<第二章:ヴィンドオブニクル> 【08】


【08】


 雪原には、一人の大男が座っている。

 ボサボサの長髪に同じくらい長いヒゲ。くすんだ黒革の鎧に、ボロボロの毛皮のマント。

 傍に突き刺さっている大剣は、鍔も飾りもない両刃と柄だけのシンプルなデザイン。

 髪と同じ灰色の瞳が、望遠鏡越しの僕を見た。

 300メートル先の僕をだ。

 出番はないと思ってアーマーは置いてきた。着て来れば良かったと後悔する。

「この辺りが安全な距離だな」

 先頭のアールディが僕とセラ様と止める。

「で、何がどう強いの?」

「説明するより見せる方が早い」

 セラ様の疑問に、アールディは一歩前に出る。

 僕は、望遠鏡から目を放しアールディを見た。見えたのは、剣を抜いたアールディと、周囲の火花、雪に散る血。

「とまあ、こういう感じだ」

 アールディは頬の傷を拭う。かなり深い傷だが、すぐさま完治する。

「なるほどねー」

 納得するセラ様、何もわからない僕。

 望遠鏡でもう一度敵を見ると、大剣を雪原に刺し座り込むところだった。

 冗談。

 300メートルを一瞬で移動して、今アールディと斬り合ったのか? それはもう、人間というか生物としておかしい。

「あなた、前の階層で戦った【グラヴィウスの教父】だけど。本物と比べてどうだった?」

「いや、そのものだが。寸分違わず同じ………………ん?」

 アールディは首を傾げる。

「言われてみれば、前より大きかったな。歪さや禍々しさも増していた」

「今の敵の動きだけど、流石に速過ぎる強すぎるわ。生物として色々と変。師匠は杖と左の顔を裂かれていた。彼ね、左の顔に古傷があるの。癖で、いつもそこを手で庇っている。今回の傷は偶然かしら? そこで仮説。ロブスとルミルの話では、ここの敵は【過去の強敵】だけど。それって、結局はあたし達の【恐怖の記憶】が元になっているのでは?」

「ありえる」

 頷くアールディ。

「恐怖は肥大しやすい。だから、あなたの敵は禍々しく大きかった。つまりあれも、師匠の恐怖のせいで異常に強くなっている。近寄れば、全てを斬り倒すほどの異常な戦士に」

「おおー」

 アールディが拍手した。僕も拍手。

「で、セラ。どうするのだ?」

「事、師匠の恐怖だからねぇ。あの人、ああ見えても怖がりだから」

「だな。超が付く小心者だ」

 納得だ。人が弱った時に止めを刺しに来る卑怯者だ。

「となると、方法は一つかな」

 セラ様は、杖を地面に刺す。跪いて両手を組む。

「小手先の術じゃダメ。半端な破壊力でもダメ。最大最高威力かつ長距離から一撃で、何もかも破壊し尽くす」

 アールディに肩を掴まれ、セラ様から離された。

「彼女、何をする気だ?」

「巻き込まれる、離れろ」

 小走りのアールディに続く。

 200メートル近く距離を取ると、アールディは手甲を鳴らして合図を送る。

「—――――――――」

 セラ様は詠唱を始める。

 声は聞き取れない。どうせ聞こえても意味はわからないだろう。僕がわかるのは、

「ッ」

 彼女の周囲に舞う緑光。蛍のような儚い光が雪原を舞う。

 駆け寄ろうとした僕をアールディが抑えた。

「やはり知っているか」

「止めろ! あれが何なのか知らないのか?!」

 ワイルドハントの燐光だ。仮初の無限を生み出す原初の呪い。

「知っている。あれで弟を殺した」

「なら、あれの代償も知っているのか?!」

 人との絆だ。

 あの力は駄目だ。あれだけは使わせてはならない。

「知っている。だからこそ俺が―――――」

 アールディは左腕の手甲を外す。生身の腕には、幾つも小さな結晶が埋め込まれていた。僕が、ガルヴィングにくらった結晶槍と同じ素材。

 セラ様の力が膨らむ。同時に、アールディの腕の結晶が赤く発熱した。

「呪いを肩代わりしている」

「今すぐ止めろ!」

「何故だ? 俺達は、この呪いを消す為に旅をしてきた。その成果の一つがこれだ。【死霊王ミテラ】の断片を使った力の変換。俺の中の呪いを、原初の呪いとして消耗する方法だ」

「………消耗?」

「ま、一緒に寿命も減るが、あいつの老衰には間に合う計算だ。丁度良い」

 軽い声音とは別に、アールディの顔が苦痛で歪む。

 発熱した結晶の一つが砕けた。遠くで緑光が強く輝き、爆炎が発生する。

 雪の混じった突風と閃光、爆発音は遅れてやってきた。

 セラ様は大爆発を作り出した。余波は、天に届くまでの巨大な炎柱を生み出す。雪原の雪は溶け荒野と化していた。熱波による蒸気で周囲が歪んでいる。

 魔法はラナも凄かったが、それが霞むレベル。

 こんな環境すら変わる魔法をくらって無事な生き物は――――――

「ちッ」

 アールディの舌打ちで察した。

 炎を斬り払い、灰色の男は悠然と現れる。

 違う。斬ったのではない。こいつは魔法を食ったのだ。証拠に気配の質が人から、強大な“何か”に変質している。

 軽く振るう剣は炎を生み、荒野を赤く熱して硝子にする。

 僕とアールディはセラ様に駆け寄る。

「セラ、退くぞ」

「あーだね。これはちょっと想定外。さっきの魔法、全部吸収されちゃった」

 敵との距離は200メートル、だというのに肌を焼く猛烈な熱を感じた。呼吸すら辛い。これでは接近戦は不可能だ。で、魔法は今さっき吸収された。

 強い。どうしようもないほどに強い。大魔術師の恐怖とやらは、ここまでの化け物か。

「おら、お前も逃げるぞ。立て直しだ」

 アールディに言われても僕は動かない。

「“この階層の敵は、その時代の人間にしか倒せない。”だっけ?」

「そうだ。俺の仲間の確かな情報だ」

「でも、何事にも例外はある」

 右手を掲げる。見えない左目で敵を見る。

 セラ様の魔法で膨らんだこいつは、人ではなく大きな力のうねりだ。台風であれ、稲妻であれ、如何なる災害であれ、それが強大な力、超常の力で作られたモノなら――――――劫火は全てを焼き尽くす。

 手の平には緑の炎。原初の呪いを模した炎が浮かぶ。

 間近に殺気を感じた。

 灰色の男が、一瞬で間を詰めて炎の剣を振るう。触れるだけで消し炭になる火力。しかし、指を鳴らす方が刹那に早い。

 発生した閃光に目が眩む。

 しばらくして目を開けると、熱も光もなく暗いだけの世界が広がっていた。

 星もない無明の世界。

 見えないが足には地面の感触。立っているのだが、浮いているような気分。

「おい、何をした?」

 アールディの質問に「倒した」とだけ返す。

「待って、今の魔法は」

「セラ様、ガルヴィングは近くにいますか?」

 大事な話がある、と小さく呟く。

「師匠なら巨人の中ね。休息しているわ」

「丁度いい」

 暗闇の中で再度劫火を灯す。この火は光を生まない。ほのかに輪郭だけを灯らせる。

 不定形でフヨフヨした得体の知れない力。僕の認識力では、その程度しかわからない。

 引っかかっていた謎が解けた。

 僕程度が、こんな大いなる力を手にした理由がようやくわかった。

 彼女に託す為だ。

「これは、劫火。ガルヴィングの師、【無貌の王】が求めた最秘の神秘。使う者が使えば世界を焼き尽くす炎です」

「………………聞いた事はあるわ」

 セラ様の杖のカンテラが周囲を輝かす。

 何もない広いだけの空間。だが、世界は端から生まれ、創られて行く。

 遠く切り立った断崖に、白く霞む巨城が見えた。

 雪に煙る城下町には、人々の営みの明かりが見えた。

 厳しい吹雪の中でも、今は死都と呼ばれるネオミアは生きていた。生きているように見えた。

「故郷か。次は、あたしの番ね」

 城の反対側から、吹雪の中を巨人が歩いてくる。

「セラ様、この炎をあなたに―――――」

「後にしましょう。ここは寒いから」

 素っ気なく彼女は僕に背中を見せた。

 軽く呆然としていると、アールディに肩を叩かれる。

「寒いからさっさと帰るぞ」

 炎を消し、二人の後に続く。

 思っていた反応と違い困惑した。けれども、僕は間違っていない。今まで選んできた選択の中で一番良い選択だ。

 劫火を彼女に渡せば、全てが変わるはず。

 それで例え、僕がどうなろうとも、世界は今よりも良くなるはずだ。この為にここまで来たと言われれば、その通りだと頷く。

 間違いない。僕の旅はこの為にあった。

 誰かに呼ばれて、少しだけ立ち止まる。

「………………?」

 気のせいだった。耳をすましても何も聞こえない。

 吹雪の音しか聞こえない。

 かつて聞いた狼の声も、今は何も聞こえない。

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