<第三章:深淵よりも暗きもの> 【06】


【06】


「右大陸が騒がしいと聞いて、この近辺の空を飛んでいたらモヤっとしたものに包まれてな。そしたら、ヒューと落ちて力を失っていた。それであのメイドに捕まり、法王に受け渡された。以上である」

「………………あ?」

 流石に温厚な僕もキレそうになった。

「その後は大変だったのだぞ! 飯は三日に一度だわ不味いわ! 体中を変なモノにまさぐられるわ!」

「僕が、聞いて、いるのは! お前が力を失った理由だって言っているだろうがッ」

「ふひゃひえひゃにほ!」

 白鱗公の頬をこれでもかと引っ張る。この馬鹿竜、力と一緒に知能まで落としたのか。

「敵はお前と同じ竜だぞ!」

「ひゃなせ!」

 ペチンと手を叩かれた。あまりにも弱々しい力なので同情して手を離す。これが人の事をネズミ呼ばわりした白い竜とは。

「泣けてきた」

「泣きたいのはこなたの方だ!」

 と言うか、こいつはもう泣いていた。

「それじゃ別の竜に助けを求めろ」

 あの黒い竜は、白鱗公以外の竜にも捨て置けない存在のはずだ。

「こんな情けない姿を他の竜に見せられるか! 手足は重いし貧弱だし、すーぐ腹は減るし! 何が悲しくて掃除なんぞしなきゃならんのだ!」

「食った分くらい働け!」

「そなたには言われたくないな!」

「何だと! 僕は妹にお金納めているからな! 少ないけどな!」

 一緒にされるとは心外だ!

「同族嫌悪はそのくらいで止めるのだ」

『なっ?!』

 ガンメリーのツッコミに僕とニセナは声を揃えた。

「互いに何かを失った者、いわゆる同士と言えるのだ」

『言えない』

 また声がハモった。不愉快である。

 ガンメリーに続き、ワーグレアスもリビングに来た。

「トカゲ女の再起動方法はさておき、雪風から連絡がある」

 んっ、とガンメリーから通信機を手渡される。これまた古いガラゲーデザインである。眼鏡に繋げばよいのにわざわざ別個で用意するとは。

「もしもし」

『避難完了したけど、戻っていいの?』

「この家は敵にバレた。事が終わるまで隠れてくれ。そこは安全なのか?」

『この大陸で一番安全よ。念の為、あんたにも場所は言わない』

「利口だな」

 出来るなら、この大陸から逃げた方が良い。ゲトさんの力を借りれば航海も無理ではないだろうが、そう簡単には行かないか。

『アッシュ、一つだけ教えて。絶対に口外しないから』

「何だ?」

『時雨と榛名、国後の父親ってあんた? イエスかノーで答えて』

「いや、それは」

『絶対に誰にも言わないから。あたしの事、信用しているのよね?』

 そりゃしているよ実妹だからな。参ったなこりゃ、仕方ないか。

「………………イエスだ」

『どっちなの?』

「は?」

『テュテュさんとランシールさん、どっちが本妻なの?』

 そこは大事なのか?

「その、二人共愛人で僕は別の女性と結婚を」

『あんた本当に最低な人間ね!』

「異世界と現代社会では法が違ってだな」

『法じゃなくてモラルの問題でしょ!』

「郷に入っては郷に従えと言う便利な言葉が」

『悪習を倣う理由にはならない!』

「ぐぅ」

 流石、僕の妹だ。ぐぅの音しか出ない。

『ついでに聞くけど、あんたあたし何か関係あるわよね』

「お前、一つだけって言ったよな」

 すらっと一番言いたくない事を。

『気になったから、こっそりと皆のDNA鑑定させてもらったわ。時雨とあたしは第二度の血縁関係って出た。四分の一同じって事。榛名と国後は第三度。こっちは八分の一ね。でも、今のあんたは誰とも血縁関係じゃなかった。その異形な姿がDNA変異の原因だと仮定して、あんたの告白を信じて、子供達の父親と信じて、とどのつまり、あんたとあたしってどういう関係なの?』

 お、おう。

 我が妹ながら僕の嫌な所を的確に突いて来る。しかも理詰めで証拠を並べて。

 ここまで詰められたら言うしかあるまい。下手に嘘を吐けば余計な誤解を招く。

「雪風、僕とお前は兄妹だ。ある呪いのせいで記憶が消えている」

『………そう、そうだったのね。………………そんなわけないじゃん。何言ってるの? 馬鹿にしてるの? 馬鹿じゃないの?』

 一大決心して言ったのに。まさか信じてもらえないとは、お兄ちゃん泣きたいのだが。

『死んだお爺ちゃんが異世界で転生したとかの方が、まだ信じられるわ。何が兄妹よ。言っておきますけどね。あたしに兄がいたら、谷口賢志さんみたいなイケメンの細マッチョだからね。あんたみたいなのがお兄ちゃんなわけないでしょう!』

 心臓が止まりかけた。

 言葉だけで人を殺そうとするとは、恐ろしい妹だ。

『肝心な所を誤魔化すとかないわー。あんたホントないわー』

 僕の方もないわー。

 兄って信じてもらえないとかないわー。泣きたいわー。

『これだけは言っておくけど。時雨や榛名、国後の面倒はあたしがしっかり見ますからね。後、あんたが泣かせた女性への賠償もッ!』

「え、はい。オネガイシマス」

 会話の流れがよく分からない。だがこれは、

「もしかして雪風ちゃん。僕の後顧の憂いを」

『雪風ちゃん言うな!』

 電話は切れた。

「“後の事はあたしに任せて戦いに集中しろ”と受け取っても良いのか?」

「だろーなー」

 ガンメリーが面倒そうな声で言う。

「面倒くさい妹だ」

「宗谷がそれを言うのは何だかなぁである」

「どういう事だよ」

「人間は面倒な生き物と認識しタ」

 黙っていたワーグレアスが口を開く。

 何故か雰囲気が違う。

「吾輩とファッキンスパイダーから話がある」

「あるのダ」

 おもむろにワーグレアスは仮面を外し、床に落として踏み砕く。割れたティーセットの残骸に仮面の破片が混ざった。

「これで無貌の王との交信は切っタ」

 ワーグレアスの素顔は、それこそ何もなかった。似ているモノを上げるのならデッサン人形だ。丸い輪郭のプラスチックに似た肌。目も鼻も何もない。ある意味、これこそ【無貌】と呼べる。

「ワれワれは、人間の感性でハ、脅威に感じる姿形なのデ。臨時的にノーフェイスにしていル」

「それはそれで不気味だぞ」

 軽くホラーだ。

「そーなのカ」

「どれ、吾輩が描いてやろう」

 ガンメリーがどこからかマジックペンを取り出し、ワーグレアスの顔に『へのへのもへじ』と顔を描く。

「うむ、良いのである」

「良いのカ?」

「造形の陳腐化は、人間にとっての親しみやすさでもある」

「理解しタ」

「で、蜘蛛のイメチェンがどうした?」

「ワれワれ、ガンズメモリーと和解しタ」

「吾輩が説得した」

 胸を張るガンメリー。

「ワれワれは、人類の発展を待チ、文明を捕食すル予定であったガ」

「聞き取り辛いので吾輩が簡単に説明する」

 ガンメリーが代弁する。

「蜘蛛は文明を捕食して内にある知識欲の【飢え】を満たすつもりでいたが、度重なる大破壊と一勢力による文明破壊を目の当たりにして、考えを改めた。今この時より、蜘蛛は人類に寄り添い文明の発展に協力する」

「だがそれは」

 育った所で食うつもりじゃないのか?

「疑っているのは仕方ない。吾輩も最初はそうであった。しかし、蜘蛛達は群体としての形を捨て、個を形成した。こいつは、その一匹目である」

「ただシ、戦闘能力は格段と落ちタ」

「全盛期の吾輩なら二時間で殲滅できる」

「そうかそうか」

 ガンメリーの奴、やたら蜘蛛に張り合うな。

「ワれワれは、我慢と節約、自給自足ヲ覚えタ」

 何か急に家庭的な話になったぞ。

 こいつ宇宙規模のヤバイ生物じゃなかったのか?

「ダンジョンでこそこそ隠れるより、人間に協力しながら文明を育てた方が遥かに生産的な事にや~~~っと気付いたのだ。吾輩がとっくの大昔に知っている事を、こいつはや~~~っと気付いたのだ」

「否人類生物ガ、これヲ気付いたのハ、奇跡的な確率であル」

「感動的な所悪いが―――――――」

 宇宙生物の革新は凄い事なのだろう。

 ま、今はもっと優先すべき事がある。

「目下の敵をどうするか、これが問題だ。まさかこいつらも説得するとか言うのか? お手て繋いで仲良くってな」

 そうなりゃ隙を突けるだろうが、まず無理だと思う。人間は浅はかで安い損得で動く。その癖に臆病で際限なく欲深い。共に何かを育てても、最後は奪い合いで終わる。何かしらの力で抑えない限り。

「前置きが長くなったのである。つまりこれは、宗谷と吾輩達との信頼関係の話だ」

「信頼? いや、ガンメリー。僕はお前を信じているが」

 何度も命を救われたし託した。裏切られるとは思っていない。

「では、その信頼を蜘蛛にも半分で良いから別けてくれ」

「分かった分かった。別ける別ける。はい、わけーた」

 ガンメリーが信じるのなら、僕もその四分の一程度は信用しよう。

「これで良いのカ?」

「たぶん恐らく。………宗谷とはこういう奴である」

 ガンメリーが呆れ声を出していた。ここでも割と心外である。

「でハ、ガンズメモリー話すのダ」

 蜘蛛に促されてガンメリーは話す。 

「宗谷、これは【無貌の王】と長く接触していた蜘蛛からの情報だ。ホーンズの角とは、再生点と言う修復機能の最終形態である。聞いた事はあるな?」

「何となく」

 昔、【無貌の王】から聞かされたような。

「角が出るまで再生点が進行すると、ある所も操作できるようになる。それは記憶だ。この術を使いウロヴァルスで【無貌の王】はホーンズを操作していた」

「………………おい」

 待て。

 それが本当なら色んなものが崩れるぞ。

「宗谷は【無貌の王】に記憶を操作されていた。しかし、あくまでもこれは、蜘蛛の一意見に過ぎない。吾輩には、記憶という主観的で曖昧なモノを確かめる術はないのだ」

 記憶を操作だと? どこだ? どこからだ? 

 第一の王子と戦った後か? ウロヴァルスで死にかけた時か? もしくは再生点をかけられた時からか?

 何だこの足元が崩れて行く感じは。

「吾輩は、奇跡とは強固な意思が呼び寄せる必然だと信じている。しかし、奇跡とは【演出】できるのだ。獲物を目標の場所に導くパン屑のように」

「獣殺しが、劫火がそれだと言うのか?!」

 胸が焼ける痛み。

 自分に宿る力の全てが忌々しい汚物に感じた。

「吾輩の予想に過ぎない。そこに辿り着いたのは、それこそ本当に奇跡だったのかも」

「ワれワれを信じなくても良イ。それで人類が育つのなら信じない方が良イ」

 だからこいつらは、先に信用の話をしたのか。

「吾輩、一つ隠していた事がある」

 ガンメリーが取り出した物に、僕は希望を見た。死にゆく絶望が希望に変わった。今までの長ったらしい前置きから連想して光が見えた。

「指輪だ。城の地下牢で回収した」

 金色の指輪だった。

 僕がラナに送るはずだった指輪だ。

 僕はラナを殺した。しかしそれは、熱の中で見た夢だったのかも。【無貌の王】が見せた悪夢だったのかも。

 合点が行く。

 全てに合点が行く。

 あの悪夢から僕は劫火を生み出した。あの死がパン屑だとしたら、憎しみと同時に希望が湧く。

「ラナは生きて―――――」

「宗谷、それは危険だ」

「何がだ! ラナは生きているかもしれないのだろ!」

「吾輩は地下を隅から隅まで探した。奥方は見つからなかった。痕跡と言えるものは、この指輪一つだけだ」

「お前が探せなかった場所に隠されていた。いや、隠れていた可能性も高い!」

 ポン、と。場違いに蜘蛛が手を鳴らす。

「なるほド。人とは、こうなのだな」

「なー、こなたはお腹が空いたぞ」

 完全に忘れていた白鱗公がブーたれる。そんな事はどうでもいい。

「敵はどうでもいい。ラナを探しに行く」

「宗谷、待て」

 ガンメリーが足にしがみついた。

「離せ! このままでも僕は行くぞ!」

「ならこのままで聞いてもらう。“敵の戦略”が分かったのだ。今のままぶつかれば、絶対に勝てない」

 ガンメリーを引きずってリビングを出た。そのまま廊下を進む。

「全てはラナを見つけてからだ。敵は後回しでいい」

「手遅れになる」

「ならそこまでだッ!」

 僕はそこまでだった。諦めてやる。

 惚れた女も救えない男に、生きている価値はない。

「ほんの少しでよいからクールになれ、吾輩が何故こんな話をしたか気付いてくれ。頼むのだ」

「気付けって、一体―――――あ゛」

 最悪の可能性が一つ浮かぶ。

 足が止まった。震えていた。指先も、脳髄も震える。

「良いか宗谷。吾輩は辛い選択を迫るが、それを非とするか、可とするか、辛いが決めるのは宗谷自身だ。吾輩は強くこう言う。奥方は見つからなかった。この世界にはもういない。だからこそ、敵の傍にいる“モノ”に決して惑わされるな」

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