<第四章:炎の子> 【10】
【10】
切断する。破断する。叩き潰す。磨り潰す。
貫き、穿ち、抉り、壊し。殺す、斬る。殺す、斬る。斬る斬る斬る斬る斬る。
ただ、ひたすらに斬る。
化け物に慈悲はいらず。それを殺す者に心はいらず。
鬼でいい。
剣でいい。
鉄のように、
鋼のように、
屍山血河を作り上げ、血と肉を喰らう悪鬼の如く。
斬り進む。
背後には数え切れない血と骨と肉。この手を濡らすのは、自分の血なのか、敵の血なのか。
「おい」
振り向くと、背後の味方に武器を向けられていた。
殺気も向いている。それに恐れも。
「あなたは、何だ?!」
「知らねぇよ」
デブラの問いには答えようがない。人と獣に恐れられる生き物があるなら、名を教えて欲しいものだ。
視線を獣人に向けたまま、襲って来た少女を掴んで床に叩き付ける。肉が爆ぜ、骨が砕け、脳漿をぶちまけて、内臓を吐き出しても、まだこれは生きている。
再生して生きようとしている。
剣を一閃させ生命活動を停止させた。
これは祈りだ。
死を願い。憎しみと共に剣に込めれば、俺はこいつらを殺せる。
仮初の不死を塗り潰せる。
いや、こんな祈りがあっていいはずがない。だからこれは、【呪い】と呼ぶべき忌みなのであろう。
しかし、これではまだ駄目だ。足りない。ケルステインに届く刃ではない。何者にも等しく死を与えるには、呪いだけでは駄目なのだ。
「アッシュさん、私達は」
「別行動しよう」
分かっているさ。自分がまっとうでない事くらい。質が悪い事に、更に酷くなろうと望んでいる事も。
丁度、敵は粗方始末した。
動くモノはいない。道も左右に別れている。
「俺は右。デブラ、お前達は左。助け合いは無しだ。お互い勝手に人を選び救い、敵を殺せ」
「分かりました。ご武運を、とは言いません。長く戦い様々な敵や味方を見ましたが、こんなにも恐ろしいと思った事はない。あなたはまるで魔獣だ。傍に居る者を片っ端から食い殺す魔獣だ」
「それよりも強いぞ。エリュシオンは」
「肝に銘じます」
デブラ達は去る。彼らの警戒心は、完全に俺に向けられていた。
そうだな知っているさ。
人間など、こんなものだ。
くだらない嘆きは止めよう。俺も進む。
細い回廊を進むと、景色が様変わりした。並んでいたベッドが途切れ、天井の高い開けた回廊に出る。
しばらく進むと、
「あら」
「あ?」
ばったりと人に出会う。
黒髪ツインテールのメイドだ。
高身長の爬虫類系の獣人。闇夜に開いた瞳孔、頬に浮かぶ鱗、捲れたスカートから長い尻尾が揺れ動く。
「いけませんね。混乱に乗じて忍び込んだのに、血生臭い獣と出会うとは」
「おいあんた」
敵か? 味方か? あ、俺に味方などいないか。
「まあ」
一言発し、ふわりとメイドは跳ぶ。
空中で前転。一回、二回と回転して、三回目には残像を纏う速度に。
着地はカカトから、ドゴンと耳が割れそうな轟音が響いた。メイドの足が石材を砕いて、すり鉢状の破壊を作り出す。そこを起点に亀裂が走り、
「これで問題ないでしょう」
「なっ!」
回廊が崩落した。
咄嗟に周囲の物を掴もうとするが、空を掴むのみ。
一瞬の浮遊感を体験して落ちる。
奈落に落ちる。
永遠に続くような闇が底で口を開いていた。
風に包まれながら、俺はまた既視感を覚えた。ここではない闇と風の音。水底に落ちる幻視。違ったのは、思ったよりも底が浅かった事。
「ぐあッ」
背中を強打して呼吸が詰まる。鎧がなかったら、背骨が逝っていたかもしれない。
呼吸を整えながら、体の様子を見た。左肩以外は問題ない。まだ動く。明日どうなるか分からないが、今は問題なく動く。
上から降り注ぐ明かりは遠い。10メートル近く、道具なしで登るには絶望的な高さだ。
周囲に意識を向けた。
戦いの熱が急激に冷める。この階層は足首まで水が溜まっていた。上の惨劇の割には、清浄に流れている水。俺以外の汚染もない。
近くに落ちていた剣を手に取り、杖にして体を起こす。
思い出したかのように疲労がのしかかって来た。アドレナリンが切れたのか、痛みも感じ出す。肩から全身に走るバラバラになりそうな痛み。しかしこれはこれで、疲労の睡魔を帳消しにしてくれてありがたい。
厄介なのは、左目の視界が霞んで使い物にならなくなった事。
広大な闇を何も―――――否。
闇を、見通せる。
自分が、異常に夜目が利いた事に少し驚く。静寂と暗闇に親愛を覚える事も。
でもそうか、ネズミには相応しい場所か。
だとしても、ここで朽ちるわけにはいかない。
進む。進まねば。
使命などなくとも、俺には倒さなければならない敵がいる。全てが無駄としても、最後まで抗い戦う本能がある。何もない俺の、唯一の力。永遠に燃える炎だ。
ゆっくりと前に一歩。
二歩、三歩と足を動かす。
痛みには耐えられる。本当の痛みは、一歩も進めなくなる事。
俺は足を動かした。
何もない道を、ただ前に進んだ。聞こえるのは足に絡み付く水の音だけ。静寂と同じように無心で歩みを進める。
暗闇は永遠に続くかに思えた。
長い道、しかし光があった。
深淵に終わりが来た。
ドーム状の広い空間だ。虫の巣のように無数の通路に繋がっている。
「………………何者か?」
声が聞こえた。場所に不釣り合いな涼風のような声だ。
空間の中心には、裸の女が一人繋がれていた。
手足には枷と大きな鎖。人を拘束するにしては異常な大きさ。
闇に栄える金髪。乱れたショートボブから覗く長い耳。人形のように整った顔つきで、汚れても雪のような白さが見える肌。
エルフだ。
だが、只のエルフをこんな所に置くのだろうか?
「人であるか? それとも、こなたの血肉を求めに来た獣か? いいや、笑いに来た同胞か」
「あんたもしや、ラウアリュナか?」
口調に品がある。言い方は悪いが、落ちぶれた貴族のような品だ。
ラウアリュナはエルフの姫君である。重要人物なら、こんな場所に拘束しているのも頷ける。
「こなたを穢れと呼ぶか」
「穢れ?」
「“氏族の穢れ”その言葉にはそういう意味がある。ならばまさしく、今のこなたの事であろう」
「はあ?」
意味がわからん。
「つまり、ラウアリュナで間違いないと?」
「そうだと言っているだろう。不愉快な奴であるな。ん、貴様どこかで」
エルフは俺の顔を凝視した。
「似た男を知っているぞ」
「そうか、よく知らん男と勘違いされる」
一応本人らしい。助けよう。
剣を振り上げ鎖を斬る。刃が風を斬り断末魔を上げた。
「ちっ」
アリアンヌの剣が半ばから折れた。頑丈な騎士剣であったが、俺の扱い方と斬ったモノが良くなかった。寿命だ。
「貴様は何をしている?」
「あんたを助けようとしている」
折れた剣で鎖を叩く。頑丈な鋼だ。削れもしないとは。
枷の方を破壊しようかと考えたが、衝撃で細い手足が折れるかもしれない。
「こなたを助けて何とする?」
「知らねぇよ。助けてくれって依頼を受けたのさ」
「誰から?」
「冒険者組合の組合長だ」
「あのチビが何故?」
「下心だろ」
男が女を救う理由はそんなもんだ。
「下心だと? あのチビはこなたと生殖行動をしたいと申すか?」
「申すのだろう」
知らんがね。
とりあえず、
「駄目だ。鎖が斬れない。あんた、他に道具がある所を―――――――」
「使え」
女は、俺に刀を差しだした。
「は?」
どこに隠し持っていた? 女はどう見ても裸だ。膨らみかけの胸や、小さい尻にこんな長物を隠せるわけがない。
「使え、お気に入りの業物である。この異邦の技術で鍛えられた鎖。そなたなら、斬れるやもしれん」
「借りる」
鞘を腰のベルトに差し、小さく刃を引き抜いた。
ああ違う。
違うな。
これは真の形をしている。こうあり、こう斬る為の刃物だ。ならば、鞘を握り刃を引き抜くだけで結果は見える。
心を空に。
銀線が二つ閃き、四本の鉄鎖は音もなく切断される。たるんだ鎖は、派手な音を立てて水飛沫を上げた。
続いて、女の四肢にある枷を斬った。
「はなから、こっちを斬れば良いだろう?」
「へぇへぇ」
試し斬りだ。いきなり女の手足を落としたくない。
「ふむ、やはりこの剣技、ほうほう」
「?」
自由になった女は、嬉しそうに頷いた。そして、俺のボロボロになったマントを勝手に奪って体に巻く。
「こなたは、そなたに興味が湧いた。良いだろう。地上に連れて行け。物見遊山である」
「了解だ」
言われなくても連れて行く。忘れていたが、これも目的の一つだ。
「しかし、ふむ」
「また何だ?」
ラウアリュナは、周囲を見回し落ちた鎖を素足でつつく。
「この鎖、どうやら仕掛けがあったようだな」
ゴゴゴゴゴ、と奥から地鳴りが近付いて来る。
嫌な予感がした。水かさが一気に膝までに。通路のあちこちから水が噴き出している。
「そなた、泳ぎは得意か?」
「冗談」
建造物を破壊して津波が押し寄せて来る。
「あ」
っという間に俺達は飲まれた。
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