<第三章:深淵よりも暗きもの> 【03】


【03】


 早々とダンジョンから帰還して、すぐ異変が出迎えてくれた。

 一階層、現在は閉鎖中だが冒険者組合の本部がある所だ。そこが、人でごった返していた。

 いるのは冒険者ではない。街の住民がほとんどを占める。

 下の階層で避難しているはずの住民が何故ここに?

(――――た。急に)

(奇跡だ)

(誰が? きっと――――に違いない)

(炎教の――――――)

(―――――がう。他の)

(店を開けないと)

(まだ安全が――――)

(帰ったら神殿にお供え物を)

(私も神様にお祈りをしないと)

 人混みから断片的に情報を拾う。まだ何も分からないが、外に何かがあるのは確かだ。

 百聞は一見にしかず。

 人波を掻き分け外に出る。

 空気が違う。今朝方感じた街の熱気がさっぱりとない。

 当たり前だ。

 街にあった巨大な炎の柱が忽然と消えていた。

「みなさーん! ダンジョンに戻ってくださーい! 安全が確認されたらお知らせしますから! まだ危ないかもですからー!」

 冒険者組合のお姉さんが叫ぶ。僕は無視して街に向かって走る。

 目的地は炎教の神殿があった場所。炎の出現した地点である。

 街は荒れていた。

 熱だけが原因ではない。人がいなければ建物は朽ちる。街もまた、人間がいなければ存在しない生物なのだ。

 気温は下がり不快な熱気はない。しかし、息苦しさを感じた。空気の薄さに似た体への負担。足が重い。頭痛もする。呼吸も乱れて来た。

 いや、単純な事か。

 僕の体が弱っているだけ。

 100メートルを走ったくらいで額から大汗が噴き出る。

 限界を反復横跳びしたツケが隠せないレベルまで来た。明らかに体力の最大値が減っている。騙し騙しも終わりに近い。

 雪風にもらった新しい再生点の容器を見た。赤い容量がグングンと減って行く。走っているだけでこれだ。まともに戦う事はできるのだろうか。

「ッ、ハァ、ハァ」

 目的地に着くと情けなく体を折り曲げる。これじゃ老人の体力だ。

 炎の教の神殿跡地は、すっかりと様変わりしていた。

 炎の出現地点を中心に、建造物が熱で溶けてミルククラウンのように広がっている。よく分からないが、一部は白く結晶化していた。

 とんでもない熱量だったのだろう。しかしそれは跡形もなく消えて、今は冷たく固まっている。

「イズ、ロージーでも良い。何か痕跡は探せるか?」

『………ザッ、ジジ………………ザ』

 眼鏡の通信機能で呼びかけるが、ノイズが走るだけ。

「ガンメリー?」

『――――た? 酷―――――音―――な。調整する。………………オーケイである。ダンジョン並みの量子干渉であるな。どうしたのだ?』

 こいつ有能だな。

「炎の消えた原因を探ってくれ」

『スキャンする。―――――超高温から急速に冷やされたのだろう。一部が硝子化している』

「炎の温度は?」

『推定であるが、1050℃から1235℃だ』

「そんな熱量をどうやって冷やす?」

『不明。この世界には大規模な破壊現象を抑制する機能がある。件の炎の柱は、それを上回る破壊であった』

 大神の加護か、随分前にラナに聞かされたな。

「つまり?」

『何の痕跡も残さず急速に現象を消し去るとは、不可解である』

「不可能じゃないのだな」

『宗谷、この世界に不可能など存在しない。技術、理論、素材、準備、様々な要因で“まだ”無理な事はあっても、不可能など存在しない』

「ご高説どうも、それじゃどうやって炎の柱は消えた?」

『三つの可能性を言う。一つは、抑制機能が局所的に強化され炎の柱を消し去った。二つは、魔道に精通した者が炎を分解して変成させた。三つは、何者かが食った』

「………………食った?」

 引っかかる言葉だ。

『魔法とは、単純に言えば電子と量子を媒介にした誘起連鎖反応である。思考をトリガーにしてミクロな事象改変をマクロなレベルまで誘起するのだ』

「は? ………は?」

 全く分からん。

『更の更に簡単に言えば、魔法とは力の波でしかない。究極的に簡単に説明すれば、どんな力であれ解明すれば捕食してエネルギーに変換する事はできる』

「………熱さを我慢すればか?」

『………………吾輩、頭はないが頭痛がする』

 それは皮肉か、こんにゃろう。

『お、ファッキン蜘蛛野郎と最古の死にぞこないから話があるようだ。通信代わるのである』

 何だその愛称は、ピー音が必要だぞ。

『リサイクル不可の欠陥兵器から通信代わった』

「お前ら仲悪いのか」

 不機嫌そうな無貌の王が通信に出る。

『ソーヤ、進化とは何だと思う』

「仲悪いのか?」

『進化と――――』

「仲が」

『通信を切るぞ?』

「黙る」

 つまらん疑問だった。

『進化には様々な形があるが、共通している事が一つある。脅威に対しての変化だ』

「毒に対しての抗体みたいなものか」

『そうである。特に、種が滅びるかどうかの瀬戸際には進化は促進される。地下に封印されていた【アバドン】は、獣に対抗すべく生み出された兵器だが、その性質は獣のある一種を特化させたものだ』

「それは?」

『捕食だ。獣には喰らった生物の特性を複製する性質がある。長く人間と共生して行く内に、実際に口にしなくとも殺害するだけで敵の特性を奪うように進化していたが』

「それは憶えがある」

 王子の奴も、獣以外に数多くの奇跡を持っていた。

 騎士達の獣と化した異形の姿は、血だけが原因ではなく殺した相手の特性を奪った結果なのだろう。

『アバドンの捕食行動は、ただの欲求である。ダンジョンに干渉してポータルを開いた事も、冒険者と言う新鮮な餌を求めての事。例え人の記憶や技術を奪っても、それを利用するような知能はなかった。ホーンズと言う餌を与えている限り、我が封印は機能する。ここまでは、問題なかったのだ』

 ここまでは?

『告白しよう。ミスを犯した。一つ事に拘るが故に、その一つがあまりにも長く困難な道であったが故に、失念していた。貴公に宿った獣を焼き殺す劫火。人の執念と妄執から奇跡的に生まれ出た炎。それは紛れもなく究極の獣殺しである。今の貴公なら、獣狩りの王子すら容易く滅ぼすであろう』

 容易くねぇ。

 戦いはそんな甘いもんじゃねぇよ。

『この大敵の出現をアバドンは一早く察知した。貴公が第一の王子を倒した時、ウロヴァルスに異変が生じたのだ。増殖し続け、階層を浸食していたアバドンが初めて縮小した。そして今、恐らくアバドンは増殖する特性を捨て、別の生物としてダンジョンから抜け出た』

「………………」

 最悪の予想が、大当たりした。

『それは貴公に対抗する為の進化と言える』

「まさか、あの黒い竜が」

『可能性はある。だが、時系列的に合わぬのだ。あの時はまだアバドンの進化は進行していなかった』

「おい、それじゃ尚更厄介だぞ」

 黒い竜がアバドンと別件であるなら手間は二倍だ。下手すれば挟み撃ちに合う。どっちとも王子以上に厄介な敵なのに。

『悪い知らせがもう一つある。貴公の敵は、最低でも三。そして、最悪の場合はもう一つ増える』

「そいつは誰の事だ?」

 法王と傭兵王の次はこれか、全くおちおち死んでもいられない。

『愚かなる勇名の一族、ギャストルフォである』

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