<第二章:ヴィンドオブニクル> 【10】


【10】


「世界の始まりは、天から降り注ぐ【無数の杖】だった」

 影が、空から降り注ぐ【細長い物体】を映し出す。

 そのシルエットは、【々の尖塔】に似ていた。しかし全貌は、これではまるで――――――

「杖は、海の半分を涸らし、大地を焼き、灰色の霧で世界を覆う。暗い世界が長く続き、その闇の中から竜が産まれた。竜は霧を祓い、風と雨と火を従え、数多の小さき命と、太陽の世界を作った」

 太陽を作る竜のシルエット。

 その竜は、六枚の翼と二つの尻尾、四本の腕を持っていた。

「【杖】から最初の人々が世界に降り立つ」

 エルフ、ドワーフ、小人、岩のような生き物、悪魔のような角や羽根の生えた種族、不定形の生き物もいた。

 だが、どこにもヒームの姿はない。

「人々は、世界に広がり繁栄した。草花のように健やかに、本当の神々の愛を受け、けれども育ちきった人々は争いを始める」

 影が殺し合いを始める。

「戦乱は世界を覆い、戦火は多くの【杖】を破壊した。血塗られた時代、神々の威光は影に隠れ、迷宮と化した【杖】の奥に潜む。人々は貪欲に、それを追い詰め求めた」

 破壊される【杖】の影。

 その残骸に、人々が蟻のように集る。

「最早、【杖】は神々の物にあらず。神殺しの英雄と、新たな神の時代となる」

 神を殺した人の影は、大きな異形となる。

 まるで、モンスターのような姿だ。

「最後の神は獣を造った。大きくて巨大な、獣の姿をした巨人を」

 獣の巨影。

 それは、僕の知る【獣】に似ていた。

「巨人は新しい神々を虐殺し、世界から隠れる」

「………セラ様、“僕らは、どこから来たのですか?”」

「【杖】からよ」

「でも、【杖】から降り立った種族にヒームは」

「そう、【杖】から降りなかった。………………引き摺り降ろされたの」

「それって」

 つまりは、

「あたし達の始祖は、かつて神と呼ばれていた支配者だった。彼らは苦し紛れに巨人を造り、新たな神と他種族を滅ぼそうとした。けれども、上手くはいかなかった」

 エルフとドワーフに殺されるヒームの姿。【杖】から持ち去られる財宝の数々。鎖に繋がれた人々の列。先頭には、エルフの姿がある。

「ヒムは、エルフに知恵を奪われ農奴と落ちた。後は先に語った通り、長く支配された時代が続く。皮肉にも、穏やかな時代だったわ」

 エルフとドワーフの影。

 山岳の影。巨大な獣の影。

「そう、時の支配者たる二種族が、巨人の住処を見つけるまでは」

 巨人と戦うエルフとドワーフの姿。

「巨人は強かった。文明の絶頂期にあったエルフとドワーフでも全く敵わなかった。そして、戦乱で衰退したエルフとドワーフは、ヒムを兵として戦わせる。当時のエルフは、ヒムを支配する術を持っていた。傲慢にも、永遠に支配できると思い込んでいた」

 霊峰を目指すヒームの軍。

「長く飼殺された日々の中、ヒムは自らが何なのか忘れていた。けれども、巨人は覚えていた。主を待っていた」

 王冠を被ったヒームが現れる。それに従う巨人の姿も。

「最初の【獣の王】が誕生した。そこからの歴史は、今と何も変わらない」

 虐殺が開始される。

 進行した巨人が他種族を惨殺し食い殺す。人が続き、支配者の首を掲げる。そう、今の歴史と何も変わりない。

「奪われた物を奪い返すだけ、と言えば正しいのでしょう。正義なのかも。でも、それだけで終わるなら人の世はもっと綺麗なの」

 ヒームの集団が、二つに別れた。

「【王】に従う者と、【巨人】を信仰する者、その二つに彼らは別れた」

 人は、また争う。

 巨人が見守る元で不毛な争いが始まる。

「王は言う。『巨人は所詮、人がいなければ何もできぬ木偶なのだ』と」

 王冠と剣を持つ者の影。

「信仰者は言う『巨人は在るだけで力なのだ。彼らから紡ぐ物語が力を生む』と」

 杖を持つ人影には、獣の耳と尻尾があった。

「巨人を信仰した者達は、自らが信仰した神と似た姿になった。それが【獣人】と呼ばれる者達の始まりよ」

「獣人? それじゃ」

「ヒムと獣人は、元は同じ種族よ」

 その同じ種族は、争いを続けた。

 ヒームの剣で獣人が殺される。獣人の魔法にヒームが焼かれる。広まった歴史通り、最初の戦いは獣人達の優勢だった。

「獣人達の奇跡に、王達は対抗できなかった。如何に【巨人】が神の如き存在でも、彼らはヒムを傷付けない。獣人を傷付けない。そう造られた生物に過ぎない。王達が言うように、木偶ね」

 影が、歪なVの字を作る。

「追い詰められた王達は、何もかも利用した。【杖】の遺物、エルフ、ドワーフ、死した竜、失われた種族、深淵に潜む怪物の力さえ使った。そして、奇跡を塗り潰す【呪い】を創った」

 V字が更に歪み、双頭の蛇となる。

 蛇は【巨人】を絞め殺し、飲み込む。そして膨らんだ化け物は獣人を食らう。

 食らい。

 食らい。

 食らい続け、膨らみ続け、やがて弾けた。

「巨人を食らった蛇は、黒い霧となった。その霧を吸った王達に異変が起きる。醜く膨らみ、【異形の獣】と化したの。その姿は、巨人を食らった蛇そのもの」

 異形と化した王達が人々を食らう。獣人だけではなく、全ての動植物を食らう。

 食らい。

 食らい続け。

 膨らみ続け増え続け、世界が終わるような光景を作る。

「そして、エリュシオンの始祖が現れる」

 影が一つの剣を作る。

 僕が奴から奪った銀の剣と同じ物。

「まつろわぬ一人の男がいた。名を、ウル。彼は只の人間だった。只の人間であるが故に、奇跡に頼れず、知恵と剣と己の身体のみで【異形の獣】を狩った」

 男は獣と戦う。

 倒されても何度も何度も立ち上がり、立ち上がれないのなら地を這い、泥臭く血みどろになり、骨が折れても剣を放さず、命を削り【異形の獣】と戦い、何匹も何匹も獣を狩った。

「謳われるような英雄譚ではないわ。でも、終末の世界では人々の希望になった。彼は本物の英雄になっていった。………人々の希望を受け、徐々に人でなくなりながら」

 苦しむ男の姿、支える女の姿。

「信仰は力となる。そして、信仰される者も力を得る。これが世界の原則。英雄や、後に神と呼ばれる者達の仕組み。だけど―――――」

 男の影に獣が現れる。

「狩られた獣は、呪いを持っていた。悪質な病魔のように、ゆっくりと確実に、逃れようのないやり方で感染する蛇の呪いを」

 獣の影は、枝分かれして男の子供に広がった。その子供の赤子に、赤子の赤子まで、血が連なる末の果てまで蛇は広がり潜んで行く。

「呪いは、血だけに終わらず。信仰すら侵す。人々の思いが強ければ強いほど、汚泥のような暗い力がこびりついて本質を侵す。だから、彼の妻はウルの英雄譚を偽らざるを得なかった」

 バラバラになる世界を救った男の物語。

 様々な寓話と逸話、警句を掛け合わせながら世界を巡る。

「でも………………駄目だった」

 英雄は消えた。

 今、在るのは、醜く肥えた肉の塊。蝕まれた英雄の成れの果て、巨人を食った蛇の成れの果て。

 影が消えた。

 影の物語は、これで終わりのようだ。

「これだけは、どこかに記憶しておいて。ラ・グズリ・ドゥイン・オルオス・オ・ウル。彼は英雄だった。かつて人を救った英雄だった」

 今はもう、呪われた名前だ。


「物語は、解釈の違いで如何様にでも変わる」


 上から声、杖に乗った黒いエルフが僕らを見下している。

「我が弟子よ。続きは我が話そう」

「いえ、師匠。あたしが伝える」

「駄目だ」

 ガルヴィングが指を動かすと、セラ様の杖が膨れ上がった。

 爆発的に伸びた枝葉が、彼女を拘束して口を閉ざす。

「お前ッ!」

 ベッドから跳び上がろうとして、折れた骨の痛みで僕は止まる。

「聞け、愚図。蛇の呪いは、“今はまだ”獣人や、エルフ、他の種族に影響はない。だがこの先、“そうならない”とは限らない。呪いは変質し肥大し続けているのだ。信仰や、思想、神々の物語にすら忍び込んで蝕む。このままでは、確実に世界を飲み込む」

 ガルヴィングは火を灯す。

「故に、滅却しなければならない。呪いに連なる全てを」

「冗談を言うな。そんな事できるはずがない」

 こいつ、もしかして。

「可能だ。師の【劫火】が完成すれば、認識する全てを焼き尽くせる。物質に潜む蛇だけではなく、物語や歴史に潜む蛇すらも。世界に生まれてしまった過ちを、治療できるのだ」

「不可能だ」

「可能なのだ。“貴様の中にある力”は」

 殺気に鳥肌が立つ。

 気付いていたのか、マズいなこれ。

「お前には渡さない」

「だが、我が弟子に渡すつもりであろう?」

「そうだ」

「こやつは受け取らぬぞ」

 セラ様が拘束した木を燃やして解く。

「師匠!」

「我が弟子よ。貴様からも説得しろ、我に【劫火】を受け渡せと」

「言ったでしょ! あんたのそれは、治療じゃない! 例え過去を修正しても、警句を消してしまえば人は同じ過ちを繰り返す! 間違いを飲み込み、それを糧にしなければ正せないのよ!」

「理想主義も大概にしろ。呪いの広がりは止められない。いずれ、全ての神が呪いに堕ちて人に牙を剥く。人の世が終わり、獣の世界が来るぞ」

「来ない。あたしが止める」

「止められなかった時はどうするのだ? 保険に我が【劫火】を持つ」

「師匠は使うでしょ? あたしを待たずに」

「………やれやれ、信用とは大事だったな」

 ガルヴィングは、あきれた様子でどこからか鎖を取り出す。それを引くと、拘束された物体が光と共に現れた。

「愚図、これを見ろ。これを見ても尚、我が弟子の甘言を信じるか?」

 鎖で拘束され、吊るされた少女だった。三白眼で癖の強い赤い髪、額に歪な黒い角がある。恨みがましい表情でセラ様を見ていた。

「………………師匠止めて」

「甘い理想を掲げ、こいつは影で後世に災厄を残した。ネオミアの地下深く封印されていた【蛇竜】を、我が弟子は解き放ったのだ。何度殺しても時代を超えて転生する怪物だ。死を超越した無限の災厄と言え――――――」

「それなら封印した」

 ラザリッサの事だ。吊るされた少女は、最初のあいつなのだろう。

 か弱く面影すらない。まるで別人だ。

「こいつを造った奴も知っている。お前の師の不始末だ。弟子のお前が、その弟子に罪を問うのはおかしい」

「少し、貴様を見くびっていたようだな」

「ぎッ」

 急に左目が痛む。眼底を削って脳に潜り込むような強烈な痛み。

「薄汚いガキの姿など見るに値しないと思っていたが、その左目は誰に傷付けられた?」

「さあ、てめぇのお袋かもよ」

 ボタボタと、左目から血涙が流れる。

「何の捻りもない脅しだが、命か力か選ばせてやろう」

「お前には」

 死んでも渡さないと言おうとした時、セラ様の姿が消えていた。

 見事なジャンプからの華麗な飛び膝蹴りが、ガルヴィングのアゴを捉えて空から落とす。

 ボキィ、と落下からの追撃で骨を砕く。

「師匠、これ以上やるなら死ぬより痛い目に合わせる」

「普通の人間なら二回死んでいる」

 踏み付けられたガルヴィングは、余裕の表情だが額に脂汗を浮かべていた。

「あの火は、あの子の魂に定着している。引き剥がせばどうなるか、馬鹿でもわかる」

「普通なら死ぬな。しかし、貴様が子と呼ぶ男は普通の人間か? らしくないぞ、我が弟子よ。母性とやらは慧眼を曇らせるのか? 簡単な事だぞ」

「何が言いたいの?」

「本当にわからないのか? 貴様ともあろう者が。………ふむ、階層の認識阻害が思考にまで及んでいる可能性もあるか、仕方ない説明してやる」

 弟子に踏まれた情けない姿で、ガルヴィングは語る。

「【劫火】を使った後、霊薬による治療が消えただろう? 霊薬は、神の逸話に登場する植物を混ぜ合わせた物。液状にして抽出した神の物語だ。“液体は性質を伝えやすい。”治療術と薬学の基本である。奇跡も、呪いも、液体に溶けやすいのだ。だから、呪いは血に宿る。貴様の子は、外部からの奇跡を受け付けにくいようだが、飲み込んだ霊薬なら別だ。内部で変質させ取り込み、身体を癒した。いい加減わかるな? 【劫火】を使った時、変質して取り込んだ治癒の奇跡が一緒に消えたのだ。変質したとて、呪いの本質が消えていなかった故に」

「師匠、そんな事は」

 手についた自分の血が、恐ろしく穢れたモノに見えた。

「我が弟子よ。貴様の子は、獣狩りの王子よりも強力な呪いに侵されている。故に、【劫火】が穢れる前に取り出さねばならない」

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