<第一章:キングスレイヤー> 【03】


【03】


「勘違いしないでください。ソーヤ隊員を異性として意識しているのではなく。生物の生産行動に興味が――――――」

 イズの言葉は途中で止まった。

 髪の色が変わる。

「うっぎゃー! あのアマ人の体でなんちゅー事を!」

 ピンクに戻ったマキナが叫び声を上げた。頭を押さえて僕が立ちあがる。

「あー何だ。聞かなかった事にする」

 頭が痛い。

「ソーヤさん! か、勘違いしないでください! マキナはあんなビッチじゃありません! もっと奥ゆかしい表現で頼みますから!」

「へぇへぇ」

 右から左に受け流そう。

「………………ん?」

 あれっと違和感。

 ふと何かが引っかかる。さっきマキナの言葉を適当に流したが、やはり何か忘れているような。

「………ん?」

 コテージを出た時に他に誰かいたような。

「ん………………気のせいか?」

 気のせいだろう。急に記憶が戻って頭が混乱しているのだ。ゆっくりと考えを巡らせたいが、そんな時間は無い。

 敵も、街も、自分の体でさえも猶予はない。今は明日の為に体を休めて英気を養おう。の前に、クリアしないといけない複雑な人間関係があるけど。

 だが、

「そこらで野宿した方が僕の心的負担が」

「いい加減、男なら腹をくくるである」

 ガンメリーに正論をくらった。こいつ前より真面目になってないか?

 と言えども、

「やはり」

「やはりもヘチマもないのだ。正々堂々、我が子に名乗れば良いではないか」

「それが出来ないから頭を悩ませているのだろ」

 戦いの前夜に。

「宗谷を父として認めるかどうかは子の自由だ。名乗らねば、その選択すら与えない事となる」

「明日、死ぬとしてもか?」

「今、死ぬとしてもである」

 理解できん。

「名乗るつもりはない」

「記憶にも残らないのは悲しい事であーる」

「それを決めるのは僕だ」

「なら吾輩が言う事は………そこにいると危ないのだ」

「は?」

 急なガンメリーの警告に、僕の反応は遅れた。

「こっ」

 と声が、

「の! 馬鹿がァァァァァ!」

 続き僕は衝撃で吹っ飛ばされる。三回転半草原を転がり、蹴って来た相手を睨んだ。

 人間の雪風だった。

「時雨がご飯食べないで待っているでしょうがッ! 早く帰って来いやァァ!」

「はい、すいません」

 思わず敬語になる剣幕。怖い実妹だ。

「雪風、久しぶりであーる」

「あら、ガンメリーお帰り。何か小さくなったわね」

 雪風はガンメリーと手を繋いで歩き出す。保母さんと園児のような姿。

「はよ!」

「分かった分かった」

 僕にはこの態度だ。

 後に続きコテージに向かう。僕の背後にはマキナ。

「遅れるなら次は連絡しなさいよね!」

「はいはい」

「“はい”は一回!」

「分かったよ」

 こいつは何も変わらんな。

 体形も身長も全く変わっていないし、変化は髪が伸びたくらいか?

「って、アッシュ。何よその恰好」

「吾輩が進呈した」

「何でガンメリーがアッシュに?」

「気分」

「現地住民に協力するのはいいけど、あんた責任取れるのよね? 非常時には回収しなさいよ」

「無問題」

「じゃ好きにしたら」

「するー」

 モヤっとする。

 ガンメリーと雪風が信頼関係を築いているのにモヤっとする。うちの妹とどういう関係なのか問い詰めたい。この変態に変な事されてないだろうな? パンツとか覗かれてないだろうな?

 兄の心配など意に関せず。二人はコテージに入り、雪風は玄関で振り返ると僕を見た。

「何だ?」

「お、おか………」

 雪風は頬をヒクヒクさせて言葉に詰まる。

「くしゃみでも我慢しているのか?」

「うっさいバーカ!」

 怒ってガンメリーと一緒に奥に行ってしまった。

 分からん。妹の心中は複雑だ。

「あ、おかえり」

 ひょっこりと時雨が出て来た。

「アッシュ、飯あるけど食うか?」

「ああ頼む」

 こっちは普通の態度だ。そんなポンポンと怒られても困るが。

「マキナは?」

「マキナは低燃費が自慢ですから大丈夫です。今日は色々あったので睡眠をとりたいです」

「お風呂場にかーちゃん達がいるから、軽く汗流したら着替えと寝床を用意してもらえ」

「はいはーい」

 時雨は廊下の扉を指す。そこがお風呂場のようだ。マキナが戸を開けると、一瞬、女性達の声が外に漏れた。

 僕と時雨は明かりの落ちたリビングを横切り、キッチンに行く。

 四人用の小さいテーブルがあった。

「スープ温めるから、少し待って」

 僕は席に着くが、落ち着かないので手伝おうとする。

「ボクがやるから、アッシュは休んでろよ」

 止められた。

 そう言うなら従う。時雨の仕事を邪魔するつもりはない。

 コンロの火が点り、鍋のスープが煮えて行く。魚介系の匂いが鼻腔をくすぐる。少し懐かしい匂いだ。

 包丁がまな板を叩く。

 食器が鳴る。

 密やかに遅い夕飯の準備は進む。

 給仕服のロングスカートから、時雨の尻尾が少し出ていた。揺れる黒いそれを何となしに目で追う。

 こいつが、その、僕とテュテュのあれそれと思うと、カオスが渦巻いて脳に処理できない負荷がかかる。

 語り得ぬ感情だ。

 やる事をやっていたのだから、できるものはできるわけで。極めて普通の道理であるが、もっと先の事だと――――――うん、止めておこう。

 何を考えても女々しい気がする。こうして目の前にいるわけだし。一つ男らしく。

「時雨、父親の事だが何か知っているか?」

 男らしい軽いジャブを、時雨の背中に放つ。

「知らない。かーちゃんの昔の客の誰かだろ?」

「客って、いやテュテュの仕事を」

 子供に話す事ではないと、変に言葉に詰まった。

「娼婦だろ? 知ってる。どんな仕事でも仕事だよ」

「そだな」

 子供のくせに大人だな。

「それで、父親が誰か知りたいと思ったりする時は、あったり、なかったり………するか?」

「別にどーでもいいよ」

「そか」

 それはそれでショック。

「それじゃアッシュ。かーちゃんと一緒になってボクの父親になるか?」

 気を抜いた所に、一撃必殺のストレートが来た。

 これはKOと言わざるを得ない。いやいや。

「冗談だろ」

「うん、冗談だけど」

 時雨が振り返って笑う。母親似である。

 してやられたな。

「はい、飯」

 テーブルに夕食が並ぶ。どんぶりに入った冷えたご飯、隣に熱々のスープ。小皿には細切れのベーコンや干し魚、キノコの炒め物がある。ゴマやクレソンなどの薬味もあった。

「冷めたお米に魚のスープかけて、具材を適当に入れて混ぜて食べる」

 ようは出汁茶漬けだ。

「いただきます」

 具材を豪快にご飯に載せる。

 ゴマもクレソンもこんもりと。今はちまちまと考えたくない気分。

 魚介系スープをなみなみと入れて、スプーンでかき混ぜながらガツガツと食す。

「ご飯おかわりあるから。アッシュ沢山食べるし」

「おう」

 遠慮なく食べる。

 うん、美味い。食べやすい温度でスルスルとご飯が進む。味付けの濃いキノコと、甘辛い干し魚。これに薬味が合わさり、ご飯が何杯でも食べられる。

「おかわり」

「はいよ」

 あっという間に三杯目。時雨に鍋からご飯をよそってもらう。

 時雨も自分の分をちまちまと食べていた。マキナほどではないが、こいつは食が細いので心配だ。榛名くらい食べないと大きくならないぞ。

「ん」

 六杯完食した事の満腹感と、もう一つの満足感に僕は声を漏らす。

「何?」

「いや」

「変なの」

 悪くないな。

 この空気は悪くない。

 昔の騒がしい食卓も良かったが、こういうのも悪くない。

 夕飯は終わり、時雨は空いた食器をまとめる。ついでと僕に予定を聞いて来た。

「アッシュ、明日も早いのか?」

「まあな」

「弁当作るか?」

「ああ、頼む。簡単でいいぞ。量も少なくていい」

「昼飯は? 戻って来るの?」

「いや」

「じゃ夕飯は? また遅いのか?」

「いや、時雨。俺の分はいらない。もう待たなくていい」

「………………どういう事だよ」

 時雨が冷たい表情を浮かべる。

 一つ分かった。

 こいつは感情を隠そうとすると冷淡な顔付きになる。

「明日の仕事が終わったら、俺は元の生活に戻る。ここには帰らない」

「街があんな状況でかよ?」

「それも明日で変わる。お前ら親子には世話になった。テュテュにも礼を言ってくれ」

「自分で言えよ」

「………そうだな」

 別れは苦手だ。たぶん、何も言わず去るだろう。

 時雨にしたってそうだ。『ガキは嫌いだ』とでも言って突き放せばいい。それが分かっていても出来ないチキン野郎だ、僕は。

「アッシュ、やっぱりあんたはボクの――――――」

 不味い。

 今言われたら僕は頷くだろう。『そうだ』と。

 戦いの覚悟が鈍る。

 どこまでも逃げる事を選んでしまう。これは不味い。

「ぱぱー」

「ッ」

 榛名の声が時雨を遮る。危なかった。紙一重だったぞ。

「どうした? 榛名」

 パジャマ姿の榛名は、お風呂上がりでホカホカの湯気を上げていた。意識したせいか、こいつも異常なほど可愛く感じる。

「んーんー? んーんー」

 榛名はキョロキョロと周囲を見回す。何か失くしたのだろうか?

「ニセナちゃんはどこー?」

「………………………………あ」

 完全に忘れていた。

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