<第一章:キングスレイヤー> 【07】


【07】


 巌の如き巨人の拳が迫る。

 この程度、受け止める間でもない。巨人の腕は黒い炎に近付けず灰となる。

 巨体は反転して、後ろ回し蹴りを放つ。俊敏で破壊力のある攻撃。これなら焼き尽くす前に僕に届くだろう。

 マインドセット。脳内で空想の引き金を作り引く。

 同時、指で線を描く。

 黒い斬撃が走り、巨人の脚が空を舞った。圧縮した炎による溶断。空間すら曲げる熱量の前では、巨人も熱した飴と変わりない。

 もう一度指を振り、もう片方の脚を断つ。

「無駄だ。さっさとそれを脱ぎ捨てろ」

 巨人の首を落とす。黒い炎が巨人を包む。

「この炎は呪いを薪にする。早く払わなければ全て灰になり消えるぞ。それとも、これも一興と笑って見せるか?」

 巨人の体が散る。

 煤を払いケルステインが飛び出してきた。手には忌まわしい銀の剣。

「防げ!」

 巨人の残骸から四本の魔剣を呼び戻して、ケルステインの斬撃を止める。

「貴様の炎、燃やせるのは獣だけのようだな」

「さあ、どうだか」

 銀の刃が閃く。

 ケルステインの剣技は、意外にも見事なものだった。アガチオンは一つで並みの剣士を遥かに凌ぐ。それを四本同時に相手して圧倒している。無手の僕には防ぐ術はない。仮に得物を手にしても、まともに切り結べるか。

「棒切れ遊びが得意だな」

「黙れ下郎」

 僕を守る魔剣が弾かれた。がら空きの心臓に銀の剣が迫る。刃を素手で握り、急所を逸らして右肩に剣を受けた。

 貫通した刃は地面に突き刺さり、僕の動きを止める。肉が銀に焼かれ、無限の力が泡と消える。

「大言壮語を並べて、この程度か」

「ああ、この程度さ」

 僕が倒せるのは呪いだけだ。残された全てを使っても不死の獣を殺す程度。

 獣を倒す為に獣の力を奪った。魔獣となった。


 しかし、“銀は獣を焼き、それを繰る獣狩りの王子に獣は敵わない。”


 この古き呪いに抗う術はない。獣を倒す為に獣となり、そしてまた人に獣は狩られ繰り返す。 これは宿命なのだ。彼女の信徒としての宿命。永遠に届かない最後の一手。


 だが、


「僕は知っている。この顛末を知っている」

 陛下の無念を知っている。忘れるはずがない。だから、

「援軍を呼んだ」

 気付いたケルステインは銀の剣を手放し、背後に迫った大剣を止める。

 剣を振るったのは、名も知らぬ騎士だ。鎧が合っていない事から冒険者上がりの騎士もどき。

 無謀で功を焦った一撃。

 時には、そういうモノが切っ掛けとなる。

「“第一の英雄”を助けろ!」

 騎士の内の誰かが叫ぶ。

 エリュシオン遠征騎士団が僕らの周囲にいた。数は二百近く。

「アガチオン!」

 全ての魔剣がケルステインを襲う。

 修復したアガチオンは八本、前哨戦で使ったのは四本。残りの魔剣は騎士を操っていた執政官を倒す為に使っていた。

 銀の剣が僕の肩から抜け出る。

 八本の魔剣の猛攻に、さしものケルステインも後退を余儀なくされる。

 倒れた僕の周囲を、盾を持った騎士達が囲む。

「俺は見たぞ! あの男は化け物の中から出て来た! 人間ではない!」

「法王は偽りの姿だ!」

 続々と騎士がケルステインに刃を向ける。

 が、

「この男も角を持っている!? 英雄という保証はないぞ!」

 騎士達も一枚岩ではない。混乱が生まれている。

 見た所、正規の騎士はケルステインを敵視して、冒険者上がりの騎士は僕を敵視している。だからこそ、最初に手を出した騎士もどきが重要なのだ。

「いいや、あの法王は偽物だ! 見ただろう素手で剣を受け止めたのを! あの感触はモンスターと同じだった!」

 最初に手を出した騎士が大声を上げる。

 一番槍の手柄はデカい。

 うやむやにすれば軍としての士気に関わる。手柄を奪われた騎士達も従わざるを得ない。

「その通りだ」

 僕はここに小石を投げ込む。

「法王は死んだ。あれは法衣を着たモンスターだ。俺がずっと追って来たエリュシオンに巣くう魔そのものだ」

 アガチオンを傍に呼び戻し、奴らしく振る舞う。

「騎士達よ。我が名は、第一の英雄ディルバード。悔しいが俺の力では彼奴を滅ぼすには至らぬ。助力を願いたい」

 ふらつきながら立ち上がる。

 戦う余力は無さそうでいて、勇敢さを残した演技で、魔剣を手にしてケルステインに切っ先を向けた。

「名を上げたくば勇敢さを剣で示せ! 富を得たければ奴の血を流せ! 例え死すとも、この英雄の目に汝らの魂は刻まれるであろう!」

 僕の演技力はカスでも、ここまで命を賭けて戦ったのは事実だ。

 だから、こんな安っぽい言葉でも、

『オオオオオオオオオオッッッ!』

 騎士達は雄叫びを上げて進む。

 自分達の王に向かって刃を向ける。

 僕は無表情のままケルステインを見つめた。

 奴はポカンとしていた。

 呆けていた。

 何となしに理由は分かる。

 城もなく。

 民もなく。

 臣下もなく。

 守る者もなく。

 今ここにケルステインを王と呼ぶ者はいない。死を超越した王は、この瞬間、この場所で、王座から転げ落ちたのだ。

 ここから先は予想できない。

 人類の守護者と大言壮語を吹いた輩が、その立場を失った時どうなるのか? 下衆な好奇心で見守るだけだ。

「フッ」

 無表情でケルステインは声を上げる。

「フッハハッ、ハッハッハハハハハハハハハハ!」

 自嘲気味に聞こえる笑い声。何か感情の欠いた声。

 そして沈黙。光る銀閃。

「なるほど、大変愉快だ」

 笑った獣は騎士達に襲いかかった。閃きの数だけ騎士が両断される。

 返り血を浴びたケルステインは、正しく怪物と言える姿に。

 悲鳴が連鎖する。

 武具が紙のように切断され、血肉の豪雨が降る。

「アガチオン」

 僕は騎士の間に魔剣を忍ばせ、姑息にケルステインを襲わせる。

 確かにケルステインは強敵だ。怪物と言える剣士でもある。

 しかし血を流す。

 魔剣の一撃で血を流し、騎士の一撃で血を流す。これは強敵であっても、必ずいつか殺せる敵なのだ。無限の力を、呪われた獣の力を使わない限り。

 騎士が死ぬ。無意味に死ぬ者もいれば、かすり傷程度でも刃を届かせて死ぬ者もいる。

 僕の前で雄々しく騎士達が死んで行く。熱狂の中で死んで行く。

 この熱は呪いだ。

 執政官から奪った人を操る力。魔獣と化した今、このひと時だけ扱える力。

 騎士が騎士らしく矜持の元に死ぬ。背後に控える英雄が偽物と知らずに、英雄を葬った男とも知らずに。

 銀の剣が地面に落ちる。

 魔剣の猛威と、数多の騎士の犠牲により、ケルステインの右腕が落とされた。

『オオオオオオオ!』

 勝どきのように声が上がる。全身を剣で串刺しにされたケルステインが空に掲げられた。

 ここまで来るのに死んだ騎士は百近い。咽かえる血の匂いと臓物の悪臭。街は陰惨な戦場と化していた。

 ケルステインと目が合う。

 推し量れぬ感情の渦がそこにはあったが、僕には一切関係のないゴミだ。

 再び無限の力が体に湧く。

 ケルステインは夜の女神に微笑まれた。この呪いは、決して解かれる事はない。

 巨人と化したケルステインに騎士達が吹き飛ばされる。果敢に挑む者もいたが、虫のように潰された。これは蟻と象の戦いだ。相手にすらならない。

 阿鼻叫喚の中、僕は指を振る。

 巨人は黒い炎に包まれ、簡単に焼き尽くされた。こぼれ落ちたケルステインは狂乱した騎士達にめった刺しにされる。

 再びの再び、巨人は生まれ、黒い炎に焼かれた。

 何度でも、何度でも、繰り返し繰り返し、刺され殺され甦り焼かれと繰り返す。

 まるで無間地獄のようだ。

 呪いらしい陰惨な光景だ。

『宗谷』

 ガンメリーから通信が入る。

『ケルステインの形態変化に歪みを観測した。今ならいけるはずだ』

「やるぞ」

『了解』

 アガチオンが僕の周りに集結する。

『宗谷、認証を』

 僕は詠う。

「コードブレイク。一粒の砂の中に世界を見、一輪の花に天国を見る。君の手のひらで無限を握り、一瞬のうちに永遠をつかめ。狩られたウサギが泣き叫べば、脳味噌の神経は引き裂かれる。ひばりが翼を傷つけられれば、ケルビムは歌うのを止める。喜びと苦しみを按配すれば、神聖な魂の入れ物になるだろう」

『第664安全装置破壊、重力子機関強制解放、一号機から順にブレイクフォームに移行する』

 アガチオンが赤い稲妻を纏う。転がった小石や瓦礫が重力に反して浮かび上がった。

 生き残った騎士は少ない。十数人いるかどうか。そいつらも無事ではなく。放置すれば死に至る重傷だ。それでもまだ、最後の最後まで戦おうとしている。

 これが呪いに添った狂気でも、良く戦ったと賞賛したい。

 一人の騎士とケルステインが相打ちで胸を貫く。目に見えて、人のケルステインも動きが鈍くなっていた。

 如何に無限の力でも、入れ物にヒビが走れば綻びが生まれる。

 人の姿からまた巨人に。

 僕は敵に向かって歩く。

 巨人は片腕を振り下ろす。見飽きた原始的な攻撃。

「無駄だ。学べ」

 片手で巨大な腕を止めた。黒い炎が走り、巨人の全身を駆け巡る。

「貴様も学べ」

 巨人を脱ぎ捨て、ケルステインが迫る。

 獣殺しの王子の力。弱ったとは言え、獣の力を持った僕は到底敵わない。これは言うなれば、因果律に干渉して運命すら操る力。自然現象のように獣を必ず敗北に追いやる。

 例外があるのなら――――――

「学んださ。だから科学と言うのだ」

 制限を解除したアガチオンの真の力。

「何?」

「気にするな、単なる力押しだ」

 銀の剣と赤い魔剣がぶつかる。

 空気が爆ぜる。空間に稲妻が走る。重力すら操る一撃。ここまでの性能をもってしても、今のケルステインとギリギリ打ち合える程度。

『一号機停止、二号機ブレイク』

 最初のアガチオンは三合で刃が砕けた。捨て、次のアガチオンを手に取る。

 刹那に幾百もの火花が生まれた。片腕しか使えない事がもどかしい。もう一本、腕があるだけで優位に立てるのに。

 これも運命だというのか。

 そんなもの認めてなるものか。

 無双の力を持った魔剣が容易く折れる。

 折れるが僕は進む。

 決して止まらない。

 届くのだ。後少しで刃が届く。

 魔剣を犠牲に獣狩りと言う呪いを力押しで圧す。稲妻のように次の魔剣を振るう。稲妻を超える速さで剣を振るう。

『四号停止、五号機ブレイク』

 裂帛の気合で剣を振り下ろす。初めて剣戟で圧倒した。ケルステインが受け太刀をして片膝を突く。これが五本目の限界。刃が四散して赤い霧と化す。

『六号機ブレイク』

 あと少し。

『七号機ブレイク』

 願い剣を振るう。振るう度に魔剣が砕ける。

『八号機ブレイク』

 首はすぐそこに。

「惜しかったな」 

 最後の魔剣が砕けた。薄皮一枚が届かなかった。

 ケルステインの銀の剣が僕の心臓に向かう。

「いいや」

 届いたさ。剣はもういらない。

 爪と指が人から獣のモノに変わる。

 正真正銘、最後の手段。右腕に力を込める。全身全霊を乗せる。これまでの運命を、奪い取った無限の欠片を、掴み取った永遠の一端を、この一撃に賭けた。

 銀の刃とすれ違い。僕の手刀はケルステインの心臓に突き刺さった。

 相打ち覚悟だった。この命と引き換えに、こいつを殺せれば何もいらない。

 僕の刃は届いた。肉を貫き骨を砕き、心臓を掴み取った。

 同時に銀の剣も僕の心臓を―――――

「何だこれは?」

 ――――――貫かなかった。

 一番驚いたのは僕自身だ。

 銀の剣は砕け、半ばから折れていた。僕の心臓を狙った剣は、胸まで浸食した結晶によって防がれていた。

 最後の最後に、悪運に守られた。

「異邦人よ」

 ケルステインは、口端から血を流し言う。

「褒めて遣わす」

「冗談だろ」

 余裕のある言葉に流石にゾッとする。

「間抜け面はよせ。貴様は世界の守護者を二人も倒したのだ。誇れ、勝者の顔をしろ」

「お前、死ぬんだよな?」

 掴んだ心臓はまだ脈打っていた。鼓動は少しずつ弱まっているが、これが再び強く脈打つ可能性もある。

「ああ、死ぬ。余の命はもう残されていない」

「それじゃあ、さっさと死んでくれ」

 余裕で喋るな。

「勝者の威厳を持てと言っている。次は貴様の時代だ。獣が支配する暗黒の時代が訪れるだろう」

「そんなものは訪れない。僕は消える。次代は今の人間達が勝手に決めるさ」

 ケルステインが笑った。

「余が最後の王子だと思うか?」

「知った事か、何が来ても狩り殺すだけだ」

「それは、楽しみだな。貴様が絶望する時を夢見………………眠るとしよう。しかしまあ、実に、最後の最後は―――――――」

 遊びに向かう子供のような笑顔。

 力なくケルステインは体を預けて来た。懐かしい記憶を蘇らせる。

「ここに一人、戦いに果てた者の魂を看取る。どうか彼の血を救い。穏やかな眠りを。魂の安らぎを僕は望む。忘らるる者よ、獣はもういない。血は人の中にこそ流れる」

 アーヴィンが友を看取った時の言葉だ。

 憎き敵だが、死力を尽くした相手には敬意を払うべきだ。陛下の臣下ならそうするべきだ。

『宗谷、ビーストの活動停止を確認。生存者もいない。状況終了である』

「………………終わったのか?」

『そうである』

 実感が湧かない。けれども噛みしめて飲み込む。

 終わった。

 戦いは終わった。

 さあ、帰ろう。帰れなかった所に今度こそ。

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