<第二章:ヴィンドオブニクル> 【12】
【12】
「あなたの持つ劫火、これの正体を知りたくないかい?」
「知りたくない」
と、言えば嘘になるか。
王子は薄く笑う。
「だがまず、“呪いとは何か?” 劫火を説明する前に、これを説明しなければならない」
王子の手に浮かぶ火が、うねる蛇の形となる。
「その呪いは、『ヒームと敵対できぬ』という巨人の本質を侵す為に造られた。忍び込み、寄生して、宿主を繰る、そういう機能を持った小さい【蛇】だ。それ以上の機能は発生しないはずだった。しかし、巨人の個体差故に【蛇】は個々に変化を始める。変化が一定ラインを越えた時、【蛇】は共食いを始めた。これが進化の原因となり、【蛇】は巨人の肉体を捨て、拡散して様々なモノに寄生するようになる。最初は、造物主。彼らの残した知識。彼らの血。彼らの絆。でもね、造物主達も馬鹿ではなかった。緊急措置を用意していたのさ」
火は蛇の形から、燃え盛る紅蓮の炎となる。
「それが、劫火か」
「そう」
この力、そんな最初の時代からあったのか。
「あなたは………………お、歴史に詳しいですなぁ」
「ついさっき知った」
また頭を覗かれた。
さして不愉快でもない。不思議だ。こいつから、時雨や榛名と似た匂いを感じる。でも、王子らしい獣の匂いも微かに感じる。
「けど、その歴史には空白がある」
「空白? 隠された歴史の更に影を見たのだぞ」
「影にすら残らない灰になった時代があるのさ。劫火により、焼き払われた時代だ」
王子が指を鳴らすと、火は灰になって手の平からこぼれ落ちる。
「劫火が時代を焼く? どういう事だ」
スケールが大きすぎて意味がわからない。
「文字通りだよ。劫火はね、“人類が致命的な失敗を犯した時、その失敗した時代を消す為の火”なのさ」
「………は? 世界を滅ぼせる。滅んでいたって事か?」
「そだよ」
「いやいや、後も時代は続いている」
それに【蛇】も死んではいない。意味がわからん。
「時間は、人類が世界を理解する為に作りだした指針の一つに過ぎない。過去も、現在も、未来も、ある特定の箇所から見れば同時に存在している。過去を消しても、現在と未来がなくなるものじゃない」
「………………」
なるほど、全然わからん。
「糸をイメージしてほしい」
「糸?」
王子は一本の絹糸を作り出し、指で摘まむ。
「一番上が未来。一番下が過去。真ん中が現在として、現在を切ると未来はどうなる?」
「消える」
のでは、ないのか?
「ないよ」
王子は指で糸を切る。
切れた糸は、少し短くなって繋がる。
「これが、この世界だ。繋がるのさ。例え今が破壊され、焼き尽くされても、修復する為の情報を、過去、未来の誰かが持っていれば再生できる。ほら、冒険者なら皆使っているアレも、この仕組みを利用している」
王子が何かを放り投げた。
受け取ると、それはガラス瓶が二つ並んだ容器だった。赤い液体と、青い液体が満ちた冒険者が常備する生命と魔力の入れ物。
「『再生点』か」
「あなたの言語だとそう呼ぶのか。ある意味、言い当てているね」
手にした容器は、灰となり消える。
「さて、話を【蛇】に戻そう。劫火は何故に【蛇】を殺しきれなかったのか? 世界を焼き尽くすほどの力だったのに」
王子は再び火を灯す。
その火の揺らめきの中に、蠢く細長い小さな生き物を見た。
「おいおい、冗談は止めろ」
思わず、僕も劫火を灯し見つめる。闇の中で薄ぼんやりと揺らめく暗火。見つめても何も―――――いや、意識した瞬間、火の端に蠢く小さな蛇を見つけた。
「ッ」
呼吸が乱れた。全身が総毛立ち、額から汗がこぼれる。
「わかったかい? 【蛇】が劫火から逃げた先が」
「自分を滅ぼす火に入り込んだのか」
「そう、そして、世界は灰から再生し、劫火に潜む【蛇】によって、変質した造物主達も蘇る。失敗は消せなかった。新たな英雄が【蛇】を倒しても、【蛇】は宿主を変え、彼らの血や歴史、言葉や思想に脈々と潜み、世界に拡散した」
僕は火を消す。
「こいつは、どうにかなるのか?」
劫火にすら潜む蛇を、この世界から消す事は可能なのか。
「蛇は変化する。個体によって様々な変質を生む。ヒームに耳や尻尾を生やしただけの獣人が、何故あんなにも屈強で、子も早く成長するのか?」
「そういう種族だからだろ?」
「そういう種族になったのは何故か? もちろん、自然的な要因もある。でもね、進化や進歩を劇的に後押しする生物がいれば?」
「まさか………獣人にも蛇が」
時雨や榛名にも影響が。
「あるよ。全てではないが、蛇の影響を受けた個体は多い」
「エルフに、ドワーフ、他の種族は?!」
「かの種族の中にも蛇はいる。草木に花、虫や小動物、鉱物や雨粒にすら蛇はいる。今や小さき蛇は、世界を覆っているのさ。ただ“変わらない”事を望む人間に蛇は働かない。思考しない生き物にも蛇は働かない。わかるかい? 神無き後の時代、人が思考して生じる力の源は、この蛇だ。蛇は、かつて神が見せた力を、望んだ人類に与えているに過ぎない。呪いと呼ぶ力の本質は、極当たり前にある思考の業。奇跡と魔法が、ただの言い回しの違いに過ぎないように、呪いも何一つ変わりない全く同じ力なのさ」
「そんな馬鹿な」
僕は、これまで戦って来た【獣】を思い出す。
禍々しく崩れ堕ちて醜く歪んでいった。あれが同じ力? ありふれた奇跡などと認められるわけがない。認めてしまえば、明日にでも世界は終わる。
「安心してほしい。そうはならないよ」
最後の王子は、微笑んで言う。
「蛇は邪ではない。でもね、人が獣となる事を望む者がいるのなら、それらがその思想を広めて幼子を染めるのなら、獣は現れ続ける。邪を望む者がいるのなら、蛇はそれを後押しする」
一つ、思い出した。
アーヴィンの師匠、緋の騎士ザモングラスの事だ。
今思えば、彼の最後は他の【獣】と違った。白く高潔で、仕えた主に似た狼の姿だった。
「わかった気がする。エリュシオンの呪いが」
「あなたが戦って来た獣は、英雄の死と恐怖の系譜だ。それが、エリュシオンの呪いの正体。蛇は生命に共生するのであって、死した生物とは共生できない。だから、歪んだ変質を遂げる。結果がアレ、醜く膨らんだ化け物の姿」
「なら………………」
どうしようもない。
呪いは治療できない。セラ様の希望は叶わない。
「できるよ」
「は?」
「とても時間がかかったけど、エリュシオンに新たな信仰を付け加えた。ボクの時代には、騎士は皆このシンボルを身に付けている」
王子が取り出したシンボルは、Φの形に歪んだVを合わせた形だ。
「ボクの見つけた隠書に記された。【放浪者セラ】の呪い避け印。これには、彼女が愛し、彼女を愛した、信徒の血が混ざっている。呪いの獣と戦い、その化身を倒したあなたの血だ」
「本当か?」
一瞬の安心と不安。
「いや、正確にいえば“そのもの”ではないけど。間違いはない。事実、ボクの騎士達で【獣】になった者はいない」
「おっ、と」
足元がふらついて尻餅をついた。
立ち上がれない。彼女が報われたのだと知って、腰が抜けてしまった。
「蛇は時代と共に変質する。人と共生できるように変化した。しかし、死と信仰は共生を歪める。それが呪いの正体。長くなったけど、本題に行こう」
王子は仮面を取り出した。片目だけがデザインされた仮面だ。
「【無貌の王】か」
「流石、知っていますか」
「知って………は、いないか」
奴の最後を見たが、僕は【無貌の王】について何も知らない。
謎だ。
ガルヴィングの師であった事と、劫火に執着していた事くらいしか知らない。
「実は、ボクもあまり知らない。“片目の仮面に気を付けろ”っていう警告は、よく聞かされたけど」
「誰にだ?」
謎といえば、目の前の王子も謎だ。
「母だよ」
「どんな女だ?」
軽く興味が湧いた。
「あなたは、人の母親に欲情する趣味でも?」
「別に人妻ものに興味はない」
王子に白い目で見られた。何かダメージを受けた。
「黒髪の美しい人さ、遺伝しなかったけど。話を戻す。【無貌の王】について知る事は少ない。でも、歴史の足跡を調べて彼の目的を知った」
劫火を手に入れる。
そして?
「手に入れて、彼は世界を根本からやり直すつもりだ」
「ん?」
おかしいな。
「劫火が世界を焼いても修復されるのだろ? しかも劫火には蛇がいる」
「される。けれども、限度がある。過去、現在、未来、全てを焼いてしまえば何もなくなる」
「は? 本当に世界が滅びるよな」
「滅びるね。全て無くなってしまえば、劫火に宿った蛇も消えるかもしれない。存在する寄る辺がなくなるのだから」
話が大き過ぎて混乱する。
僕は小さな人間なのだ。住処も四畳半で文句のない人間だ。世界規模の滅亡とか、脳に入ってこない。
「思っていたよりも、あなたという人は素朴な人だな。何か歴史認識が揺らぐなぁ」
なんのこっちゃ。
「あ、しまった。もう時間だ」
王子の指先が灰になって崩れ出した。
「なっ?! お前それ大丈夫なのか!」
痛そうには見えないが心配だ。
「お気になさらず。この仮初の世界に終わりが来ただけさ」
世界が燃え出す。
発生した炎が辺りを舐め尽くし、見える全てを紅蓮に染める。外の世界も同じく燃えているのだろう。世界の終わる光景だ。
「最後の警句を言おう。あなたの火は、あなたの背負うべき力だ。誰にも譲ってはいけない」
「例え、セラ様でもか?」
劫火があれば、彼女の苦難を祓えるはずだ。
「母であろうとも、子であろうとも、誰にも譲るなかれ。大きな力は孤独なのだ。そして、大きな力は無意味に宿らない。劫火に辿り着いたあなたには、那由他の意味があり、劫火を使う資格がある」
「自信を持って一人で背負え、か」
とんだ警句だ。
「まだまだ、あなたには苦難の道が続く。その時、目が一つでは困るでしょう」
「ッ」
また左目に痛み。反射的に覆った手に、血の混じった灰が付着する。
同時に、両の目に燃える炎が見えた。
「魔術師が付けた【枷】を灰にした。これであなたを縛り付ける者はない」
王子を見る。眩しくて光に慣れない左目に、彼の姿を焼き付ける。
「礼を言う。………また会えるか?」
王子は笑って誤魔化す。
「火を恐れ、火を守り、言葉を忘れるなかれ。おさらばです。我が―――――」
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