<第一章:ノーバディ> 【05】
【05】
「とんでもない事をしてくれたね」
開口一番の女将の言葉。
娼館の女将は、そこそこの歳らしいが美しさに陰りはない。ドレスの下には熟れた豊満な体。長椅子に腰かけて気だるそうにしているが、普段の余裕がない気もする。
「とんでもない事とは?」
とりあえず、トボケてみた。
「ボケとトボケは違うのよ。アッシュ」
豪勢なテーブルに指輪が置かれる。
「騎士団の駐屯所で、私の部下が見つけたわ」
「でっち上げだ」
アリアンヌの指輪である。
祖母の形見で一点物。こんな物を犯行現場に置いて行くほど彼女は間抜けではない。こいつらの手の者が、宿を漁って手に入れたのだろう。
「そうね。そうかもしれないわ。“それが何だと言うのかしら?”」
女将が指輪を持ってエリュシオンの執政官に密告すれば、俺とアリアンヌはお尋ね者だ。匿ったテュテュや時雨も、いわれのない罪状で捕縛される。
単純な話なのだ。
今この街で、後ろ盾なく別の勢力に疑われる事は死を意味する。そして一番の問題は、俺らの犯行が真実と言う事。
「やったやらないの言い争いは無駄って事か」
「そうよ。あなたが馬鹿ではない事は知っているわ。だから相談よ」
「相談?」
脅した相手に相談とはおかしな。
「今朝、獣人の森の連中が、ああ【獣人同盟】と名乗っていたかしら。駐屯所を襲撃した事を大っぴらに公表したわ。『次代に死にかけのエリュシオンの血はいらぬ』とね」
「………は?」
「手柄を奪われたわね」
話がややこしくなっているぞ。なりすましの手柄を大声で上げるとは、獣人共も何を考えているのやら。
「で………………俺に相談とは?」
嫌な予感。
「連中のねぐらを掴んだわ。行って、話を付けてきなさい」
「話って、おいおい」
付くわきゃないだろ。
絶対に荒事になる。俺は沈められて明日の朝には川で浮かんでいる。
「何も死んで来いとは言っていないわ」
そう聞こえるが。
「リングスノヴァの一人、『仄日のヴィクリス』が力を貸す。そう伝えれば良いだけ。あなたは連中に入り込んで、私に動向を伝えなさい」
「リングスノヴァって、上級冒険者のあれか?」
上級冒険者六人からなる集まりで、全盛期はレムリア王に次ぐ勢力だったとか。衰退をたどり今では見る影もない、との噂。
「そうよ、ヴィクリス・リエビア・エルターリア・ローオーメン。それが、私の名前」
「は?」
冗談だろ。
「私がリングスノヴァの一人。『仄日のヴィクリス』よ。と言っても、死に際の男から名と位を相続しただけ」
「そりゃ御大層な秘密だが」
俺はやるとは言っていない。
「何事にも信頼は大事なものよ。特に大事な交渉の前にはね」
信用しているようには思えない。
この秘密がバレても逃げ道があるのだろう。俺など使い捨ての駒がよい所だろうに。
「立場が危うくなったから、勝ち馬を探してこいって事か?」
「違うわ。“立場が危うくなる前に、組める相手を探してこい”って事よ」
したたかだな。そうでなくちゃ生き残れないものか。
「俺が断ったらどうする?」
「アリアンヌを行かせるだけよ。飢えた獣相手なら、女の方が交渉しやすいでしょう?」
「………………左様で」
面倒な事になりつつある。
「俺が失敗したらどうなる?」
「そうね。慰めにアリアンヌに良い男を紹介してあげるわ。あなたのような、何もない捨て犬よりマシな男をね」
「さいで」
そりゃ魅力的なお話だ。と冗談で笑ってみても何にもならない。
考えろ。
呆けている脳みそを使え。この状況を打開する術を………………クソ何にも思い浮かばない。誰か知恵を貸してくれ。
って、ねぇかそんなもん。
俺に最初から選択肢はないか。
「………………やるよ」
「そう。連中は、空き家になっていたグラッドヴェインの宿舎をねじろにしている。良い返事だけを期待しているわよ」
誰でもない男に期待か、そりゃ皮肉だろうな。
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