<第三章:深淵よりも暗きもの>


<第三章:深淵よりも暗きもの>


 爆弾が落ちて来たような衝撃、土埃と共に傭兵達が吹っ飛ぶ。僕とマリアも、トーチが盾にならなかったら同じように飛んでいた。

 一陣の強風が土埃を消し飛ばす。

 視界が晴れ、草原にいつも通り太陽の光が降り注ぐ。

 違うのは、影よりも暗き巨大な竜がいる事だ。

 体長、30メートル。

 翼開長は、100メートル近く。

 かつて見た白い竜の1.5倍のサイズだろうか。マッシブな体格、長い首も尻尾も太く、手足の爪は凶悪に鋭い。

 二足歩行で僕らを見下し、トカゲ顔が笑うように口端を吊り上げていた。

 額にあるのは歪な長い一本角。全身を覆う鱗は、ぬばたまの闇色。

 黒い竜。

 トーチですら頼りなく思える圧倒的な大きさ。空を飛び、炎を吹く、破壊の化身だ。

 今まで様々な脅威を前にして来たが、こいつから感じたのは途方もない理不尽さ。ある種、人間の手ではどうしようもない諦め。

 だが、

 さて、

「トーチ、どう戦う?」

『機甲師団が必要であるな。航空戦力もだ』

「そんなものはない」

『では、一つだ。マリアを頼む』

「分かった」

 肩を抱くと、マリアの震えが伝わって来る。

「ダディ、あいつだ。あいつが皆を焼き殺した」

 やはり、こいつか。

 ヴィンドオブニクル軍、レムリア軍を焼き払った全ての事の原因は。

『了解した。私が仇を討つ。マリア、転移は可能か?』

「分からない。体が大きくなって感覚がおかしい」

『試すのだ。今すぐ』

 竜が大口を開けた。

 巨大な台風じみた力を感じる。灼熱の炎を竜は口に湛えていた。

「ちょっと待て、デカいの。試したい事がある」

 声と共に、視界の端を無人の馬が走り抜けて行く。僕らの前に降り立ったのは、一人の冒険者。冒険者の父と呼ばれる生きた伝説。

「我が魔刀は、竜の躯を喰らった女から作られた」

 親父さんの登場で逃げるタイミングを逃した。しかし、冒険中は何度もこの背中を見て来た。この背中を頼り戦って来た。

 これが最後としても、頼らない理由にはならない。

「伝承にある“古き者”は竜の躯から生まれたと言う。ならば――――――」

 竜が火を噴く。

 爆炎に染まる視界の中、一条の光を見た。静かな金属の音色を聞いた。

 それは刀の鯉口を切る音だ。

「我が刃は炎すら斬り捨てるはずだ」

 親父さんの居合いは、竜の息吹を斬った。二つの軍を焼き払った大火を、両断して跡形もなく消した。

 最早、剣技の範疇じゃない。一つの奇跡と言える。

「アッシュ、あの爺はどうした?」

「僕が仕留めた。今は………たぶん竜の下だ」

「そいつは残念だ。こいつは俺に寄こせよ」

 振り返った親父さんが笑うと、

 

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォッッッッ!!」


 竜が絶叫して地鳴りを起こす。明らかな怒りの感情。

 前にあった幼竜は僕をネズミと称した。そんなネズミに自慢の息吹を両断されたら? そりゃ、烈火の如く怒るだろう。

 暴れ狂う竜が身動ぎするだけで大風が吹き荒れる。

 僕が言うのも何だが、こんな天災に立ち向かおうとは親父さんも大概だ。

『御仁、その見事な剣技。一角の戦士とお見受けする。一つ頼まれてくれないか?』

「何だ?」

 トーチが親父さんに提案した。

『あの竜の動きを止めて欲しい。私が最大火力で止めを刺す』

「断る俺の獲物だ。―――――と言いたいが、実は熱の余波だけでこれだ」

 親父さんは首にかけた再生点の容器を見せる。

 容器に色はない。文字通り、威勢だけの空元気だったようだ。

「一度だけ付き合ってやろう、デカいの。失敗したら俺の好きにやらせてもらうぞ」

『頼む』

「ヴァレリア!」

 親父さんが叫ぶと草原を馬が駆けて来る。栗毛の駿馬に気付いた竜は、長い尻尾を振るい馬を弾き飛ばそうとする。

 馬は駿馬ではなかった。“希代の駿馬”だった。

 兎を思わせる跳躍で、迫りくる竜の尻尾を跳び越える。先端に近い細い部分だったとは言え、赤兎馬も驚く大ジャンプだ。

 着地した馬と目が合う。

 不思議とアイコンタクトが出来た。

「マリア掴まれ!」

 僕の言う通りマリアがしがみつく。すれ違い様に馬の手綱を掴み、体半分を鞍の上に乗せた。

「ダディ!」

『行け! 娘よ!』

 竜の右腕がトーチを叩き潰す。マリアの短い悲鳴。

 いや、トーチは竜の一撃を耐えていた。ボロボロだった機体を更に破損させ、残った右腕も半壊させながら、竜の一撃に耐えていた。

 親父さんが竜の腕を駆け上がる。

 目指すのは顔面、抜き放った刀で竜の目を狙う。虫でも払うかのように竜の左手が親父さんを払う。残念ながら、その人は虫程度ではすまない。

 狡猾な冒険者だ。

 顔面はフェイント、本命を狙う為に親父さんは竜の右肩に移動していた。

 前は翼の節を斬るのが限界だった。しかし今の親父さんは、前より遥かに大きな竜の右翼を切断した。

 離れた場所でも耳をつんざく竜の悲鳴。

 僕は、不思議なものを見た。切断された竜の翼から出たのは、血ではなく黒い煙。落とされた翼も幻のように黒いモヤと消える。

 こいつ普通の竜ではない。

 少なくとも白鱗公とは違う。

 悲鳴を上げる竜の顔面にトーチが迫る。しかしもう、破損した体には武器がなかった。跳躍に耐えきれなかった右腕もバラバラに砕ける。

 そんなトーチを、竜は無常に噛み砕いた。


『ソーヤ、娘を頼んだぞ』


 トーチからの最後の通信。合わせて、眼鏡の液晶にカウントダウンの数字が流れる。僕の想像通りならこれはマズい。親父さんに手を振り逃げるように合図をする。

 希代の駿馬が草原を駆ける。あっという間に竜が小さくなっていった。

 7、6、5、4、3、2、1。

 カウントがゼロに。

 竜の口から洩れる強烈な閃光。そして、竜の炎に負けない大爆発。トーチにも自爆装置が搭載されているのはマキナから聞いていた。ただ、爆薬の搭載量がマキナ達の比ではない。

 飲み込んだ竜の頭を吹っ飛ばす威力。だが、飛び散ったのは生物の脳漿ではない。これもまた黒い煙。

 竜の体も煙と化し跡形もなく消える。

 手綱を引き馬を止めた。

「倒した………………のか?」

 誰も答えてはくれない。

 草原は普段の静けさを取り戻しつつあった。

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