<第二章:クォ・ヴァディス> 【04】


【04】


 僕は、馬車の御者台で馬の手綱を握る。

 荷台を引くのは栗毛の老馬だ。昔は駿馬だったそうだが、今はのんびりと草原を進んでいる。

 馬は良い。

 速くなくても良いから一頭欲しいものだ。陛下が乗っていたヴァルシーナみたいなのはご免だけど。

 このまま牧歌的な気分に浸りたいがそうもいかない。

「考えはあるんでしょうね?」

 隣の美しいエルフが僕を睨む。

「………………ある」

「ちょっと何よ、その間は? 今から考えるとか言わないでしょね!」

 策はあるが、どうなるかはやってみないと分からない。

 何て言ったらドつかれそうだな。

「本当だ、エア。しっかりやるから安心しろ。万が一の時は、雪風とお前が何とかするだろ?」

「するけど。“お前”って呼び方、次したら眉間射貫くからね。馴れ馴れしく名前を呼ぶのもなし。アタシはヒューレスの森の姫なの。お姫様。分かる? エア様と呼びなさい。大体あんたさ、何者なのよ? ハルナはあんたを『パパ』とか呼ぶし、シグレも妙に懐いているし。幼児趣味じゃないでしょうね? あの子達に変な事したらぶっ飛ばすわよ」

 このツンツンした感じ懐かしいなぁ。

「何ニヤけてるの?」

「ハハハ」

 微笑ましい。

「………………キモッ」

「ハハッ」

 その言葉はショックだ。

「大体さぁ、後ろのコレ意味あるの? 雪風の言う通りに灰にするなり、ダンジョンのモンスターの餌にするなりで処分する方が早いでしょ」

 エルフの姫の冷たい眼差しは、冗談でない事を物語っている。

「遅い方が良い場合もある」

「変なの」

 遅い方がヒューレスの森に傭兵が向かない。と、言うべきか言わざるべきか。

 変に恩着せがましく森を心配すれば逆に疑われる。付かず離れず、自然で偶然に、誰にも気付かれずエルフを救わないといけない。

 本当にまあ、メルムの奴は厄介な事を押し付けてくれた。

 やるけどさ。先の短い命くらい使ってやる。他にやる事もないからな。親孝行だよ馬鹿野郎が。

「エア………様。そろそろお姿をお隠しに」

「“様”て、呼ばれた呼ばれたで、気味が悪いんだけど」

 エアは姿を消した。

「どーすればと」

 妹二人揃って僕を悩ませてくれる。

 傭兵王の野営地が見えて来た。番兵らしき者達が僕を睨む。

 マズいな。それが正直な印象だ。

 整然とテントが並んでいる。前に見た諸王の軍勢より、野営地の並びが機能的かつ無駄がない。精強な軍らしい軍の佇まいだ。

 傭兵と言うイメージで敵の能力を低く見積もっていた。もしかしたら、エリュシオンの騎士以上かもしれない。

「止まれ。何者か?」

 当然の事ながら、番兵に止められる。

 数は四人。穂先に斧型の刃物を付けた槍、ハルバードを持っていた。

 僕は、荷台の木箱を指す。

「冒険者の父にお目通りを願う」

「そのような人物はいない。帰れ」

 二人の番兵がハルバードを交差させて入り口を閉ざす。

「彼から頼まれた品を持って来た」

「聞いていない。帰れ」

 はいはい、予想通りだ。

「この瓶キャベツは、あんたらの“航海”には必要な物だろ」

 箱から一つ、瓶を取り出して番兵に投げる。

「何の事か分からんな。帰れ」

 キャッチされ、投げ返された。受け取って箱に戻す。いらないのなら朝食の一品にするか。

「では別の品はどうか?」

 荷台には木箱の他に樽が一つ積んである。不自然に布を被せた樽だ。

「これはキャベツより高いと思うのだが」

 布を捲ると人間の顔が出て来た。猿ぐつわを噛まされた針金みたいに細い男の顔だ。

 装備品を全部奪って拘束した後、樽に詰めて頭だけ出した。情けない姿である。

『………………』

 番兵達は無言でハルバードを構えた。

 こういう時、冷静さを保つのはプロらしい態度といえる。

「同じ物がこれと合わせて20個ある。一つ、金貨90枚でどうだ?」

 冒険者の相場の三倍だがな。

「それより我らの斧槍は如何か?」

「左様で」

 悪い予想が確実に当たるのは何故なのか。

 四人の番兵が一斉に動く。一糸乱れぬ動きでハルバードを構え、担ぎ、振り下ろした。

 重い四つの攻撃が僕の頭部に迫る。当たれば潰れたトマトのようになるだろう。ほんの僅か、力を抜いて何もしないだけでそうなる。

 その僅かな時間が、永遠に届かない技量の差だ。

 刃が閃く。 

 ハルバードの穂先が草原に落ちた。四つ全部、柄から綺麗に切断した。音もなく、抜刀の瞬間すら見せなく。

 逆手に握った刀を返し、峰で自分の肩を叩く。

「お前らを斬り殺さないのは、銅貨一枚にもならないからだ」

 交渉の基本は相手と価値観を合わせる事。今回は徹底的に金にがめつく行こう。

 あれ、いつも通りか? そんな事はないよな。

「さて、折れた槍でまだ戦うか? それとも応援を呼んでそいつらも同じ目にあうか? 名の売れた傭兵王の傭兵が、くだらない交渉前の騒ぎで無意味に無価値に兵を失うのか? そんな事より、お前らの誰かが陣に戻って傭兵王にこう言え。『貴様と交渉したい男がいる。さっさと顔を見せやがれ』とな」

 番兵はサッと引いた。で、三倍の数で戻って来た。

 渋々、御者台から降りて相手をする。峰打ちで戦うのは骨が折れた。相手の骨を折るのは大変だった。斬り殺す方が遥かに楽だ。

 傭兵達は強い。エリュシオンの騎士二人分の強さはある。もどきと比べたら………いや、比べようのない強さだ。

「マズったかな」

 六人気絶させて刃を返して鞘に収める。異変に気付いたのか傭兵は囲いを広げてくれた。ご丁寧に、負傷者も引っ張って間合いの外に。

「ッ」

 心臓を針で刺されたような痛み。同時に少し足がフラ付く。

 咄嗟に、腰のポシェットから小瓶を取り出し飲み干した。

「グぇ」

 恐ろしく辛い。まるで、エアの辛味調味料みたいだ。胃と喉が焼ける。額に汗が噴き出る。しかし、激しい心臓の音が耳に響く。体に活が入った。

 早々と一本目。

 ペース配分など考えてはいられない。

「間合いに入った者から殺す」

 血が流れたら交渉どころではない。プランBだ。つまりは、下から順に倒して上に行く。

 これ最悪の手だな。策と呼べるのか? どこかで見ているエアに呆れられている気がする。

 それはそうと、自然体で佇む。何が近付こうとも一刀で斬り捨てる体勢に。最悪の展開だが、最悪なりに気分は良い。

 薬の影響だろうな。元からな気もするけど。


「下がれお前ら」


 渋い声が響いた。傭兵を割って現れたのは壮年の男だ。

 黒髪に無精髭。右目は黒く、左目は金。隙無く鍛えられた体格。何度も修繕された革鎧に、武装は腰に帯びた刀一つ。シンプルで飾り気のない姿。相変わらず、名声を気取るつもりは微塵もないらしい。それでも歴戦の姿は一目でわかる。

 冒険者の父。

 親父さんだ。

 前と違って眼帯がない。隠していたはずの左目が露わになっている。どんな心情の変化か。僕がいない間に何があったのか? 今それを聞いた所で、返事が返って来るわけはないか。

「で、何者だ?」

「アッシュ・ウルス・ラ・ティルト。またの名を―――――――」

 毒を食らわば皿まで。

 どうせ死ぬ毒なら大量に食ってやるか。

「第一の英雄、ディルバード・ドゥイン・オルオスオウルだ」

 僕はフードを降ろして顔を晒す。

 白い髪に、また少し伸びた角。親父さんと同じ金の瞳。

 ザワッと気配の波を感じた。周囲にいる傭兵は僕を偽物と思うか、もしくは真実と受け取るか。英雄など所詮は逸話に生きるものだ。疑いたくば好きに疑え。信じたくば勝手に信じろ。

「騙りにしては豪気だな。で、エリュシオンのクソッタレ英雄が諸王の陣に何の用だ?」

 親父さん。前より口悪くなってないか? むしろ若返ってる?

「金だ。一人………面倒だから金貨100枚で良い」

「そうか分かった、と払うと思うか?」

「払わないのか?」

 士気に関わると思うが。

 親父さんは自分の無精髭を撫でると、何か思い出した様子で言う。

「いや、払おう。貴様が本物の第一の英雄として、自分の首にかかった賞金が幾らか知っているのか? 金貨9000枚だ。各諸王の陣営が喜んで払ってくれるだろう。騙りの首ならエリュシオンに引き渡してもいい。小遣い程度にはなる」

「ああ、なるほど」

 親父さんの言いたい事はよく分かった。元パーティメンバーだからよく分かる。

「僕の懸賞金で身代金を払うって事だな」

「そういう事だ」

 親父さんは、ニヤッと肉食動物のような顔で笑う。

 怖い怖い。怖いながらも血湧き肉躍る。

「貴様もカタナを使うのか」

「あんたもな」

 親父さんは一歩進む。それでもう間合いだ。

 構えはない。自然体から即死を放つのが、この人の剣技。それを模倣したのが僕の剣技。所詮模倣では敵わないが、所詮模倣は切っ掛けに過ぎない。模倣を起に様々なモノを斬って来た。

 今の僕の剣技は、全く異質なモノに変化している。

 ああ、本当に血が騒ぐ。

 挑戦してみたいのだ。僕の技はこの人の本物にどこまで通用するのか。

 結果など頭にない。

 刹那に咲く刃の閃きに命を賭してこそ、剣士と言える生き様だろう。陛下ならきっとそうする。否、僕がそうしたい。

 深呼吸を一つ。感覚を細く細く、鋭く研ぎ澄まし。極限極致の知覚を作り出す。人の肉の蠢き、骨の軋みまで聞こえる。死角で揺れる草の葉すらも感じ取れた。体を水のように柔らかく。刀の柄を逆手で握る。

 

 後は、ただひたすらに斬るのみ。


 一瞬の閃き。抜き放たれた刃は――――――交差せず擦れ違った。

「冗談」

 僕が体勢を崩したからだ。左の太ももに矢が生えていた。この瞬間的な隙に矢を放てる人間は一人しか知らない。

 スッと消えるエアの気配を察知した。

 そりゃそうだ。正体不明の男より、昔の仲間を選ぶよな。

 それでそう。

 崩れた体勢で抜刀した僕は、バランスを崩して地面に転がった。親父さんが刀を振り上げる。こんな間抜けな隙を見逃すほど彼は甘くはない。

 あ、これ死んだ。

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