<第三章:そして集まるケダモノ共よ> 【07】
【07】
毛玉を抱えて階段を駆け下りる。
朝飯の良い匂いがした。焼き立てのパンの香り、クリーミーなスープの匂い。焼ける卵と肉、油の上を跳ねる野菜の匂い。
ささやかな親子の談笑を遮り、俺は言う。
「これは何だ?!」
「ぱぱー」
腕をすり抜けて、毛玉は俺の首にしがみついていた。
「あ、おはようニャー」
「何だよ、うるさいなぁ」
「はい、おはよう! で、これこれ!」
毛玉を指差す。
「え?」
テュテュが首をかしげ、
「あ、もしかして」
何か思い当たる様子を浮かべた時、ドタドタと上から音。
ランシール姫がアクロバティックな動きで階段から降りて来た。
「あの! 起きたらハルナの姿が――――――あ!」
姫は俺に付着した毛玉を指差す。
「駄目でしょ! 勝手に出歩いて! 寒いのに服も着ないで!」
毛の下は真っ裸だそうな。
「まあまあ、ランシールさん。このくらいの子はじっとするのが苦手ニャ。シグレもあちこち駆け回って大変だったニャ」
「昔の事は止めてくれよ、かーちゃん」
「昔って、つい最近ニャ」
「―――――すまんちょっと」
皆の会話を止める。
「誰だって? ハルナ?」
「はい、ハルナです」
さも当然のように答えるランシール。
ハルナって確か。
「赤ん坊の名前だよな?」
「そうですよ、アッシュさん。ハルナとクナシリの、ハルナの方ですけど」
「? ? ? ?」
大量の疑問符が浮かぶ。
「ぱぱー!」
毛玉事ハルナが、俺の後頭部に移動して叫ぶ。視界の半分が銀髪で埋まった。
「俺の記憶が確かなら、昨夜までこんなだったよな?」
昨夜の赤ん坊のサイズを手で作る。
「ですが、それが何か?」
皆、別におかしいような顔はしていない。
俺一人取り残されている気がする。
「アッシュさん知らないニャ? 獣人の揺籃期の終わりは突然来るニャ。ハルナは少し早い方ニャけど」
「ようらんき?」
ようらんって、揺り籠の事だっけ?
「ボクも似たようなもんだ」
「そうかニャー? シグレはもう少~し遅かった気がするニャ」
「そんな事ない」
張り合っている時雨はさておき。
「獣人ってのは、こんなに早く大きくなるのか?」
「ヒームと比べたら早い方ニャ」
「………………知らなかった」
驚きの事実である。
「ジョーシキだぞ」
時雨に言い切られる。思い出して見れば、街で獣人の赤子を見かけた事はない。下賤な噂ばかり耳に入れて一般常識が抜けていたとは。
「ぱーぱー!」
声が大きい。耳元で叫ばれると更にうるさい。
「ハルナ、その人は違いますよ」
ランシールがハルナを引き離してくれる。
「ちがわなーい」
ハルナは否定する。
いや、違うわ。
「それにしても、どこで言葉を」
急激に成長しただけでも驚きだが、片言とはいえ言語を口にしている。
「それは神様が――――――」
テュテュの言葉を遮り、時雨が口を開く。
「揺籃期を明けてしばらくは、耳と尻尾が鋭敏な感覚器系して働いて、生存に必要な情報を自然と取り込んでいるんだよ」
「ん?」
いきなりどうしたんだ時雨?
小難しくて頭に入らなかったぞ。
「シグレ、それは違うニャ。これは、古い時代に契約した獣人の神様が贈り物をしてくれているニャ。カンカク何とかじゃないニャ」
「………分かったよ、かーちゃん。ボクが間違ってた」
時雨の微妙な顔。
気になるが、それよりも今は手を伸ばしてくる毛玉だ。
「ぱー! ぱー!」
「困りました。どうしたのかしら?」
母親が困惑している。
「アッシュが父親じゃねぇーの?」
「冗談言うな」
時雨の戯言を一蹴した。
とは言ったものの、俺も一瞬だけ記憶を失う前に姫様と? 何て妄想をしてしまった。
………………冗談。
あり得ない。馬鹿の妄想にしては馬鹿過ぎる。大体、ランシール姫は俺の事を全く覚えていないではないか。ホント、馬鹿らしい。
「まにゃー! オナカヘッター!」
ハルナの興味はテュテュに移る。
「歯も揃っているみたいニャ。今日からニャー達と同じ物でも大丈夫ニャ」
「くくるるるる」
テュテュに頭を撫でられると、ハルナは変な鳴き声を上げる。人間というより愛玩動物にしか見えないな。
「ご飯の後は、髪を切らないといけませんね。ふふっ変な癖毛。それに凄い髪の量」
ランシールは母親の顔でハルナを抱き直す。
「おにゃーちゃん! オナカー!」
次のハルナの興味は時雨に。
「うるさいなぁ、もうできるよ」
ちょっとイライラしている時雨は、朝飯を皿に盛り出した。
今朝のメニューは、トーストと、目玉焼きに厚いベーコン。大量の野菜炒めと、ポタージである。今朝も朝から贅沢なラインナップだ。
珍しく、今日は魚人の姿は見えない。
「で」
俺は、部屋の隅にいる彼女に話しかける。
「エヴェッタさんは、そこで何をしているんだ?」
「い、いえ、あの、どう接してよいのか分からないので逃げようかと」
どういう事だ。
「エヴェッタ、抱いてあげて」
「うく」
ランシール姫は、ハルナを抱いてエヴェッタさんに近づく。追い詰められたエヴェッタさんは、天井に上って逃げようとしていた。
はたから見ると毛玉に脅えているように見える。
「オナカ! オナカァー! うきゃきゃきゃ!」
「これは何か食べさせないと危険ニャー」
ハルナが暴れ出したので、エヴェッタさんとの接触はキャンセル。
さっさと朝飯にする。
しかしまあ、ハルナはよく食べる。
本気を出したエヴェッタさん程ではないが、大人二人前くらいをペロリと平らげた。
「おいしかったー、おにゃーちゃん、おいしかったー」
「分かった分かった。一回でいい」
洗い物をしながら微妙な態度で時雨は返す。
「うにゃにゃにゃにゃ!」
「ああもう! うっとうしい!」
知った事かと、毛玉は時雨にまとわりつく。
それを微笑ましい顔で見ているテュテュに、俺はふとした疑問をぶつける。
「なあ、時雨って今いくつだ?」
「獣人でいうと七歳くらいニャ」
「ヒームでいうと?」
「うーん、一歳くらいニャ」
思っていたよりも、かなり若かった。
「と言うと、テュテュはいくつだ?」
テュテュはどう見ても、十代半ばくらいにしか見えない。これで一児の母とは、獣人は不思議な生き物である。
「女性に年齢を聞くとか、アッシュさん酷いニャ」
「そうか………すまん。ちなみにランシール姫は」
「はい?」
二コリと笑うランシールだが、目が一切笑っていなかった。
「ランシールさんはレムリア建国から数え―――――――」
「テュテュさん」
「ご、ごめんニャ」
口を滑らせたテュテュを、ランシールが威圧して止める。
恐ろしや、鳥肌が立ったぞ。
「獣人は加齢の変化が少ないので、見た目は判断材料になりませんね」
「あなたは変わり過ぎて年齢が分かりませんね」
エヴェッタさんの呟きにまで、ランシールはグサリと返事をした。
「さ、ハルナ。シグレの邪魔をしてはいけませんよ。髪を切りましょう。子供用の服あったかしら?」
毛玉に飲まれつつある時雨をランシールが救出する。
「シグレが前に着ていたやつならあるニャ」
「すみません。借りますね」
「確か地下にしまったはずニャ」
地下に行くテュテュに、毛玉を抱えたランシールが続く。なんやかんやで気になるのか、エヴェッタさんも後に続いた。
妙な視線を感じた。犬が俺を睨みつけている。
「やるか?」
最近、襲ってこないが油断はしていないぞ。
「バフ」
犬は視線を逸らした。
何だそれは、急にやる気を失うなよ。
「アッシュ、ちょっと話がある」
「どうした?」
洗い物を終えた時雨が手を拭きながら、
「これ」
カンテラを俺に差し出した。
「これが、何の話だ?」
「こいつが話あるんだって」
「は?」
驚いた事に、
そのカンテラは喋り出した。
『おはようございます。アッシュさん。当機は、イゾラDC雪風改参ワイルドグレイス。時雨隊員の補佐をしている。妖精であります』
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