<第二章:クォ・ヴァディス> 【03】


【03】


 エアと雪風が馬車の荷台に木箱を積んでいる。

 木箱の中身は例の瓶詰キャベツ。

 もう二、三日で発酵が進み乳酸菌が発生する。乳酸菌の出す乳酸で雑菌が死滅するので、保存が利くようになるのだ。

 味はまあ、独特の酸っぱさがあるしんなりキャベツと言った所。ビタミンが取れる保存食としては良い物である。ライムジュースと並んで、航海時の壊血病予防の食品だったとか。

 そういえば、どこかの王様もビタミン不足から脚気になって死にかけていたな。

 あっちは偏食から来るビタミンB1不足で、壊血病はビタミンC不足だったかな? 大昔に爺さんから聞かされた知識だ。なんやかんやで役に立っている。

 時間がある時に、時雨にも教えてやらないと。

「行くわよ」

 エアが馬車の御者台に座って手綱を握る。僕はエアの隣に座った。

「ちょっと、あんたは後ろ」

 拒否されたので荷台に移動した。癖とは怖い物だ。

「本当にあたしは行かなくていいの? 護衛にパーティメンバー付けるけど?」

「いざとなったら、少人数の方が逃げやすいから」

「エアがそう言うなら………」

 雪風は同行しないようだ。冒険装備だから何があっても付いてくると思っていた。この二人、しっかりと信頼関係が築かれているな。

 兄として嬉しいような寂しいような。

「じゃボクは行く」

 ひょっこりと時雨が荷台に乗って来た。生意気な事に普段の給仕服にマントを羽織っている。小さいリュックサックも背負っていた。

「駄目だ」

 僕は、時雨のリュックを掴んで荷台から降ろす。

「えー」

「『えー』じゃない。危ないだろ」

「アッシュがいるから大丈夫だろ?」

「お前がいない方が大丈夫だ」

「ガンバレよ。問題ないってば」

 時雨はまた荷台に登ろうとする。僕は頭を押さえて妨害した。

 こういう所は子供だから困ったものだ。

 と、雪風が時雨を後ろから抱き止めた。

「シグレ。傭兵なんて金に飢えた獣みたいなものだから。テュテュさんが心配するでしょ?」

「ぶぅ………ねーちゃんがそういうなら分かった」

 雪風の言う事は素直に聞くのか。

 そうかそうか………ぐぬ。

「行くわよ」

 ツンとしたエアが馬車を走らせ、

「待てエア」

 僕はすぐ制止させた。

「何よ?」

 御者台に移動してポンチョでエアを覆う。

「え、何よ?!」

「人が来る複数だ。隠れて様子を見てくれ」

「………………」

 不満そうな気配が漂う。それも一瞬の事。

 僕のポンチョは、風に捲られたように翻り。エアの姿は忽然と消えていた。

「エアねーちゃん?」

 ポカンとした時雨と、自分の片耳を押さえる雪風。

「マキナ、数は? うん、そう分かった。テュテュさんとランシールさん、子供二人は地下に隠して。キーラとバルガンは護衛に。ワーグレアスはこっちに寄こして。偽装忘れないでね。万が一の時は、地下通路を使って例の人に保護を求めて。その時は、現代から持って来た物資は全部爆破するように。マキナ、あなたもよ」

 テキパキ命令を出す雪風。

「二人共何言ってんの?」

 時雨は気付いていない。

「雪風、時雨も中に」

 また荒事に巻き込みたくない。

「もう手遅れよ。変に隠すと逆に狙われるわ。それに注意をコテージに向けたくない」

「馬か。思ったよりも数が揃っている」

 蹄の音が聞こえた。

 気配が速いはずだ。騎馬の一団が見えて来た。傭兵というイメージに馬は想定外だった。騎馬はコテージを囲むように散開すると、二人の傭兵が馬を降りて近付いて来る。

 一人は針金のように細い男、もう一人は隠居した商人より肥え太った男。

 装備は、革鎧にロングソードと丸盾。昔に見た親父さんの装備と同じだ。

「メディム様の使いで来たぁー。エア様の依頼でぇー仕事を受けたー。ユキカゼというのは、どいつだぁー?」

 太い男が言う。声も太く良く響く。

 雪風が一歩前に出た。

「あたしよ。どういう事? 取りに来る何て聞いてないけど」

「予定が変わったぁー」

 僕は御者台から降りてポンチョのフードを目深に被り直す。手招きして時雨を隣に置いた。

 下馬していない傭兵が囲いをジリジリと狭めている。

 嫌な予感がする。穏やかに取引する様子ではない。

「そりゃご足労な事ね。商品を確かめて、問題はないけどね」

「おーぅ」

 太った男は荷台の箱からキャベツの瓶を取り出す。太陽にかざして状態を見た後、蓋を開けて匂いを嗅ぐ。

「ニコ君、どうだね?」

 細い男が太い男に聞く。

「上々~」

 ニコと呼ばれた太い男は箱を漁り、数を数えた。

「量も間違えないなぁ~」

「当たり前じゃない」

 不機嫌そうな雪風の声と顔。もう少し営業スマイルをお願いしたい。

「瓶キャベツの料金。金貨15枚よ」

「マートさま~金くれ~」

「待ちたまえニコ君。ユキカゼとやら、聞きたい事があるぞ」

 針金男の感情のない顔。

「何よ?」

 雪風の顔には、分かりやすい嫌悪感が露わになっている。営業スマイルを頼む。接客してくれ妹よ。

「この瓶キャベツを作ったのは、君かな?」

「………………」

 嫌な予感が濃くなる。雪風も察して、答えないで沈黙している。

「それ作ったのボクだけど?」

 気にしないで時雨が答えた。

 前に出ようとしたので、引っ張って僕の背後に置く。『んだよ』と非難の声。

「おー、子供癖に凄いなぁ~マートさまぁ。金貨2追加だぁ~口止めするより買い取りましょうやぁ~お前らも子供に金貨2枚なら文句ないだろぉ~」

『………………』

 僕と雪風が押し黙った事に、太った男は気付いていない。当の時雨は理解していない。

 価値観の相違とは時に死に至る。

 大陸を股に掛ける傭兵なら、その程度頭に入れて置けよ。

「ニコ君、駄目ではないか」

 針金男が無造作に手を振る。鉄が肉を叩く音が響いた。枯れ木のような細腕だが、その殴打で太った男はサッカーボールのように弾む。

「許してもらいたい。ニコ君は、根が悪いだけの屑だが傭兵としては使える方でね」

 何の音かと時雨が覗き込む。頭を押さえて背中に置き直した。

 並みの人間なら死ぬような一撃だったが、

「おおぅ~」

 平気そうに太った男は立ち上がった。

「ニコ君、この土地では“まだ”奴隷は一般的ではないのだよ。発言には気を付けるように。現地住民と仲良くするのは傭兵として大事であるよ」

「了解だぁ~」

「あんた達さ。商品受け取って、金を払って、さっさと帰ってくれる?」

 素直に帰ればそれで良いが、そうは行かないだろうな。

 さてどうするか。

 騎馬は18、目の前の二人もそこそこの腕。僕一人なら問題ないが、雪風と時雨を守りながらでは難しい。

 針金男が雪風の前まで歩いて来る。

「この瓶キャベツは、傭兵王の秘蔵のレシピなのだ。急に入用になった為、外部の人間を使ったが他所に漏らされては困る」

「しないわよ。商売の基本でしょ」

 無い胸を張る雪風。

 しかしまあ『はいそうですか』と、人を信用できたら争いは起こらない。

「それを決めるのは、自分ではないのだ」

 針金男は片腕を上げた。騎馬の包囲が狭まって来る。

「所で」

 針金男は続けて言う。

「そこの方、フードを降ろしてもらえるかな?」

「何故だ?」

 僕に注意が向いた。

「街で騒ぎを起こした者を探している。その男は、白髪で金の瞳を持ち角があるとか」

 僕しかいないが、ボケもトボケもないか。

 フードを降ろして顔を見せてやった。自然と片手は刀の柄に。

「貴公がエリュシオンの遠征騎士団を一人で? もっと偉丈夫だと思っていた。それに顔に気迫がない」

「大きなお世話だ」

「まあ、丁度良い。貴公とその子供、我が陣営までご足労願おうか」

「断る、と言ったら?」

「女子供を守っては戦い辛いだろう」

 騎馬が近付く。確かに、女子供を守りながらは戦いにくい。ただ、こちらには色々と手はある。隠れたエアに時雨を回収してもらうか、雪風もついでに隠すか。

 コテージの人間も地下に逃げるようだから、乗り込まれても問題なかろう。

 こうも選択肢が多いと逆に迷うな。

「雪風、何か策は?」

「あんたは黙ってて」

 策はあるようだ。

 騎馬が近付く最中、僕は一つ思い出した。このコテージの傍には川が流れている。街以外の川と周辺の土地は人間の物ではない。魚人の物だ。

 堂々と家を建てた雪風は許可を得ているのだろう。そうでない連中が侵入した場合………………どうなるのだろうか? 僕がここでキャンプをしていた時、そんな奴はいなかった。

『そこまでだ。傭兵達よ』

 僕の左隣、いつの間に仮面の魔法使いがいた。こいつの気配は本当に読み辛い。今、視界に収めても存在が希薄に思える。

『この土地は魚人の物である。グリズナスの使徒、モジュバフルのゲトバドから許可を得た者と、その客人以外は立ち入りを禁じられている。金銭を払い疾く失せるなら良し、そうでないのなら』

 針金男は鼻で笑った。

「海ならまだしも、川の魚人が何だというのだ? そもその仮面の下にはエラがあるのか?」

『なるほど、その言葉をもって敵対者と見なす。我が名はワーグレアス。仮初めなりし体に仮初めなりし力、ゲトバドの名の下に―――――』

「ほほう、ワーグレアスな。語るにしては大層な名前を」

 針金男の腕が閃く。咄嗟に雪風と時雨を庇うが、狙いは逆の魔法使い。

 恐ろしく速い投擲だった。

 回避の反応も許さず、魔法使いの胸にロングソードが突き刺さる。投擲用の得物ですらないのに、この速度で投げるとは。

「魔法使いなど詠う前に絞めればよい。何を悠長にさえずるのか」

 こいつは分かってない。

『―――――あまねく水精を繰る。踊れ、絡め、絞殺しろ』

 あの脚を見た僕からすれば、平然としている雪風の反応を見れば、胸を貫かれた程度で死ぬ魔法使いではない。

 事もなく詠唱を終わらせ、魔法使いは魔法を発動させた。

 軽い地鳴り。

 そして、地を割って水が吹き上がる。全ての騎馬と、目の前の二人の傭兵の真下から。

 思い出したのは、とある冒険者が操ったスライムだ。この水もそれと同じように粘質を帯びて、馬と人間をすっぽりと包んで空中に浮いていた。

 人も馬も、急に呼吸を止められパニック状態に陥っている。

 恐ろしいな。強者がまな板の鯉だ。

「おい」

 この状態を数分維持すれば人間は死ぬ。

「おい! 仮面の!」

『ワーグレアスが呼称である』

「ワーグレアス、殺すな」

『何故であるか? 領地侵犯は死に値する罪である。警告もした』

「そういう問題じゃない。雪風、お前からも頼む」

 僕の説得じゃ無理そうだ。その間に傭兵が溺死する。

「いいんじゃない? 人を奴隷とか言ってる奴らは一回死なないと分からないわ」

「報復の危険性がある。いいから水を解くように命令しろ。後は僕が交渉して何とかする」

 こんな感情的でよくリーダーが務まったな。

「アッシュ、責任取れる? 約束できる? あたしはもちろん。シグレや、テュテュさんには絶対迷惑かけないって」

「とれる。今までもそうだっただろ?」

 上手くやって来た………………気がする。

「悪化してる気がするのよねぇ。なーんか約束したくない。あたしの勘がそう言っている」

「い・い・か・ら。早くしろ! あいつら死ぬぞ!」

 敵とはいえ人間が溺れている傍で何を冷静に。どういう育ち方したらこうなる。そりゃ約束守っていない僕が悪いけど。

 雪風は、心底面倒そうな顔で渋々命令する。

「ワーグレアス、解いて。後はアッシュが何とかするってさ」

『了解だ』

 パチンと指が鳴る。

 水が弾けて馬と傭兵が解放された。人は咽て水を吐き出し、馬は暴れながら草原に逃げ出した。

 僕はワーグレアスの胸に刺さったロングソードを引き抜き、細い男の前に立つ。

「さて、ええと。トマト君だっけ?」

 ロングソードの腹でトマトの頭を叩く。

 他の傭兵も順番に殴り倒して気絶させた。

「拘束頼む」

『了解だ』

 ワーグレアスは、どこからか糸を取り出し傭兵を縛り上げた。こいつ完全に蜘蛛だろ。最早、隠してないだろ。

 そこらはさておき。

「なあ、雪風。身代金の相場って分かるか?」

「………分かるけど」

 分かるのか、妹よ。

 お前も苦労しているな。

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