<第三章:深淵よりも暗きもの> 【07】


【07】


 持って行く物は少ない。

 武器は刀一振り。

 身に着けるのは、野戦服とポンチョ、それにブーツと眼鏡。

 それで全部だ。

 不可視の外套はエアに返した。今はこそこそ隠れて戦う気分ではない。そんな小手先の技が通用する敵とも思えない。

 街を歩く。

 見慣れた石造りの街を。

 昼飯の食休みが終わり、人々は急かしく働いている。大通りは活気に溢れていた。行き交う馬車には大荷物が積まれていた。新築された露店はどこもかしこも大賑わい。鍛冶屋が鉄を打ち奏で、街の修繕用品を作っている。商店の前では痛んだ商品を広げて格安で販売していた。足を止める若い男女は、駆け出しの冒険者だろうか。

 一人の美しい異種族に目を奪わる。

 陶器のような白い肌に砂金のような金髪、エルフにしては小柄で胸も大きい。横顔に愛した女の面影を見た。他人の空似と気付いても、僕は彼女を見続けてしまった。

 幻は人混みに消える。

 止めた足を動かす。

 街を進む。

 希望と絶望の温度差は、確実に僕の心を蝕んでいた。携えた刀と同じで、刃こぼれだらけのナマクラだ。

 それでも斬れるモノがある。

 これでも殺せるモノがある。

 こう言い聞かせないと一歩も前に進めない。

 何を見て、何を斬るのか、まだ決めかねているのに。致命的な隙だというのに。迷っていても足は動く。何かが足を動かす。

 街の北部に到着した。一番高い建物が嫌でも目に入る。

 砦だ。

 城壁と一体化した円柱状の巨大な砦。僕が吹っ飛ばしたレムリアの居城より一回り小さいが、ちょっとした城と同じサイズである。

 砦に近付くと道が狭く入り組んでくる。きつい坂もあり、普段使う路地裏よりも移動が困難。民家はもぬけの殻で無人のようである。

 まるでアスレチックだ。これは対軍用の建築だろう。人が迷うように作られている。行く先に、猛烈な殺気を感じなかったら僕も迷っていた。

 重い体で進み歩く。

 目的地まで一直線に最短で。

 大人一人がギリギリ通れる通路を行き、中腰でトンネルを潜る。壁をノロノロとよじ登り屋根を進む。

 重い、重い、一挙手一投足全てが重い。

 屋根から飛び降りると着地に失敗して転がる。力が入らない。このまま眠りたい。なのに何故か、それでも僕は立ち上がる。全身を倦怠感が覆う。睡魔が力を抜けと囁く。本心を言えば従いたい。休みたい。消え去りたい。

 だが、ドガン! と壁を殴り付けた。

 衝撃で肘が痺れ、拳の皮と肉が裂けて血が流れる。

 まだ痛みを感じた。

 血も流れる。

 なら、戦えるはずだ。

 血を流すのならまだ戦える。痛みがあるのは生きている証。眠り伏せるのは死者にやらせればいい。

 燻っていた体にわずかな火が灯る。

 握りしめた拳に微かな力が宿る。

 僕は、まだ戦おうとしている。

 僕の意思がそれを拒否しても、体はまだ戦おうとしている。ここまで生と死を往復してきた相棒だ。何もせず終わるなど、許すわけがない。朽ち果てて灰になっても炎は消えないのだ。

 今際の炎だとしても、再燃した心と体で前に進む。

 そこにいたのは、

「遅かったな」

 砦の手前に冒険者の父がいる。

「あんたも奴の手先か」

「いや、違うな。だが敵でもない。お前の味方でもないがな」

「………どけ」

「シュナ、こいつだ」

 親父さんが名を呼ぶと、長剣を背負った赤毛の少年が現れた。最後に見た時と比べ荒んでいる。手や顔には生傷、利き腕は血の滲んだ包帯に包まれ、革鎧はボロボロで廃棄寸前だ。無茶な戦いを傷が癒える前に繰り広げていたのだろう。

 親父さんはシュナに言う。

「こいつに勝てるのなら、この先の敵に勝てるやもしれん。こいつにすら勝てないのなら、この先の敵には絶対に勝てない。試金石だ。全身全霊で戦え」

「兄さん。悪いが手加減できるほど余裕はないぜ」

 シュナは長剣を抜く。

「おい、メディム。これは何だ?」

「お前にも同じ事を言ってやる」

「ふざけるな」

 戦えと言うのか? この僕にシュナと。前のような試合ではなく真剣で殺し合えと?

「メディムッ!」

 長剣の輝きが、メディムに向けた殺気を払う。

「兄さん、オレはやる気だ。あんたの勝手はどうでもいい」

「クソが」

 シュナが斬りかかって来た。鞘ごと引く抜いた刀で長剣を受け止める。

 殺す気だ。当たれば痛いじゃすまない。

「せめて理由を話せ!」

「言っただろ。あんたの勝手はどうでもいいと!」

 長剣に圧され体が下がる。ぱっと見では気付かなかったが、シュナは成長している。体格が大人のそれに近付きつつあり、膂力も格段と上がっていた。

 最悪の展開だ。

 僕の悪夢はどこまで悪くなる。

「理由を話せ! でなければ僕も本気を出せない! それでもいいのか!」

 刃が閃く。受ける度に鉄鞘が削れた。衝撃で腕が痺れる。防戦で捌くには斬撃が重たすぎる。

「うるせぇ!」

 シュナは頭に血が上っていた。こうなると厄介だ。聞く耳を持たない。

 反撃しなければ終わり。だがしかし、こんな所で終わってたまるか。

「このッ!」

 長剣の一撃を左肩で受けた。衝撃が両足に響く。しかし刃は、結晶を斬れなかった。

 シュナの腹に前蹴りを叩き込む。成長途中の体は、派手に飛んで壁に背を付いた。手応えならぬ足応えは、全くなかった。

 当たる瞬間に退いて避けられた。

「理由を、話せ」

「戦わなければ、あんたは死ぬ! それが理由だ!」

 僕は刀を捨て、蹴ってシュナの足元に転がす。

「理由を話したら、殺すつもりで戦ってやるから話せ!」

「クッ、この」

 何故か悔しそうなシュナ。舌戦はあまり成長していない。

「シュナ、話してやれ。こいつはお前より頑固だ」

 余裕のあるメディムの声は、僕の怒りを増長させる。刀以外に武器を持ってこなくてよかった。確実に殺しに行ってた。

「………オレは………グラッドヴェイン最後の眷属だ」

「待て、最後だと?」

「たった一人の男に、兄弟子は全て殺された。我が神も姿を隠された。復讐がオレの戦う理由だ」

 殺された? 

 グラッドヴェインの猛者が?

 これは何の冗談だ。

「一人残ったオレは、廃棄されたダンジョンで修行をした。奴を倒せる力を手にした。あんたを倒す事でそれが証明できるのなら、何だって斬り倒してやる!」

 ああそうか、そういう事か。

「親父さん、この先にいる奴が何なのか知っているのか?」

「ああ、知っている。一緒にいる女もな。お前ら二人は仲良く行かせられない」

 シュナに仲間は斬れない。だから僕に止めさせると。

 いや、この程度も乗り越えられないのなら、僕も奴に勝てないと。

 メディム、あんたはとことん【冒険者の父】だ。

「シュナ、理由は分かった。お前の戦う理由は理解した。だからこそ言う。僕は決して“お前を殺さない”。お前が何をしても殺されない。全身全霊で手加減をして、お前を倒す」

「なめるな」

 シュナから混じり気のない殺気を向けられた。

 彼は転がった刀を蹴り上げて僕に寄こす。受け取ってベルトに差す。

 僕は構えない。

 自然体でシュナを見つめる。

 狙うのはカウンターのみ。後の先に絆の全てを賭す。

 シュナ、お前も地獄を見たのだろう。修羅に堕ちたのだろう。僕がそこから引き上げてやる。

 こんな深淵よりも暗き所に、お前はいてはいけない。

 なあ、アーヴィン。

 これで死んでも苦笑してくれるなよ。これは立派なリーダーの仕事だろ?

「来い。シュナ」

 底の見えない暗闇に刃の輝きを見た。

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