<第五章:簒奪者> 【06】


【06】


 街を歩く。少し代わり映えした街を。

 商店の軒先では、女王と小人が黒い竜を退治する劇をやっていた。様々な人種の子供達が夢中になって眺めている。

 一連の顛末に疑いを持つ大人達は多い。魔王の所在と黒い竜の正体については、連日デマと真実が入り混じって街を巡っている。

 けれども歴史を作るのは子供達だ。時代が流れれば、この劇が彼らの歴史になる。

 呪いと獣の物語など次代には必要ない。あれは、忘らるる物語で良いのだ。

 大通りから慣れ親しんだ路地裏へ。

 時間に捨てられた廃墟の中を進む。薄暗く灰色で、密やかな気配を感じた。ふいに角から長毛の猫が出て来る。

 ――――――そんな幻を見てしまった。

 女々しいな。

 失ったものは戻らないのに、それでも進めと言われたのに。

「全く」

 ままならない異世界だ。僕の大事な者を次々と奪って行く。

 静寂の中、目的の場所に着いた。

 目的の場所、というのは別に特定した所ではない。連中が僕を迎える場所が目的地だ。こうやって人目を避ければ遭遇すると予想していた。

 まあ、的中だ。

 仮面をつけた子供が言う。

「理由を聞こう」

「理由とは?」

 単刀直入過ぎて意味が分からない。

 仮面をつけた老人が言う。

「王として支配を放棄した事だ」

「そんな事か」

 支配か、くだらない欲望だ。人間なんてものは勝手気ままに繁栄して滅べば良い。あるがままに生きて死ね。それが生物として正しい。

「“そんな事”ではない」

 仮面をつけた女騎士が一歩前に出て来た。

 姿を見るのは久しぶりな気がする。隠れていたのか、それとも合わす顔がなかったのか。いや、今も仮面をつけているが。

「異邦人よ。貴様は、この大陸の支配者に最も近い位置にいる」

 女の声で【無貌の王】が喋る。

「この大陸だけではない。劫火を得た今、あの呪われし王子共、旧守護者達に成り代わり中央を、世界の中心を支配できるのだ。いずれは、混迷極まる左大陸すら手中に治められるであろう」

「そんな簡単にはいかない」

 そう簡単な話ではない。確かに劫火は獣を焼き殺す。呪いを浄火するだろう。

 だが簡単な話ではない事を、僕は知っている。

「簡単な事なのだ。劫火とは、それほどの力だ」

「違う」

 生物は、追いつめられた時に真価を現す。傭兵王が放った獣共を相手した時、僕は炎に抗う獣を見た。あれだけの数だったが、抵抗を感じた。

 これまで脅威のいなかった呪いの獣は、僕という脅威を前に次の進化に移るかもしれない。

 そうなれば、劫火など焚き火と変りない。

「異邦人よ。貴様の危惧は理解した。ならばこそ、急ぎ残りの王子共を滅ぼさねばならぬ。エリュシオン支配さえ盤石にすれば、残った獣は――――――」

「獣狩りの王子とは戦わない。しばらくの間はな」

 僕はスクロールの写しを広げる。

「何だ、それは?」

「密書をやり取りし、昨日返事が戻ってきた。これは、向こう五十年のレムリアの独立を認める証書。そして、軍事的な不可侵条約の証明書だ」

「馬鹿な事を言うな!」

 女騎士が激高する。

「ようやく辿り着いた【獣殺しの炎】であるぞ! どれほどの犠牲と時間が流れたと思っているのだ! 王子達を滅するのは貴様が仕えた神の願いでもあるのだ!」

「違うな」

 自分の口から、他人のような冷たい声が漏れた。

「彼女が望んだのは救済だ。滅びではない」

「貴様は何も分かっていない。彼奴らの狡猾さと無限にある時間を」

「だからこそだ。王子達は、時間が自分達の味方だと思っている。そこに付け入る隙がある」

「たった五十年で、彼奴らに滅ぼされぬ力を得られると? 貴様なしに」

「そうだ」

 準備はしている。

 詭弁ではなく。本当の僕の死後の事も。

「不可能だ」

「科学の前に不可能は存在しない。………妹の台詞だ」

「ガンズメモリーを模したゴブリンや、蜘蛛共で何ができる」

 こいつ、何故ガンメリーをそう呼ぶのだ?

 いや、この疑問は後か。

「色々さ。文明を発展させる手段は、彼らが濃縮している。密やかに、速やかに、この地の人間にそれを伝播する」

「無駄だ。人とは異物を拒否するものだ。小人の姿に化けようとも、奴隷冒険者の末裔と星海の怪物を、人が受け入れるはずがない」

「受け入れるさ。元より、ガンメリーの中身などこの地の人間は気にしていない。冒険者という損得勘定の塊が築いた国だ。興味は、それが有益か不利益か。それにつきる」

「ゴブリンの成り立ちを貴様は知っているのか? 奴らはエルフの虐殺の被害者なるぞ」

「知っている。次代のエルフの女王に話した。全てな」

「かの種族が――――――」

「受け入れるとさ」

「………………馬鹿な」

 エアにはゴブリンの成り立ちを話した。

 彼女の返事はシンプルかつ、エルフらしいものだった。

『哀れだと思うわ。でも、謝罪はできない。過去の罪は過去の罪。その上でアタシ達が生きているとしても、認める事はできない。蒸し返すのなら戦いましょう』

 それに対して、ゴブリンの代表であるギャスラーク・オズ・メルフォリュナ・ガズズオズム・オギュムズスの返答は。

『魔王様から、復讐は相手と同じやり方では駄目だと教わった。我らゴブリンのエルフに対する復讐は、エルフ以上の繁栄だ。エルフより美味しいものを食べ。エルフより良い生活をする。以上である』

 ちくりとした反撃である。

『へぇーアタシ達より良い生活ねぇ。アタシのおかげで、森の食糧事情はかなり良くなったのよ。地上出たばかりのあんた達には“それ以上”なんて難しいんじゃない?』

『そんな事はない。我々は賢く努力を惜しまない種族である。エルフに土弄りとかムリー』

『するわよ! させるわよ! 人間はね、自分で育てて自分で食わなきゃダメなのよ!』

 エリュシオンに貸し出していた農耕地。かつて、あるエルフが焼いた森の跡は、エルフとゴブリンの合同農地となっている。

「しかし、人はうつろうのだぞ。今のエルフの女王が死すれば」

「だからこそ、損得で縛り上げる」

 結局、権力者個人の繋がりなのは理解している。エアとギャスラークさん、どちらかが欠ければ争いは種族を燃やすだろう。

「黒竜ラザリッサ。あいつを使う」

「貴様、奴を滅ぼしてないのか?!」

 丁重に縛り上げて生かしてある。

 服を着せて飯だって与えている。待遇の良さに別の竜がおかんむりだった。

「廃棄ダンジョンの深部に封印した。ゴブリンが守護に付いている」

「あれは条件さえ整えば獣すら、いや世界すら食らい尽くす魔獣なのだぞ。今すぐに滅ぼすのだ」

「奴は何度でも甦る。あんたの方がよく知っているはずだ。勇者をそそのかして、ラザリッサを作らせたのだからな」

 と、ラザリッサ本人からの情報だ。

 嘘の可能性は高い。僕は真実だと思うが。

「竜は獣を滅ぼすに足るか。確かめるには、必要な手段であった」

 否定すらしないか。

「人類の脅威を産んでおきながら何を」

 そんなものを正義と呼ぶなら、大笑いの種だ。

「あれは失敗作だ。理論上、竜を素体にした生物なら星すらも変える極大の力を取り込める………はずだったが、産まれたのは穴の開いた革袋。強大な力を取り込めても、留める事はできない。確かに転生する特性を持っている。滅ぼす度に姿を変え甦る。しかし、竜は強大であっても無限ではない。事実、現在の奴は過去に比べ衰えている。何れ、己が何であるかも忘れるほど摩耗して消え去る。故に――――」

「滅ぼすつもりはない。何度も言わせるな」

「人類の脅威には変わりないのだぞ!」

「だからこそ利用価値がある。エルフには、ゴブリンが封印を守っている事を教えた。この大陸で唯一エルフのみに教えた。ゴブリンに何かがあれば、次はエルフが封印を守る番なのだと」

「エルフのような傲慢な種族に、世界の命運を託すというのか?」

「傲慢なのは認めるが、エルフは無能ではない」

 このプランは僕が作ったものじゃない。

 メルムが、義父が、内々に魔王様と接触して企てていたプランだ。僕は、そこにラザリッサという脅威を合わせただけ。

 彼は、王らしく種族の行く末を見据えていた。この仮面を被った亡霊よりも先の未来を。

「何よりも、『世界を守護する』という行為はエルフの自尊心を満たす。ただ見守るというだけの行為だが、ゴブリンとの関係を円滑にするだろう」

「そんな詭弁で種族同士の憎しみを晴らせるものか」

「だから、“あるがままなり”だ。ゴブリンが過去の恨みを再燃させるかもしれない。エルフがゴブリンを見下し、ゴブリンを殺し、ラザリッサを解放するかも。その時は、その時の者が問題を解決するさ。出来ぬのなら滅びるまで。それまでの種族だったというだけ。所詮――――」

 僕は異邦人だ。

 世界の行く末は見守れない。一種族を、終焉まで守る事はできない。できるのは、今目の前にいる脅威を滅ぼすだけ。

「力を持つ者の責任を、貴様は放棄している」

「あんたは人の力を甘く見ている」

 あいつらは子供じゃない。勝手に生きて繁栄するさ。

「獣と相対してきた貴様が、それを言うのか?」

「言うね。僕には言う権利と資格がある。人は獣になど負けない。………………違うか。人と獣の間に、勝ち負けなど存在しない」

「何を言う! 気でも狂ったのか?!」

 獣を滅ぼそうと彷徨い続けて来た者は、僕の言葉に驚愕する。

「呪いなど、人の感情の一つだ。時と共に溶けて人の一部になる。獣は人に、もしくは人が獣になるのか」

「ならぬ! 人の繁栄の為に獣は根絶せねばならぬのだ!」

 話が戻った。

 どうにも僕は、正義を振りかざす人間とは根本的に合わない。

「呪いは病ではない。人の一部だ。飼い慣らせるさ」

「ソシオパスめ。何故このような精神病質者が大いなる力を継いだのだ。こんな馬鹿な事があるか。どこで計画が狂ったというのだ」

 ソシオパス<社会病質者>と言われた。昔、似たような事を言われたし自覚もしている。

 知った事ではないが。

「意見の相違だな。僕はお前に従うつもりはない。【無貌の王】よ、あんたにはここで滅んでもらう。次代に王はいらない」

「滅ぼす、か。愚かな」

 仮面をつけた者達に戦う様子はない。

 抵抗する様子もない。

「我らは不滅。我らは群れであり個。体を滅しても、また別の我らが貴様を狙う。貴様の縁者を少しずつ削り取り、我らに縋りつくしかない事をゆっくりと教えてやろう。異邦人よ、その時は貴様が【無貌の王】となり、獣を滅ぼし世界を正すのだ」

「なるほど」

 蜘蛛とガンメリーの予想通りか。

 量子の海を泳ぐ寄生生命体。魔術師の成れの果て。文明を漂う亡霊が王とは笑わせる。

「炎よ」

 僕は、右の手の平に炎を生み出す。小さくとも世界を焼き尽くす劫火を。

「如何に劫火とて我らには――――――」

「焼くのはお前らじゃないさ」

 僕は嘘を吐いた。

「悪いな、マキナ。飯は無駄になる」

「なっ、馬鹿なッ。止めろ!」

 視界が紅蓮に染まる。

 獣を焼き尽くす炎は一瞬で僕の体を包み込んだ。獣を狩る者は、また獣なのだ。この炎は僕の体を灰にするだろう。

「ラナ。少し遅れたが、今行くよ」

 絶望を踏み越えて戦った。歯を食いしばって前を見た。

 手に入れたのは虚しさと力。こんなモノ、ゴミ以下だ。クソ喰らえだ。

 僕のようなクズと一緒に冥府に落としてやる。

「頼む止めてくれッ! その炎さえあれば新たな時代を照らせるのだ!」

「違うな、影が濃くなるだけだ。もう喋るな。口から威厳がこぼれるぞ」

 亡霊の懇願など知るか。

 炎に近付けず【無貌の王】は慄く。不思議と、僕は炎の熱さを感じなかった。身を焦がす匂いも痛みも何も感じない。

 安寧のような滅び。

 まるで彼女の願いそのものだ。ようやく僕の戦いは終わる。

 これで――――――


「まあ待て、若者よ。急くな」

「………………は?」


 急に、全く知らない声が響いた。

 僕の横にいたのは、腰の曲がった老人だ。灰色のみすぼらしいローブ姿、禿頭で枯れ枝のように痩せている。

 知らない男だ。

 知らないが、知っている気もする。誰だ? 人か? 神か?

「ロブ、何と言う哀れな姿か。今更、貴様如きが何故現れた」

「古き師よ。かつて私も、この若者と同じように劫火に触れたのです。ほんの一瞬ですが。その縁を使い仮初めの魂で参上しました」

 この老人が、炎教の始祖。

 大炎術師ロブか?

「何用だというのだ。失敗した貴様がッ」

「掃除ですな。ちと煤を掃いに」

「な、に?」

 僕を包んでいた炎は消え、代わりに仮面をつけた者達に火が灯る。

「劫火であなたは滅ぼせなくとも。私が生み出した終炎なら、あなたを永遠に消し去れる。師よ、長き務め、多大なる人類への貢献。弟子の一人として誇らしく思います。とうとう眠る時が来たのです」

「ロブ………………ロブよ。我が愛弟子の一人よ。貴様が我を滅ぼすというのか。これは、あまりにも………………皮肉だ」

 次々と仮面の者達が灰となり塵と消える。

「そうですな。人を憂い守るが故に、人の繁栄を止めていたとは。まこと世界は皮肉に満ちています。けれども師よ。かつてあなたは、私達にこう言った。『神の御業はいつも皮肉に満ちている。だが、人の思いは時にそれすら看破する』と」

 最後に残ったのは、女騎士と仮面が一つ。

 亡霊は一言だけ残す。

「長き旅の末、己の言葉を忘れるとは」

 仮面は消えた。

 亡霊は去った。

 あっけなく何もなく。

 女は微笑を浮かべる。

 かつての仲間。別れ、姿を変え、見守ってくれた最後の仲間。それが【無貌の王】の奸計だとしても、彼女には彼女の意思があった。僕はそう信じる。

「ロブ、彼女は救えないのか? ダメなのか?」

「これは元より死者の体。眠らせてあげなさい」

 神は少しだけ時間をくれた。

 本当に少しだけの時間を。

「アリアンヌ。いや、ゼノビア。………………ありがとう」

「はあ、馬鹿ね。でも嫌いではなくてよ。さよならリーダー」

 ゼノビアは幻のように消えた。

 涙は出なかった。獣は涙を流さない。泣くのは、真っ当な人間だけだ。

 風が【無貌の王】の痕跡を跡形もなく消す。最初から何もなかったかのように。

「若者よ」

「あんたには礼を言うべきか。恨み事を言うべきか」

 おかげで、僕はまた死にぞこなった。

「若者は、世を作った老人を恨む権利がある。変える権利もな」

「僕は異邦人だ」

「それとて同じ世界の住人である」

「僕は――――――」

 もう、限界だ。

 折れた心を何度も繋ぎ合わせた。震える膝を叩き立ち上がった。それも終わり。魂の炎が消えかけているのを感じる。

「不滅などまやかし。消えぬ炎はない。しかして、絶望すらいつしか消える」

「老人らしい気長な理屈だな」

「すまんな、歳を取ると色々と漏れるのだ。しかし、戯言だけではない。苦難の道を歩んだ若者に、老人が吉報を伝えよう」

「吉報?」

 こんな人物が、いや神が。僕に何を伝えるというのだ。

「私は炎を司る神でもある。全ての炎使いは私の子である。今世の【終炎の導き手】の魂は、私の元には来ていない」

「なん、だと?」

 その称号は、フレイとラナの。

「それはどういう事だ?! ラナは!」

「真実を解き明かすのは、今を生きる人の役目」

 ロブは、皺の刻まれた指で白い尖塔を指す。

「あれはかつて【神々の尖塔】と呼ばれた。神すら明かせぬ謎がある故、【々の尖塔】と名を変え、今も尚ここにある。神々の真実。異邦の冒険者よ、解き明かしてみせよ」

 炎が舞い散る。

 ロブは、その師と同じように幻のように消えた。静寂の中、僕は食い入るようにダンジョンを見つめた。

 何度も何度も見つめたそれから、目が離せなかった。

 消えかけていた胸の炎が揺らめく。

 光を得て、猛火のように燃え上がる。


 大炎術師ロブ曰く、消えぬ炎はない。

 だが、と僕は言葉を続ける。


『どんな闇の中でも炎は甦る』

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