<第二章:クォ・ヴァディス> 【06】


【06】


 親父さんが出て行った後、二人の傭兵から軽い尋問を受けた。

 暴力慣れした人間だった。後遺症の残らない程度に、人間を痛めつけるのが上手かった。

 それがまあ、だからどうした。

 死なない傷が何だというのだ。

 陽が落ちて尋問は一旦終了した。夕食の匂いが漂う。同時に周囲の空気が緩むのを感じた。精強な傭兵達も飯の席では気が抜ける。酒が入れば更に気が抜ける。

 動くなら今しかないだろう。

 口の中の血を吐き捨て、鎖を引く。渾身の力で鎖を引く。

 杭が地面から抜け出て――――――

「?」

 出たら―――――思ったよりも長かった。杭というより2メートル近い槍だ。穂先にある“返し”が銛のようである。

 鎖は槍に溶接されていた。右腕で振るえる程度には鎖に余裕はある。いざとなれば使えるが、こんな物を担いで人目を避けられるのか? いや、時間を無駄にしたくない動こう。

 気配を探り外に出る。

 夕食を楽しむ人の声がさざ波のように聞こえた。

 街を見て方角を確認。

 親父さんの待つキャンプ南側に足を向け、ふとした匂いで踵を返す。

 北側に大きいテントが見えた。

 旗が掲げられたテントだ。旗印のデザインは、鎖付きの槍を持った骸骨。僕が持っている槍そのものだが、死んで白骨化したら飾られるのだろうか? 良い悪趣味だ。

 このテント、考える間でもなく大将の根城だろう。

 そっちに足が向く。そっちに向かって歩き始める。

 血の匂いが濃くなって来た。

 テントの入り口には12人の近衛兵。皆、倒れ伏せ血を流している。抵抗した痕跡がない。全員、虚を突かれ一撃で葬られている。

 一つの遺体を調べた。胸に心臓まで届く深い切り傷。荒い太刀筋。歪んだ剣線。最近、同じ傷を見た。

 テントの中で剣戟の音。

「失礼」

 迷いなく僕も参加させてもらう。

 二つの人影が、剣を噛み合わせていた。

 一人は老齢の偉丈夫。

 長い白髪と三つ編みにした白いヒゲ。左目に眼帯、角ばった厳つい顔は無数の古傷が見える。諸王らしい黒い革鎧と、金の刺繍が入った赤いマントを肩にかけていた。

 片手に持つのは飾り気のないロングソード。王の得物にしては飾り気がなさすぎる。しかし、身を守るに足る立派な剣なのは明白だ。

 もう一人は黒衣。

 ゆったりとした黒布で全身を隠し、顔はおろか体格も性別も分からない。

 手らしき部分で持っているのは異形の得物。生物の骨で出来た歪な剣だ。

 その剣を見て、血が沸騰した。

 その得物、外の遺体、

「お前だなッ」

 メルムを殺ったのは!

 槍を構え、黒衣に突貫しようとする。

「待て、黒い刺客よ。隻腕の捕虜、貴様もだ。待つがよい」

 白髪の老人は、黒衣と僕に動くなと命じ。何を考えたのか少し動いて、僕らに挟まれる形になる。

「これで良い。かかって来い」

「は?」

 何だこの爺。何故に不利な状況を作る?

「久々の刺客だ。楽しませよ」

「僕はあんたに用はない」

「ほう何と。この傭兵王ガーシュパル・ヨハン・ヴァイマッフェッ・クルトルヒ・ローオーメンを前に。用はないとな」

 老人は、ギラギラしたガキのような顔で僕を睨む。

 こいつ本当に楽しんでいる。いい歳した爺が戦闘狂とか冗談か。

「僕はそこの黒衣に用がある。どけ傭兵王」

「捕虜の言葉に王が従うか」

 傭兵王は短剣を抜いて僕に向けた。お前程度、これで十分という挑発だ。

 空気を読まず黒衣は傭兵王に斬りかかる。

 鋭く野生の獣じみた剣線。それを傭兵王は片手で防ぎ、打ち合い、圧す。

 僕は一瞬気圧され槍を突き出す。狙うのは黒衣、だが傭兵王の短剣に槍は弾かれる。槍だけではなく体ごと弾かれた。

「ッッ」

 右腕が肩まで痺れる。

 慣れない得物という言い訳は通用しない。相手も片手で、しかも短剣だ。こいつ、膂力だけなら陛下を超えるぞ。化け物か。

 だからと言って、

「退くか!」

「心意気や良し」

 鎖を腕に巻き、脇に槍を挟んで体で振るう。槍の横薙ぎを短剣が受け止めた。歯を食いしばって力を込める。

 軋みを上げたのは短剣と槍。傭兵王は微動だにしない。その間も、右腕一本で刺客を相手している。

 一撃で駄目なら、手数で勝負。

 なんてことはない。またまた、強敵がいるだけの話だ。

 槍を振るう。槍を突き出す。フェイントを入れて蹴りも混ぜた。

 笑えるほど全く通用しない。

 剣が噛み合い。槍と短剣も噛み合う。傭兵王は堂々としている。僅かな揺るぎもない。

「よし、食前の運動は終いだ。刺客と捕虜よ。余は後二日この土地にいる。遊びたいのなら好きな時にかかって来るがよい」

 風が唸りを上げた。

 黒衣が一撃で吹っ飛ばされた。テントを巻き込み闇夜に消える。

「マズッ」

 次は僕にロングソードが迫る。

 盾にした槍の悲鳴を聞いた。巨人の拳をくらったような衝撃。景色が恐ろしい速度で流れる。幾つかのテントを潰し、最後にどこかのテントに突っ込んだ。それでようやく勢いが止まる。

 背骨が痺れた。右手の指とアバラを何本かやられた。槍が砕けて、鎖も千切れている。

 咄嗟に退いてこれだ。

 まともに受けていたら、バラバラになっていたかもな。下手したら法王以上だぞ。

「クソが」

 脚は、まあ無事。立ち上がると短い女の悲鳴を聞いた。他に鎖の音も。

 テントの中には、繋がれている女達が20人ばかり。

 獣人とヒームにエルフの姿も。服装が疎らな事から、捕らえられてから時間はあまり経過していないようだ。

 共通点は皆若く美しい事。商品価値があるという事。だがしかし、一人だけボロい恰好をしている獣人が――――――いや、耳は長いが獣人ではない。

「嘘だろおい」

 黒い髪と浅黒い肌のエルフ。最後に見た時より、身長は伸びて胸も膨らんでいるが、間違えようはない。

「マリア!」

「ひっ」

 僕が近付くとマリアは悲鳴を上げた。本気で怯えている。

 悪いがそんな事は後回しだ。

「逃げるぞ!」

「た、たすけて! 来ないで!」

 手を取ると振り払われた。折れた指に痛みが走る。マリアは、半狂乱になって僕を遠ざけた。これも後でいい。今は鎖をどうにかして、

「捕虜が逃げているぞ!」

 一人の傭兵に見つかった。咄嗟に蹴り倒すが、時すでに遅し。騒ぎを聞きつけて他の傭兵も集まって来る。囲まれるのも時間の問題。何とか急がねば。

 マリアの鎖を引くが、痺れた体と折れた指では杭は抜けない。歯を食いしばって力を込めるが、力が全く足りない。

 転がった傭兵から剣奪おうとする。そも握れない。この指では手にする事もできない。

 マズい。マズいぞ。

「商品を逃がそうとしているぞ!」

 他の傭兵が僕に気付いた。マリアを連れて逃げる手段がない。しかも最悪のタイミングで、エアの叫び声を聞いた。

「アッシュ!」

 馬が一頭駆けて来る。手綱を握っているのはエアだ。

 突進してくる馬に驚き、奴隷達は僕から離れた。他の奴隷に巻き込まれマリアの姿を見失う。

「待てエア! 待ってくれ!」

「うるさい! 逃げるわよ!」

 エアに右手を掴まれた。僕は引きずられて野営地から急速に離れて行く。声が届かない事が分かっていても叫ばずにはいられなかった。

「マリア! 待っていろ! 必ず助けに行く!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る