<第二章:ヴィンドオブニクル> 【01】
【01】
四十五階層、再び星を見た。
四十六階層、砂と太陽を見た。
四十七階層、硝子の世界を見た。
四十八階層、暗い闇の世界を歩く。
ここに光源は一切なく、今まで挑戦してきた階層の中で最も暗い。暗視装置すら役に立たないので、音響センサーを画像処理してモニターに映し出していた。
波紋のように広がる白と黒の世界を、慎重に慎重にゆっくりと進む。
この階層をメルムは【影の回廊】と呼んでいた。床一面には、どこまでもタールのような暗い液体が流れている。
水深は5センチほどだが、所々深みがあり、そこからモンスターが奇襲を仕掛けてくる。
前回アーマーを全損した階層であるが、今回は対策済みだ。
「で、その新装備とは?」
『腰に増設した円柱の装置にある』
アーマー腰部にある円柱部品の蓋を開ける。中には細かい部品が収納されていた。
『ワイヤーを4メートルほど伸ばすのだ』
円柱に内蔵されたワイヤーを引っ張る。
『前の階層で手に入れたガラス片を、楔形の部品に括り付けるのだ』
ワイヤー先端のV字形の部品に、前の階層で手に入れた硝子の欠片を糸で巻きつけた。
「あー理解した」
『ここのモンスターは、テリトリー意識が強い。強い割には、個々の領域が狭くギリギリの範囲で密集している』
剣の鞘にワイヤーを巻き付け、振り回し、近くの深みに放り投げる。
「肉とかの方が良くないか?」
『前回、上の階層からガラス片が落ちてきた時に、周辺モンスターの激しい反応があった』
「光り物が好きって事か」
『ここの生物に目はない。何か他の感覚器官で捉えているのだろう』
握った鞘に強い引き。両足を踏ん張り、鞘を振り上げる。
「ッ、せい!」
釣り上げたモンスターの輪郭は、長細くウナギに似ていた。
ただ成人男性の五倍はあるサイズだ。食いたいとも思わない。
「ワイヤーの強度は?」
『吾輩のアーマーと、宗谷の体重を合わせた三倍は耐えられる』
「なら結構!」
釣り上げたウナギを振り回す。歪んだ笛のようなウナギの鳴き声。
「おらッッ!」
進行方向の横に、振り回したウナギを叩き付ける。
音響センサーに間欠泉が表示された。
大量のウナギの“絡まり”だ。一匹のテリトリー侵害により、ウナギ同志の喧嘩が始まり、それが他のテリトリーに移り喧嘩が喧嘩を呼ぶ。
「前、よく助かったな」
『吾輩の身体を囮にしたからな。ワイヤー、先端部品をパージする』
ワイヤーが自動で巻き取られ、円柱に収まる。
肉眼で見たら夢で見そうなウナギの塊。その横を通り過ぎた。
回廊と呼ばれるだけあって、階層の構造は一本道だ。初見では苦労したが、対応策を用意できればすんなりと進める。この辺りは、浅かろうが深かろうがどの階層でも同じだ。
五回、同じ要領で釣りをして進む。
『宗谷、休憩時間だ』
「もうか?」
『前回の休憩から、8時間経過した』
「体感じゃ二時間も過ぎてないのだが」
『この辺りの階層は、体内時計を狂わせるようだ』
「長居したら浦島太郎だな」
『長居するのは危険だが、休憩なしの方が危険だ』
「わかってる。わかってる」
自分ではわからないが、僕の身体は相当傷んでいるそうだ。少し余裕をもってダンジョンを進むとするか。
「ところで、どうやって休憩しろと? 脚部以外の防水性には問題があるのだろ?」
『尻尾を変型する』
アーマーの尻尾がL字に折れた。
「便利だな」
床に密着した尻尾に、体重を預けて膝を曲げる。座り心地の悪い椅子のようだ。しかし、脚の負担はかなり軽減できた。同時にジワッとした疲労が全身に広がる。
兜の下半分を開き、水筒から水を飲んだ。
ボソボソしたカロリーバーを我慢して噛み砕く。小麦粉そのままの粉っぽさに水分を奪われ、噛めば噛むほど無常な何もない味とバターの油っぽさが口に広がる。次からは、せめて蜂蜜を混ぜて甘さで誤魔化そう。
体を動かす為とはいえ、これはあんまりだ。亡霊ですら嫌がるのも理解できる。
我慢して貴重な水を一口だけ飲む。口中のボソッとした小麦粉と油分が全然流れ落ちない。ホント、クソ不味いなこれ。
口直しに時雨の燻製肉を一切れと、干しブトウをよく噛んで飲み込んだ。
救いの味である。
『睡眠をとるか? 監視するぞ』
「いや、起きている」
疲労はあるが、睡魔はない。
『では情報を精査しよう』
ディスプレイに和訳された文章が表示される。メルムの日記だ。今回の冒険中、ガンメリーと言い争った結果、負けて読む事になった。
文書は手帳の半ば、今挑戦しているこの階層からだ。
『四十八階層。19回目の挑戦。相変わらず光源の入手に手間取っている。この階層では翔光石は輝きを失う。火を光源にしようとしても、何かに阻まれて明かりが広がらない。森から光虫を持ち込むが、前階層の環境に耐えられず死ぬ。
石、火、虫、他様々な手段と講じるが無意味だった。別の角度から挑戦する。
床の液体だが、持ち帰るとただの水に戻った。ジュミクラの魔法使いに調べさせると、高純度の魔力を含んでいると言う。
妹の遺品から魔力を検知する道具を見つけた。街の魔法使いに加工させ、持ち運べるサイズにする。
ダンジョン外では上手く魔力を視覚化できたが、ダンジョン内で正しく機能するかは不明だ。持ち込んで試すしかない。
冒険とは関係ないが、何度も入るなと言ったのに、妹の工房に娘が侵入した形跡がある。
普段は大人しくボケッとしているのに、しれっと忍び込み偽装<まだまだ甘いが>までするとは、したたかなところは私に似たな』
娘とは、ラナの事だろうか?
冷たい親子関係しか見ていなかったので少し驚く。
『四十八階層。20回目の挑戦。階層内でも魔力の視覚化に成功。水が見れれば、中に潜む者も見れる。一通りモンスターを狩った。
長く太い魚が、この階層に最も多く生息するモンスターだ。縄張り意識が強く、軽く突くだけで狂ったように襲ってくる。
魚の縄張りは深い縦穴だ。
視覚化の範囲を広げると、縦穴の底は広い空間になっていた。潜水手段がない<あっても、危険過ぎる>為、探索は不可能。
甲虫のような小型のモンスターもいるが、素早い上に無害だ。この階層の死体食いと思われる。
この甲虫のような死体食い<魔法使い共は【分解者】などと大そうに呼んでいる>は、どの階層にも必ずいる。探し方のコツを見つければ、ある程度は見つけられるが、何故か浅い階層ほど見つけるのは難しい。私も、この虫達に気付いたのは最近だ。一匹捕まえて、羽を加工した。美しいので娘の土産にする』
モンスターの死体を掃除する生き物は、前に聞いた事がある。この目で見つけた事はないが。
てか、そんな虫の一部を土産にするのか。
『後日の追記:羽はラウアリュナが二つに割った。“一つを自分に、一つを生まれてくる妹に”。だそうな。女同士、仲が良いのは良い。女同士の喧嘩ほど恐ろしいものはない。それが姉妹なら天災だ。姉妹同士、このまま仲良く育って欲しい』
意外や意外、父親らしい言葉だ。あいつにこんな側面があったとは。
『行ける範囲の探索は終了。時々、底にいる巨大な生き物の気配を感じた。亡霊都市ウロヴァルスで感じたモノと似ているが、あれより密やかで深い眠りについているようだ。
また、モンスターを開いて胃の内容物を調べたところ。生きている肉片を見つける。底の生物の一部を、あの魚達は主食にしているのだろう。回収して研究に回す。
今回の冒険はここで帰還とする。
ラスタの用事が終わるまで、まだ少し時間がある。一人でもう少し進むか、奴を待つか、正直な話。妻と揉めてから、あまり家にいたくない。
息子のシモンが私に憧れるの勝手だが、不才故にグラッドヴェインに追い払われたからといって、妻が私を責めるのは筋違いではないか? 血の濃さと才能は別だというのに困ったものだ。私は妻を責めた事はないのだが、ラウアリュナに才能がある分、妻同士のやっかみが生じている』
そりゃまあ、困るな。
『帰還後、妹の師を名乗る者が現れた。ラウアリュナを弟子にしたいと申し出があった。断る。
彼女は、グラッドヴェインとの約束通り剣士として鍛え上げる。というのが私の意見だったが、ラウアリュナは魔道に興味があるようだ。説得を試みるが、全く私の話を聞かない。こんな頑固な娘とは思わなかった。
一族総出で会議を開き、妻全員がラウアリュナの味方となった。どうにもエルフの女の中では、剣士より魔法使いの方が体裁が良いらしい。
たぶん、服装が問題なのだろう。
しかしながら、娘のビキニアーマー姿はみ―――【文字が擦れて消えている】―――ラスタの用事は長引くらしい。家族問題も一段落したので、再びダンジョンに潜る事にする』
ダンジョンの攻略、モンスターの生態、それに家族問題。
メルムの記録はその三つが主だ。
「なあ、ガンメリー」
『どうした?』
「もしかして、メルムは良い父親なのか?」
『文章内容が真実なら、良い父親であるな』
冒険者として、一人の男としては尊敬しているが、父親としては駄目な奴だと思っていた。
「一族の為とはいえ、娘二人を見捨てたのにか?」
『その期間の記録はない。吾輩には計れないな』
「僕ならそんな事はしない」
奇しくも僕にも三人の子供がいる。メルムの境遇と被るところがある。が、僕は時雨と榛名を見捨てたりしない。何を敵にしても。
『立場が人を作る、そんな言葉もあるぞ』
「………………なるほど?」
所詮、僕は簒奪者止まりの男だ。小者に王の気持ちは理解できないか。
答えようのない疑問で脳が睡魔に襲われる。
「ガンメリー、少し眠る。警戒任せたぞ」
『了解である』
目を閉じると、意識は闇の中に沈む。
何故か、小さなラナを抱くメルムの姿を夢に見た。
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