<第二章:ヴィンドオブニクル> 【15】
【15】
僕は吼えて刃を迎え撃つ。
怯むな、退くな、惑わされるな。どんな強力な相手でも剣を持った人間に過ぎない。
踏み込み、剣を振るう。
重く速く鋭い斬撃だが、剣は剣。人の範疇にあるならば、受けて、避けて、斬り倒せる。
瞬く剣戟。
無数の二刃を、たった二刃で返す。
技量の差は天と地だ。拮抗とはいかない。刃を合わす度に衝撃が装甲を破壊する。義手にダメージが蓄積して思う通りに動かなくなる。
「もう一本あるぞ。どうする?」
剣が交差して止まる。僕の脳天にアガチオンが迫る。
「ガンメリー!」
『マンティスブレード展開』
アーマー背部の隠し武器が魔剣を弾き飛ばす。伸びたのは、カマキリの腕に似た二本のブレード。渾身の力でアールディの剣を抑え込み。その隙にマンティスブレードが、アールディの顔面を狙う。
「――――は?」
間抜けな声を上げたのは僕だった。
「悪くない。が、ちと脆いな」
アールディは、噛み砕いた二つの刃を吐き捨てる。
バーフルもやった頭のおかしい技。それをこいつは、人間の身体でやった。
一際鋭い一撃が迫る。
バランスを崩しながらも大きく背後に跳んで勢いを殺した。だというのに、受け止めた義手が半壊する。
『義手、機能低下』
振るえない銀の剣を捨てた。
「前も言ったが、俺は【三剣】って名前が嫌いでな」
アールディは悠然と近付いて来る。
「俺の本気を、三剣程度と評されたくない」
イメージしたのは瀑布。
滝行する修行僧を思い浮かべる。しかし、迫りくるのは水ではなく刃だ。当たればバラバラに切断される。
剣技で飽和攻撃とか、冗談ではない。しかも目の前、回避不能の距離で。
『緊急退避!』
アーマーから強制的に外に出された。僕は草原を転がり、ガンメリーがバラバラに斬り刻まれる姿を見――――――なかった。
「判断は良し」
アールディは、ガンメリーを横に蹴飛ばす。
僕は確かに、こいつの剣がガンメリーを斬るのを見た。幻? 残像? 僕だけじゃない。機械の目すら騙す剣技があるのか?
「ほう」
アールディは急に立ち止まり、銀の剣を見つめる。
剣身に亀裂が走っていた。
「親父の剣に傷を付けるか。良い剣だ。銘は?」
「………………リ・インフィアー」
僕がやったのか? 記憶も実感もない。
「“魂を継ぐ者よ”。その銘に相応しい剣で、俺も応えてやろう」
アールディは銀の剣と魔剣を収め、長剣を担いで低く構える。
「我が友から継いだ剣技。託された“ほしのこ”。お前も知っているのだろ?」
「ああ」
首を差し出すような独特の構え。低身から繰り出される獣人の剣技。
いつの日か、シュナが受け継ぐ記憶だ。
「次で決めるぞ、覚悟しろ」
「気遣い無用」
今の僕にできるのか? 不要な迷いは飲み込む。ただ、やるだけだ。
義手で鞘を保持してメルムの剣を収める。
正座して、見え過ぎる左目を鞘で塞いだ。
この世界は大き過ぎる。感覚を細く、細く、世界を小さく見る。見るのは、アールディだけで―――――――いや、彼の剣だけで良い。
小さく狭い世界から色が失せた。
頬を撫でる風の感触も、自分の血と汗と草花の匂いも消えた。
人として必要な機能も次々とオフにして行く。呼吸も止めた。
薄く右目も閉じ、うるさい心臓も止める。
闇に感覚が溶けた。
なくなる。
自分がなくなる。
この闇の中で一つを見ろ。一つを見ろ。小さく微かな“何か”を捉えろ。
この手に剣を握り、
一瞬の世界で永遠を掴め。
無限かと思う意識の中、確かに光を見た。ここまで戦って来た身体に、全てを任せる。
完璧な意識の空白。
剣を引き抜き、鞘に収めたという結果が、遅れて脳に伝わる。
衝撃と共に、再び広い世界に戻る。
長剣の切っ先を、僕は、鞘から少しだけ覗かせた刃で受け止めていた。
制止していた感覚が、疲労と共に一斉に襲って来る。
心臓が破裂寸前だ。呼吸が乱れ、口に血の味が広がる。血の混じった汗が体を濡らす。
これはもう、動けないな。
「ま………………まあまあ、か」
そう言うと、アールディは長剣を背に収め―――――――胸から血を噴き出して倒れた。
「おい、俺も殺す気とは言ったが、同じ個所を六回も斬るこたなぁないだろ」
「六回?」
居合い。
できたのか? まるで実感はないが。感覚を引き出して再現できた。親父さんには感謝しかない。今頃、海の上だろうか?
「よっ」
もう回復したアールディは跳ね起きると、僕を人差し指で指し。
「………………」
何かを言おうとして止め、指を回して去って行った。
大の字に倒れる。
兎のいない空を見つめる。
急に郷愁の感情が湧く。皆の顔が見たい。こんなに長くダンジョンに潜っていたのは初めてだ。心配しているだろう。
「やっ」
ひょっこりセラ様が出て来た。
「今の凄かったね。あいつが剣で負けたの初めて見たよ」
「でも、やっと一本ですよ」
「それでも勝ちは勝ち。めっちゃ笑顔だったわよ。君の成長が嬉しいんじゃない?」
「ええー」
それはそれで気持ち悪い。アールディに、父性を一切感じないからだ。兄性をちょいと感じる程度だ。いやいや、部活の先輩程度だ。
「今日はご馳走だねぇ」
セラ様は、自然と膝枕をしてくれる。ミスラニカ様にも何度かしてもらった。
「どう敵には勝てそう? 無理なら逃げても良いのよ」
「勝てます」
あなたに言われて“負ける”なんて言えない。
「君ねぇ、あたしママなのよ? 弱音の百や、二百聞くよ。ほら、ゆーてみ。ほらほら」
髪をわっしゃわっしゃされる。
言えというなら、そりゃ言うが。
「あー実は、五十六階層に到達したら、冒険者を引退すると約束してしまって」
進めない悩みではなく、進んだ後の悩み。
「誰との約束?」
妹、とは言えないな。セラ様をガッカリさせてしまう。
「僕のやる事、成す事、全ての隅を突いては、口うるさく文句言って正論ばかり並べる厄介な女です」
「ママ的には、そういう女性と結婚してほしいな。君は無茶ばかりするから、反対意見をぶつけてくれる人が、伴侶に相応しいと思います!」
「………………」
妹ですけどね。
ないない。
「で、君は冒険者を辞めるつもりなのかな?」
「何とも言えないです。元々の目標階層ではありますが、そこに目的の者がいないのなら到達しても意味がない」
この冒険の終わりが、そんな無意味なもので諦め切れるのか。
難しい。本当に難しい。
「君は、生き方が不器用だから、簡単に切り替える事はできないよね」
「………………たぶん」
「それじゃ、諦めちゃ駄目。理想を叶える事ができなくても屈しては駄目よ。君がこれから、これまで、何をして、誰かを傷付けて、誰かを救ってきたとしても、そこに何かしらの罪があっても、後に災禍を生んだとしても、あたしは全てを許す。だけど―――――――」
ああ、懐かしい言葉だ。
けれども、最後だけは違う。
「――――――後悔を抱いて、死ぬ事だけは許さない」
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