜色に染まる。世界が動くのを感じた。この世界が終るのを感じた。

 遠く、地に伏せた魔法使いが怨念の籠った目で僕を見ている。指で銃を作り、魔法使いを撃つ仕草をする。

 アールディを見ると、彼の隣にはセラ様がいた。駆け寄って抱擁したい衝動にかられるが、もうそんな時間は残っていない。

 何度経験しても別れは苦手だ。何を言ったらよいのやら。

「寝る時は暖かくしなさい!!」

 そんな、セラ様の言葉に泣き笑ってしまう。

 言葉を返そうにも、何も浮かばない。これで最後だと思うと言葉が出ない。

 だから、彼の言葉を借りた。


「火を恐れ、火を守り、言葉を忘れるなかれ。おさらばです。我が―――――」


 神よ。

 あなたの未来で、また会いましょう。

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