<第二章:クォ・ヴァディス>
<第二章:クォ・ヴァディス>
灼熱の中を歩く。
街は死んだように静かで、熱で揺らぐ空気しか見えない。
まるで砂漠だ。
「ちっ」
体は熱いが汗が出ない。無理が一斉にたたってきた。
左肩が痛い。左目が痛い。頭痛がする。心臓が痛い。アドレナリンが出て戦闘中は気付かなかったが、体の様々な所が痛む。骨が軋み、結晶が肉に刺さり、神経が削られる。
それでも何とか歩く。
痛みに耐えて歩く。
足は動く。それだけで前よりはまし。
時間は残されている。それだけで前よりは百倍はまし。
記憶はしっかりしている。それだけで前よりは千倍はまし。
一歩ずつ確実に、彼女と二度目に出会った場所に進む。
僕には何も残っていない。戦う力も奇跡も呪いもタネが尽きた。残ったのは、果たされなかった約束だけ。
何ともまあ、女々しい事か。
ついさっき戦っていた敵に笑われそうである。
枯れた川沿いを進み、薄暗い路地に入る。人気のない静かな場所を奥へ奥へと進む。少しだけ涼しい。空気がまだ湿っている。
そして、目的の小さな橋が見えた。
相変わらず変な存在感がある橋だ。世俗と隔絶された雰囲気。他の建造物と根本的な古さが違う。小さいながらも頑丈な作りである。
「………………」
分かっていた。
そこに誰もいない事は分かっていた。これはただの感傷なのだ。意味なんて何もない。
橋の下に行き腰を下ろす。
「すまない」
ラナに詫びた。あまりにも遅かった到着に。気付かなかった愚かさに。手にかけた愚かさに。
「………………すまない」
それ以上、これ以上、何を言えばいいのか分からない。
ただ、うわ言のように詫びて僕は崩れ落ちた。身も心も限界が来た。疲労は重たく圧し掛かり、指一つ動かせない。
頬に当たる石畳が冷たくて心地よい。目を瞑り意識を闇に落とす。
これが、僕の最後だ。
何も果たせず、愛した女も守れない。本当にくだらない最後。
一つだけ成した事は復讐くらいか。
一つだけ理解できたのは復讐の旨味くらいか。
これは癖になる味なのか。いや、もう、そんな相手もいない。終わりだ。ここで眠り朽ちて死のう。
疲れた。
うん、疲れたな。
望んでも幻は見えない。手を伸ばしても何も掴めない。せめて夢くらいでは。
どうか、神様。
何も夢を見なかった。
暗く暑く不快なだけの闇。
「おい」
闇の中から誰かの声が聞こえる。最悪な事に男の声だ。僕は甘い夢が見たいのに。死に際には都合良く女の幻影が見えるものじゃないのか?
「起きろ馬鹿者」
不機嫌そうな声と共に頭に衝撃を受けた。
「いっつ!」
角を蹴飛ばされ、激痛で目が覚める。目の前に腰かけていたのは、ムカつくほどの美形のエルフだ。少し前にダンジョンに潜った時の装備である。
「………何の用だメルム」
「貴様こそ何をしている?」
「死んでる」
「まだ生きているだろう。馬鹿が」
また蹴られた。今度は肩。反撃する気力もない。
「もう死ぬだけだ。むしろ殺してくれ」
「いつもなら即答して首を落としてやるが」
遅れて気付く。
メルムの顔色は蝋細工のように白い。
「おい、それ」
染み付いた血の匂いで気付かなかった。死の匂いだ。メルムのマントは血で滲んでいる。これは軽傷で済む血の量ではない。
「私も焼きが回った。ま、散々殺してきたのだ。自分の番が来ただけだ」
「誰にやられた?」
こいつの腕は知っている。ケルステイン以外に、敗れる相手は思い浮かばない。
「落ち着けソーヤ、私の仇討など考えるな。貴様には、伝えなければならない事がある。しかしまあ、時間がない。今から話す事をしっかりと聞け」
これが何の冗談か、僕はエルフの王の遺言を聞く事になった。
「まず息子のシモンだ。特にない」
「おい」
酷すぎるだろ。
「あれは母親に似て生真面目な人間だ。私と違って人望もある。と言っても、私の息子だ。やる時はやる。それでいい。そんなものだ」
何だかな。
「次にエアだ。中央のエルフ氏族と縁談がある。尻に敷けそうな男を見繕って結婚して身を固めろ。子供を産め。沢山産め」
「………………」
それを僕の口から伝えろと?
「次にお前だ。ソーヤ」
「待てメルム、お前僕を」
こいつは僕を【アッシュ】ではなく【ソーヤ】と呼んだ。
「ああ、そうか忘れるのだったな。死が間近に迫った今、呪いは無意味なようだが―――――」
メルムは一瞬意識を失った。
首を振り、気力で意識を戻す。
「私の死を隠せ。そして噂を流すのだ。『エルフの王は風のように現れ、森の民を救う』とな。不安は一年で流れ去る。十年で噂は詩になり。百年うたわれ続ければ、それは一つの神となろう」
神の座など興味はないがな、と自嘲気味にメルムは笑う。
「ちっ時間が………長命種の最後がこれとは皮肉だな」
所詮は気力だ。もう体は死んでいる。
エルフの王の命は後わずかな時間で消える。
「メルム、あんたは僕に生きろって言うのか?」
こんな灰すら残っていない男に。
これ以上、何をしろというのだ。
「そうだ生きろ。絶望を踏み越えて前に進め。たかが女一人くらいで世界は滅ばん。私を見てみろ。妹を失い。妻を失い。忘れ形見の娘まで失い。それでも尚、生き恥を晒しに晒して生きに生きた。前に進んだ。貴様もそうすべきだ。いや、しろ。なんせ貴様は――――」
火が消えるのを見た。
今日、呆れるほど見た人の死の最後の締め括り。
「私の息子だからな」
しかし、言葉は残る。
「なあ、メルム」
返事は無い。
分かっていても言わざるを得なかった。
「あんたが先に死んだら、後は追えねぇだろうが………………」
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