<第一章:双塔より来たる> 【09】
【09】
「ほう、その料理人に似つかわしくない姿と気品。だが俺にはわかる。お前がフワフワパン職人だな!」
マスターの太い指がニセナを指す。
「全然違いますが、ラズ坊」
「なっ、ステラ。ここで何を」
別れた双塔の二人が再び揃う。
あーもう滅茶苦茶だ。
「パン種は、ルツ神から授かった。焼いてるのはボクとかーちゃんだ」
肉を切る手を止めないで、時雨が答える。
僕は声でマスターに正体がバレそうだから、この場は時雨に任せるしかない。
「こんな子供が、いや坊主。お前の母親とは誰だ?」
「あんた誰だよ? まず名乗ったら?」
割と物怖じしない子供である。
「俺は、ラスタ・オル・ラズヴァ。以前この街で、そこそこ大きな酒場を営業していた」
国費でな。赤字でな。
「ラスタ………? あ、かーちゃんの元雇い主か」
「何? 坊主、俺の従業員の子供か? それで母親の名前とは」
「テュテュだけど。今、買い出しに行ってるから用あるなら待てば」
時雨は、新たな食パンに肉を置いて、ケチャップとマスタードをかけ、瓜っぽい野菜のピクルスを添えて、マスターに渡す。
「ほう、これが………」
マスターは二口で食べきった。
食べて、巨体を震わせる。
「こ、これはッ。ある異邦人が老夫婦と営んでいた伝説のパン屋と同じパン!? 異邦人が消えた後、老夫婦はパン作りを止めてしまい。俺のフワフワパンを脅かすパンは消えたと安心していたが、ここで牙を剥くのか!!」
あんた基本的に小者の発想をしているよな。
「坊主、これは見過ごせんぞ。レムリアにフワフワパンは二つもいらない。元祖フワフワパン職人の俺と勝負をしろ!」
どこかで聞いた台詞である。
時雨は、特に動じる事もなく首を傾げて言った。
「料理の勝ち負けって、どうやって決めんの?」
「それはお前、何人か集めてどちらが美味いか選んでもらうのだ」
料理番組でよくある対決方法だ。
「それ、おかしくないか? 100人が美味しいって思った料理も、10人が美味しいって思った料理も、同じ美味しい料理だぞ。味覚はみんな違うのだから、人それぞれの好きな食べ物がある。勝つとか負けるとか決めるのは変だ」
我が子ながら良い事を言う。
「む………………ん?」
マスターは言い返せない様子。
「こんな子供に言い負かされるとは、ジュミクラはジュミクラですね。素直に売り上げで勝負しろと言うのです」
助け舟なのか、よくわからない眼鏡司書ドラゴンの意見。
「それも違う。お客さんは物珍しさで店を選ぶ時もあるけど、美味しい物を作っていれば必ず帰ってきてくれる。飯屋はながーく人と付き合う商売なんだ、ってかーちゃんが言ってた」
「それはそうと、このパンもお肉も美味しいでございますね」
眼鏡は話を逸らした。
おい、魔法使い共。お前ら本当に口を売りに商売しているのか? うちの子に負けっぱなしじゃないか。それとも、うちの子が強すぎなだけかぁ? まだこんな子供なのにさぁぁ。
「ダーリンどうした? 何をニヤニヤしているのだ?」
気にするな、マリア。
皆で肉とパンを食べる中、『ただいまー』とテュテュの声が響く。
「おおッ! テュテュ久しぶりだな! 元気そうでなによりだ!」
「えっ、マスター生きていたのニャ?!」
「ハハハハッ! 俺の逃げ足はレムリア随一ぞ。死神であろうとも逃げおおせてみせる」
どんな自慢だよ。
「それは良かったニャ」
「丁度良かった、テュテュよ。酒場を再開しようと思うてな。どうだ、また働かないか? こんなしっかりした子供がいるのだ。この店は任せても――――――」
「お断りしますニャ。シグレは優秀ですけど、優秀だからこそ色んな事に挑戦して、色んなものを見聞きして、沢山興味をもって好きな事を探してほしいニャ。お店に縛り付けるつもりはないので、マスターは手伝えないニャ。ごめんなさい」
きっぱり隙無く断るテュテュ。
「う………む、仕方ないな。それはそうと、テュテュ逞しくなったな」
「そんな事ないニャー」
そんな事あると思います。
強いから母親なのか、母親だから強くなったのか。僕にはわからん。
「あのー、この黄色い粒々のソースは何でしょうか? 一時期、冒険者組合が売っていたパンにも似たような味のソースがありましたけど。正直、馬鹿美味です」
「マスタードだよ。辛味野菜の種で作るんだ。隣の調味料屋に売ってる。エアねーちゃんが売ってくれるかは、その日の気分だけど」
「ほほー」
治療術師のお姉さんがいた。食材を背負っている事から、テュテュの買い物の道中出会って店に来たのだろうか?
もしゃもしゃと、マスタードをたっぷり付けたパンを食べている。
「ハッ、いけない。目的を忘れるところだった。旦那さん、安静にしていましたか? 水薬は飲みましたね? 塗り薬は使いましたね? 少し早いですが健診に来ました」
「………………」
僕は無言で頷く。完全に、両方とも忘れていた。
「テュテュ、これがお前の旦那か?」
「はい、まあ。ニャハハ」
僕を訝しげに見るマスターと照れ笑いを浮かべるテュテュ。軽く頭を下げて、治療術師と共に自室に移動した。
戸を閉めても、立食の賑やかさは聞こえてくる。
「では服を脱いでください」
「はいよ」
野菜を下ろし、治療術師は僕の診察を開始した。
そして僕の傷を見るなり一言。
「………………何か言う事は?」
「ちょっと、まあ、軽く運動をしてしまった」
竜に尻尾で突かれた箇所が真っ赤だった。
むずがゆい触診を受け、薬を塗られ、包帯をきつめに巻かれ、深~くため息を吐かれる。
「前より酷くなっていますが」
「では、ダンジョンに潜れるか?」
潜れるわけないでしょうが、というツッコミを待つ。
治療術師は特に何も言ってこない。
「傷は痛まないのですか?」
「いや、特に」
脇腹が引きつって、腹筋が熱いが、本当に痛みはあまりない。アバラが折れてると言われても、実はピンときていなかった。
「ちょっと調べます。目を閉じてください」
「ん」
目を閉じた。金属を取り出す音が闇に響く。
右手に治療術師の手が触れた。女性とは思えない硬い指の感触。五指全部にチクリとした痛みを感じる。
「はい、開けてください」
「なんじゃこりゃ」
僕の五指は、針だらけになっていた。しかも何本か貫通している。
「痛みは?」
「驚いたが、そこまで」
腕が良いのだろう。チクチクとした痒みこそ感じるが、痛みはさほどない。
「自然治癒能力を高める箇所に、治療用の針を打ちました。痛みに強い女性の冒険者でも泣き叫ぶくらい激痛を伴う治療です。で、どうですか?」
治療術師は、針の一本を指で弾く。
「どう、と言われても。特に」
体が少し熱くなった気もする。
「重症ですね」
「え」
割と動けている気がするが、そんなに酷いのか。
「あなたは重傷を負っている。その傷が酷すぎて、骨が折れる痛みに気付いていない」
「ああ、なるほど」
確かに。左目や、左手を失くすよりも、遥かに大きく身を裂かれる傷を負った。それに比べたら、骨の一本や二本かすり傷と同じだ。
「可愛い奥様とお子さんがいますよね。それでも癒えない傷ですか?」
「わからない」
冒険など止めて、この店で時雨やテュテュを手伝い生きるのも悪くないと思う。
悪くはないと思う。
が………………それだけだ。
心に空いた穴は埋まらない。今日ではなくとも、明日でもなくとも、いつの日か必ず、あの白い尖塔を見て、僕は失った者を求めるだろう。
全てを捨てて最悪の形でダンジョンに潜る。んで、死ぬ。
いやそれか、発狂するのが先かもな。
「わからない」
もう本音を呟く。
「治療術師にも“心の傷”は治せません。聞かせてください。あなたがダンジョンに挑戦するのは、その傷を癒す手段の一つですか?」
「唯一の手段だと思っている」
「………………困った患者さんですね、あなたは。仕方ありません。ダンジョン探索の許可は出します。冒険者らしく手前勝手に冒険してください。そう、我が神もこう言っています。『馬鹿に付ける薬はない』と」
その皮肉は、結構痛かった。
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