<第五章:簒奪者> 【05】
【05】
風が吹く。
噂の風が街に流れる。
簒奪者の物語が街を覆う。
英雄を屠った男の話。
法王を屠った男の話。
傭兵王を屠った男の話。
冒険者の王を屠った王殺しの話。
黒い竜を従え、異邦の術で人を惑わす奸雄の話だ。
かつて、この右大陸には三つの王国があった。
今では再現できない強力な技術と文明を擁した国々だ。永華を誇ったそれらを、たった一人で滅ぼした女がいる。名を、ミスラニカ。悪行と謀略で神の座を得た女。
それが、男の仕える神の名だと言う。
知らぬ神の名だ。敵の中ですら忘れられつつある名前だ。
その神は、本当にいたのだろうか? 真実は誰にも分からない。他の神は何も語らない。
男の逸話には獣が何度も登場する。
故の分からぬ、教えられぬ獣。
男は獣を狩る者だった。そして、“最初に獣を狩った者”を殺す者だ。
では、男は獣人の敵なのか? 否だ。
では味方なのか? これも否である。
男は種族で敵を選ばない。故に人全ての敵とも言える。男は簒奪者と自らを謳うが、人は密やかに男を魔王と呼んだ。
しかし、である。
軽く興味を持った者が、噂を多く聞けば聞くほど分からなくなる。
男は、果たして悪だったのか? 魔と呼ばれる者だったのか?
英雄と呼ばれる者達が正義でない事は、皆が口を閉ざす真実だ。
法王なんぞは、悪評しか聞かない。為政者達は金の亡者に過ぎない。
英雄は皆、血塗れだ。
だからと言って、悪を討つ者が正義とは限らない。それは子供の思い込みである。
では男は、覇道を求めたのか?
男の道に王がいたから王達は殺されたのか? 誰も知る由はない。憶測は飛び交うも真実に辿り着く者はいない。
実の所、真実は実につまらなく個人的なもの。面白おかしく語れる事は少ない。
しかしてそれは、世間の知った事ではない。面白おかしく尾ヒレのついた話を流す。
男は剣で渇望を満たした。その剣に栄誉は無く、その血に栄えは無く、その魂に安らぎは無い。
神の奇跡とは常に皮肉なのだ。
男は幾人もの冒険者達と戦った。
中には真相を尋ねて来る者もいた。
男は、剣と沈黙で答えた。
街に噂が広まる。
名高い冒険者達が次々と男に敗北する。正面から負けた者もいれば、不自然に逃げ出した者も、男を脅威として扱わない者すら現れた。
最早、冒険者組合ですら男の支配下であるという。
静かな絶望が街を広まる。
逆らえる者はいない。男の気まぐれ一つで、虐殺が始まるかもしれないのだ。
男の不気味な沈黙が恐怖に拍車をかけた。
陰鬱な空気が街を覆う。
王亡き王国の民は救いを求めていた。
勇者がいるのならば奮い立つべきだ。隠れた英雄がいるのならば立ち向かうべきだ。
しかし、現実はそう甘くはない。
男は狡猾だった。
亡きレムリア王の忘れ形見を捕らえていた。彼女を盾に、彼女の影から民に命じる。
自らの支配を盤石にする命令を。冒険者への支配を。
だが、ある日毛色の違う言葉が流れる。
『才ある者を求める。身分に関係なく種族に関係なく。全ての才ある者よ、この大陸に集まれ』
それは、冒険者の王の言葉だ。
決して、魔王の口から出た言葉ではない。魔王を唆し、王の娘である彼女が叫んだ願いなのだ。
真実はどうであれ、民はそう信じた。
言葉は風に乗り、大陸中を駆け巡り、海を渡り島々を通り、また別の大陸に響く。
言葉には熱があった。強さがあった。
無論、危険も。
『男は人の才を喰らうつもりだ』
誰かがうそぶき、誰かが信じる。
他人任せに誰かが言う。
『だからこそ、本当に誰かが男を止めなければならない』
答えるものはいない。
いないからこそ、立ち上げる者に価値が生まれる。
異邦人、ユキカゼ。
人々がその聞いた事のない名前を耳にした時、思った事は一つ『またか』である。
名乗り出た冒険者などいくらでもいる。日が落ちる頃には誰も憶えていない。末路の方が話題になるからだ。
女も男も老いも若きも揃って裸で通りに吊るされる。
聞けば、ユキカゼなる者は女だという。さらに聞けば、彼女の連れも女だという。
人々が浮かべる想像は下衆なモノだった。
その下衆な想像も、連れの女の名を聞くまでのものだ。
その名を、ゴルムレイス・メルフォリュナ・ギャストルフォという。
ギャストルフォ、左大陸と中央では名の知れた勇者の一族だ。人々の期待は膨らむも、不安に潰される。
ギャストルフォとはいえ、ゴルムレイスとは聞かぬ名だ。騙りかもしれぬ。そも、勇者など古めかしい称号の一つに過ぎない。勇者そのものが騙りとも言える。
どちらにせよ、魔王との戦いを見ればすぐ明らかになる。
人々は待った。
一晩、彼女達の戦いの行く末を見守った。
偶然か魔王の怒りなのか、その晩、街は嵐に襲われた。
強風と雷、空を覆う暗雲に巨大な影を見た者がいた。
雷鳴よりも大きなケダモノの悲鳴を聞いた者がいた。
苛烈であり激烈、街は一晩で戦火に飲まれたようだった。
詳細に戦いを見た者はいない。激しい音と光だけが激しい戦いを物語っていた。老いも若きも、耳ざといネズミですら戸口を硬く閉ざした。
戦音の中、魔王の軍勢か、勇者の増援か、軍靴の音を誰かが聞いた。小さい影を見た者がいた。恐ろしく沢山の小さな影だ。
誰かが、
そう誰かが見た。
確かに見た。
魔王と戦う二人の女と、彼女達が使役する無数の小人の姿を。
子供だけが知っている小人の名前。
終末を呼ぶと言われたガンメリーの名を。
嵐が嘘のように、朝は静かだった。
人々が見たのは、疲れ果て倒れ込む三人の女。
異邦人、ユキカゼ。
勇者ゴルムレイス・メルフォリュナ・ギャストルフォ。
そして、冒険者の王の娘ランシール。
彼女達の周囲には、付き従う大量の小人。その背後には黒い粘液に包まれた巨大な竜の躯。
足元には―――――――
魔王と呼ぶには小さい肉が一つ。
焼け焦げ、散らばり、しかし砕けた王冠の破片、簒奪者の証、魔王の証が傍に転がっていた。
それだけが魔王の死を表していた。
噂の風が街に流れる。
簒奪者の物語の終わりが始まる。
英雄を屠った男の話。
法王を屠った男の話。
傭兵王を屠った男の話。
冒険者の王を屠った王殺しの話。
黒い竜を従え、異邦の術で人を惑わす奸雄の話。
最後は、同じ異邦人に、勇者に、それに獣人の娘に殺された魔王の話。
「それで―――――」
マキナ・ロージーメイプルが筆を止めて、僕に聞く。
「この魔王は消え去って終わりですか?」
「まさか」
僕は突貫で作らせた義手の調子を確かめていた。
雪風の持ち込んだ素材でガンメリーが作ったカーボン製の義手。ほぼほぼ元の腕を変わらない程度に動くが、かなり痛い。
肩の生体と機械の繋ぎ目、それと血の通わないはずの義手そのものが痛む。
経験者である雪風曰く、半年は痛み止めのお世話になるとか。
むしろ痛むからこそ、神経が繋がっている証だと言える。痛みは生きている証だ。
僕はまだ、生きているのだ。死を偽装して、女に全て押し付けて、愛した女の後も追えず、みすぼらしく生き延びている。
「では、結末を追加しますか?」
「魔王の話はそれで終わりだ」
マキナの奴は、前から書いていた僕の回顧録の一部を魔王の物語として書き直していた。
今回の顛末を世に広める為、吟遊詩人に広めさせる為、この世界が何度もそうしてきたように、僕らも偽りを真実として広める。
「後は、何者でもない男の誰にも知られる事のない戦いだ」
武器は細身の剣を一つ。亡き義父の形見を少し弄って偽装した剣。柄に剣身と至る所を肉抜きした刃は風のように軽く。かまいたちのように切れる。切れすぎるが故に、技量の足りていない僕には自らを傷付ける剣。
何か由来のある名剣なのだろう。僕にはその知識はない。しかし、言葉と意思は受け継いだ。
『それで良い』
と、彼なら言うだろう。それとも、
『知るか』
かな?
服装は新調したトンガリ帽子に北の古い冒険者衣装。亡き神の故郷の衣装だ。狼と雪を思い出す姿、わずかに夢の匂いがする。
後は、欠けた体と慣れない義手。内の炎。
十分だ。
十全と言える。
さて、行くか。最後の敵の所に。
「昼飯には帰る」
「はい、ご武運を」
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