<第一章:キングスレイヤー> 【06】


【06】


 死を見た。

 兎により死を見せられた。

 最初は妹の死。次はマキナ、イゾラ、雪風、シュナ、ベルトリーチェ、ゼノビア、エア、親父さん、エヴェッタさん、ランシール。

 アーヴィン、陛下、レグレ、マリア、そして――――――幻ではない悪夢を見る。

 幼顔のエルフを、僕は刀で貫いていた。

 その時、彼女の姿はそれではなかった。僕の記憶はそこにはなかった。けれども、僕の刀は彼女の胸を貫いていた。

 彼女は手を伸ばす。

 僕は切り払い別の執政官を斬り殺す。

 こと切れる最後の最後まで、彼女は僕に手を伸ばしていた。

 気付かず、殺す事しか頭にない愚か者を、最後の最後まで信じ続けていた。

 僕は、ラナを裏切った。

 彼女を殺した。

 愛した女を殺した。

 もう落ちる地獄もない。


(いつかこうなると思っていた)


 影が囁く。暗い狼の形をした影が。


(何れお前は全てを喰らい尽くす。浅ましいケダモノの本性により、関わるモノ全てを平らげる。空腹に終わりはなく。満たされる事は永遠にない)


(故にお前は―――――――)


 幻を斬る。

 悪夢を斬る。

 目の前に光が溢れ、瓦礫の世界が広がる。小さく声を上げて兎は飛び跳ねて逃げた。

「ケルステイン、良い悪夢は見れたか?」

 法王は剣を落とした。

 両手で顔を押さえ目を見開いている。

「何だ。これは」

「あの兎は死を見せる。一等大事な者の死を」

「………………こんな馬鹿な事があるか」

 指の隙間から、涙がこぼれ落ちた。

「楽しめただろう?」

「貴様」

 僕は笑う。全ての感情を噛み殺して笑う。

 ケルステインは怒る。静かに燃え上がる炎のような怒り。

「貴様、貴様ッ」

「どうした法王猊下。余裕はどこに行った?」

「余に母の死を、もう一度見せたな」

「それがどうした」

 馬鹿みたいに隙が生まれた。

『全機、重力子機関臨界。攻勢準備完了』

 ガンメリーからの通信。

 それじゃまず、最強の小手調べからだ。

「………来い」

 呼ぶ。

「アガチオン!」

 魔剣を呼ぶ。

 赤い魔剣が空からケルステインに降り注ぐ。イライザ・ルビコンの操った魔剣。ガンメリーがコントロールを奪い。大魔術師との戦いで破壊されたが、八本だけ修復できた。

 イゾラの入ったスペシャルはない。ここにあるのは魂のない量産品。

 しかし、

「人間を殺すには十二分の破壊力だ」

 手を開き、握り潰すように拳を作る。魔剣がケルステインの四肢を貫く。

 僕は短銃を構えた。

 頭を狙い引き金を引く。やかましい銃声と共に、頭部は潰れたトマトのように四散する。

 まだだ。

 まだこんなものではない。

 銃を捨て、地面に突き刺した刀を握る。頭を潰す、心臓を貫く、肉という肉を切り刻み、骨を残らず砕く。それでも足りぬのが不死という獣。

『………………異邦人よ』

 潰れた頭部から低い声が出た。

 気配が膨れ上がる。

 僕は弾き飛ばされ、転がった柱にぶつかり止まる。骨が砕けた。内臓が潰れた。

「ハッ」

 血を吐いて笑う。

 法王は人の姿を止めた。魔剣を肉で飲み込み、水死体のような青白い巨人になる。背にアバラ骨のような翼。体格にしてはやせ細った得体に、長い白髪からは暗い穴の開いた瞳が見える。

「ハハハハハハハハハハッ!」

 狂ったように僕は笑って見せた。

 いや、本当に狂ったのかもしれない。いいや、僕の正気など僕には分からない事だ。とっくの昔に頭がおかしくなっていたのかも。

 むしろ………………最初から狂っていたのか?

『数百年ぶりに最悪な気分だ。礼として貴様は長く苦しめて殺す』

 地鳴りと共に巨人が歩く。

「生憎、僕も簡単には死なないさ。お前達と同じでな」

『そうか、なら試してやろう』

 ケルステインが巨大な拳を振り上げた。

 衝撃に臓物を全て吐き出しそうになる。背にした柱が砕け、飛び石のように僕の体は石畳を跳ねる。大通りまで飛ばされ、ようやく体は止まった。

 最悪の気分に痛みが心地良い。

「立ち上がれ」

 体に命じる。敵が近付いて来る。

 刀を振り上げ全身全霊で振り下ろす。刃が届く間もなく、蹴りの一撃をくらった。

 猛烈な速度で景色が流れる。刀が手から離れる。指が折れた。爪が剥がれた。血を吐き、咽、痛みの奔流に脳が割れそうになる。

 体はゴミのように転がった。

「立ち上がれ」

 もう一度命じた。何度でも命じる。足が折れたのなら這ってでも、手がなくなったのなら口で刃を咥え、全て折れ尽きたとして首だけになっても喰らい付く。

 何度でも何度でも、灰になっても戦い続けてやる。

 これが僕なのだ。

『なるほど、頑丈だな。貴様の中から我が兄の力を感じるぞ。それだけではない。あの女の力も』

「あの女と呼ぶな」

 一瞬の睡魔。死の眠りに頭を殴られた。

 ふらつく体を整え、呼吸を深く長く、次の動作に備える。

『敵にすら忘れられた女。貴様も憶えてはいまい。そも、名乗る事すらしなかったか? 忘却か、実に愚かな信仰だ。世界を統べ、守り育む事を知らぬケダモノの論理だ』

「だからこそ、お前らに届いた刃だ」

『ならばもう一度やってみよ』

 単純な動作で拳が迫る。サイズも膂力も桁が違う故、砲弾よりも威力のある拳。それが迫り、次こそは、


(死ぞ)


 黙れ。集中できないだろ。


(なら抵抗して見せろ。“こんなものではない”と無限の力に永遠に対抗して見せろ)


 言われなくてもやるさ。


 空気が爆ぜ、肉と骨が踊る。飛び散る血の中に花を見た。

 一滴の血の中に世界を見、一輪の花に天国を見た。

『何?』

 僕の手の平にはケルステインの拳がある。

 巨大な巨人の拳を、小さな人間の手が受け止めていた。

「お前らを倒す奇跡はもうない」

 彼女と共に消えた。

 我が神と共に消えた。

「対抗しようにも、お前らは遠吠え一つで奇跡を消す」

 故に獣は脅威と恐れられる。

 故に呪いと蔑まれる。 

「だから僕は新たな呪いを生んだ」

 極々単純な道理を添えた。

「“獣は涙を流さない”嘆き悲しみ、涙を流す者は、それもう獣ではなく。人なのさ」

 そして愛する者の死を笑うのは、人ではない。

 血肉が蘇り、砕けた骨が接ぐ。僕の中に残っていた不完全な力が完全な力へと変わる。

『何?』

 巨人の腕が飛ぶ。僕が素手で引き千切った。

 建造物を下敷きに巨人は溺れるように倒れる。再生は始まらない。これは異形であっても、今はもう人なのだ。

 呪いとは【死】であり【魂】であり【記憶】であり【世界】である。奴らの力とはその【支配】だ。彼女の力とはその【簒奪】。

 だが、彼女なき今、僕にはそれは扱えない。

 だからこそ詠う。

 新しい呪いを乞う詩を。

「一粒の砂の中に世界を見、一輪の花に天国を見る。君の手のひらで無限を握り、一瞬のうちに永遠を掴め」

 この手に無限を握り、永遠を掴む。

「ワイルドハント・ニュクス」

 不死者に死を。


(故にお前は、魔獣なのだ)


 黒い炎が体に灯る。

 呪いを燃やす根源の炎、暗き真の火。

「ケルステイン、お前の中の無限がこぼれているぞ」

『貴様ッ!』

 さあ、本当の殺し合いをしようか。

 王よ。

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