<第三章:そして集まるケダモノ共よ> 【06】


【06】


 十日が過ぎ、日常が出来つつあった。

 朝早く起き、屋台の下ごしらえを手伝う。その後は美味い朝飯を食べ(しれっとあの魚人も朝飯時には家に来ている)時雨とテュテュは仕事に。俺も時雨から弁当を貰って仕事に。

 ランシール姫は家に残るのだが、赤子二人の面倒を見つつ家にあったメイド服なんぞに着替え、掃除洗濯、内職に手を出していた。

 曲がりなりにもお姫様にやらせる仕事ではない。後が少し怖い気もする。

 雪風とアリアンヌはダンジョンだ。

 雪風のパーティは、例の亡霊都市ウロヴァルスを踏破した事により上級冒険者となった。踏破速度、リーダーの年齢、共に歴史に記録が残る程の偉業だそうな。

 そうは見えないが、あいつは凄い奴らしい。

 キーキーうるさい守銭奴にしか見えないけど。

 それはそうと、俺も俺なりに仕事がある。

 職場である旧・国営酒場、前・遠征騎士団駐屯所、そして現在は、レムリア商会経営の酒場が仕事先だ。

 ここには、他の酒場と違う独自のルールが一つあった。

 エリュシオンの騎士は立ち入り禁止、というルールだ。

 百人長へは『騎士の入り込めない所の方が欲しい情報は集まる』という建前を報告した。それと、駐屯所にいた騎士については『無能ばかりだったので独自に解雇した』と報告。

 疑われると思ったが『なるほど、そうですか』とあっさり受け入れられた。

 勘違いされているとはいえ、英雄というバリューは中々のものだ。

 不愉快ではあるがな。

 店に行くと、まず組合長が寄こしてきたレムリア商会長と打ち合わせ。

 二十歳そこそこの若い男だが、前商会長が投獄されたのと合わせ、エリュシオンや中央商会の矢面に立つ人間がいなかったので、彼が代表を務める事になったという。

 俺がエリュシオンの騎士というのに物怖じもせず、言いたい事を言う。度胸があり、商人らしく計算高く、それでいて妙に情が厚い所もある。

 名は、ローンウェル・ザヴァ。

 俺達は妙に気が合った。

 昔一緒に商売をしていたかのように、とんとん拍子で打ち合わせが進み、店の経営について色々とアイディアが出て来る。

 自分に商才があるのかと勘違いしてしまった。

 まあ、ほとんどはこの男の力だろう。

「後、参加していないレムリア系列の商会は?」

 昼飯前の打ち合わせで、この話題が浮上する。

「エルオメア西鳳商会とダマスク孤鳥商会。それと、ザヴァ夜梟商会ですね」

 この三商会以外は、何かしらの形でこの酒場の運営に関わっている。短い期間でよく参加してくれたものだと思う。

 だが、

「ザヴァ夜梟商会って、お前の商会だよな?」

「いえ、自分がレムリア商会長をやるようになってからは、店の事は母に任せています。母は騎士が嫌いでして。若い頃に何かあったようです」

「そうか、それは」

 微妙に痛いな。

「しかし、残り二商会が動けば参加せざるを得ないでしょう」

「最後に商会長の店が参加すれば良いアピールになるか」

「ですな」

「エルオメア西鳳商会はどういう店だ?」

「あそこは獣人をヒイキにしている店でして。当然、エリュシオンには良い顔は。店主とは古い付き合いなので根気強く説得してみます。どうしても言う場合は、例の計画を打ち明けようかと」

「ああ、構わないが最悪の場合は想定しておけよ」

「分かっています」

 ローンウェルは俺が、エリュシオンを裏切る事を知っている。組合長の野郎が話していた。

 信用できる男なのは理解している。その判断は間違っていない。

 だがしかし、危険な秘密には違いない。

 人が増えれば漏れる可能性も高くなる。心中穏やかな気持ちではないな。

「もう一つ、ダマスク孤鳥商会は?」

「前レムリア商会長の商会です」

「そいつは、難しいな」

「ですな。それこそ計画を話した方が」

「駄目だ。投獄された男の商会だぞ。間違いなく監視されている。身内の大事を隠し通せる人間は少ない。それに、変な希望を与えるのは酷だ」

「………確かに、周辺商会から根気強く囲い込みます」

「そうしてくれ」

 良くない噂を聞いた事がある。

 投獄された人間を尋問する執政官の噂だ。

 エリュシオンが掲げる聖リリディアスの教えとやらを、好き勝手に解釈して無茶苦茶やっているそうだ。

 五体満足で解放された者はいない。

 解放されて、その後長く生きた者もいない。

 囚われた人間達は生きているのか。今も尚、生かされて責め苦を味わっているのか。こんな事を知った身内が、平静を保てるとは思えない。

 いや、止めておこう。

 変な感情移入は判断が鈍る。今は乾いた心が必要な時だ。

「所で、アッシュさん」

「あ?」

 打ち合わせが済んだのにローンウェルは帰らず、質問してくる。

「昼飯は店の物を食べないで、いつも持参しているようですが?」

「そうだが、何か問題が?」

「いえ特に。ただ美味そうに見えたので」

 今日のお昼は、時雨特製の“ひつまぶし”である。

 と言ってもウナギじゃなくて、何かよく分からない深海魚の煮魚だ。甘辛いタレで味付けされたご飯は冷めているが、別に用意した熱々の豆茶をかけていただく。

 付け合わせのピクルスは人参とリーキ。謎のピリっとする調味料をかけて、少しずつ味を変えながら食べるとオツである。

「やらんぞ」

「………………そうですか」

 心底残念そうな顔でローンウェルは帰って行った。

 夕方、何か進展があれば報告に来るだろう。なければ今日はそれで帰宅。


 ちなみに今日は、何もなかった。昨日も一昨日も何もない。つまりは何もない日の方が多い。


 日が暮れる前に家に帰る。

 家に帰ると、時雨やテュテュは先に家に帰って夕飯の準備をしている。ランシール姫まで食事の準備を手伝っていた。割と、いやかなり手慣れた様子で。

 夕飯時の話題は、大体が仕事の事だ。

「今日は、新しいメニューの相談と給仕に使う子の面接をした」

「楽な仕事だなぁ~」

 大体、こんな感じで時雨に一蹴される。

 ふんぞり返って人を使う仕事はお気に召さないのだろう。

「人を使うのも大変な仕事ニャ。シグレも大きくなったら分かるニャ」

「ボクは自分で何でもできる。人の手なんて借りないよ。お金かかるし」

「ニャはは」

 テュテュは困った顔で笑う。

 今まさに、自分の母親が人使いで苦労しているのだが、もうちょい大きくなったらこいつも気付くのかな?

「で、時雨。今日の売れ行きは?」

「いつも通り好調。常連さんが出来つつあるけど、どうやって探してんだろう」

「冒険者は目ざといからなぁ」

 どこかの酒場から噂が流れているのだろう。例えば、レムリアの商会が協賛した目抜き通りの酒場とかから。

「あのシグレ、このパスタの作り方を後で教えてもらえませんか?」

「いいよー姫様。でも材料が特殊だからなぁ。ゲトさんに言わないと中々手に入らないかな。これは魚卵を調味料に漬けた物を牛乳と小麦粉で作ったソースで――――――」

 時雨はランシール姫に、明太子パスタの作り方を得意気に話す。

「はぁ~幸せぇぇ」

 エヴェッタさんは、恍惚な顔で三人前の明太子パスタを片付けていた。最近は量より質な食いしん坊である。

 食後は、すぐお風呂。

 一家の柱というわけでもないのに、俺は一番風呂をもらう。

 上がると釜戸の火の始末や掃除、皿洗いと、一日の仕事全てが終わっていた。

 残った女性陣は一斉にお風呂へ。

 犬は毎回、俺が覗かないように番犬をしている。こんな時だけ本気を出すなと言いたい。

 これとして意味のない行為であるが、俺はこの時間になると丸太に水をやっていた。ちょっと前から若芽が一つ生えているのだ。

「大きくなれよ」

 とまあ声をかける。

 女性陣が長風呂からあがると、まったりとした時間が流れる。

 俺は何でか、家にある書斎から本を持って来て時雨に読み聞かせていた。 

「毒キノコの中毒症状」

「ふんふん」

 今日の本は、雨名の女神ジュマ発行・右大陸キノコ図鑑である。

「食べてから長い物で半日、短い物ですぐ症状がでます。基本的には、嘔吐、下痢、腹痛。発汗から手足のしびれ、意識がもうろうとし、目の瞳孔の収縮が見られます。重症の場合は、呼吸困難になり全身が痙攣します。中毒症状が出た場合、最寄りの治療術師に食したキノコを持参して治療を受けてください。尚、毒キノコの絵柄付き図鑑は別冊の――――――」

 すやすやと膝に寝息がかかる。

「俺が本を読みだすと、即効で寝るのは何故だ?」

「どうしてニャね~」

 時雨は、俺が本を読みだすと五分持たない。テュテュに抱えられてベッドに運ばれて行った。

「寝ます!」

「はい、おやすみ」

 気合の入ったエヴェッタさんの就寝報告。彼女も二階に消えた。

「ではワタシも」

「ああ」

 姫様も二階に、

「あの」

 行く途中で歩みを止めて振り返る。

「ん?」

「こういう日が、いつまでも続けば良いですね」

「そうだな」

 俺のぶっきらぼうな返事に、ランシールは儚い笑顔を浮かべる。

 誰しも、こんな日が長く続かない事は理解している。だからこそ貴い日常なのだ。

 しばらく一人の時間を楽しみ、俺も睡魔に襲われ寝床に向かう。

「あれ」

 居間の室内照明を全て消して、時雨の置いて行ったカンテラを消そうとするが、消えない。というか開かない。

「何だこれ」

 壊れているのか? 開け方にコツでもあるのか? 

「あ」

 自然と消えた。よく分からんな。

 俺も二階に。一人寂しく寝床に入った。

 アリアンヌは、今日も雪風の拠点で寝起きしている。酒の量が増えていないと良いが、ちょっと心配だ。

 目を閉じ、忘却に消える夢の中に入る。


 夢を見た。


 吹雪の中を駆ける白い狼の群れを見た。

 白き雪の中でも映える白銀の毛色。

 白銀の狼が、吹雪の雪原をどこまでも駆け抜けて行く。

 駆けて――――――いや、一匹が振り返る。

 群れから離れ一匹の狼が駆けて来る。

 倒れ伏せた男の前に、俺の前に。

 黄金の瞳で俺を見つめる。


 それは、僕の夢なのか。

 これは、俺の夢なのか。


 いや、これは―――――――彼女の、



「ッ」

 目が覚めた。軽い冷や汗が額に浮かぶ。

 まただ。

 また思い出せない。

 後一つ、後一欠けらが足りないばかりに全てが瓦解している。記憶の整合性が崩れている。あるのは、いつも通りの憂鬱な朝。

 違うのは………………

「何だこりゃ」

 今朝は、枕元に毛玉が転がっていた。うねうねとした癖のついた毛玉。時雨より一回り小さいくらいのサイズで、あいつの抱き枕か何かだろうかと悩んでいると。

「んー」

 毛玉から、ふっくらとした手足が生えて背伸びをした。獣耳と尻尾も出て来る。

「は?」 

 生き物?

 そいつは、毛の合間からくりっとした金色の瞳を覗かせ俺を見て言う。

「ぱぱ!」

「は?」

 え?

「ぱぱー!」

「は?」

 二回言われた。

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