<第五章:レヴナント> 【01】
【01】
刀身の血を払う。
感情が乗って荒い剣線になってしまった。刃こぼれを心配したが、刃には傷一つない。それどころか人の脂で艶が増した。
こいつは業物だな。立派な人斬り包丁だ。
「いやでも」
何で俺は感情を乱した?
転がった五人の死体に問いかけても無駄な事か。
時雨や榛名のせいで子供に情が移ったとか? 冗談。他所のガキなど知ったこっちゃない。ここでなくとも街のどこかで、それこそ世界のどこでもガキは死んでいる。大人だって死んでいる。他人の死などに感情は乱されない。
後は、
「………………」
このドラム缶か? 何でも中身はドワーフだと聞いた。
まさかな。
念の為、死体を確認しておくか。
突き刺さった槍を引き抜く。穂先にも柄にも血は付いていない。水のような無臭の液体が付いている。
槍を全部引き抜いてドラム缶を開いた。
「何だこりゃ」
中身は複雑な電子部品の塊だ。収納されたアームに工具もある。培養装置らしき物もあるが、肝心の生き物の姿はない。
一つ気になったのは、割れた水槽のような部品だ。ダクトテープで補修された箇所があり、中の液体は流れ落ちて空になっている。
「アッシュ」
「時雨来るな。戻っていろ」
地下から時雨が少しだけ顔を出す。
「戻れ。良いというまで地下で待機しろ」
「わ、分かったけど。こいつが話あるって」
時雨は引っ込むが、カンテラを置いていった。円柱状のカンテラは勝手に転がり、俺の足元に止まる。
『どうも精霊です』
小さいアームが手を上げる。
『修理可能か点検します。持ち上げてください』
「お前の仲間か」
そういえば似ている。
自称精霊の雪風を掴んで、開いたドラム缶に近付ける。
『水溶脳・全損。バックアップ装置破損。雪風の機能では修理、データの抽出は不可能。機体機能も利用できません。廃棄を推奨します』
「そうか」
それは少し残念だ。何でか残念だ。
『微弱ですが生命反応を感知しました』
「分かっている」
本当に微弱だけどな。
『助けないのですか?』
「無駄だ。助からない」
『ですが最後を看取る事はできます』
「お前がやればいいだろ」
『秘密保持に為、雪風は特定の人物としかコミュニケーションを取りません。時雨隊員と、断片的ですが似た遺伝子を持っているあなたです』
「俺と時雨が?」
『かなりの遠縁ですが』
なんだそりゃ親戚か?
『そんな事より早くするのです。あまり時間が残されていません』
「………ああ、分かったよ」
死にかけの子供を看取るとか嫌な役目だ。
積まれた子供の死体の中に、青白い顔で浅い呼吸をしている子供がいた。
体格の良い男子。いや、少し太り気味か。そういえば、他の子供も孤児で地下暮らしにしては飢えた様子はない。あのドラム缶が人並みに食わせていたのだろう。それとも時雨の差し入れのおかげか。
「坊主、痛むか?」
「だ、れ?」
虚ろな目が俺を見る。
傷は胸を一突き。心臓に近い位置だ。出血も酷い。この場に上級の治療術師でもいれば別だろうが、間に合わない。
今際だ。
「何か言い残す事はあるか?」
「………ミキューちゃんが」
「ミキュー?」
獣人の名前っぽいが。
「つれて、いかれ」
「そうか」
獣人なら獣人と暮らした方が良いかもしれない。死にかけの子供に言う事ではないが。
「………さま?」
「ん?」
目に少しだけ気力が戻る。消える前の蝋燭の明かりのように、最後にほんの一瞬輝く光。
「おうさま」
少年の手が俺に伸びる。
「王様?」
『その少年は、あなたの刀に反応したようです』
雪風が少年に聞こえないよう俺に囁く。秘密保持とやらも、これから死にゆく少年には関係ないだろうに。
「刀がどうしてだ?」
『レムリア王は、お忍びで街を歩く際、刀を差していました。それを目撃した子供達が、刀を王の証と勘違いしたのであります』
子供なら憧れてしまうのか。王などろくなもんじゃないのに。
だからこそ、今の俺にお似合いか。
「少年、名前は何だ?」
「ガル………………ガルドランド」
少年はしっかりと答えた。
「勇ましい名前だな、ガルドランド。俺は、アッシュ・メルド―――――――」
『アッシュ【ウルス・ラ・ティルト】とお名乗りください。形式的な貴族の名前です』
形式ね。形は大事だな。
「アッシュ・ウルス・ラ・ティルト。騎士であり。冒険者であり。まさしく王だ。ガルドランド、願いを一つだけ言え。この王の証を賭けて、俺が叶えてやる」
少年の手を握る。まだ温かい手だ。これから冷たくなる手だ。
「ぼくの、ねが、い」
「そうだ。何でも一つだけ叶えてやる」
「………なったら、おおき、く。なったら冒険………………」
少年は願いを途中で止め、最後にこう言った。
「ミキューちゃんを助けて」
目から光が消えた。
何度も見た死だ。ただ子供というだけでだけで、別に珍しいわけではない。
『心拍停止。亡くなりました』
「そうだな」
肉が硬直する前に少年の目を閉じる。腕を組んで服の袖で顔を拭いてやった。俺が出来るのはこの程度だ。
死んだ人間に出来る事など、その程度だ。
その程度。
握り絞めた拳が鳴る。
体が軽く汗ばむ。呼吸も荒い。噛みしめた歯に砂の感触。内にある得体の知れないものが爆発しそうだ。
『アッシュ臨時隊員。心拍数が異常です。アドレナリンを大量に分泌しているようですが』
「問題ない」
今は問題ない。
「何だよ、これ」
「時雨、戻れ」
「何だよ! これ!」
時雨は出てきてしまった。
隠そうとしたが、子供の死体を見られてしまった。
「戻れ!」
「あんたが!」
「そんなわけないだろッ!」
「ッ」
思わず怒鳴ってしまった。
『時雨隊員。この子供達は、こちらの獣人に殺害されました。アッシュ臨時隊員は』
雪風を蹴り飛ばした。
「黙ってろポンコツ」
「みんな死んだのか?」
「………………獣人以外はな」
面倒な事になった。
「何でだよ」
「理由なんてない。ヒームだって理由なく獣人を殺す。この子達は、その意趣返しの犠牲になったのさ」
「だから何でだよ!」
知らねぇよ。
「そういう世の中なんだよ! 理解しろ! 受け止めろ! お前は賢い子供だろう!」
「わかんねぇよ!」
「分からなくても飲み込め! 吐き出すな! こういう受け止め難い事は、世の中に充満している! 今は吐き気を感じるだろう。消化できないだろう。けれどもな、生きていれば慣れる! 理不尽な事も慣れなくちゃならない! ………生きる為に自然と慣れる。こいつらと違って、お前には明日があるんだ。家族もいる。だから――――――」
言葉に詰まった。
「だから」
そこから言葉が続かない。
『時雨隊員、帰りましょう。アッシュ臨時隊員の言う通り、あなたが出来る事はありません』
「ある」
ある、と時雨は言う。
「火葬する。飯も一緒に燃やす。天国ではもっと美味しい物を食べられるだろうけど、ボクの料理をみんな“美味しい”言っていたから」
「お前は帰れ、俺一人でいい」
「嫌だ。ボク一人でもやる」
頑固の奴だ。
『微力ながら雪風も手伝うであります。死体であるなら接触しても問題な―――――』
近付いて来た雪風をもう一度蹴り飛ばした。
火葬に使う木材は近くの廃墟から頂いた。
『この場所は、潰された炎教の神殿です。物取りも天罰を恐れてか建材には手を出していないようです。使わせてもらいましょう』
倒壊した木製の柱を斬り、火葬に必要な積み木にした。
運んで持って帰ると子供の死体が綺麗に並んでいる。それから少し離れて、俺が殺した獣人の死体も。
「そいつらもか?」
「こいつらの神様は知らないけど、炎教の子供を殺したんだ。最後に燃えるくらいの罰はあってもいい」
優しさなのか、厳しさなのか、俺には分からん。
『こんな話を知っていますか? 人は死ぬと死人ではなく――――――』
「黙ってろ」
『了解であります』
雪風を黙らせた。
急に饒舌になりやがって、邪魔だ。
黙々と時雨と火葬の準備をする。時雨は涙を流していた。しかし、表情は泣いていなかった。俺は見ないようにした。子供にかける優しい言葉などしらない。
『炎教の教えによると、最後は何もかも炎に飲まれて消えるそうであります』
「だから何だ?」
黙ってろと言ったのに雪風は口を開く。
いや、口で合ってるのか?
『死に安寧があると言うオチのある話をしようかと』
「オチを先に言うな」
『精神的な苦痛を和らげるよう努力しています』
「もっと努力しろ。全然駄目だ」
『了解であります』
程なくして準備が完了。
部外者二人で作った火葬の壇に死体を並べた。地下にあった子供らの私物も一緒に置いた。壊れた玩具や、欠けた櫛、使い込まれた子供用の木剣に木の盾。時雨の飯も容器ごと。
謎のドラム缶も置こうと思ったが、あれは焼けそうもないので別の処分を考えなければ。
「最後に何かあるか?」
松明に翔光石で火を灯す。
「ない」
きっぱりした時雨の言葉を聞いて、俺は松明を置く。
火は緩やかに燃え広がり。しばらくすると大きな篝火となった。
「時雨、俺が――――」
「言うなよ」
死んだら、と言葉は続けられなかった。
「そんな事いうなよ」
「すまんな」
時雨の泣き顔に胸がざわつく。恥ではないのに、時雨は自分の顔を覆った。死に無感動な事こそ恥なのに。
炎が揺らめき、薪が爆ぜる音が響く。
顔を撫でる熱と耳に当たる冷たい風。今日もまた雪が降り出してきた。夜は冷えるだろう。
「………………アッシュ」
「何だ?」
「変な事、考えてないよな?」
「安心しろ。考えていない」
考えていないさ。
今の俺は、感情の獣だ。この炎のような獣だ。
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