<第四章:炎の子> 【09】
【09】
ふらつく体を壁に預けながら進む。
切り替えろ、切り替えろ、と自分に何度も言い聞かせた。
ケルステインは、今の俺が勝てる相手ではない。そも、剣や魔法で倒せる次元の生き物なのか?
圧倒的だった。
まるで災害を人の形に圧縮したような。人間には到底抗えない力。剣一つ、身一つでは、為す術がない。
そして俺は、あの力を知っている。何も持たない俺であるが、この体が覚えている。
駄目だ。今のままでは駄目だ。
こんな剣一つでは話にもならない。
「出入口を固めろ! 連中を城にあげるでない!」
騎士の怒声が聞こえる。
位の高そうな騎士が、他の騎士達を指揮して通路を塞いでいた。恐らくは、この先が地下の牢獄なのだろう。
「待て貴様!」
俺は、指令を与えている騎士に呼び止められる。
「その傷はどうした? 重傷なら治療を………待て、何だその角は?」
「すまんな」
アリアンヌの剣で騎士の体を両断した。
上半身が壁に叩き付けられ、立ったままの下半身から短く血が噴き出た。
『な?!』
敵に裏を取られ騎士達の陣形が崩れる。
「どいてくれ」
無造作な一振りで3人。もう一振りで4人。盾も鎧もお構いなしに切断する。
技は冴えている。人の域で言えば達人に近い。だからこそ歯がゆい。
この力では駄目なのだ。こんなものでは足りないのだ。
「ヒッ」
失禁した騎士の一人が戦意を失った。恐怖は簡単に伝染する。残った20近い騎士は、蜘蛛の子を散らすように道を開けた。
俺は地下の階段を降りる。
ダンジョンのような狭い空間には、鉄格子の牢が並ぶ。
カビと血の匂い。人の熱と汗の湿気。怒号が飛び交い混迷としていた。
老若男女の獣人がごった返して騎士を暴行している。どこかの記憶から、刑務所の暴動を思い起こす。
当然、騎士の姿をした俺も獣人に襲われた。
「味方だ」
一応な。そう言って襲い来る獣人達を殴り倒した。
騒ぎが大きい方に適当に進むと、見知った顔を見つける。
「おい、デブラ、メート。どうなっている?」
武装した犬とネズミの獣人だ。
周囲に部下が30人程度いる。
「獣人は解放できましたが、それ以外の種族は下の階層です。あなたの案、死体に武器を隠したのが上手く行きましたね」
死体に回復魔法をかけると、しばらくの間生きているように見える。それに武器を隠して、こいつらと一緒に運ばせた。
意識も反応もないが、捕虜の数で報酬も変わり、その処理は牢獄で行う。
結果、今の暴動だ。
「抵抗が収まり次第、人を集め―――――アッシュさん、その傷は?」
俺は、ケルステインにやられてボロボロだ。
「怪我を」
「問題ない」
血を拭こうとしたメートを退ける。
出血は止まった。走れる程度には回復している。死にかけのくせに、肩以外は飽きれる程の回復力である。
「法王の暗殺には失敗した。だが、時間はある」
「アアッッシュゥゥゥゥゥゥゥゥ!」
野獣の声が響く。
熊の獣人が、地響きを鳴らして俺に突撃して来た。
「あいつも解放したのか?」
「手勢が欲しかったので」
デブラを睨み付けて非難する。
オロックは五体満足というわけではなく。拷問されたような痕が見られる。そりゃ送り込んだ当人を見ればこうもなる。
「なら、もういらんな」
「一応の説得を」
一理あるか。
「おいオロック」
剣を握った拳で、丸太のような拳を受け止めた。治りかけの体に衝撃が心地よい。
性懲りもなく同じ事を。
容易く防がれた事実を、少しくらい察したらどうだ。
「俺に獣人の力は通用しない。お前らの大敵である法王は、更の更に上を行くぞ。協力をするなら――――――」
「知った事かァァァァッッ!」
欠けたもう一つの拳を振り上げ、オロックは背後から心臓を突き刺された。歪んだ人相そのままに汚れた石床に転がる。
即死である。
ずるりと、厚い肉からメートは剣を引き抜いた。
「よいのか?」
「はい、アッシュ様。無能で盲目の獣は、例え頭目でも処理せねばなりません」
情がない話である。
「これからは予定通りで?」
「ああ、問題ない」
暗殺は失敗したが、打ち合わせ通りに動く。
まず目の前の大事を片付けないと。
「手勢を別ける。メート、お前は外に行きベルハルトと合流だ。ついで街の駐屯所を襲い城の騎士を惹き付けろ。デブラ、お前は俺と下に行き要人の確保。血の気のある奴らを集めろ」
『了解』
二人は頷いて、部下に指令を出す。集団が二つに分かれた。
一つを引き連れ、俺とデブラは牢獄の階段を降りる。
ちらりと見えたのは、騎士の死体と戦って死んだ獣人の死体。こいつらが何で死んだのか? 俺のせいだ。俺が殺したのだろう。
事実を受け入れても、俺の心は何も動かない。
いや、度し難いな。人でなしの感性だ。
「彼らは自由と志の為に戦ったのです。無駄死にではありません」
「そうだな」
デブラの言葉を適当に肯定した。
それじゃ騎士は何だろうな? こいつらにも家族はいるだろうに。
とは口にしない。
味方のやる気を無くすような事はしない。味方であるうちは、な。
階段を降り。下の階層へ。
「何だ、これは」
俺の死んだ感性でも、異常と感じる空間だった。デブラが顔を引きつらせ、獣人の中には嘔吐している者もいる。
ここは牢獄ではない。
実験場だ。
無数のベッドと診察台が並ぶ。キツイ薬品臭に、汚れた医療器具。血で黒ずんだ包帯に、鋭利な手術器具が輝く。
拘束された人間“らしき”モノが悲しみに声を上げていた。すすり泣く声は、人間らしさの現れなのだろう。例えそうでも、俺の視界には人間の姿をした者いない。
あるのは、サナギのような肉の塊。肉の塊が泣いている。
「あら、お客様ですね」
異常な光景の中、二体は自然と佇んでいた。
黒い看護服姿の執政官だ。
「お前ら」
「モーニエラ、上が騒がしいと思ったら侵入者のようです」
「なるほど、ユッタ。こういう場合『活きの良いモノが現れた』と言うべきなのでしょう」
「モーニエラ、奇遇ですね。獣人は禁止されていますが、処置した場合どういう結果になるか知りたいと思っていました」
「ユッタ、それは素敵な実験ですね」
俺は何も言わなかったが、デブラとその部下が執政官を槍で貫いた。
心臓を貫かれたのに、平然と執政官は笑い出した。
「ハハハハハ! こんな長いモノで入れられたのは初めてよ!
「ですね! 貴重な体験です!」
百戦錬磨の獣人達が引いている。闘争の耐性と、異常への耐性はまた別だ。
「デブラ、こいつらはその程度では死なない。四肢を壁に貼りつけろ。動きは封じれる」
「りょ、了解です」
「磔刑ね! やった事はあったけど、やられるのは初よ! 今日は何て素敵な日なのかしら! 沢山の始めてが、いぃぃっぱいッ!」
狂ったように執政官は鳴く。こいつらにはこれが普通なのかもな。
「これでは他の者は」
「言うな」
誰かの小言を、誰かが止めた。
当たりだろう。しかし人間とは、死んだ証がないと認められないものだ。探すしかないだろうな。この肉を裂いて。
「こんな初めてを独り占めは良くないわ! “みんなで”分かち合わないと!」
嫌な予感がした。
俺の中の何かがざわめく。ケルステインに感じた異常と似て、また非なる異常。
水っぽい音がした。
肉のサナギの一つから、青白く細い腕が生えていた。
「おはよう! 沢山の私達! 今日は素敵な日よ! お客様を皆でお迎えしないと!」
声を皮切りに、見える全てのサナギが破れる。
出て来たのは粘液で濡れた裸体。
おぞましい少女の姿をした産まれたてのモンスター達。
「あ、アッシュさん。どうするのですか?!」
「………………」
剣が震える。
体が震える。
こいつらには分からないだろう。俺の、この怒りが。
執政官に感じた異常は、数が揃う事の陳腐化により猛烈な怒りに転じた。これは、侮辱から生まれる怒りだ。
こいつらの顔が、顔が許せない。
こいつらの顔で行った悪行が許せない。彼女への侮辱が、俺の血を燃え上がらせる。
これがある限り、俺は無限に戦える。
「お前ら、手を出すな。俺一人で全て壊す。邪魔をするなら殺すッ!」
鬼になろう。
望むもの全てを喰らう鬼になろう。
牙を剝き出し、俺は少女に襲いかかった。
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