異邦人、ダンジョンに潜る。星々の彼方より帰還せり
<序章>
《序章》
広大な空間である。
石畳に、立ち並ぶ巨大な柱。天井は遥か遠くに、雲で霞み先が見えない。
場所が広大なら、住む者も大きい。
フルプレートの騎士がいた。
二本角をあしらった髑髏の兜に、薄くスマートに見える鎧。盾はなく、身の丈に近い剣を振り回している。
騎士のサイズは二十メートル、巨人の騎士だ。
昔、仲間達と戦った骨の巨人よりも大きく、速く、強い。
巨人の斬撃が、盾にした柱を豆腐のように裂く。
紙一重で刃を躱す。躱す度に、斬撃の速度は上がる。即、巨大な剣とは思えない速度に達した。襲いかかる凶鳥の如く迫り、逃れられない。
舌打ちを一つ。僕は、剣を引き抜く。
剣が轟音を奏でた。
当たり前だが衝撃は鳥ではない。巨象のそれ。
裂帛の気合で叫ぶ。かつて仲間の剣士がそうしたように、巨人の騎士と剣戟を交わす。
義父の遺品である剣を案じたが、愚かな心配だ。
飾りを変えたとて、元の剣の性能は何も変えていない。簡単に砕けそうな装飾剣が、強大な鉄塊を受けて斬り流す。
元の持ち主と同じで、見た目以上の強さ。
空気の炸裂と金属の不協和音。手の皮膚は裂け血が滲み、肉が断裂して、骨が痺れる。
しかし、斬り結べる。
恐ろしい速さの剣線が見える。常人なら一撃でミンチになる力を押し返せる。
これまでの戦いで、僕は巨人と斬り結べるほど鍛え上げられた。
が、
拮抗したとてジリ貧なのは目に見えている。
所詮は巨人と人の戦い。どんなに刃を交わそうとも、僕の刃は巨人に届かない。
そう、刃では届かない。
巨人の剣を大きく弾く。同時に僕は、大きく退く。ポンチョを翻し、小賢しくまた柱の陰に隠れようと逃げる。逃げる“素振り”に、巨人は乗った。
古き獣人がそうしたように、巨人は身を低く剣を突き出す。狙いは正確。僕の腰に剣の切っ先が迫る。
速すぎる突きは、もう避けるには遅く。受けても弾き飛ばされて体が柱に叩き付けられる。何もしなければ、上半身と下半身は痛みもなく別れるだろう。
死線が見えた。
見え過ぎて笑う。
見えた死線なら十分に踏み付けられる。
突き出された巨人の剣を、文字通り僕は“踏み付けた”。落雷じみた音を上げて、軌道を逸らされた剣の切っ先が石畳に潜り込む。剣身の三分の一が床に隠れ、周囲を半壊させた。
巨人は急いて剣を引き抜こうとする。
初めて見せた悪手に、全身全霊で剣を振るう。
咆哮の後、澄んだ音色の断末魔が響く。断たれた巨大な剣、バランスを崩し尻餅をつく巨人。
勝機。
僕は【左腕】の五指を、切り落とした刃に突き刺す。
「ガンメリー!」
『性能限界である。また破損するぞ?』
「構わんやれ!」
『ラジャ。痛覚カット。機関臨界、安全装置解除。5秒後にディストラクションモードに移行。量子転換、重力子に微干渉する』
通信の後、左腕が異音を上げて巨大な刃を床から引き抜いた。僕は、体の五倍近くある金属の塊を持ち上げる。
重力を軽減しても背骨が折れそうな重み。しかしだが、いける。
『敵、攻撃態勢』
「見りゃわかる!」
黙って見ている巨人ではない。態勢を崩したまま、折れた剣を振りかぶっている。
「投てき!」
左腕が僕の神経から解き放たれて、知覚よりも速く動く。接合部分の生体に強烈な痛み。音の壁を貫いた衝撃で体が吹っ飛ぶ。
放たれた二つの刃は交差し―――――
一つは巨人の兜を貫き。
一つは僕の【兜】を掠めて、遠くの柱に突き刺さった。
ディスプレイが破損して視界が暗転。自動的に兜のバイザーが開き、光が見えた。
ダンジョンの淡い光ではない。煌々とした力のある光。邪魔な兜を放り捨て、自分の目で周囲を見つめる。
巨人の砕けた兜から、光源である細く長い二つの羽根が、咲く。
「ガンメリー、あれは何だ?」
『濃縮されたフォトンを観測した。恐らく巨人の動力源であろう。何故、ああいう形に至ったのか不明である』
転がった鳥のクチバシに似た兜は、いつも無為な情報をくれる。
巨人から出てきたモノは、六枚の羽根を持つ光り輝く人型。
羽根と光こそ神々しいが、造形は醜悪。針金のような細い手足と餓鬼のようにガスで膨らんだ腹。顔には下アゴと歯、目鼻もない。
ミイラが輝いているだけ。生物、と形容するには足りないパーツが多すぎる。そんなモノが神々しく神聖を纏うとは、醜悪意外の何者でもない。
『全センサー、数値が等しくゼロを計測。吾輩の観測限界点、イベントホライゾンである』
「は? つまりなんだ?」
『完璧な静寂である。何も起こらない数値であるが故に、“何もかもが起こりえる”』
僕は剣を鞘に戻す。
重たくぶら下がる左の義手を確かめた。ピクリとも動かない。神経の連動すら切れて、感覚も痛みもない。つまりは、使い物にならない。
「ガンメリー、退避して防御しろ」
『了解。使うのであるな』
ガンメリーの兜から蜘蛛型のアームが伸び出て、カサカサ動いて柱の陰に隠れた。
古いSF映画でこんなのを見た気がする。
「ダンジョン内で使いたくはないが、こうも退けない状況じゃ仕方ない」
僕の背後、遠くまで並ぶ柱の奥の奥。そこから津波のように闇が迫っていた。まるで、目の前にいるモノが光を貪り食っているかのよう。
一層輝く醜い天使。深淵は、もうすぐそこまで近づいている。
闇に飲まれれば、何が起こるのか?
光を食らう者を放置すれば、何を起こすのか?
冒険者として気になる所ではあるが、
「先を急ぐ身だ」
謎を明かすのは他の者に任せる。
迫る闇に近付かれ、耳から音が失せた。体が重たく沈む。何もない無明に抗いようのない心地良さを感じた。安寧を見た。体は、力を抜いて静かに眠る事を欲する。
全てが甘い罠だと気付いていても、抵抗するには強い意志が必要だった。
目障りな光に苛立ちが湧く。
それでは足りない。
帰りを待つ者の顔が浮かぶ。
それでも足りない。
一人の女の顔を思い浮かべ――――――火が灯る。
狂気と祈り、強大な力に呼応する無限の力。狂信と共振の大魔術、大炎術師の最秘奥、獣殺しの炎。劫火。
指を鳴らす。
光よりも白い炎が敵を一瞬で包んだ。燃え上がる天使は、豚のような悲鳴を上げて黒く崩れて灰となる。
炎は爆発的に燃え広がった。
僕に纏わりついていた黒い羽虫達は、灰すら残さず幻のように消える。巨人の鎧は飴のように溶け、並ぶ柱は赤熱化して次々と倒壊していった。
世界を滅ぼす劫火が階層を舐め尽くす。破壊の後、残ったのは砂と硝子。元より生物らしい生物がいない階層だったが、さらに無機質な終末世界となる。
見通しが良くなった。
………………が。
「おい、ガンメリー。見えるか?」
『うむ、何も見えないのである』
広大な砂と硝子の世界が、どこまでも、どこまでも続く。
ダンジョンである以上、広いとはいえ限りがあるのだが壁すら見えない。唯一あるのは、後方にポツンとある長大な螺旋階段。この階層に降りる時に使ったものだ。
先の見えない不安と激闘の疲労で足が重たくなり、僕は腰を下ろした。
良くも悪くも何もない。敵がいないのなら休んでも問題ないだろう。
カサカサと、頭部だけのガンメリーが寄って来る。
「ガンメリー。ドローンは残っているか?」
『前の階層で全て囮に使ったのだ。というか吾輩、体が恋しいのだが?』
「腕はあるだろ?」
僕は左腕の義手を叩く。
ガンメリーは修理を開始。アームが火花を上げるが、
『メイン、サブ、全ての回路が焼き切れている。この共有パーツも使い物にならないのだ』
すぐ匙を投げた。
『吾輩の武装とアーマーは全損。センサー類は5%しか機能していない。食料は残すところ二日。これ以上の冒険は無謀である。帰還を進言する』
「来た道を戻る方が危険だ」
『急ぎすぎではないか? 吾輩は問題ないが、宗谷の補給も必要である』
「問題ない」
二日くらい水と根性で動ける。食料も節約すれば五日は持つだろう。
『問題しかないと思うぞ。せめて、しっかりとした休憩をだな』
「休憩なら今している」
『体を横にして十分な睡眠をとるのだ』
「実質ソロパーティで、ダンジョン内で眠るとか自殺行為だな」
『吾輩が護衛する』
「お前の体、前の階で吹っ飛んだだろ」
『なので、帰還を勧めているのだ』
「お前って、そんな口うるさい奴だっけ?」
前はもっと適当なイメージだったが、いつからこんな細かい奴に?
『宗谷がいい加減なだけである』
「そんな事はない。僕は僕なりに緻密な冒険のスケジュールを練っている」
『では、文書化して吾輩に見せて欲しいのだ。記録が面倒なら音声でも良いぞ』
「僕の緻密なスケジュールは、時々その場で柔軟に変化する」
臨機応変にな。
『そういうところである』
「納得したか」
『つまり、吾輩の小言くらい我慢しろである』
「ん?」
そういう話だったか? まあ、こいつと言い争っても冒険は進まない。
少しの休憩を得て立ち上がる。
疲れは取れていない。だが足は動く。動く間は進める。進めてさえいれば、いつかは辿り着けるのだ。
広大なダンジョンを見渡して、見渡して――――――
「あ」
上を見た。霧が晴れて、天井があらわになっている。
「冗談」
ガンメリーを拾って被る。
『ディスプレイ修復中、少し待つのだ』
画面は周囲を映し出すが、ノイズ個所が多く見れたものではない。
「次から普通の望遠鏡を用意しよう」
『賛成である。こうも扱いが乱暴では、シンプルな道具の方が良い』
一瞬の暗転から、画面の修復が完了。
「最大望遠」
天井をズームすると塔が見えた。そう、天井には逆さに生えた塔が並んでいた。
「まさか、あそこに行けっていうのか?」
『可能性は高い』
「降りてきたのに上がるとは、複合階層か。また面倒な」
このダンジョンの一部は、単純に下りれば進めるという構造ではない。蟻の巣のように複雑に入り組んでいる階層もあった。空洞のように吹き抜けになっている階層も。運と根気任せのランダム転送の階層も。
しかしまあ、飛ばないと近付けないとは初めてのギミックだ。
「ガンメリー、お前隠れた機能で飛べたりするか?」
『この形態では不可能だ』
別の形態ならいけるのかよ。
「参ったな。羽根でも付けろってのか」
『帰還して飛行パックを作成するのだ。とりま、推進機関の作成からになるが』
「それ、いつ終わる予定だ?」
三日くらいで作れると良いが。
『吾輩的にジェットエンジンが良いな。複葉機は浪漫があるが、プロペラは野暮ったい。男たるもの無駄のない流線形ボデーに限る』
「お前の趣味は聞いていない。で、何日くらいで作れるんだ?」
『化石燃料か、代替燃料を探すところから始めるのだ。ダンジョン内で手に入る異常な素材は考慮しないとして、異世界の鋼材で作れる設計、出力試験など諸々を合わせると、30年くらいあればなんとか』
「却下だ。気球を作る」
『あんなもの浮かぶだけではないか。ヒンデンブルク号の二の舞になるぞ』
「何言ってんだか」
こいつのこだわりは置いて、
「丁度良い。“足”が降りてくるぞ」
塔の隙間から、無数の光が降りてくる。
遠目では神々しいモノに見えるが、アップにすれば気分を害す天使の偽似姿。
『敵、先の同一個体が接近中。数250、退避を進言する』
こうも数が多いと光る羽虫だな。神聖さは皆無だ。
「よし、一匹だけ羽根をもいで使えるか試して見よう。他は焼き払う」
『………………正気であるか?』
「正気だ」
ガンメリーはうんざりした口調で言う。
『吾輩に胃があったら穴が開いているのだ』
「良かったな。今は頭だけで」
光が降り注ぐ。
炎が迸る。
剣が閃く。
いつも通りの死闘と地獄。いかな苦難であれど、慣れてしまえば日常だ。
現在の踏破階層は、四十九階層。
目標の五十六階層まで後少し、だがまだ、終わりは見えず困難を極める。
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