<第一章:双塔より来たる> 【07】


【07】


 ダンジョン、【々の尖塔】に挑戦する者は、冒険者組合のある一階層を出発地点にして“下”に降りて行く。

 当たり前だが、【々の尖塔】の構造上、一階層が最上部ではない。超巨大な構造物の大凡の中心地点に一階層はあるのだ。

 で、一階層の“上”には何があるのか? 

 これを知る冒険者は意外と少ない。

 冒険者組合が経営している酒場がある。受付に隣接している立地の良さを除けば、酒や食い物の味も量も今一な上に、値段だけは高く、組合員すら利用しない寂れた酒場だ。

 そこの奥にある個室が、【々の尖塔】上層部に続く通路となっている。

 ウェイトレスに『合言葉』を言って部屋に移動、隠し扉を開けて階段を上がる。

 狭い階段を上がりきると、穏やかな光に包まれた本の密林があった。

 その昔、子供の姿をした現王女に説教された思い出の場所である。

 円形の吹き抜け構造を中心に、壁という壁に巨大な本棚があった。そこに隙間なく収められた本も巨大で、人が読むには片手では足りないサイズ。中には奇跡を帯びて人に襲いかかる危険な蔵書もある。

 冒険者組合・組合長は、ここを【記憶の聖堂】と呼んでいる。

 収められた本の多くは、引退した冒険者が書き記した冒険の記録だ。

 名のある者から、無名の者まで、本人が希望すれば誰の記録でも保管する。もちろん、後で専門の職員により注釈は入れられるが、この聖堂が残る限り【冒険者の記憶】は密やかに継がれて行く。

 ここは冒険者組合の人間でも、極一部の者しか立ち入りを許されていない。

 当然だと思う。

 冒険の記録とは、冒険者の血そのもの。歴史そのもの。情報が拡散してダンジョンが簡単に踏破されれば、今の冒険者組合の体制は破綻する。

 ダンジョン踏破という冒険は、ある程度の犠牲の上に成り立っている。

 だが、王女の相談役がこれに文句を言った。

『情報を拡散し、冒険を今よりも安全かつ効率的にすべし。そして、今よりも多くの人間を深部に向かわせ、ダンジョンの神秘を解き明かせ』

 これには、ほぼ全ての関係者が反対した。

 妹はどうにも、合理的にモノを考えすぎて伝統を無視する傾向がある。特に人命が関わると冷静さを欠く。

 僕も反対派だったが、こうも全員が反対して意見を潰すと“僕の妹の事”だ。後で何をやらかすか、わかったものではない。

 という事で、僕は反対しつつも僕の身内から二名選んでここの職員とした。妹もパイプができた事で一旦納得してくれた。

 その職員というのは、

「マリア」

「お、ダーリン」

 褐色のエルフが、床に座り込んで本を広げていた。

 最近急激に成長し、身長も僕と同じところまで伸びた。艶のある長い黒髪と、ますます重なる面影に、心中がかき乱される時もある。

 ビシッとした事務服が苦手らしく、今日も上着の胸元を開いてスカートを脱いでいた。

 長い生足と、ちょっとムチっとした太もも、膨らみかけの谷間が目の毒である。いやもう、見た目は十代後半なのだから、パンツ丸出しは止めてくれ。

「ふっふーん、どうだこれ? エアが選んでくれたのだぞ」

 僕の視線を感じて、更によくパンツを見せてくれた。

 白の紐パンである。生地の面積ちいせぇ。

「はいはい、ありがとうございます」

「良いのだ。良いのだ。夫を欲情させるのは妻の勤めぞ」

 あの世からトーチに怒られそう。

「あ、ソーヤさん」

 通りかかったのは、ピンク髪の職員。

 こっちはきっちり事務服を着ている。可愛い顔つきで小柄で小動物系。その手の趣味がある<主に組合長とか>に妙な人気があった。

 少し普通でない特徴を持ち、片目隠しの長い髪から四本の触手が生えていた。二本を歩行に使い、残り二本で暴れる大量の本を抱えている。人間の手には、埃払いの掃除用具を持っていた。

「よう、ロージーメイプルモス」

「マキナ・ロージーメイプルでしょ! 何で参考にした蛾の方を言ってるんですか?!」

「ケアレス、ケアレス」

 自分で名付けて何だが、よく間違える。

「てか、うわっ汚ッ! ソーヤさん土汚ッ! 本が汚れるから近寄らないでもらえます?!」

 昔の忠誠心が、欠片も残っていない元A.Iである。

「ガンメリー、アーマーパージ」

『ラジャ』

 背面装甲を開けて僕はガンメリーのアーマーから出た。

『吾輩ひとっ風呂浴びてくるのだ』

 丸めたポンチョで背中を叩き、自立歩行してガンメリーは下の階層に行った。何故かガニ股である。

「あーもー、床に汚れ汚れ」

 ロージーは、ガンメリーの後を追いながら箒で土埃を掃いて行く。

「して、ダーリン。妾に用があってここに来たのだろ? ニセナの奴が慌てて飛んで行ったのと無関係ではあるまい」

 流石、

「察しが良いな」

「良い女なのだ」

 僕は、マリアの傍に座り赤い宝石と栞を取り出す。

「むむ、これは」

「赤い方は、ホーエンス『終炎の導き手』の証。栞はジュミクラ【千人会】の末席。共に、それなりの官位だ」

「うむ、それなりの官位だ」

 マリアの頭には、全大陸の官位と価値が入っている。トーチの英才教育の賜物か、元から異常に記憶力が良かった。それに加えて、この聖堂の知識。

 冒険者の記録は、何も冒険だけではない。彼らの人生が記されている。その人生に加えて、前職員達の歴史背景を記した注釈。それは滅んだ文明の歴史書に等しい。

 今のマリアは、単純な知識量ならこの国随一といえる。

「で、頼みだが」

「その前に、ご褒美はあるのか? 妾は安くないぞ」

「僕ができる事なら何でも」

「“何でも”か、むむ」

 マリアは軽く考え込んで、

「んー」

 目をつぶって顔を近付けてきた。

「何だ?」

「チューだ。前払いのチュー」

 安いのだか高いのだか。

「あ! 口は駄目だぞ! 子供ができてしまう!」

「あ、はい」

 トーチ、お前。気持ちはわかるが大事な事を。

 照れくささを我慢して、マリアの額に唇を当てる。元々娘みたいに接していたから、最近の成長も相まって気恥ずかしさが半端ない。

「にひひひ」

 マリアは目を閉じて無邪気に笑う。こういうところは、まだまだ子供だ。

「ナーンかヨイ雰囲気ですけど、ここで子作りは止めてくださいね」

 メープルモスが戻って来た。

「安心せよせよ、口と口は接触してない」

「あのーマリアちゃん。キスじゃ子供はできませんよ」

「マジか!? ここの書物、性的関係は検閲されているからわからなんだ」

 健全か?!

「んでんで、ソーヤさん。何の用ですか?」

「モスモスには用はない。マリアに話がある」

「泣きますよ! 仲間に入れてくださいッ!」

 モスモスが触手を絡ませてくる。物凄いパワーで引きはがせない。面倒だから放置してマリアと話を進める。

「マリア、新生ヴィンドオブニクル軍と懇意にしている商会はどのくらいある?」

「懇意か、正確には利害の一致であって仲良くはないぞ」

「では、敵の敵。エリュシオンと敵対している商会は?」

「それなら沢山」

「連絡はとれるか?」

「今すぐにでも………はっは~ん。ダーリン、妾わかっちゃったぞ」

「わかっちゃったか。この官位を使って、どのくらい“金を借りられる?”」

 これが僕の金策だ。

 名高いホーエンスの官位と、横の繋がりが広いジュミクラの官位。商会が信用するに足る材料だ。

「いくら欲しいのだ?」

 妹に言われた金額を口にする。

「いけるぞ」

 マリアはあっさりと答えた。

「まず、妾と繋がりのある商会から金を借りる。借りたように見せかける。噂を流して金の流れを広める。大規模な軍備があるように見せかける。中立であるホーエンス、ジュミクラがエリュシオンと敵対したような噂も流す。あくまでも密やかに―――――――」

 司書とマスターと話した感じ。今はまだ疑心暗鬼で止まっている双塔の連中も、少し突けば完全にエリュシオンと敵対する。

 力で他国を押さえつけてきた国家が、滅びる時に何をするか? 異世界の歴史を軽く学ぶと偶然にも似たような事例が続く。一人でも多くの道連れを求めるのだ。

 それが、斜陽国家の風物詩。

「―――――――小さくもなく、大きくもなく。それでいて将来性のある商会に密書を送る。そして、タイミングを狙い。エリュシオンと繋がりのある大商会に二つの官位を送り、金を無心する。簡単に言えばこんなものか」

 簡単に言えば簡単に聞こえる。

 言うほど簡単ではないが、難しい事を簡単にこなすのが才人だ。

「上手くいけば、エリュシオンの金庫をかなり食い荒らせる。大国を落とす時は、やはり経済から攻めるのが一番だ。流石、ダーリン」

「ん?」

 あれ、

「借りる額だが、どーせなら三倍にしよう。それだけの金を“踏み倒されたら”連鎖的に他の商会も潰れる。貴族連中も保身から暴れる。民は反乱で荒れる。軍に新たな兵士が加わる。また、この大陸に人材が流れ込む。うむうむうむ、良いこと尽くめだな」

「あー」

 そこまで大事に考えていなかった。

「ま、任せた」

「妾もエリュシオンの経済力は削りたいと思っていた。丁度良い」

 僕的には、借りて後で返すつもりだったのだが、マリアは踏み倒す気満々のようだ。状況を見て判断するか。

 新生ヴィンドオブニクル軍だが、全権を握っていた『勇猛の王デュガン』がこの地で黒い竜に殺害された後、彼の息子が全権を握った。

 左大陸では一時的にエリュシオンの遠征軍に押されるも、巻き返しからの快進撃が今日まで続いている。

 戦に勝つのは良い事だ。それが次に続く勝利なら良いが、次に敗北する勝利もある。

 デュガンの息子、デュランダル。

 若く戦上手の総大将は、増長してマリアの助言を聞かなくなってきた。

『全軍を持って一日でも早くエリュシオンを滅ぼすべし』

 そんな冗談のような事を毎日口にしてる。

 エリュシオンは確かに弱っている。だが、それでも大国なのだ。エリュシオン全軍の規模は、新生ヴィンドオブニクル軍の十倍。デュランダルが下手に快進撃を続けると、新たな英雄が生まれ大国を立て直す可能性もある。

 合わせて深刻な問題がもう一つ。

 新生ヴィンドオブニクル軍は、中央大陸で蜂起した奴隷を軍に加えた。加えた、と言ってもほぼ独立して奴隷達は動いている。

 奴隷解放はトーチの案であり、マリアは信用する人物を彼らの大将として向かわせた。

 彼女の名は、優美のレグレ。

 冒険者の神ヴィンドオブニクルの血を継ぐ、銀髪の獣人。

 問題は、彼女の子供にある。

 諸王の中の諸王、ラ・ダインスレイフ・リオグ・アシュタリアの子を彼女は宿していた。

 その子供は、父親と母親に似て屈強に、獣人らしく早く成長した。

 彼は今、【反乱軍】と名を変えた奴隷達の総大将である。

 反乱軍の目的は、エリュシオンに虐げられた人々の解放。その混乱が生み出す隙は、新生ヴィンドオブニクル軍にとっても有益になる。………………はずだった。

 二人の若い将は、事あるごとにぶつかる。

 かたや獣人、かたやヒーム。

 そして、多くの諸王は今も尚、奴隷業に手を出している。

 おててつないで仲良く、なんて行くわけがない。

 常勝のデュランダルだが、自分に忠実な人間しか傍に置かず、意に反すれば死んだ父の部下すら処刑するという。華やかな勝利の影で、新生ヴィンドオブニクル軍から逃げる将もいた。

 その受け入れ先は、反乱軍だった。

 今の反乱軍は、ただの奴隷の集団ではない。名のある将がいて、単純な兵の数だけなら新生ヴィンドオブニクル軍を超える。奴隷がいる限り、兵の数は増え続ける。それこそ、中央大陸を全て飲み込むほどに。

 デュランダルが功を焦るのは、反乱軍の成長も原因だろう。

 エリュシオン、

 新生ヴィンドオブニクル軍、

 反乱軍、

 マリアはその二つに影響を及ぼすが、存在に疑問を持つ者は多い。

 人が人を動かす為には、功績が必要だ。

 この金策がマリアの功績になるなら良いが、少し不安である。レグレはともかく、レグレの子供はマリアの顔すら知らない。従っているのも母の命だろう。その母の言う事も、いつまで聞くのか怪しいものだ。

 上手く行くことを祈るのみ。

「そういえば、ダーリン」

「ん?」

 マリアは羊皮紙の写しを僕に見せる。

「ここの書物を読み漁り、妾の正確な出自を突き止めた」

 写しは家系図だった。

 リリディアスと、その血縁の身体的な特徴が記されている。

「結果だけ言ってしまえば、デュガンは間違っていた。妾はエリュシオンに連なる血筋ではない」

「………………な?」

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