<終章>
<終章>
熱い。大気が燃えている。
汗が一瞬で乾いた。小まめに水分を補給しても唇がガチガチ固まる。
揺らめく陽炎の中、動く者の姿はない。
街は、熱と渇きで死んでいた。そして、死の源である炎の柱に向かって俺は歩く。
「大丈夫か?」
「大丈夫でーす」
引っ張っている荷車の樽から返事が聞こえる。マキナは熱さに弱い。この大気の中では死に至る。だから、樽に入れて塩水に漬けて持って来た。
後、
「んー心地良いぞ」
荷車には、勝手に付いて来たニセナも乗っていた。このクソ熱さを、実に清々しく受け止めている。
「お前は自分の足で歩け」
「断る。今のこなたはひ弱なのだ。存分に甘やかしたもれ」
一番元気そうな奴が何を言うのやら。愚痴っても仕方ないので、荷車を引いて進む。
道中、いくつかの商会によって商品を漁った。基本的にはもぬけの殻だが、廃品はいくつか残されている。四件目でそれっぽい物を発見。
金貨を二枚置いて購入した。
「文明の朽ちる姿とは、いつ見ても面白いな」
ニセナは観光気分だ。廃墟探索を観光と呼ぶのも変だが。
人の手が入らない建造物は急速に劣化する。今見える大通りの建物も、どこかしら痛んで朽ちた空気をかもしだしていた。
「すぐ復興するだろ」
炎が過ぎれば人は戻る。そうなればすぐ元通りだ。
「そうだな。この街はそういう滅びを何度も経験して来た。此度もまた、その一つとなるだろう。正し、次の支配者はどうなるかな? 人の業とは陰惨なモノだ。いっそ綺麗に滅んだ方が清々しいと思うが」
「馬鹿言うな。泥に塗れて這いつくばっても、爪を立てて進むのが人間だ」
俺ですらそう在れた。他の人間でもできる事だろう。
「違うぞ。人は無為に生きられぬ生き物だ。信、義、情、財、思想、信仰、我欲、名声、女に男。数多のモノに担ぎ担がれ、初めて生きようと生きる。いや、そう生きるから人道と呼ぶのか。それなしで生きるモノは人に非ず、獣だ」
「俺が獣と?」
否定はしないが。
「愚か者。単なる獣性だけが己を支えていると思うてか?」
「………………」
それは否定できない。
名も分からぬ力だが、心当たりはある。
「最初にそなたと戦った時、はしっこく鬱陶しいネズミと思うた。だが今は違う」
「どういう事だ?」
まるで昔、俺と戦ったかのような口ぶり。
「己を知れ。身にある力の意味を知れ」
「知ろうとしても分からん」
わかりゃ苦労しない。それに興味もない。今大事なのは目の前の事だけだ。
「違うな。本能的に背けているだけだ。そなたは何を恐れている?」
「恐れだと?」
俺に恐れなど無い。
何が来ても戦い死ぬ覚悟がある。それに俺の死はもう間近だ。死神が傍にいるのに、何を恐れると言うのだ。
「こなたには、そなたが目を背けているように見える」
「お前の目が悪いだけだ」
「安っぽい否定は、こなたの言葉が真を突いた証ぞ」
なんだかねぇ。そう言われても、分からない事は分からない。
大通りから細い路地に入る。
荷車がギリギリ入る幅だ。普段の人通りなら邪魔になっていただろう。
「畜生で終わるか、人の道に進むか。何なら王の道まで行ってみるか? こなたが手伝ってやらんでもない」
「冗談言うな。俺が王など、こんな血塗れの手で人の上に立てるか」
「手を汚さず王になった者は、手を汚す者に奪われるのが定め。オルオスオウル然り、ロージアン然り、ラーズ然り、レムリア然りだ」
そう言われれば正論な気もする。
「特にレムリアは凄いぞ。あやつの王座は骸で作られたものだ。人の位を借り、盗み、奪い。闇に葬った者は百では足りぬ。千か万か。全てを知る者が生きているなら、奴を王とは呼ばぬ。簒奪者、そう魔王と呼んだだろう」
「冒険者の王が魔王ねぇ」
初耳だ。と言うか、俺の耳は大して大きくない事を最近痛感した。
こりゃネズミも廃業だな。
「で、そなたはどうなのだ?」
「だから俺は―――――――」
「アッシュさんは王にならないであります」
急にマキナが入って来た。
「ほう、変なピンクの生き物よ。王でないなら何となる? 聞けばこやつは、ケルステインの首を狙っているとか。王を倒す者は必然的に王となるのだぞ。しかして、簒奪者では人は止まらぬ。権力を手にして身を退く者はいぬ。他者の築き上げたモノは、他者に統治はできん。世は混沌に満ち。多くの血が流れ、怨嗟が響く。だからこそ、簒奪者と魔王は同義なのだ」
そんなもん目指してないが。
「王は王でも、あなたの言う王とは違う種類の王様です。人の徳を顧みず、武力と策謀で人を征す。【覇王】と呼ばれる王となるでしょう。あくまでも、王になるならと言う前提ですが」
「覇王とな。顧みぬのは人の徳だけか? それとも己の得か?」
「“全て”ですね。この人は刹那的です。風に吹かれる塵のように、やる事をやったら消えてなくなるでしょう」
「成す事を成したら、塵のように消える王か。それはそれで――――――」
「お前ら」
いい加減にしろと話を止める。
「その王に荷車を引かせている事について一言」
「特にないであります。適材適所かと」
「何故こなたが下々の仕事を。馬鹿にしておるのか?」
こいつら、俺を持ち上げたいのか落としたいのか。
「着いたぞ。降りろ」
無駄話をしていたら到着した。
朽ちた炎教の神殿が見える。
焦げ付いた空気に火の子が舞う。30メートル先にあるのは、前に見た時よりも遥かに大きくなった炎の柱。
「とは言ったものの」
肌が焼ける。熱波が強すぎて、これ以上近付けば無事ではすまない。
「マキナ、大丈夫か?」
「お水が蒸発して大丈夫ではありません。帰りたいのですが」
「我慢しろ。すぐ済むから」
「いえ、割と我慢した後の“大丈夫ではない”なので急を要します」
「………………早く言えよ」
土壇場で『トイレ行きたい』みたいな事を言うな。
「なッ! 言いづらそうな空気出したアッシュさんが悪いと思うんですけど! ボーっとしてる間に大事そうな話してるし。てか、マキナの頑張りを評価するのが先だと思うんですけどッ!」
「分かった分かった。偉い偉い」
「褒め方が雑ッ!」
熱いのにうるさい。
「このピンク、熱さに弱いのか?」
荷車を降りてニセナが言う。
「弱いな。人間の体温でも熱がるほどに」
魚と同じだ。
「今だけですぅぅ! もう少しすれば普通の哺乳類程度には適応しますぅぅぅ!」
「どれ仕方ない」
ガサゴソと、ニセナはドレスの胸元を探る。何かを掴み、樽に手を突っ込んだ。
「うひゃふぃい!」
マキナの変な声。
「良いぞ」
「はれ? 熱くないです。お? おー、アッシュさん。適応しました」
樽から出てきて腰を振るマキナ。
「大盤振る舞いであるぞ。後で倍返しせよ」
「何?」
ニセナの奴、何をした?
「見てください。湿布貼ってもらったら熱さが平気に」
「便利な湿布だな」
マキナは、濡れたワンピースをはだけさせて胸元を見せる。そこには、ひし形の白い湿布が貼ってあった。
「湿布言うな馬鹿者共! 不遜であるぞ!」
ニセナが急に怒鳴って、
「これはな、こなたの………………ふんッ。知らぬ! 勝手にせよ! ほら行け! シッシッ!」
ふてくされて荷車に戻った。
変な奴。
「マキナ、これに着替えろ」
商会で買った服をマキナに渡した。黒のスカートと黒のノースリーブ。少し露出が多いが、喪服の代わりだ。
「アッシュさんの趣味ですか?」
「ただの形式だ。面倒なら濡れたワンピースのままでも良いぞ」
「着替えます」
何のためらいもなくマキナは全裸になる。下着も買えば良かったと後悔。こいつ顔は隠すのに体は良いのかよ。
濡れた肌や髪は、熱波に晒されるとすぐ乾いた。マキナは黒い姿に代わり――――――しまった事に俺は気付く。
靴を忘れた。マキナは裸足だ。
熱された石畳は、こぼれた水滴を蒸発させるレベル。
「アッシュさん、おんぶ」
「仕方ないな」
仕方ないので背負う。
ん? ちょいタプンとした感触。こいつ見た目よりあるな。
「所で、ここで何を?」
「墓参りだ。とんでもない所にあるが」
マキナを背負い炎に近付く。多少のダメージは覚悟したが、思ったよりも平気だ。
「どういう事だ?」
熱さは感じるが、熱の痛みは感じない。
一番強い感覚は、背負ったマキナのひんやりした体温。
「たぶん、ニセナさんの湿布のおかげですね」
「凄い湿布だ」
「凄い湿布ですね」
後で作り方を教えてもらえないだろうか。
思ったよりも大分楽に炎の近くに来た。
「アッシュさん、あの急に呼吸が。ここ嫌なのですけど」
「我慢しろ、ほら挨拶しろ」
墓石の前にマキナを連れて来た。
作った俺が言うのも何だが、ボロっちいガラクタの山である。
「お前の墓だ」
「違いますよ」
「違わない。ここで、この場所で、お前は子供を守ろうとして死んだ」
「気分が悪いです」
串刺しになったドラム缶の場所に立つ。
「何本もの槍に串刺しにされた」
「………………」
マキナは震える。
俺は続ける。
「さらわれた子供は俺が取り戻した。今は街を離れ安全な所にいる。だが――――――」
「やめてください」
「だが、獣人以外の子供は皆殺しにされた。そこで皆、灰になって眠っている。殺した奴らは俺が責任を取らせた。命じた奴らもな」
マキナが背から降りた。
俺の右手を左手で掴んだまま、積まれた墓を暴く。
「嘘ですよね? ここには何もないのですよね? あんなに元気だった子供達が、そんな」
小さい手が瓦礫を掻き分ける。止めようと思えば止められる。しかし止めない。
柔らかい爪が割れて血が飛び散る。マキナは構わず、瓦礫を退かす。
やがて、自分の躯を発見した。
灰に塗れた穴だらけのドラム缶。こいつの昔の体は焼けなかった。だから、子供の遺灰と一緒に埋めた。
マキナが停止した。
顔を見なくても泣いているのが分かる。
「一人だけ看取る事ができた。ガルドランドと言う子だ」
「………好き嫌いが多いのに、よく食べる子でした。大きくなったら冒険者になるのが夢で」
「ああ、聞いた。だが俺が願いを聞いたら『友達を助けてくれ』とさ。己の夢を曲げてまで、人の為に願いを言える奴は強い。強い子だったよ」
「………………思い出しました」
マキナの震えは止まった。
「マキナはここで死んだのです。笑えるのが、子供を守って死んだと言う事実に酔い。安息の中で逝ったのです。大馬鹿ですよね、なんやかんやで自分の事ばかり。残された子供の事なんか何も考えていない」
「そんな事は無い」
「そんな事はあります」
「では、何故甦った?」
「偶然です」
「違う。お前が生きようと藻掻き、願ったから甦ったのだ。レヴナント<帰って来た者>よ。全ては神の戯れなれど、一にお前の意思がなければ奇跡は起きない。お前は願ったのだ。再びの生を。新たな生で何かを成す事を」
神の御業は皮肉に満ちている。
神が奇跡を起こすのは、犠牲が出た後だ。生贄を捧げた後だ。人が慟哭した後だ。血が流れた後だ。見返りを払った後だ。
「そう、神の御業はいつも皮肉に満ちている」
「皮肉?」
「だが――――――」
俺は、この言葉を知っている。
忘らるる我が神に教えられた。記憶から消えても血に染み付いた願い。最初は呪いだった。けれども最後に残った願いと祈り。
「だが、人の思いは時にそれすら看破する」
神の残滓が俺の体に流れている。
皮肉ではない本当の奇跡の御業として、無限の力の一欠片が。
「マキナ、お前の願いを言え」
「願い」
「俺にはそれを聞き届ける義務がある」
同じレヴナントとして。
願いすら忘れた愚者として。
「マキナの願い。………………願いは」
血に濡れたマキナの手が、俺の手に重ねられる。
「あなたに思い出して欲しい」
赤い目で、マキナが詠う。
まるで吟遊詩人のように涼やかな声で。
「苦難から始まった冒険の日々を。
友の為に、偽りの英雄を屠った夜を。
愛した人の為に、命を賭けた冒険を。
遠き彼の地で、本物の英雄と駆けた戦を。
小さき者と交わした約束を。
竜と立ち向かった祭りを。
悪夢を払った戦いを。
束の間の冒険の暇を。
剣と麦を賭けさせた事を。
何もかも捧げた最後の戦いを。いえ………………戦いは終わってはいません。冒険はまだまだ続くのです。途中なのです。思い出してください! そして、全てに片を付けましょう! そうして、もう一度、今度はマキナも一緒に行きます」
マキナが呼ぶ。
僕の名を呼ぶ。
「ダンジョンに潜りましょう、ソーヤさん」
<続く>
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