<第四章:紅蓮よりも赤きもの> 【01】


【01】


 一本道を突き進む。外に比べ中はシンプルな構造だった。

 迷う事なく広間に出る。

 がらんとした何もない空間だが、そこに玉座と王冠を被る者がいるのなら、王間と呼ぶに相応しいのだろう。

「遅かったな、“異邦人”。メディムは殺したのか?」

「殺した」

 僕は刀を見せる。

「そうか。あれは最後の仲間であったが、存外何も感じぬものだな」

 ベルハルトと名乗った者は、煤け黒ずんだ王冠を頭に乗せていた。

「メルムを殺したのはお前だな?」

「そうだ。奴は余の正体に気付き、企みを止めようとしたからな」

 悪びれる事無く男は言った。

「本物のベルハルトはどうした?」

「殺した。この傷はその記念に残してある」

 男は左目の下にある刃物傷を指す。

「諸王、勇猛の王デュガン・シュテルッヒ・ホロビ・ロブス。並びに新生ヴィンドオブニクル軍、レムリア軍」

「それは余の所業ではない。貴様に触発され復活した黒き竜。勇者と呼ばれた者達に、細切れにされ奇跡の苗床にされた哀れな竜。影麟公とでも呼ぼうか。彼女の仕業だ。なあ、ラザリッサ」

 空間が一瞬黒く染まる。地面を巨大な何かが這って、玉座の隣に集まった。

 現れたのはメイドだ。大柄で角と尻尾のある獣人。

「不愉快な力を感じたので焼き払ったら、丁度王様もそこに」

 クスクスとラザリッサは笑う。それは人間の表情ではない。

「でも、驚きました。灰の中から再臨するとは、どんな奇跡ですか?」

「何てことはない。ラザリッサ、貴様と同じ【アバドン】だ。奴は時が来たら開花する種を、ダンジョン中に蒔いていた。【無貌の王】ですら気付かないほど小さく巧妙にな。ま、余の場合は気付いて自ら飲み込んだ口であるが」

「まあ、では王様とラザリッサ以外の【アバドン】は?」

「おらん。余が粗方殺し力を奪い取った。つまり、ラザリッサ。余は最大のアバドンであり、貴様は余の一部でもある。故に従えよ」

「ええ、今後とも良しなに。王様」

 うやうやしくラザリッサはスカートを摘まむ。

 僕は一つの疑問を口にする。

「フレイはどうした?」

「お嬢様はここですよ」

 ラザリッサは、自分の胎を撫でた。

「大事に育て立派に成長した後、残ったギャストルフォを皆殺しにしてもらいます。人間に比べたら可愛らしい復讐ですよね」

「………………」

 言葉が出ない。僕の判断ミスだ。フレイとラザリッサを引き離すべきだった。

「よせ、ラザリッサ。そう苛めてやるな」

「茶番はもういい。【レムリア王】」

 僕の言葉に、男の笑顔が止まる。

 それは正解の証だった。

「誰に聞いた? メディムか? メルムか?」

「メルムだ。あいつは誰に傷を負わされたのか、最後まで言わなかった。僕に復讐をするなとも言った。僕に戦って欲しくないかのように。そんな相手は一人しか浮かばない。死んだと言われていたが、生きていると仮定すれば【レムリア王】。ただ一人だ」

 他にもあやふやな判断材料はあったが、こうして正体を突き付けるのが一番の手っ取り早い。

「メルムめ、そこまで余を思っていたのか。それは感謝せねばな。余は良い仲間を持った。それで正体がバレるとは皮肉であるが」

 言葉だけの響きだ。感情はない。

「それにソーヤよ。余は貴様にも感謝している。貴様が足掻き、藻掻き、忌まわしい王子を打ち倒したからこそ。天魔は獣の業を捨て、別の可能性を産み出した。アバドンから黒き竜は甦り、その炎と天の導きにより余は再誕できた」

「分かっているさ」

 こいつらは、僕が産んだ化け物共だ。

 僕という異邦人がいなければ、産まれなかった世界の脅威だ。

『世は皮肉に満ちている』

 バーフル、お前の言う通りだ。僕が血を流し、魂を削った結果がこれ―――――

「―――――だからこそ、僕にはお前らを斬る百万の理由がある。なればこそ、百万と一つ目の理由をお前らに問う。この国をどうしたい? この大陸をどうしたい? 世界をどうしたい?」

「愚問だぞ。余の目指すものは一つ。“全ての支配だ”。大地とは支配者の名を冠する物。あの王子ですら、一大陸を支配できた事はない。まず、この右大陸を支配し【レムリア大陸】と名付けよう。その覇道を手始めに、世界全てを余の名とする」

 清々しいまでの支配欲。

 妄言と笑う事はできない。こいつには、その可能性と力は十分にある。

「その為に何を殺す?」

「邪魔な者、全てだ。立ち塞がる者あらば、一族郎党血の一滴まで滅ぼす。しかし、育てる者は育てる。才ある者は出自を問わず用いる。奴隷であれ、貴族であれ、騎士であれ、諸王であれ、冒険者であれ、従うのであれば王子すらも。無論、異邦人もな」

 差別が当たり前の異世界では、美しい理想にすら聞こえる。

「貴様とて、ハルナの住む世界を今のままにはしたくないだろう? 美しい者を美しく扱い。才ある者に相応しい対価を。誰も血や身分に囚われない。余の支配とは民に自由を与える支配だ」

 本当に綺麗に聞こえる。

 そう聞こえるが故に僕は。

「ソーヤ、余の右腕となれ。メディム亡き今、貴様こそ次代の【冒険者の父】に相応しい」

「断る」

 こいつだけは信用できない。

 綺麗な建前を並べる奴ほど、陰ではおぞましい事をやる。こいつは正しくその通りの下衆だ。これまで何度それを見た事か。くだらない言葉の並びで騙されるわけがない。こいつの自由は、自由に見えるだけの首輪と鎖だ。

「時代は変化する。次代を決めるのは新しい王だ。レムリア、あんたはその器じゃない。無論、僕でもないが」

 僕は進む。敵を必殺の間合いに入れる為に。

 切り替えた。言葉は音の響きに過ぎず、後はただ斬り捨てるのみ。

「余も斬るのか?」

「誰であろうとも」

 正義はいらない。金も名誉もいらない。己の命すらも。そうでなければ、斬れない相手がいる。

 今すぐそこに。

 十歩の間合い。これが僕の必殺の距離だ。残り三歩でそこに達する。

 ラザリッサは動かない。僕とレムリアを妨げる者はいない。自然体で構える事もせず、研ぎ澄ました殺気は微塵も漏らさない。

 深く静かに音もなく死を与える。

 模倣から始めた剣技は真の形で手の平にある。これで斬れないものなど――――――

「“誰であろうとも”か。で、あるなら。これはどうだ?」

 レムリアが手を叩く。

 王座の影から現れた者は、小柄なエルフだった。肩の開いた黒いドレス姿で、僕は一瞬合った目を思わず逸らした。不安げな瞳が脳裏に焼き付く。

 見れない。前を見れない。

「客人に挨拶を」

「ラウアリュナ・ラウア・ヒューレスです。ソーヤ様」

 その声に心臓が高鳴る。

 呼吸が乱れる。

 手が震える。

 警告通り、この可能性は覚悟していた。だが、現実は覚悟を軽く超える。足が動かない。一歩も前に踏み出せない。

「ラウアリュナよ。これが余の話していた男だ。分かっているな?」

「はい、我が王よ。ソーヤ様、私は今日から貴方に仕え、尽くし、支える事を誓います。醜女ではありますが、何なりとお申し付けください。どのような事でもお従いします」

 ラナらしき女が一歩前に出る。

 僕は一歩下がる。

「ガンメリー、ガンメリー! 通信に出ろ! 見えているな!」

 自分の口から情けない悲鳴が漏れた。

『見えている』

「あれは! ラナではない! そうなんだな!」

『それは決める事は、吾輩には許されていない。宗谷が決めるのだ』

「決められないからお前に聞いているんだろ! あれは偽物なんだよな?! そう言えッ!」

 通信にノイズが走る。

『ソーヤさん! 奥様ですよ! 生きていたのですよ! 偽物じゃありません!』

 ロージーの声が聞こえた。

『ソーヤ隊員、イズの観測でも奥様と思われます』

 イズの声も。

 抱き締めてしまえ、認めてしまえ、そう甘い誘惑が耳元で囁く。

 辛い戦いをここで終わらせろと。

『宗谷、決めるのは自分自身だ。吾輩達に宗谷の意思を決める事はできない。正しい観測結果が正解ではない時もある』

 再びのノイズ。

 ガンメリーの声を遮り、ロージーでもイズでもない女の声が聞こえる。

『ならば見なければ良いだけです』

『待て! イゾラ、それでは――――――』

 視界が暗転した。眼鏡の液晶が黒く染まり何も見えない。

「何だこれは」

 視界はすぐ晴れる。目の前にいたのは、襲いかかって来る人型のモンスターだった。

「なッ」

 反射的に刀を抜く。モンスターを突き刺し、もつれあい倒れ込む。

 弾みで眼鏡が外れた。

 目の前にいたのはモンスターではなかった。ラナだ。心臓を一突きにされ即死していた。

 脳が理解するまでかなりの時間を要する。

 前に見た光景は幻だった。

 では、これは、


 何だ。


 僕は、


 悪夢を見ている。


 視界が黒く染まる。


 狂ったような女の嘲笑を聞いた。

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