<第四章:紅蓮よりも赤きもの> 【02】


【02】


 気付けば路地裏にいた。周囲の建物が城壁のように大きく見える。自分の体も小さい気がする。

 鐘の音が聞こえた。

 視界は茜色、空には血のような夕日。

「またねー」

 子供の声に、

「またねー!」

 と、僕は手を振る。彼は、迎えに来た子供達とどこかに消えてしまった。

 静寂の中、僕は独り取り残される。

 僕も帰らなければ、でも何処へ? 帰る場所が思い浮かばない。

「あら、ここにいたの」

 メイド服の女が現れた。大きくてトカゲの尻尾と角のある獣人だ。

「ソーヤ、楽しかった?」

「う、ん?」

 楽しかった………………ような気がする。彼女が楽しいと言うのだから楽しかったのだろう。

「たまには、子供の相手も良いですね」

 メイドは僕の手を強引に引っ張ると、ある神殿跡まで連れて行った。

「でもどうしましょう。あなたの遊び相手がこれでは、明日から暇ですよね」

 そこに転がっていたのは、黒く焦げた何かの塊。

「そうだ。これから毎日、冒険者を焼きましょう。それを焼き尽くしたら次はエルフ。獣人を焼くのは王子達の二番煎じですけど、基本ですから外せません」

「焼く?」

「そうよ。楽しい事。あなたも獣を焼き殺す時、愉悦を噛み締めていたのでしょ? 人間を焼けばそれ以上の快楽が得られるわ。世界を焼けば至上の幸福を得られる。とっても簡単だから、その炎を少し貸してごらんなさい」

 僕の右手には小さな炎があった。

 様々な人間達の数多の苦難と、様々な神々達の無限の奇跡が結集した炎。

 大事なモノだ。しかし、彼女が貸せと言うのなら、少しくらい貸しても良いだろう。

「ラザリッサが、本当の使い方を教えてあげます。劫火と言う名に相応しい破壊を、あまねく世界に炎の―――――――」


「妾の子から離れろ」


 懐かしい声が響くと、メイドは黒い霧となり四散した。

 夕暮れが終わり、夜が来る。

 現れたのは長い黒髪の美女。細い肢体に闇にはえる白い肌。和風の吸血鬼のような姿。背中の大きく開いたドレスを着ている。

 知っている。

 僕は彼女を知っている。

「行くぞ、ほら」

 彼女と手を繋ぎ、暗闇の支配する路地裏を歩き出す。

「知らない女に付いて行ってはいかんぞ。いつまでたっても世話の焼ける奴じゃな」

「はーい」

 素直に返事をした。言いつけは守らないといけない。でも僕は、あまり良い子ではないから絶対守れるわけではないが。

「ソーヤ、疲れたか?」

「すこし」

 言われてみれば、物凄く疲れていた。何故こんなに疲れているのか思い出せないが、僕は酷く疲れていた。

「明日もまた戦うのか?」

「………わかんない」

「戦いたいのか?」

「………………いや」

「なあ、ソーヤよ」

 彼女は僕の前に出る。

 向かい合い跪き、僕を抱き締めた。

「お主はよく戦った。もう休んでも良い。獣を払うと言う妾の悲願は果たされたのだ。これ以上、神として望む事は何もない。………いや、妾が最後に望むのはお主の平穏じゃ」

 溶けるような温かさ。

 このまま何も考えず消えるのも悪くない。闇は平穏だ。静かで温かく、何もないが故に苦しみは存在しない。

「僕の望みは――――――」

 望みは、何だろうか? 強欲ではない癖に分不相応な願いばかりを追っていた。そして愚かにも、本当に守らなくてはいけない者を自らの手で。

 前に彼女は言った。

『失った絆は戻らないが、新しく作る事はできる』

 そうやって、呪いと関係のない世界に生きて、別の人生を歩むのだと。

 そうすれば良かった。

 それならば、あの子供達は死ななかった。陛下や、メルム、ラナは死ななかった。

 今以上に血は流れなかった。

 だが、でも、

「それは無い。無いですね」

 大きくなった腕で、彼女を抱き締め返す。

 血は流れてしまった。死は覆らない。全て逃れようのない現実なのだ。

 まるで、悪い夢。

 でも、

「後一度だけ、立ち上がってみようと思います。僕は男の子ですから、泣きながら死ぬよりは雄々しく戦って死にたい」

「馬鹿な子ね」

 柔らかく叱られてしまった。

 僕は笑う。どういう顔をして良いのか分からなくて笑う。

 ホントどうしようもない奴だ。けれどもこれが僕なのだ。地獄の底に落ちても何も変わらない。

 束の間の悪夢は終わる。

 悪夢より恐ろしい現実の幕が上がる。

「ありがとうございます。ミスラニカ様」

 思い出した名前を口に出した。我が神の名前。その名が本物ではなくとも、信奉する徒が一人でもいる限り神は存在する。

「暗火のミスラニカが最後に問おう。汝、その剣に栄誉無く、その血に栄え無く、その魂に安らぎ無し。それでも尚、その苦難の道を進み。いつか全てを失い、全てに忘れ去られ、何も残さず塵と消える。それでも戦うのか?」

「はい」

「宗谷、妾の愛した最後の信徒よ。妾から最後の奇跡を授ける」

 彼女は僕の右手を両手で包むと、自分の胸元に寄せた。

 祈り願う姿勢。

 神である彼女が、何かに祈る。

「死を乗り越え、悪夢を振り払い。成すべきを成すがよい。その意思が砕け散るまで、その意思を貫き通すのだ。行け、我が子よ」


 聞こえる。

 遠くから狼の遠吠えと―――――――吹き荒ぶ吹雪が。

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