<第一章:双塔より来たる> 【02】


【02】


 雨名の女神ジュマ。

 火を司る炎教と対になる水の神である。

 雨は誰にでも等しく降り注ぎ、人を癒す慈愛もそうあるべきだ、とか何とか。

 僕が知る歴史は、その信徒達は、古くから冒険者を癒す治療寺院を営んでいるという事だ。

「全身に切創、擦過傷、肉離れに打撲多数。左眼の結晶体も前より広がっています。アバラが二本折れてますね。そのせいか熱もあるようで。おまけに寝不足ですね」

 若い女性の治療術師が、淡々と診断を読み上げた。

 僕は上着を着直して聞く。

「明日からダンジョンに潜れるか?」

「面白い冗談ですね。軟膏と水薬出します。軟膏は強力なので粘膜の薄い場所には近付けないように。傷む患部に塗ったら包帯は三重で巻いてください。水薬は食後、一日三回必ず飲むように」

「それでいつダンジョンに?」

「三日様子見です。あなたのように治療魔法が効きにくい人は、例え頑丈でも細心の注意もって治療しませんと」

「三日後だな」

「三日後、経過を診に来ます。水薬は絶対に、必ず飲むように」

 治療術師は、軟膏の缶と水薬の瓶を三日分置くと、医療器具を片付けて部屋から出て行く。部屋の戸は開いていて、給仕服姿のテュテュと時雨、エプロンドレスを着た榛名が、立ち去る治療術師に道を開けて、揃って頭を下げた。

「奥さん、旦那さんに必ず水薬を飲ませてください」

「はいですニャ」

「それと、食パンください。良い匂いがします」

「はーい」

 治療術師はテュテュと店先に行った。朝早く客はまだいないが、店には焼き立ての食パンが並んでいる。

 テュテュの店【冒険の暇】亭は、営業を再開してから朝は食パン一つにしている。

 昼夕と大混雑するので、負担を軽減する為だ。

 食パンは、基本的に余所の飯屋や飲み屋の人間が買いに来るのだが、評判を聞きつけて一般のお客さんも買いに来る。

「おニャーちゃん。アバラってなに?」

「このあたりの骨」

 聞かれた時雨は、榛名の脇の下や胸に触れる。

「パパ、そこがどうしたの?」

「こう」

 時雨は、たまたま持っていた出汁用の骨をへし折った。

 榛名が、好物を落とした時のような凄い表情を浮かべる。

「ぱ、パパが、し、死ぬ?!」

「いやいや、大丈夫だ。榛名」

 アバラくらいじゃ死なない。

「ソーヤ、冒険が無理なら仕事手伝えよ。骨折れてても売り子くらいできるだろ」

「ああ、良いぞ」

 そのくらい問題ない。

「駄目ニャ!」

 戻ってきたテュテュが怒鳴る。

「ソーヤさんは絶対安静ニャ!」

「えー」

 店の手伝いが終わったら、金策に動くつもりだが。

「『えー』じゃないニャ?! 骨折れてて働く人間はいないニャ!」

「えー、かーちゃん。立って売り子するくらいなら」

「シグレ、ちょっと静かにするニャ」

「………………うん」

 テュテュが時雨を怒るところを初めて見た。

「ソーヤさん! 今日は家から絶対に出さないニャ! どうしても出たいのならニャーを倒してからにするニャ!」

 両手を広げて、テュテュはとうせんぼする。榛名も同じポーズで前に立つ。

 時雨は黙って料理の仕込みに戻った。

「いいですかニャ?!」

「パパいいですか?!」

「あ、はい」

 この二人を倒すのは難しい。

「ハルナ、ソーヤさんを見張るニャ」

「わかりました!」

 ククルルル、と可愛らしい野生をむき出しに榛名が迫ってきた。

 テュテュは仕事に戻り。彼女の接客の声と時雨の包丁の音に耳を傾けて、甘えてきた榛名をモフモフしていたら、

「ハルナ、芋むいて」

「かしこまり、おニャーちゃん!」

 時雨は、大量の芋が入ったバケツを持ってくる。一緒に空のバケツと包丁も持っていた。

「その前に手を消毒だ」

「あいあい!」

 時雨はアルコールをしみ込ませた布で榛名の手を拭く。きちんと肘まで拭いている。

「ソーヤ、骨折れてても芋の皮むきくらい」

「シグレ~」

「はい、かーちゃん」

 テュテュの怖い声を聞いて時雨は引っ込む。

 榛名は包丁を持って芋の皮むきを始める。驚いた。手慣れている。いつの間に。

 よく見れば包丁は刃引きしてある。これなら芋の皮はむけても、指は切れないだろう。

「榛名、手伝おうか?」

「ダイジョウブです。ハルナ、イモをむかせたらお店一だってマニャーにいわれました」

 言わずもがな、榛名の母親はランシールである。この国の王女だ。

 様々な事情により隠し子にしているが、曲がりなりにも姫君に芋の皮剥きとは問題………………問題か? 問題な気もするが良いか。姫君が芋をむけても困る事はない。

「ところで榛名。お前はこれ何個くらいむくの?」

「たくさんです!」

「数は?」

「えーと、えーと」

 包丁を置いて榛名は指折りで数える。

「おてて10ぽんと、5………くらい?」

「へぇ、それは凄いな」

「ふひぇへ~」

 シャリシャリシャリシャリ! とテレ顔の榛名は包丁を動かして芋をむく。大人顔負けだ。僕より速い気がする。てかこいつ、褒めたら褒めた分だけ伸びそうな気がする。

 あっという間に、芋は全部むけた。

 所々、粗い部分はあるが及第点といえる。

「おニャーちゃん! でけたー!」

「あいあいよー」

 榛名が呼ぶと時雨はすぐ現れた。

 エプロンで手を拭いて、手早く芋をチェックしている。

「ハルナ、こういう変色した部分はごっそり抉れって言っただろ」

 コック時雨による、駄目だしである。

「もったいないかと!」

「バーフル様の餌にするからもったいなくない」

「なるほど!」

「お店でご飯を食べるっていうのは、特別な事なんだぞ。皆、同じお金を出して料理を食べる中、自分の料理だけ変色した芋が入っていたら嫌だろ?」

「ヤーです!」

「そういう事だ。次から気を付けろよ。自分が食べるなら怠けても良いけど、人が食べる物は怠けちゃ駄目だ」

「はい!」

 時雨はむかれた芋を持って部屋を出る。

「パパ、ハルナ手をあらってきます」

「行っておいで」

 榛名も部屋を出た。小さい子にしては衛生観念もしっかりしてる。テュテュと時雨に任せたら、間違った成長はしなさそうだ。

 将来的に、ランシールが誰かに王座を明け渡したとして榛名はどうするべきか?

 二十回、妹と相談しては喧嘩になって別の話題に移る。

 妹の案は、万が一の為に榛名に英才教育と帝王学を叩き込んで、王として国を仕切れるように育てるべき、というもの。

 ランシールの母親としての案は、榛名の思うように望む夢を叶えさせてやりたいとの事。

 妹はどこまでも現実的だ。理にかなっている。

 ランシールは王の顛末を知っているし、利用された者の嘆きを見ている。正直なところ、時雨のように手に職付けて成長してほしい、が本音だろう。

 僕は、僕はマズい事に全くその辺りがわからない。

 妹との言い合いも、ランシールの案を代弁しているだけだ。僕の意見ではない。考えると頭が真っ白になるのだ。

 榛名の将来という先の先の事、僕のような生き物に考える資格があるとは思えない。

 やはりここは、正直な意見をランシールから妹にぶつけてもらおう。

『何事も信念がなければ相手を動かせない』

 というのは、誰の言葉だったか?

「ソーヤ! 怪我は大丈夫ですか!」

 噂をすれば影が呼ぶ。

 部屋の戸をバーンと開けたのは、メイド姿の獣人。長い銀髪にスカートを翻すモフモフの尻尾。恵まれた体に、榛名と同じ狐の獣耳。

 将来、榛名もこんな風に成長すると思うと、何だか複雑な気分になる。

「情報早いな」

「お店の前で、パンを食べている治療術師に聞きました」

「あ、はい」

 そりゃ早いな。食べるのも。

「全身の骨にヒビがはいり、アバラが砕けて、内臓も痛めているとか?! ここでは満足な治療はできませんね。お城に行きましょう!」

「そんな重症じゃない」

 あの女、話盛りやがったな。というか、城といえば。

「ランシール、その恰好は?」

 この国の王女がメイド姿である。

「城の勤めが一段落したので、抜け出してきました」

「こらこら」

 そりゃ街の人間も、王女がメイド服着て歩いているとは思わないが。

「大丈夫です。護衛がいますので」

「護衛?」

 開いた戸を見ると、妹の仲間の早口エルフと無口獣人が立っていた。二人ともロイヤルガードなのだが、煌びやか鎧は脱いで着慣れた冒険者の装束だ。

 ごゆっくりどうぞ、というエルフの小声が聞こえて戸が閉まる。

「傷を見せてください」

「大丈夫、大丈夫。治療術師は大袈裟に言っただけだ。三日安静にしているだけで完治だとさ」

「本当ですか?」

「本当だから脱がすの止めろ」

 ランシールが圧し掛かってきて上着を脱がそうとする。戦闘用じゃない義手では抵抗するのは難しい。てか、朝からこの王女は何をしようと――――――

「はーい、時と場所を考えるニャー」

 スコーン、と良い音。

「痛い!」

 叫ぶランシールの背後には、いつの間にかテュテュがいた。彼女の両手には、王女の後頭部をぶん殴ったドンブリがある。

「なっ、テュテュ?! ワタシこれでも王女ですよ? それを器で殴るとは?!」

「この家ではニャーが法律ニャ。文句あるなら出て行くニャ。でも、ハルナは責任持ってニャーが面倒見るニャ」

「クッ、卑怯な。いつもハルナの面倒を見てくれてありがとうございます!」

「はい! どーも! ハルナはお店手伝ってくれてこちらも助かるニャ!」

 この二人は、いつもこんな感じである。

「ランシール、これ朝ご飯ニャ! お城ではもっと良い物食べてるでしょーニャー?!」

「食べてるわけないでしょうが! 毒見、毒見と! 冷え切ったスープにカッチカチの黒パンを浸して飢えを凌いでいますけど!」

 妹は、暗殺防止にうるさくて王城の食は大変貧しくなっている。

「それは大変ですニャ! おかわりあるニャ!」

「いただきます!」

 仲が良いのか悪いのか。

「ソーヤさんの分はシグレが持ってくるから、少し待つニャ」

 テュテュが部屋を出て行くと、ドンブリ片手にもう食べてる護衛二人が見えた。

 朝飯は何かというと、冷麺のようだ。

 タレと混ぜ合わせた中華麺に、具は刻んだ豚肉と、半分に割ったゆで卵、炒めたオクラ、キノコ、麺の真ん中にはポテトサラダが盛ってある。

 朝飯にしては重いが、美味そうである。

「ソーヤ、あーん」

「いいよ、いいよ」

 ランシールにフォークでポテトサラダを向けられたが、またテュテュが怒るので断った。

 パタパタと小さい足音、時雨と榛名がドンブリを持ってやって来る。

「ソーヤ、朝飯だぞ。あ、ランシールさんおはよう」

「おはよう、シグレ」

「あ! ママ! おつとめごくろうさまです!」

「はい、ハルナ。ええと、おはよう」

 娘らしからぬ挨拶に困り顔になるランシール。

「はい」

「おう」

 時雨からドンブリを受け取る。

「今日の朝飯はレーメンだ。茹でた麺を冷水で締めて、ショーユとごま油、鳥骨スープと酢で作ったタレを混ぜた。具は、豚肉とゆで卵、キノコの味噌炒め、オークラ。冒険者相手だと量が足りないって言われそうだから、ポテトサラダを置いた。今日のランチメニューにする」

「おー」

 流石、リトルシェフ。しかし、

「ソーヤには特別なやつだ」

「………だな。うん」

 僕の冷麺は、肉と小魚が山盛りされていた。

 麺が見えねぇ。

「冒険帰りだから血が足りてないだろ? 豚の肝を下茹でして炒めた。出汁取り用だけど干した小魚も山盛りにした」

「時雨、だから僕は―――――」

 量がな。

「ソーヤ」

 ランシールに笑顔で威嚇された。

 何故だ?

「たくさん食べろよ」

「………おう」

 時雨は出て行く。謎なランシールの威嚇に驚いて、また言えなかった。

「ん?」

 時雨の奴、いつもは一緒に食べるのだが、ああそうか。ランシールがいるから気を使ったのか。気配り屋さんめ。

 ランシールはベッドに座り直して、榛名は、僕とランシールに挟まる感じで座る。

 三人手を合わせて、

『いただきます』

 キレイに声が揃った。

「うまうまっ」

 冷麺をガッツク榛名。その手には箸がある。

「ハルナ、あなた器用ね」

「おニャーちゃんが教えてくれた!」

 時雨のやつは、もっと箸の使い方が上手い。たぶん、イズがポット状態の時に教えたのだろう。もしくはテュテュが?

「ママの卵食べる? 好きでしょ?」

「野菜と、こーかん」

「はいはい」

 ランシールと榛名は、ゆで卵とオクラを交換した。

「榛名、僕の肉も食うか? 小魚も」

「ダメです。パパの食べ物とったら、おニャーちゃんにしばかれます」

 しばかれるのか?!

 この豚レバー。ニンニク風で甘辛な僕好みの味付けだ。焼いたレバーのモチモチした食感も嫌いではない。

 小魚はカチカチで口を切りそうである。カルシウムは豊富だろうが。

 いや、決して嫌いではない。美味しい。だが、減らない。一向に麺が見えない。

 時雨とは、ちょっと話し合わないといけないな。

「あ、そうだ。ランシール」

「なんでしょう?」

 丁度良い。食事中だが言っておこう。

「手紙を出したいから、王城の黒兎を借りたい」

 王城では、黒い羽根付き兎を飼っている。主要国家や、主だった組織との連絡用にだ。

「構いませんよ。どこに手紙を?」

 モグモグとレバーをまた一口。

「ジュミクラ、ホーエンス、魔法使い共の双塔に」

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