<第三章:深淵よりも暗きもの> 【05】


【05】


 ぞろぞろとリビングに人が集まる。

 僕は喉元に刃物を突き付けられていた。比喩であるが、このリビングには時雨や榛名、テュテュにランシール、雪風やエアと僕の弱みが集合している。

 不味い。

 冷や汗が流れっぱなしだ。本当に刃物を突き付けられた方が気が楽だ。

 そんな中、眼鏡に通信が入る。

『雪風に玉露を出すように言うのだ。すぐに』

 ガンメリーからだ。

「雪風、お客様に玉露を頼む」

「あ、分かった。シグレ、ハルナ、ランシールさんとテュテュさんも、地下にお茶があるから取りに行きましょ。ほら皆もお客様の邪魔になるから」

 雪風が皆を地下に連れて行く。

 残された僕とエアは、二人並んでソファに腰かけた。

 正面にフレイが座る。メイドはソファの背後で佇んでいた。

「エア、お前も手伝いに」

「イヤよ、お茶汲みとか。それともつまみにカレーでも出す?」

 まあ、いざとなれば一人くらい守れるか。

 さて一先ずは自己紹介だ。

「アッシュ・ウルス・ラ・ティルトだ。フレイさんとやら、僕に何の用だ?」

 僕は、背後のメイドに殺気を向けていた。こいつは静かに微笑みを浮かべている。

「アッシュ様、遅れましたがお礼を申し上げます。直接的ではないにせよ。わたくしが助かったのは、あなたのおかげですわ」

 組合長の依頼で、城の地下に行った時の話か。

「“あの時”は失礼を」

 メイドが恭しく頭を下げる。

「“どの時”だろうな。詳しく聞きたいものだ」

「あら、ラザリッサ。アッシュ様と知り合いなの?」

「お嬢様を助ける時、床を砕いて地下に叩き落としました。人相が気に食わなかったので」

「………………本当に申し訳ございません」

「あ、はい」

 フレイに滅茶苦茶謝罪された。こんなしおらしい人間だっけな?

「合わせてエア、あなたにも謝罪を」

「え、ワタシ?」

 フレイの謝罪は続く。

「お姉さまの件です。意気揚々と法王の居城に乗り込んで見たものの、全く歯が立たず。しかも囚われるとは」

「恥の上塗りですね、お嬢様」

 辛辣なメイドのツッコミに僕が口を開く。

「あんたは止めなかったのか?」

「ラザリッサは止めたのですが、お嬢様に隙を突かれて気絶させられました」

「はい、反省していますわ」

 フレイは、黙っていれば良い所のお嬢さんだ。今の所、彼女の裏があるとは思えない。

「本当に情けない話です。勇者と言われる者が、旧友一人も助けられないとは」

「ねぇ、お姉ちゃんはどうなったの?」

 エアの質問に僕の心が凍る。

「牢が隣り合っていたので、しばらくは無事を確認できたのですが、彼女はどこかに連れていかれて………………救出されなかったのですか?」

「行方不明よ。アタシも地下牢は探したけど、生きている人間はいなかった。考えたくはないけど、そういう事よ。せめて形見くらいって思ったけど何も見つからなかった」

 あの場所にエアは行ったのか。僕が殺した遺骸の転がる場所に。

「エア、本当に申し訳ないです。わたくしにもっと力があれば」

「フレイ、今から言う事は決して口外しないで」

「え? 何ですか」

「お姉ちゃんの事よ。法王に囚われる少し前、錯乱していたの。いない誰かを橋の下でずっと待っていて、アタシがどれだけ説得しても聞かなかった。慣れない冒険者の生活で、心を病んでいたのだと思う。何かこう、抜け殻を見るような。姉の形をしている別の生き物のような。もしかして、アタシの姉はとっくの昔に死んでいたのかもって………………だから、だから」

 エアの瞳から涙が落ちた。

 当人は驚いた顔で指に付いた水滴を見つめる。

「姉妹って不思議なものよね。感情の整理は付いたはずなのに」

「そういうものだ」

「何であんたが頷くのよ」

 そりゃ僕にも妹がいるからだ。

「アタシ、顔洗って来る」

 エアも地下に行ってくれた。

 残ったのは三人。口の中に苦いモノが広がる。だが、噛み締めて本題に入ろう。

「フレイ、聞きたい事がある。“黒い竜”に付いて何か情報はないか? いや、“影のような竜”もしくは“竜のような影”でもいい」

 もしくは、後ろにいるメイドについて。

「黒い竜。諸王とレムリア王の軍を焼き払った奴ですわね。わたくしの一族が【勇者】と呼ばれるようになった所以は、かのグラッドヴェインよりも遥かな昔、一匹の竜を封じた事によります」

「封じた?」

 何だそりゃ初耳だぞ。

「ウロヴァルスという階層を知っていますか?」

「え? ああ、まあ」

 タイムリーな階層だ。

「ギャストルフォの始祖。後に豊穣の神と信仰されるようになった彼女は、その階層に竜を封じたと伝えられています」

 確か、亡霊都市ウロヴァルスにはギャストルフォの拠点があった。あれが何か関係しているのか?

「ここからは、あくまでもわたくしの予想に過ぎませんが、ご先祖様が豊穣の神と呼ばれるようになった【恵み】は、この竜の何かを解明して腑分けた物だと思います。しかし、竜という生物は人の手に余る力。結局は持て余し、ダンジョンに封印したのでしょう」

 待て、一つ分からない事がある。

 アバドンが先か、竜が先か、どちらが先にあの階層にあった? どちらにせよ、アバドンが竜を捕食した可能性は高い。もしくは逆か。ともあれ………………うん、最悪だな。

 炎に対抗する形として竜は最適だ。

「ゴフッ、ゴフッ」

 フレイが急に咽だした。

「粗相を、すみませんね」

「お嬢様、お加減がよくありませんね。帰りましょう」

 屈みこんだフレイにラザリッサが近寄る。演技ではなく本当に体調が悪そうだ。

「ソーヤ様、お嬢様は体を壊していますので、急ですがこの辺りで失礼させていただきます。お礼は後日。我々がお世話になっているお屋敷までご足労頂けますか?」

 この野郎、さらっと人の名前を。

「………誰に世話になっている?」

「レムリアの真の後継、ベルハルト・オル・レムリア様です」

 僕の敵同士、仲が良い事で。

「良いだろう。正装して行く」

 冒険者の正装でな。

「お願いします。街の最北部、一番大きな建物です。お待ちしていますよ」

 ラザリッサが酷薄に笑う。許されるのなら、今ここでやるべきなのだろう。フレイが無関係という確信さえあれば。

「ラザリッサ、一人で立てますわ」

 フレイはラザリッサの手を柔らかく払い。席を立つ。

「アッシュ・ウルス・ラ・ティルト様。見苦しい所をお見せしました。では後日、時を改めて」

「フレイ・ディス・ギャストルフォ。勇者らしい礼を期待させてもらう」

 フレイに手を差し出されたので握手した。

 敵か味方か。

 正直女は敵にしたくはない。女の姿をしただけの化け物なら話は別なのだが。

「お、もう帰るのか。こなたが折角お茶を入れてやったのに」

 リビングにメイドが入って来た。

 ショートカットのエルフ、ニセナである。メイドらしからぬ、ふんぞり返った態度でティーセットの載ったトレイを持っている。

「帰る前に飲んで行け」

 スタスタと歩き、背伸びしてニセナはラザリッサの頭に熱々のお茶をかけた。

『なッ』

 僕とフレイは声を上げるが、ラザリッサは平然としていた。

「あら、美味しいお茶ですね。でも躾がなっていないペットですこと」

 にこりと笑い。ラザリッサは拳を振るう。

 ニセナの体が飛んで天井にぶつかり、べちゃりと下に落ちた。ワンテンポ置いてティーセットが床にぶちまけられる。高価なものじゃなければいいが。

「ラザリッサ!」

「お嬢様、ちょっとした戯れです」

「く、くの」

 ニセナは悔しそうな顔で起き上がろうとする。ダメージ的にはさほどでもない様子。常人なら内臓を吐き出しそうな一撃だったが、こいつ腐ってもアレだな。

「さ、行きましょう。お茶のおかわりはいりませんから」

「ふぎゃん!」

 ニセナの頭を踏み、フレイの背を押してラザリッサは部屋を出て行った。

「アッシュ様、お待ちしていますよ」

「ああ、分かってる」

 別れ際のフレイの言葉。最後まで彼女に怪しい所はなかった。

 敵として良いものか、悪いものか、気にせず切り捨てるべきか。この迷いは致命傷になりかねない。どちらか決めないと。

「ぐくぬっ」

 ニセナは涙目で立ち上がった。こいつもどうしたものか。

「そなた! 見ていないで報復せぬか! こなたが可愛くはないのか!」

「なあ、報復してやるから真相を話せ」

「………………何でこなたが下賤な人間如きに」

「話せ。情報が必要なんだ。ペットが足蹴にされて僕も怒っている」

「誰がペットだ」

 ただ飯食らいをそう呼ぶ。

「今回ばかりは僕一人じゃ駄目だ」

 軽く咽て口元を手で覆うと、その手は血で汚れていた。時間はもう残されていない。

「お前の力が必要だ。白鱗公」

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