<第一章:ノーバディ> 【04】


【04】


 朝は憂鬱だ。

 いつも思い出せない夢の中から目が覚める。

 俺はこの手で何かを掴んでいた。誰かと繋いでいた。けど今は何もない。

 そんな幻想と共に目が覚める。

「最悪だ」

 合わせて、本日は床の上で目覚めた。

 部屋がそこまで寒くないから良かったものの、いつもの宿なら体調を崩している。

「アリーおい」

「んんぅ」

 夢の中の騎士様は、裸体を一瞬だけ覗かせ寝返りをうつ。

 デキる女なのだが、朝だけは弱い。

「まあいいさ」

 くたびれたシャツを取って袖を通す。隣部屋の洗面所に行って顔を洗った。

 白髪と金瞳。白い角。皮肉に歪んだ表情。

 何度見ても、どこを見ても、他人のような顔。

 何万と自問自答を繰り返した。何千と噂を耳にした。数え切れない人とすれ違った。

 答えは、誰も知らない。

 けれども、それで良いのかもしれない。

 アリアンヌの言う通り、昔の俺はロクな人生を歩んでいなかったに違いない。

 残り少ない俺の時間、彼女への恩返しに全てを使うのでは駄目なのだろうか? それはそれで実に人間らしいと思う。あるかないか分からない過去を探すよりか―――――いや、恐れている事があるのだ。

 俺の過去が、万が一、億が一つ、神の悪戯で、彼女の邪魔になっていたら。


『世は常に皮肉に満ちている』


 どこで拾ったのか、俺にこびりついている言葉。これがザクザクと胸を刺す。

 そしてそんな考えは………………空腹でどうでも良くなる。

「腹が減った」

 珍しく朝から腹が減る。夕飯に美味い物を食べたせいだ。

 朝食は出るのだろうか? 直談判しに部屋を出ると、

「ん?」

「お?」

 ばったり知らん人と出会う。

 サングラスをした魚人だ。中々見ない珍しい種族である。

「お前………」

「あ、おはようございます」

「おう、おはよう」

 何か挨拶をした。

 小さい足音が近付いて来た。

「ゲトさん、おはようございます」

「おう、おはよう」

 予想通り時雨だ。何か箱を抱えている。

「居候! これ持て!」

「へぇへぇ」

 箱を持たされた。中には食料品がみっちり詰まっている。片手で持てるサイズだが重い。子供の手ならもっと重いだろう。

「ゲトさん、今日は?」

「前に言った川魚を捕って来た。こう寒いと脂が乗るでな、美味いぞ」

「うわぁ、やったぁ」

 魚人が魚籠<びく>を時雨に見せる。笑みを浮かべながら、時雨は魚を覗き込んだ。

「うん、よい状態! 四十匹と、前の金貨余りの額合わせて金貨二枚だね」

「おう」

 時雨は、財布から金貨を取り出す。チラッと財布の中身が見えてしまった。子供に持たせて良い大金ではない。

「して、シグレ。今日の朝飯は何だ?」

 魚人は朝食を要求している。

「うどんと色々作ったよ。上で適当に食べて。あと、悪いのだけどゲトさん。この居候を同席させてよ。何か問題起こしたら外に叩き出してよいから」

「うむ」

 時雨は食料箱を僕から取り返すと、地下の奥に消えた。

 どこに行くのやら。

「おい居候、行くぞ。オレは腹が減った」

「あ、はい」

 魚人を追っかけ階段を上がる。

 窓から見える外は、まだ薄闇に包まれていた。思ったよりも早く目覚めたようだ。

 キッチンに到着。魚人は魚籠を隅に置くとテーブルに着く。

「ほれ、準備しろ。魚人に火を触らせるな」

「ええっ」

 俺は何故か料理の準備をする事に。

 テーブルには、冬霧草のサラダと玉子焼。火の入った釜戸の鍋には、湯気を上げたスープと、隣には煮えたお湯。調理台には数々の総菜が並び、その中の器にうどんの麺を見つける。

 冷たい水で片手を洗って、麺を鍋に投入。

 茹で時間はさっぱりだが、適当な所で麺をザルで上げて貯めた冷水にさらす。うどんのスープらしき物を器に入れて、水を切った麺を投入。

 少し冷めた厚いベーコンがあったので乗せた。

 刻んであったリーキと胡椒を撒いて完成。

 うどんをテーブルに並べる。

「ベーコンはいらん。オレは、うどんはシンプルに食うと決めている」

「あ、はい」

 魚人は自分のベーコンをフォークでぶっ刺すと、俺の器に移動させた。

 二枚はちょっと贅沢過ぎる。てか、邪魔な気も。

「では頂く」

 ちゅるんと麺を飲み込み、サングラスの奥の瞳を見開いた………ような気がした。

「シグレ、腕を上げたな。スープ味わいが更に深くなっている」

「え、これ。あの子供が作ったのか。母親の仕事ではなく?」

「そうだ。テュテュのやつは、ここ最近寝込む事が多くてな。シグレが一人で店を切り盛りしている。独り身の獣人娘が、子供を育てながら店を切り盛りするには、無理をしなければ不可能だろうて」

「………………」

 何か身につまされる。いや、酒場に入り浸って座っているだけの俺が何を言うのか。

「冷めるぞ。うどん食え」

「あ、ああ」

 麺物は片手じゃ食べにくいが、美味さは変わらない。

 麺はモチモチ、スープは魚介と醤油ベースでシンプルながらも味わい深い。だが、ベーコン二枚は余分だった。肉汁と塩分が染み出て、繊細なスープが台無しになる。

 舌の油をリセットしたくてサラダに手を出した。

 マヨネーズをあえたシャキシャキとした触感の野菜。こっちでは水菜の事を冬霧草と言う。

 ん、こっちって………何だ?

 玉子焼きにはチーズが入っていた。美味し。

 魚人はスープを飲み干し席を立ち。で、自分で次のうどんを茹でだした。

 できるじゃないか、火の扱い。

「なあ、あんた。あの親子とどういう関係だ?」

 魚人と付き合いがあるとは珍しい。

 職業柄、気になる。

「あいつらの親父と付き合いがあってな。その縁で今の取引している」

「親父?」

「ろくでなしだ」

 ばっさりとした一言。

「やりたい事は分かる。やらなければならない事も理解できる。だがなぁ、それで女房子供を泣かしちゃ意味がなかろうて」

「その通りだ」

「………………」

 何だ?

 何か鋭い視線を感じるぞ。

「お前さん。居候と聞いたが、しばらくこの店にいるのか?」

「少しの間、世話になるつもりだ」

 アリアンヌは思ったよりも回復していた。全快までニ、三日くらいか。そうしたら、また前の生活に戻るつもりだ。こいつらと、これ以上関わる事もない。

「なら、シグレに良くしてやれ」

「何故、あの子供に?」

 テーブルに先程の金貨が置かれる。

「理由はこれでいいな?」

「駄賃にしては十分だ」

 子守りの代金にしては破格。子守りが必要な相手には思えないが、恩を返すにも金がいるのだ。

 しかし手を伸ばすと、金貨は引っ込められた。

「出来高払いだ」

 しっかりしてらっしゃる。

「ん?」

 音と気配を感じた。

 魚人も察知したようだ。少し乱暴に店の扉が開かれた。

 客にしても、店はまだ準備中の様子。業者なら裏口を使うだろう。

 対応しようと俺が出ると、

「アッシュ、アリアンヌはいるな?」

 微妙に知っている男だった。

 年配の獣人。

 体格がよく、顔に傷があり、如何にも荒事に向いている人種。実際、その道のプロ。帯剣して、ご丁寧に店の外には部下が三人。

「何の用だ?」

「女将が“昨日の客”の事で話があるそうだ。今すぐ顔を出せ」

 最悪だ。

 バレてるじゃねぇか。

「アリーは留守だ」

「ふざけるなよ。お前らが、この店に入ったのを見た奴がいる」

 獣人が一歩前に出て、

 席を立った魚人が俺の一歩前に出る。

「この店で荒事か?」

「………………いえ、そんな事は」

 あれ、こんな恐縮した男の姿は初めて見たぞ。この魚人強いのか?

「出て行け」

「魚人の旦那。こっちもガキの使いじゃねぇんだ。手ぶらじゃ帰れねぇ」

「そうか。なら、そんな手はいらんなぁ」

 ただならぬ気配が漂う。

 俺の直感では、それは店ごと破壊しかねない気配だ。

「よし、間を取って俺の顔でどうだ?」

『………………』

 二名共、無言に。

「チッ、仕方ねぇ。お前で我慢してやる。それなりに覚悟はあるのだろうな?」

「へぇへぇ」

 そう凄まれてもな。誰でもない男から、何を奪うというのやら。

「おい、アッシュとやら」

「何だ?」

 男について行こうとしたら、魚人に呼び止められた。

「早く帰って来いよ。シグレが寂しがる」

「了解」

 意味は分からんが了解した。

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