<第二章:クォ・ヴァディス> 【07】
【07】
暗い草原を馬が駆ける。風の音と荒いエアの息遣いが聞こえた。
「ここでいい」
エアの肩を叩いて馬を止めるよう合図を送った。ここはコテージの反対側に位置する。ここで馬を捨て後は足で移動する。
夜が開ければ馬の蹄跡を発見されるだろう。それで少しは時間稼ぎになるはずだ。
「エア?」
馬は止まらない。
「エア!」
余裕のない苛立ちで声を荒げる。すると、エアは力なく僕の胸に体重を預けて来た。
頭に血が上って気付かなかった。エアの呼吸がおかしい。体が熱い。まさか、と彼女の体をまさぐると指に硬い物が触れる。
脇腹に細長い何かが突き刺さっていた。
「お前、これ」
「馬であんたを拾う時よ。姿見せるんじゃなかったわ」
マズい街から離れすぎている。再生点の範囲外だ。
「このまま一度、街に行くぞ」
「馬鹿言わないで。連中、待ち伏せしてるわよ」
知った事かと手綱を握ると、エアに抵抗されて奪い合いになる。
「お前、こんな時に?!」
「何であんたに従わなきゃいけないのよ!」
「お前が怪我しているからだ!」
「知った事じゃないわよ!」
馬上で取っ組み合いになり、僕らはバランスを崩した。
一瞬の浮遊感から落下。
草原の上に放り出される。
咄嗟にエアの下になった。背中から着地。柔らかい土の上でも衝撃で呼吸が止まる。何度か転がりようやく勢いが止まった。視界の端で馬が走り去る。
「エア、傷は?!」
「………………うるさい」
のろのろとエアは立ち上がり、フラッと膝を突く。
「動くな」
エアのカンテラを灯して傷を確かめた。弩のボルトが脇腹を貫通している。よろしくない状態だ。エアがカンテラを消す。
「それ、引き抜いたら大量に血が出るから」
「分かってる」
ここじゃ応急処置も出来ない。コテージに連れて帰って適切な治療をしないと。
本音を言えば、今からでもマリアを救出しに行きたい。だがエアを置いていけない。
「あんた、何でマリアの事を知っているの?」
「諸王の関係者だからだ」
嘘ではない。
「貸してあげるから助けに行って。アタシはいいから」
エアが外套を脱いで僕に押し付ける。
「これがあれば潜入は余裕よ」
「ああ、借りる。だがお前を治療した後だ」
外套を羽織り、エアに肩を貸すと嫌そうな空気が伝わる。それでも抵抗する余裕はないようで、素直に従った。
二人で歩き出す。実に懐かしい感じ。
「あんたさ、本当に何者なのよ?」
「冒険者で諸王の配下、異邦人と関りがあり、そして獣に仇なす者だ」
エルフを嫁にして、その父親を看取ったとは言えない。
「意味わかんない」
「僕もそう思う」
ごった煮のような経歴である。そろそろシンプルなモノに戻したい。
「あんたを見てると腹が立つ。凄いイライラする。アタシの元仲間に刃を向けたのよ。謝らないからね」
「ん? 何の事だ?」
何か謝罪するような事あったか?
「足を射かけたでしょ」
「ああそれか、忘れてた」
「………………変な奴」
「そうだな」
無言で歩く。エアは額に汗を浮かべている。調子は良くなさそうだ。両手が無事なら担いでやりたいが、不甲斐ない兄だ。
しかも最悪な事に――――――
「エア、下がっていろ」
追っ手の気配を感じた。この暗闇で追跡されるとは、もしかして一瞬点けたカンテラが原因か。マズったな。エアの怪我でまともな判断ができていない。
下手に動けば逆に気取られる。
が、無意味だった。
松明を持った騎馬に囲まれる。数は8、怪我人を抱えて相手するにはキツイ人数だ。
「逃げて」
「冗談言うな」
妹まで置いて逃げれるわけがない。エアの短剣を奪い前に出る。
「この馬達は兄弟姉妹でな。近くに仲間がいれば戻るように訓練している」
親父さんは、僕らが乗っていた馬の手綱を握っていた。
「全くどいつもこいつも、俺は一人でやるのが好きと言ったろうに」
渋い表情で顔を歪めると、親父さんは馬上から飛んだ。
夜闇に銀閃が閃き、傭兵達を刹那に両断する。
「メディム様、何を?!」
声を上げたのは最後の一人だ。他の傭兵はその前に絶命した。
「すまんな」
無常に親父さんは最後の一人を斬り捨てる。
血の噴水が草原を濡らした。主を失った馬が一斉に逃げて行く。
「親父さん、どういう事で?」
「どうもこうもあるか! 人の計画を一晩で滅茶苦茶にしやがって!」
親父さんは、僕に文句を言いながらエアをお姫様抱っこする。
「計画とは?」
「あの糞爺の暗殺だ」
「つまり?」
僕を置いて親父さんは歩く。素直に担がれているエアが妙に可愛く見えた。
「俺は傭兵王の身内だ」
『はあ?』
僕とエアは変な声を上げた。
「と言っても、俺の親父は爺が嫌になって家出。狩人やってたおふくろと俺をこさえた後、兄弟の刺客と相打ち。俺も爺の所に一時身を置いたが、親父と同じで傭兵は合わなくてな。商品であったヴァルシーナと逃げてこの土地に来た。今更、遭遇するとは思わなかったがな」
「そいつは、まあ難儀で」
「跡取りが全滅して俺が取り入る隙が生まれたから、寝首を掻くチャンスと思えば………………これだ」
「はい、すいませんでした」
傭兵王の相手は、親父さんに任せておけば良かった件。
「ん?」
と、しかしそれでは説明できない事がある。
「竜を探すとは何なので?」
「レムリア軍とヴィンドオブニクル軍を焼いた黒い竜。俺は爺が手引きしたものと思っていた。ここに来て分からなくなったが」
黒い竜については僕も分からん。さておき、
「ま、過ぎた事を言っても仕方ないので目の前の問題に対処しましょう」
「貴様がそれを言うと心底腹が立つな!」
ごもっとも。
「それより親父さん。傭兵王の“商品”の中に、僕の知り合いがいた。黒い肌のエルフだ」
「黒い肌のエルフか。いたな。自分の名前も憶えていない娘が一人。前に見た娘と比べて背も乳も違っていたが―――――まさか」
「同じ奴、らしいわ。こいつが言うには」
エアが付け加えてくれた。親父さんが分からなかったのも無理はない。マリアは急激に成長していた。エルフとしては考えられない速度だ。
何があったのか、確かめるのは救出してからだ。
「そいつを助けたい。親父さん力を貸してくれ」
「メディム、アタシからもお願い」
「分かった。………と言ってやりたいが傭兵王も馬鹿じゃない。さっき斬り殺した連中はお前らの追っ手でもあるが、俺の監視役でもある。俺はもう傭兵王の元には戻れん」
「では、僕が忍び込んで」
エアの外套もある。これを使えば潜入するのは容易だ。
「そう上手く行けば良いがな」
親父さんは良い顔はしなかった。
僕もそう簡単に行くとは思わなかった。
エアは親父さんに任せ、僕は傭兵王の陣に忍び込んだ。
結果を言えば、マリアの救出は不可能だった。
奴隷達は傭兵王の傍に置かれ、傭兵達の守りも厚く、今すぐ戦争できる状態。鼠一匹逃さないだろう。
こうも数で守られては、僕一人ではどうしようもない。
だが、これは挑戦なのだ。
陣から少し離れた草原に、僕の装備一式が捨てられていた。メモが添えられており『捕虜よ。待っているぞ』と、ご丁寧に書かれていた。
待っていると言われたのだ。行ってやろうじゃないか。
夜が明け、コテージに戻った。
キッチンでは時雨とテュテュが朝飯の準備中、ソファにいた雪風の仲間―――――仮面の魔法使いに言う。
「あんたワーグレアスを名乗るのなら、それなりの魔法使いだよな?」
『無論』
「やってもらいたい事がある」
『内容による』
「アッシュ!」
二階から降りて来た雪風に、説明しろと迫られる。
「これから傭兵王と戦争をやる。お前の仲間を少し借りるぞ」
「バッーカじゃないの! 貸すわけないでしょ!」
「一緒に戦えとは言わないさ」
「当たり前でしょ!」
妹はカンカンである。気になるのはもう一人の妹。
「エアは大丈夫なのか?」
「大丈夫よッ。二階で眠ってる!」
それは良かった。
「あーその、何だ。迷惑はかけない」
「もう、かけまくってるでしょうが!!」
ガチギレの妹に腹パンされた。
「くッ~」
妹は殴った手を痛がってリビングから出て行った。
「で、策はあるのか? 遠征騎士団を倒した手前、見せてもらえるのだろうな」
親父さんは長椅子で寛いで僕に聞く。もう少し遠慮しろと言いたい。
「力を貸してくれないのですか?」
「軍相手の戦いで、俺一人加わった所で何の意味がある?」
これだから年上は、正論ばかりだ。
「あてにしてないので、ここ狙われた時はお願いしますよ」
「いいぞ」
親父さんは煙管を取り出し、火を点けようとした。
「そこのヒゲ中年! 子供がいるのだぞ! 煙で体を害したらどうするのだ!」
で、榛名を抱えたニセナに怒られた。榛名はまだ半分寝ている。朝飯がテーブルに並ぶと覚醒するのだ。
親父さんは渋々煙管をしまう。小声で僕に聞いて来た。
「どこのエルフだ? 見ない顔だぞ。それに抱いている子供。あれはどこかで見た顔だ」
「後で説明しますよ」
あんたが探している竜の一人と、あんたが連れて来た女の孫だ。面倒だから後回し。
『して何をするのだ?』
放置したワーグレアスに突かれる。
前にラナがやった事だ。大魔法使いワーグレアスの名を騙るのなら余裕だろう。
「口うるさい父親を一人、呼んでもらいたい」
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